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平成二十二年二月十一日

『福田恆存を讀む會』


平成二十二年二月選擇評論:全集第六巻所收『祝祭日に關し衆參両院議員に訴ふ』(「潮」昭和四十一年九月號。五十五歳著)

 

前囘選擇評論『藝術とはなにか』のまへがきで、小生は以下圖の事を書いた。今囘についても、その思考線上で今評論『祝祭日に關し衆參両院議員に訴ふ』を、捉へることがやはり可能かと存ずる。

即ち、以下�´↓�のプロセスで言ふと、今評論は��の「現象化・實用篇」、もつと適切な表現をするなら議員向け「復旧版」とでも表せるのではなからうか。
kasetsu.kenshou.pdf へのリンク

しかし「復旧版=ダイジェスト版」だけに、彼等、政治と言ふ「賤業」(『私の英國史』より)に身をやつし、その日常に埋沒せる議員には、此の評論も到底難解の部類に屬し、恆存の底意を充分に讀み取れはしなかつた節が想像できる。

その結果としての今日の情況をおもんばかるに、今評論は當事の「衆參両院議員」には、やはり「馬耳東風、暖簾に腕押し、糠に釘」であつたのであらう。更に社會黨に對して言へば、P67下で恆存が書く、「村山氏が社會黨の代表意見として述べてゐる近代日本史觀。それは全く唯物史觀に據るものであつて、明治以來敗戰に至るまでの日本の歴史の全面否定を意味します」は病膏肓的状態と言へる。それ故彼等には「馬鹿に附ける薬はない」であり、もつと痛罵すれば「蛙のツラにOOOO」でしかなかつた態を思はする(これは今日の「社民黨」にも通じる事だが)。

が、この評論からは、「文化・型」を喪失して病んだ(野蠻化した)日本民族を、何とか再生させたい恆存の思ひなるものが、切々と吾々に傳はつてくる。

 

それから、恆存の理論、C:場 (自然=空間的全體)⇒D1:關係と稱する實在物「生理」⇒E:「型・リズム」⇒D2演戯(自己劇化)⇒全體・絶對⇒D3全體感・實在感・必然感shizentorizumunokankei.pdf へのリンク 等に對する、小生なりの理解は、拙發表文の『傳統技術保護に關し首相に訴ふ』及び《恆存の「型・儀式」に關する考へ方》の二つになんとか纏める事が出來得たと思ふのである。よつて、それら拙發表文をもつて説明出來うることはそれをもつて換へさせて戴く事とする(當該項目P75下他)。

 

*今評論選擇理由・・・川上會員より。

*引き續き川上會員より、LEADING(READING)へ・・・。

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〔以下は、吉野櫻雲發表文〕

 

と言ふ事で、今評論も中々の難解にしてかつ手ごはく、そしてどの文章も重要なのであるが、特に以下内容文を此處に取り上げる事とする。更にいつもの如く難解なる内容については、手助けを他評論に仰ぐこととする。(以下文中傍線及び括弧内は概ね吉野附記。「P9圖」云々は「讀む會テキスト」頁を表す。「A・B・D2」等も同テキスト三頁を參照の程)

 

〔難解又は重要文〕:P69上「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

*「假に史實といふものがあるとすれば、それは點に過ぎず、結果に過ぎない。點と點とを結附けて如何なる線を描き出すか、また一つ一つの結果に對して如何なる動機や原因を想定するかは、全く歴史學者の主觀に委ねられてゐるのです。・・」云々。

*P70上「〜〜階級鬪爭の史觀に捉はれてゐるからで、これもまた今日の目で歴史を眺め、史實を取り逃がしてゐる一例に過ぎません」。

・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。それについては以下の文が參考になるのでは。

恆存著『乃木将軍と旅順攻略戦』より「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

 

「歴史、殊に戦史に対して断定は禁物と信じてゐる。(中略)司馬、福岡両氏に対する疑問は、両氏共に恰も旅順攻略戦に加つた者の如く、しかも乃木将軍の戦略を責め、福岡氏の如きは『愚将』とまで決め附けてゐる点である。が、歴史に対しては私達は飽くまで謙虚でなくてはならぬ。結果から是非を論ずるのは易しい」P114。

当評論主題:

「歴史家が最も自戒せねばならぬ事は過去に対する現在の優位である。吾々は二本の道を同時に辿る事は出来ない。とすれば、現在に集中する一本の道を現在から見透かし、ああすれば良かつた、かうすれば良かつたと論じる位、愚かな事はない。(中略)当事者はすべて博打をうつてゐたのである。丁と出るか半と出るか一寸先は闇であつた。それを現在の『見える目で』で裁いてはならぬ。歴史家は当事者と同じ『見えぬ眼』を先ず持たねばならない」(P115)。

*「歴史に附合へば附合ふ程、首尾一貫した因果の直線は曖昧薄弱になり、遂には崩壊し去る。そして吾々の目の前に残されたのは点の連続であり、その間を結び附ける線を設定する事が困難になる。(中略)が、歴史家はこの殆ど無意味な点の羅列にまで迫らなければならぬ。その時、時間はずしりと音を立てて流れ、運命の重みが吾々に感じられるであらう」(P116 )⇒下欄文参照

「合鍵を以て矛盾を解決した歴史(即ち司馬、福岡の余りにも筋道だつた旅順攻略戦史:吉野挿入)といふものにほとほと愛想を尽かしてゐる」(P116)。

【どうであらう、此の邊について各位のご賢察は・・・】

 

〔難解又は重要文〕:P73下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

*「祝祭日とは何か。その效用は何なのか。一口に言へば、それは文化共同體(C”)の生活を整へ、それに折り目を附け、リズムを與へるものであります。・・」云々。

*P74上「吾々は祝祭日によつて自然との繋りを確め、とかく自然に反しがちな人間の生活と自然との間に折合ひを附けるのです。祝祭日とはさういふものでなければならず、また事實さういふものであつたのです」。

・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。この文章は前囘『藝術とはなにか』で取り上げた探究項目の以下文に通ずる。

「われわれの精神(B)も肉體 (A)も、そのひとびとにおいて、一定の生理(D1)に支配されてをり、さらに民族や時代やその文明も、それぞれの生理に支配されてをり、それらは究極において根源的な生命(全體Cか?)の原理に支配されてをります。 いふまでもなく、われわれがもつとも生きいい状態といふのは 、特定の個人(部分?)の生理が根源的な生命(C全體?)の原理と一致するときでなければならない。が、現實の生活においてそれは求められません」(『藝術とはなにか』)。⇒參照PP圖「C(自然=空間的全體)とリズム(型)との關係」のP�´�shizentorizumunokankei.pdf へのリンク。

 そして、その事柄を更に詳らかに表したのが、以下の文面と言へる(實に美文である、と思ふ)。

〔恆存著『人間・この劇的なるもの』より〕

 

「祭日とその儀式は、人間が自然の生理と合致して生きる瞬間を、すなはち日常生活では得られぬ生の充實の瞬間を、演出しようとする欲望から生れたものであり、それを可能にするための型なのである。私たちが型に頼らなければ生の充實をはかりえぬのは、既に私たち以前に、自然が型によつて動いてゐたからにほかならぬ。生命が周期をもつた型であると云ふ概念を、私たちは、ほかならぬ自然から學び知つたのだ。自然の生成に必然の型があればこそ、私たちはそれにくりかへし慣れ、習熟することが出來る。そして偶然に支配されがちの無意味で不必要な行動から解放される。何故なら、型にしたがつた行動は、その一區切り一區切りが必然であり、それぞれが他に從屬しながら、然もそれぞれがみづから目的と成る。一つの行動が他の行動にとつて、たんなる前提と成り、手段と成るやうな日常的因果關係のなかでは、そのときどきの判斷によつて採用された行動は、たいてい無意味で不必要な結果に終る。個人の判斷が、その必然性の一貫にどれほど緻密な計量をはたらかせようとも、それは殆どつねに偶然の手にゆだねられる。

 必然とは部分が全體につながつてゐると云ふことであり、偶然とは部分が全體から脱落したことである。とすれば、個人がみづからの配慮で自己の行爲に必然性を附與しやうとするストイシズムは、個人の能力を超えた緊張を必要とするであらうし、そして、その緊張には、私たちは長くは堪へられず、『嘔吐』のなかの女のやうに、最後には、かならずその努力を抛棄してしまふであらう。型にしたがつた行動は、私たちをさう云ふ緊張から解放してくれ、行動をそれ自體として純粹に味はひうるやうにしむけてくれる。そのときに於てのみ、私たちは、すべてがとめどない因果のなかに埋れた日常生活の、末梢的な部分品としての存在から脱却し、それ自身に於て完全な、生命そのものの根源につながることが出來るのだ。

 

