令和三年十一月六日~~
吉野櫻雲
小林秀雄著『本居宣長』(昭和五十一年連載終了:七十四歳)
《各主題及び各項の「關係論」的纏め》
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〔四十九章主題〕norinaga49.pdf へのリンク 《[古傳説を創り,育て,信じて來た,古人の心ばへを熟知しなければ,わが國の歴史を解く事は出來ぬ.神々が,傳統的心ばへのうちには,現に生きてゐる](宣長思想)は,[其國のたましひが,國の臭氣也]とする,秋成の考へとは,全く逆であつた》 #小林秀雄 著 #本居宣長 四十九章 P454關係論:①#言葉で作られた物(太陽/海/空)⇒からの關係:①の #性質情状(あるかたち/#あるがままの形)との出會ひを,⇒[②#神々の如く振舞ふ人々の行爲③#生活④#生き甲斐]⇒⑤は,②として語る事(F⇒Eの至大化:古言のふり)で,③の意味目的がしつかりと掴まれ,④として決定的に實感された(言の世界)⇒⑤#上古人の真心。 #小林秀雄 著 #本居宣長 四十九章 ○P456關係論:⑨#言靈(ことだま)⇒からの關係:(前項⇒)[その(計り知りえぬ威力の) #性質情状(#あるかたち/あるがままのかたち)]を見究めようとした㉔の努力(とは:#神 への #古言 による #古意/#體言命名)に,㉒は注目してゐたのである.これは,⑨の働き(言靈⇒#轉義⇒#合體)を待たなければ出來ない事であつた⇒㉒宣長㉔大人達. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ #小林秀雄 著 #本居宣長 四十九章 P456關係論:⑨#言靈⑩#空や山や海⑪彼方⑫#神々⑬#驚くべき心⇒からの關係:(前項⇒).そして,⑨の働きも亦,⑩の,遙か見知らぬ⑪から,㉕の許にやつて來たと考へる他はないのであつた.⑫は,㉕を信じ,その⑬を,㉕に通はせ,君達の,#信ずる所を語れ,といふ様子をみせたであらう⇒㉕彼等. #小林秀雄 著 #本居宣長 四十九章 ○P456關係論:②#自然⑫#神々⑭#自然全體⇒からの關係:(前項⇒)[君達の信ずる所を語れ]といふ⑫の聲が,㉕に聞えて來たといふ事は,言つてみれば,⑭の内に,㉓は居るのだし,㉓全體の中に②が在る,これほど確かな事はないと感じて生きて行く,その味ひ だつたであらう⇒㉓#自分等㉕#彼等. ~~~~~~~~~~~~~~~~ #小林秀雄 著 #本居宣長 四十九章 ○P457關係論:①#古傳説②#古人の心ばへ③#わが國の歴史④#神々⑤#傳統的心ばへ⇒からの關係:(前項⇒)[①を創り,育て,信じて來た②〔とは:神への古言(いにしへごと)による古意(いにしへごころ)=體言命名〕を #熟知しなければ,③を #解く事は出來ぬ, ④が,⑤のうちには,現に #生きてゐる 事は,⑮の見るところである]は,[其國のたましひが,國の臭氣也]とする⑯の考へとは,#全く逆であつた⇒⑭#宣長⑮衆目⑯#秋成
#小林秀雄 著 #本居宣長 四十九章 ○P457關係論:①#古傳説⑥#今⑦#人々の表情⑧#國語 の力⑨#運命⇒からの關係:⑥もなほ①の流れに浸つた⑦は,#故意に眼を閉じなければ,⑰にも #見えてゐる.それ〔とは:①の流れに浸つた⑦〕は,⑱が⑧に捕らへられてゐるのと同じやうに,⑱の⑨と呼ぶべきものである.と⑭は言ふ⇒⑭#宣長⑰#誰⑱#私達. #小林秀雄 著 #本居宣長 四十九章 ○P457關係論:⑨#運命⑩#姿⑪#意味⑫#眞⑬#天⇒からの關係:(前項⇒).⑰のものでもない自分の⑨の #特殊性の完璧な⑩,それ〔とは:特殊性の完璧な⑩〕自身で充實した⑪を見極めて,是を⑫として #信ずる事は,⑲の⑨は⑬與のものといふ考へに向ひ,#是を支へてゐなければ,不可能ではないか.と⑭⇒⑭#宣長⑰誰⑲#己 |
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〔以下は四十九章纏め〕 |
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P448關係論:①論爭(物:場 C‘)②己(物:場 C‘)③古學(物:場 C‘)④己の物(物:場 C‘)⑤『古學の眼』(物:場 C‘)⇒からの關係:二人(⑥と⑦)は、それぞれ、①といふ切つ掛けがなかつたなら、決して語らなかつたやうな語り方で、②を語つて見せた。ここで言ふ⑥の發言(D1)とは、彼が確信する(D1の至大化)に到つた③(古道=古代精神:研究)の獨特の性質につき、彼(⑥△枠)が④としたと信じた、その所謂⑤についての發言(D1の至大化)なのだ。それは①の締め括り(D1の至大化)と言つていいやうな、やや解り難い(D1の至小化)が、意味深長(D1の至大化)なものに思われた
P449關係論:①秋成の論難(物:場 C‘)②論爭(物:場 C‘)③世(場 C‘)④『常見』(物:場 C‘)⑤『古學の眼』(物:場 C‘)⑥今日(場 C‘)⑦知性(物:場 C‘)⑧古學(古道=古代精神:研究)の本質(物:場 C‘)⇒からの關係:①(省略:P448參照)に對するの應答(D1)は、まことにはつきりしたもの(D1の至大化)であつた。(宣長曰く)實を言へば、②といふものが、そもそも不可能(D1の至小化)なのである。何故かと言ふと、上田氏の一切の論難(①)は、③の④に基いてゐるが、自分(⑦△枠)が⑤を得た(D1の至大化)のは、その④を捨て去る決心(D1の至大化)に基くからだ、といふのだ。⑦は、『④の人』(物:場 C‘)とか、『漢意(からごころ)の④』(物:場 C‘)とかいふ言ひ方をしてゐるが、ここで、彼が④といふ言葉で、言ひたかつた(D1の至大化)ところは、簡單に言つて了へば、⑥の學者達(△枠)のやうに、⑦だけを頼んでゐて(D1の至小化)は、決して⑧には到達する事は出來ない(D1の至小化)、といふ確信(D1の至大化)なのである。(とは以下枠文參照)それが、⑤を『信ぜん(D1の至大化)人は信ぜよ、信ぜざらん(D1の至小化)人の信ぜざるは又何事かあらん』といふ烈しい語氣となつて現れ、相手(①)の主張との間には、妥協の餘地は全くない(D1の至小化)といふ考への表明となつた
P449關係論:①たとへ(物:場 C‘)②秋成(物:場 C‘)③問題(物:場 C‘)④贋物(物:場 C‘)⑤眞物(物:場 C‘)⑥疑問(物:場 C‘)⑦古學(物:場 C‘)⑧學問上の態度(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。⑨は『今ひとつの①をまうけてこれ(②)をさとすべし(D1の至大化)』といふ事になった(①文省略:P449參照)。この①話で、⑨が提起(D1の至大化)してゐる③を讀み過ごすまい(D1の至大化)。④に欺かれない(D1の至小化)事(消極的概念?)と、⑤を信ずる(D1の至大化)事(積極的概念?)とは、おのづから別事(D1の至大化)であらう。どちらが⑩にとつて大事(D1の至大化)か。先づどちらの態度(D1)を、⑩として取るのが賢い(D1の至大化)ことか。君はどう思ふ、と②に問ふ(D1の至大化)のである。この見たところ簡單(D1の至小化)な⑥の底が、非常に深い(D1の至大化)事が、⑨はよく知つてゐた(D1の至大化)。