 儀式はすべてさう云ふ純粹な、云はば劇的行動の場を、現實の生活のなかに齎すものであるが、そのなかでも、國家的な權威の強制に害われなかつた、自然のリズムに即する祕儀は、長いあひだ民衆の生活のなかに生き續け、今日もなほその意義を失つてはゐない」。

 以上の熱き思ひが、當評論最終文「眞の祝祭日にするにはそれに値する名稱と形式とが必要なので、その爲には戰後の祝祭日を全面的に改正し、一年の生活リズムを形成し得る樣な統一せる系列を作り上げねばなりません」へと續いてゐるのである。

【どうであらう、此の邊について各位のご賢察は・・・】

 

〔難解又は重要文〕:P75上「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「今の政府に限らず、明治以來百年、日本の政府がやつて來た事は近代化の鞭によつて國民生活を混亂に陥れ、傳統や情操を干からびさせて置いて、その埋合わせや保存を博物館に請負せるといふ樣なことばかりです」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。それについては以下の文が參考になるのでは。

拙發表文:『教育改革に關し首相に訴ふ』より「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

 

恆存は、「明治以來の國民皆學の教育狂(國家近代化の爲の教育)が日本の文化を破壊して來た」からであり、その國家の近代化(西歐化)が日本文化の崩壊を招いたからであると指摘する。「今日の日本人の心に穿たれた空洞は」それが原因であり、「近代化の實績を擧げた」犧牲として「日本人固有の文化」の喪失が支払われたのであると。

 此の事を恆存の論法、「場⇒關係(宿命)⇒適應(自己劇化)⇒適應異常(自己劇化破綻)」

で言ふと以下の通りになる。

西歐近代と後進國日本と言ふ場(C”)⇒其處から發生した「日本國近代化(關係・宿命:D1)」⇒關係への適應(自己劇化:D2)、即ち國家近代化の爲の教育(教育の手段化)⇒關係(近代化)への「適應異常」、即ち國家の近代化(西歐化)が日本文化の崩壊化を招いたと言ふ事。

 

*「明治五年の太政官布告が如何に自己修養(精神面の近代化と言ふ事か)の爲の教育と言ふ理念を強調したにせよ、それを『近代的な個人主義』の自覺を求めたものと見做す譯にはいかないのです。言ふまでもなく『學制』の根本精神は『近代的な國家主義』の強化にありました。外に向つて國家の近代化を急速に達成しようとすれば、内に向つては必然的に個人の近代化を抑止せねばならなくなります。その意味で、自己修養、自己完成と言ふ當時の教育理念は儒教的な克己心に支へられてゐたのであり、又その枠から脱け出る事は出來なかつたのであります。言換れば、それは國家の爲には直接間接を問はず自己を犠牲にすると言ふ事です(西歐の、「個人倫理の次元を、根源的には宗權を國權の上位に置く」との相違が此處に露呈してゐる)」(全五『論争のすすめ』)

【どうであらう、此の邊について各位のご賢察は・・・】

 

〔難解又は重要文〕:P75下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「紀元節復活論も同じ考へから出たもので、愛國心や國家意識を曖昧にさせたのは何も左翼や進歩主義者だけに限りません。戰後の祝祭日が單なる休日に堕してしまつた爲に國民生活が混亂に陥つてゐる事に氣附かず・・」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。それについては、やはり同年に書かれた以下文が參考になるのでは。即ち「具體的な『物』としての附合へる文化(關係:D1)を失つてしまつたのでは、愛國心の手掛りは何處にも無くなる」のだと。そして、型(祝祭日・國語の正當表記等)の喪失が「國民生活が混亂に陥つてゐる」元兇なのだと・・。

⇒參照PP圖「歴史・文化・型」P1-4rekisi.bunka.kata.pdf へのリンクについて。

拙發表文:『傳統技術保護に關し首相に訴ふ』より

 

恆存は、「戰後の日本は文化を喪失してゐる」とも言ひ、「今更愛國心を強調しても始まりません。具體的な『物』としての附合へる文化(關係:D1)を失つてしまつたのでは、愛國心の手掛りは何處にも無くなる」(P59『教育改革に關し首相に訴ふ』)と主張する。    