彼(⑨△枠)にとつて、⑦(古道=古代精神:研究)の仕事とは、この⑥〔とは:④に欺かれない(D1の至小化)事(消極的概念?)と、⑤を信ずる(D1の至大化)事(積極的概念?)、どちらが學者(△枠)にとつて大事(D1の至大化)か。先づどちらの態度(D1)を、學者(△枠)として取るのが賢い(D1の至大化)ことか〕に苦しみ、其處(⑥)に、自分(⑨△枠)なりの活路(D1の至大化)を見付ける事〔とは:神代の物語に見えるがままの,あやしさの[かたち]に連れ戻される(F⇒Eの至大化)事〕だつたからだ(とは以下枠文參照)。更に言へば、さういふ經驗を積んだ(D1の至大化)彼(⑨△枠)の眼には、この點に關する②の⑧など、甚だ曖昧(D1の至小化)である事が、よく見えてゐた(D1の至大化)のであり、又、これ〔とは:②の學問上の態度(物:場 C‘)など、甚だ曖昧(D1の至小化)〕が、②に①話を持ち出す(D1の至大化)絲口ともなつたのであつた
P450關係論:①國(場 C‘)②たましい(物:場 C‘)③『皇國の道』(物:場 C‘)④宣長(物:場 C‘)⑤古學(物:場 C‘)⑥問題(物:場 C‘)⇒からの關係:『どこの①でも其①の②が①の臭氣(D1の至小化)也』と⑦は考へてゐた(D1)。その尊大の氣(D1の至小化)〔とは:『其國のたましい』(物:場 C‘)と言ふ臭氣(D1の至小化)〕を、⑧の説く③に感じた(D1の至小化)事が、彼(⑦△枠)の④非難(D1の至小化)の動機の中心部を成してゐた。⑧のやうに、⑤(古道=古代精神:研究)への執心(D1の至大化)のあまり、⑤(古道=古代精神:研究)自體が孕んでゐる(D1)困難(D1の至小化)な⑥〔とは:『世の中の事何物かは, あやしからざる』が古學本來の構造〕に連れて行かれる(D1の至大化)(とは以下枠文參照)、さういふ經驗(D1の至大化)は、⑦にはなかつた(D1の至小化)のである。實を言へば、彼(⑦△枠)には⑤(古道=古代精神:研究)などどうでもいいもの(D1の至小化)だつた
P451關係論:①秋成の難詰文(物:場 C‘)②物識り人(秋成の師:加藤宇萬伎)の『常見』(物:場 C‘)③秋成の思想(物:場 C‘)④譬へ話(物:場 C‘)⇒からの關係:①(省略:P450參照)にはつきり殘るところは、『自然に従つて運轉する必然の事の成行き』、といふ考へだけ(D1の至小化)である事は明らかだつた。この牢固たる、②を踏へた(D1の至小化)③の姿を思ひつつ(D1)、⑤の④は、次のやうにつづく(D1)
P451關係論:①眞物(物:場 C‘)②正しき事(物:場 C‘)③眞筆(物:場 C‘)④眞(物:場 C‘)⑤漢意(物:場 C‘)⑥古學の眼(物:場 C‘)⑦神代(物:場 C‘)⑧古傳説(物:場 C‘)⑨眞實の物(物:場 C‘)⑩贋物(物:場 C‘)⑪其域(場 C‘)⑫此の國(場 C‘)⑬傳説(物:場 C‘)⑭心(物:場 C‘)⑮事(物:場 C‘)⑯言(物:場 C‘)⑰僞の常(物:場 C‘)⑱天地(場 C‘)⑲萬國(物:場 C‘)⇒からの關係:『⑳又いはむ。たとひ其中に必ず一枚は①ありとても、十人の21おのおの皆極め札はいふに及ばず、傳來の②までを口々にいひたてて(D1)、我が持たる(D1)こそ③なれといはむに、いづれをか④とは定めむ(D1の至小化)といふべし、是又其⑤眞僞(物:場 