しかしさう言ひながらも翻つて、だが「絶望する必要は無い。日本人にはまだ日本の自然(空間的全體:C)があり、國語(文化の最後の砦?としての正假名正漢字E)があり、そして歴史(時間的全體:C)があります。それが今日もなほ私達に殘された最小限の文化(C⇒D1)です」(全六『教育改革に關し首相に訴ふ』より)と、その樣な現代日本の悲觀的情況の中でも失望せず、「樂觀的觀測」の手を日本人に差しのべる。即ち仕へるべき全體とその紐帯(關係:文化)を、最小限とはなつたが、日本人は未だ喪失してはゐないのだと我々に訴へるのである。

 そしてその「愛國心や國家意識を曖昧にさせた」原因について、やはり以下の樣に「型」に對する愛着の喪失、及び「型」の喪失に歸因する、を指摘してゐるのである。⇒參照PP圖「歴史・文化・型」P1-4rekisi.bunka.kata.pdf へのリンクについて。

恆存著:『傳統技術保護に關し首相に訴ふ』より。( )内は吉野注。

 

*「愛國心(國との場から生ずる關係:D1)の場合も道徳觀(他者愛、等)の場合も、その前に先ず物(對象・言葉F)を、それも生きてゐる物(心を通はせられる物)を必要とします。人々の求めてゐるものは「期待される人間像」などといふ抽象的理想ではなく、もつと具體的な存在、即ち吾々が手を觸れ、心を通はせる事(即ちEの至大化:型・仕來り・生き方・様式・技術・距離測定能力・So called・技術)の出來る物(對象・言葉F)そのものなのです」。

「國家が抽象的な理想(愛國と言ふ概念)としてではなく、具體的な物(心の通つた物、即ち「愛國」と言ふ關係を、形のある『物』としてみせる事が出來る「E型」それ自體)として見えて來、それ(E=型・ソフトウェア)に愛着を覺えるP1-4rekisi.bunka.kata.pdf へのリンク樣な教育といふ觀點に立つた時、戰後は固より、明治以來の教育理念も教育制度(即ち「國家近代化」と言ふ、ハードウェアの爲にのみ專心した教育)も、のみならずそれを成立させてゐる文化觀、價値觀(即ち「和魂洋才」及び、物質的近代化のみで「近代化」としてゐる事)も、すべてが間違つてゐるとお思ひになりませんか・・」。

 

*尚、上述の「具體的な『物』としての附合へる文化」云々、及び「戰後は固より、明治以來の教育理念も教育制度も、のみならずそれを成立させてゐる文化觀、價値觀も、すべてが間違つてゐるとお思ひになりませんか・・」云々について、更に恆存の論を解説すると以下の樣になる。

 

小生的把握:『醒めて踊れ』『教育改革に關し首相に問ふ』他より⇒參照「西歐(場)との關係(宿命)として齎された「近代化」への適應�´∧如�seioukinndaikahenotekiou1.2.pdf へのリンク

 

ハードウェアである「近代化」といふ西歐との關係(D1)seioukinndaikahenotekiou1.2.pdf へのリンク、更にそれを表する「資本主義化・民主主義化・個人主義化・機械化・組織化・合理化等々」の言葉を、それら新漢語に對する用法(「So called」)で、正常な關係に「形ある『物』として見せる」と言ふ、「ソフトウェア」の藝當が明治以來日本では出來なかつた、と言ふ事を恆存は言はんとしてゐるのである。

「國家近代化(西歐化)、それを表する上記新漢語(資本主義化・民主主義化等)の客體化」と言ふ、所謂「ハードウェア」それ一點の爲にのみ、日本は教育も政治經濟も軍事も全て專心して來た。それが故に、「附合ふ」と言ふ「ソフトウェア」即ち「E=型・仕來り・生き方・様式・技術」が蔑ろにされたのだと、恆存は糾彈してゐるのである。そしてさうした「愛國」は間違つてゐるのだと・・。

重要な點なので再度繰り返すが、西歐(場C”)との關係(D1宿命)として齎された「近代化」への適應を、新漢語の用法(So called)で正常な關係に「形ある『物』として見せる」。それがハードウェアとしての近代化(即ち、資本主義化・民主主義化・個人主義化・機械化・組織化・合理化等々)に對するソフトウェア(精神の政治學)としての對處方法なのであると恆存は言ふのである。その「ソフトウェア」即ち「E=型・仕來り・生き方・様式・傳統技術」の重要性に政府も國民も氣附かず、それを「滅びるがままにして置いた」と言ふのだ。

第一義底は、「ソフトウェア」としての「E=型・仕來り・生き方・様式・傳統技術」なのである、と言ふ觀點に立つた時、「ハードウェア(關係D1)と、それを稱する新漢語群)」にのみ狂奔した明治以來の日本の有樣(文化觀・道徳觀)が「すべてが間違つてゐる」と見えないかと恆存は言つてゐるのである。「文化(D1)とは私たちの生き方(E)」であると言ふ觀點が明治以來の日本にはなかつたのだと・・。

「ソフトウェア」である「E=型・仕來り・生き方・様式・傳統技術」の有機性を十分に理解し、それに愛着を覺え大事にする事。それが文化(D1)なのであると恆存は言ふ。「文化とは生き方である」の同一的謂ひが其處にはある。

要するに、關係(D1)と稱する實在物は潜在的には言葉(F:せりふ)によつて表し得るが、それを「形のある『物』として見せる」には「E:型・樣式」が必要なのだと言ふ事になる。

表現を變へて言ふならば、かうなる。

古人が各時代において、歴史(時間的全體C)との關係(即ち文化D1)を、繼承した技術或は樣式(E)で、建造物や彫刻・文學・風俗等々(F)に、顕在的に「形ある『物』として見せる」事が出來た樣に、現代人も又、日本の歴史との關係を、傳統技術や樣式を繼承して、同じく建造物・彫刻・文學・風俗等々に「形ある『物』として見せ」られなくてはならない。それが文化なのである。或は文化が生きている證明(歴史との適應正常)なのである。

斷つておくが、かかる言ひ換へは、恆存の論を小生流に勝手に換骨奪胎化してゐる譯ではない。今評論のみならず、關聯した恆存の諸評論からその樣に小生には理解が出來るからである。

 

附記しておくと、この論法は「『シェイクスピア劇のせりふ』:拙發表文」で使用した、以下枠文の焼き直しである。何故そんな事をいちいち附記するかと言ふと、恆存の思想にそれだけ初出の�´△留薹狹�視點が密接に關聯し、その他活動(政治や文學評論)の基調にもなつてゐると思へるからである。恆存における「演劇」の重要性に氣が附いてない人士(西尾幹二他)が多いが故に、一言此處に記した次第である。

何故日本は「資本主義化・民主主義化・個人主義化」を選擇するのか。西歐が近代でそれら概念に客體化して見せた「神に型どれる人間の概念の探究」を、日本も「形ある『物』として(それら新漢語の裏に)見せる」と言ふ事が「So called」なのである。當然其處には近代化が持つ二面性のもう一つ、「必要惡・疎外」等々の裏面も捉へ「形ある『物』として見せる」と言ふ「So called」も必要なのは言ふまでもない。

 

囘り道をしたが話を元に戻す。

しかし戰後の日本は、過去の歴史否定をしてしまつたが爲に、歴史(時間的全體C)との紐帯(關係D1)である文化をも喪失してしまつた。それと同時に、これら傳統技術・樣式(E)も否定され喪失の憂き目に遭ひ、それが爲に「建造物・藝術・風俗等々」に、歴史との關係(即ち文化)を「形ある『物』として見せる」事が不可能となつてしまつたのである。故に恆存は、傳統技術・樣式(E)を繼承する事が、歴史への適應正常(關係・文化の復元、再興)に繋がると、その樣に言ふのである。将に、時の宰相に訴へるゆゑんが其處にある。

そして更に恆存の思はくを追究するとかうなる。

初出�´↓�で言ふ、その「文化とは生き方」、或は「關係(D1)とは型・樣式(E)で顕される」の論を敷衍するならば、「愛國(國との關係D1)」とは、國が持つ「E=仕來り・型・風習・樣式・儀式・祭祀・傳統技術」の有機性を理解し、それに愛着を持つと言ふ事を意味することになる。

そしてしつこくも更にこの事を追究して、然るにその有機的「樣式・儀式・祭祀」とは何を示すかと言へば、此の樣になるのではなからうか。将に、此處に恆存の熱き胸の内を知る思ひがするのであるが・・。

國語に關聯しては「正當表記(正假名正漢字)」を示し、また國事的「儀式・祭祀」に關聯して言ふならば、儀式の本源的性質即ち「生命の根源まで降りていき、自然との合一感にひたるための型としての儀式(祭祀・祝祭日)」なるものを、もう一度我が國が取り戻す事をそれは指し示す事になる。

即ち恆存が言ふ樣に、現今の脈絡のない祝祭日を廃し、神道・農耕民族の歴史を踏まへたそれに改めるべき、と言ふ事になるのである。(參照:『人間・この劇的なるもの』最終章)