C‘)をみづから見定む(D1)ことあたはざる(D1の至小化)故の疑ひ也、もしよく⑤のなまさかしら(D1の至小化)を清く洗ひ去りて(D1の至大化)、濁りなき純一(D1の至大化)の⑥を開きて見る時は、⑦の吾⑧の妙趣(D1の至大化)ありて⑨なること、おのづから明白に分れて(D1の至大化)、かの九枚の⑩とはいささかもまぎるることなかるべし(D1の至大化)、⑪に至りなば(D1の至大化)、此の①をかの⑩共と一つさまにいへる(D1の至小化)事も、みづから恥かしかるべき物ぞや(D1の至小化)、ただ⑫の22は太古の靈奇なる⑬をひたぶるに信じ居らん(D1の至大化)ぞ直かるべき(D1の至大化)といへるも又、なまさかしら(D1の至小化)⑭にて、實に信ずべき(D1の至大化)⑮をえしらざる(D1の至小化)ひがこと(D1の至小化)也、此の⑯の如くにては、信じ居る(D1の至大化)にはあらず(D1の至小化)して、信ずるがほして居る(D1の至小化)也、これぞ、23の⑰なる、もし實に信ずべく(D1の至大化)ば、⑱は一枚なれば⑫の22のみならず、⑲の22みな信ずべき(D1の至大化)こと也、然るをただ⑫の22はといへる、これ實には信ずることなかれ(D1の至小化)、ただ信ずるかほ(D1の至小化)して、居よといはぬばかり(D1)也、いかでか是を直し(D1の至大化)といはむ(D1の至小化)』
P451關係論:①『古學の眼』(物:場 C‘)②難題(物:場 C‘)③所(場 C‘)④考へ方(物:場 C‘)⇒からの關係:このやうな、畳み掛けるやうな語調(D1の至大化)は、①を得ん(D1の至大化)として、理解と信念(D1の至大化)とが織りなす②の中心に躍り込んだ(D1の至大化)、その⑤の身振り(D1の至大化)(とは以下枠文參照)を、よく現してゐる。さういふ③に浮かび上つて來る(D1の至大化)彼(⑤△枠)の④の絲を辿り(D1の至大化)、これを整理してみる(D1の至大化)
P452關係論:①色紙(物:場 C‘)②眞物(物:場 C‘)③譬へ話(物:場 C‘)④事柄(物:場 C‘)⑤問題(物:場 C‘)⑥態度(物:場 C‘)⑦眞(物:場 C‘)⑧贋(物:場 C‘)⑨姿勢(物:場 C‘)⑩眞僞(物:場 C‘)⑪心(物:場 C‘)⑫何(物:場 C‘)⇒からの關係:十枚の①のうち、一枚は②であるのを知りながら(D1の至大化)、何故、それを選び(D1の至大化)、取りあげない(D1の至小化)か。言ふまでもなく、選ぶ(D1の至大化)には、その證據(理り/理に還元:D1の至大化)が不十分(D1の至小化)だからであらう。それだけの話(理り/理に還元が不十分:D1の至小化)なら、特に文句を附ける(D1の至小化)筋ではない。⑬が難ずる(D1の至小化)のは、この當り前な事〔とは:理り/理に還元が不十分(D1の至小化)なら特に文句を附ける(D1の至小化)筋ではない〕も、當世の⑭の手にかかると妙な具合(D1の至小化)(とは以下枠文參照)〔更には以下次枠文:『(あやしの)合理化(#理り/#理に還元/自分流 #理附け)に走る』〕
になる、その氣質(D1の至小化)〔とは:合理化(#理り/#理に還元/自分流 #理附け)〕に染められ、歪められずにはゐない(D1の至小化)といふ事だ(とは以下枠文參照)。
P452關係論:①色紙(物:場 C‘)②眞物(物:場 C‘)③譬へ話(物:場 C‘)④事柄(物:場 C‘)⑤問題(物:場 C‘)⑥態度(物:場 C‘)⑦眞(物:場 C‘)⑧贋(物:場 C‘)⑨姿勢(物:場 C‘)⑩眞僞(物:場 C‘)⑪心(物:場 C‘)⑫何(物:場 C‘)⇒からの關係:これ〔とは:(あやしの)合理化(#理り/#理に還元/自分流 #理附け)〕は、③にでもして語る(D1)他はないやうな、微妙な(D1の至小化)④になるのであつた。