 

處で話は飛ぶが、恆存は、別評論では「戰後の日本は文化を喪失してゐる」と指摘し、このあとの評論『教育改革に關し首相に訴ふ』では、「今更愛國心を強調しても始まりません。具體的な『物』としての附合へる文化(即ち前述内容)を失つてしまつたのでは、愛國心の手掛りは何處にも無くなる」(P59)と再度宰相(佐藤栄作)に提言するのである。爾來四十数年、今日的状況を顧みるに、多分結果は佐藤首相に耳を貸して貰へなかつたのであらう。何故なら、晩年恆存は「日本はますます惡くなる」と言ひ殘してゐるのであるから・・。

 しつこくなるが重要な點なので更にもうひとつ、此の邊の參考として・・。

〔參考文:拙發表文『傳統にたいする心構』全五P190〕⇒スクリーン解説:參照PP圖「歴史・文化・型」P1-4rekisi.bunka.kata.pdf へのリンクについて。

文化(D1)のある處(換言すれば自國の歴史との「適應正常化=非沈湎」が圖れてゐる國)では、「E」を至大化させる「:型・仕來り・様式・儀式」が形成されてゐて、その「型・仕來り」が歴史との關係(文化)を形ある「物」として生き方に反映(Eを至大化)させてくれるのである。文化(D1)のある國は「仕來り」を持つが故に、「對象・言葉との距離測定不能(言葉に呪縛)」が原因の、適應異常や狂氣の囘避が可能となるのである。その事柄を「テキストP12圖」的に言へば、「D1の至大化=Eの至大化」と言ふ事になる。「:型・仕來り・様式・儀式」は生活・言葉への囚はれから人を救出してくれるのである。更に換言すれば、平生足をさらはれてゐる樣な現實的平面から意識を立ち上がらせてくれる。なぜにそれが可能となるかと言へば、「:型・仕來り・様式・儀式」に内在する働き、恆存の文章に從へば、以下枠文のダイナミズムをそれは宿してゐるからなのであると理解する。

「そもそも動作や作用、さらに人間の抽象的な營みを名詞化しようといふ働きそのものが、主體である自分を對象から分離し、距離をつくらうとする衝動なのです」(全三P204『日本および日本人』)

もう一度簡略して言ふと、文化は國及び歴史への沈湎を防ぎ、「:型・仕來り・樣式・儀式」は言葉(或は生活・對象)への沈湎から免れる手立てとなる、と言ふ事なのである。(參照:拙發表文《恆存の「實在感」についての考察》)

 尚、此の邊の内容(「具體的な『物』としての附合へる文化」)については、産經新聞コラム「福田恆存と孤独(下)常に誤解され続けた」で、恆存の二男「逸」氏は以下の興味深い文章を殘してゐる。

産經新聞コラム「福田恆存と孤独(下)常に誤解され続けた」

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/354713/より

 

福田の二男で「福田恆存評論集」(麗澤大学出版会)を編集する明治大教授の逸(はやる)(62)は、昭和30年代に男性向け雑誌に書かれた「附合ふといふ事」「自然の教育」などの、現在あまり注目されていない比較的短い評論にこそ「福田恆存の心がもっとも感じられる」と高く評価する。

「そこには私を育てた部分が、物と付き合う、自然と向き合う、あるいは歴史、言葉に対する接し方というのを教えてくれた普段の父が出ています。福田恆存という人間の根底にある部分が、非常に柔らかく提示されている」

 代表作とされる「人間・この劇的なるもの」や「平和論にたいする疑問」について、逸は「評論家としての最高峰」としながらも、「そこにいる福田恆存はよろいを着ている、ここで勝負するぞと気張っている部分がある。そうではなく、おだやかに書いたものの中に人柄がよく出ている」と、福田の考え方を知る上で、重要な部分が見落とされがちになっていることを指摘する。

 「人と人との附合ひ方、即ち道徳を教へてくれるものは自然を措いて他に無い。(中略)自然は私達人間の方で附合はうとし、その道を考へなければ、決して自然の方からこちらの都合を考へてくれようとはしないからである。自然はそのやうにして私達を教育する。それが自然の教育法である」(「自然の教育」)

 この自然は「他人」とも「歴史」とも置き換えられると、福田は付け加えている。(産經新聞コラム「福田恆存と孤独(下):常に誤解され続けた」より)

【どうであらう、此の邊について各位のご賢察は・・・】

 

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