見易い⑮の方法(D1)〔とは:『選ぶには、その證據が不十分』〕などが⑤ではなく、方法(『選び取りあげ』:D1)を扱ふ⑮等の⑥の内に這入つてみれば(D1)、――『⑦を見分ける(D1の至大化)ことをばえずして(D1の至小化)ただ⑧に欺かれざる(D1の至小化)事を、かしこげ(D1の至大化)にいひなせる』〔とは上枠文:『(あやし=理りなし=贋) への合理化(#理り/#理に還元/自分流 #理附け)に走る』及び『漢意(からごころ)』・・・『大かた世の人の、萬の事の善惡是非(よさあしさ)を論ひ(Eの至小化)、物の理(ことは)りをさだめいふ』〕――さういふ⑮の⑨は、明らかだ(D1の至大化)と言ふ。そして、『そは何のかしこき(D1の至大化)ことかあらん(D1の至小化)』、ただ『なまさかしら(小賢しい)といふ物』[とは上枠文:あやしき(理りなし)ものに對する,さかしらな態度]ではないか、と難詰(D1の至小化)の語調になるのも、さういふ事〔とは:『(あやし=理りなし=贋) への合理化(#理り/#理に還元/自分流 #理附け)に走る』〕を、彼等(⑭△枠)はまるで自覺してゐない(D1の至小化)からだ。⑩は物の表裏(相對?)であらうが、⑦を得ん(D1の至大化)とする⑪と、⑧を避けん(D1の至小化)とする⑪とでは、その働き(D1)は全く逆〔とは:(D1の至大化=積極的概念)/(D1の至小化=消極的概念)〕になるだらう。それが、彼等(⑭△枠)には見えてゐない(D1の至小化)、と⑯は言ふのである。彼等(⑭△枠)が固執する(D1の至小化)⑥からすると、大事なのは、⑦ではなく、むしろその證據〔とは:『あやし=理りなし=贋』ではない眞(物:場 C‘)の、理り(D1:合理化/理に還元/自分流理附け)』〕だと言つてよい。⑦が在る(D1の至大化)かない(D1の至小化)かは、證據〔とは:理り(合理化/理に還元/自分流理附け)〕次第である。證據〔とは:理り(合理化/理に還元/自分流理附け)〕が不十分(D1の至小化)な⑧を⑦とする(D1の至小化)くらゐなら、⑫も信じない(D1の至小化)でゐる方が、學者(△枠)として『かしこき(D1の至大化)事』と思ひ込んでゐる
P452關係論:①眞(物:場 C‘)②生活(物:場 C‘)③生きた智慧(物:場 C‘)④人生(物:場 C‘)⑤古人の生き方(物:場 C‘)⑥生活(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。そんな〔とは:『理り(合理化/理に還元/自分流理附け)が不十分(D1の至小化)な贋(物:場 C‘)を眞(物:場 C‘)とする(D1の至小化)くらゐなら、何(物:場 C‘)も信じない(D1の至小化)でゐる』なんて言ふ〕馬鹿な事(D1の至小化)があるか。②の上で、①を求めて前進する(D1の至大化)⑦は、①を得ん(D1の至大化)として誤る危險(D1の至小化)を、決してそのやう〔とは:上枠文同樣に〕に恐れるものではない(D1の至大化)。それが、⑧もが熟知してゐる(D1の至大化)努力(D1の至小化)といふものだ。(とは以下枠文參照)
この事〔とは:『眞(物:場 C‘)を得ん(D1の至大化)として誤る危險(D1の至小化)を、決してそのやうに恐れるものではない(D1の至大化)』〕を熟慮する(D1の至大化)なら、⑨が『かしこき事』(D1の至大化)としてゐる態度(D1)には、何が缺けてゐるか(D1の至小化)は明らか(D1の至大化)であらう。缺けてゐる(D1の至小化)のは、③には、おのづから備つてゐる(D1)、尋常で健全な(D1の至大化)、内から發する努力(D1の至大化)なのである〔とは上枠文:『知り難く言ひ難い道(物:場 C‘)を、學者(△枠)の思惟の努力(無私と心眼:D1の至大化)のうちに、古言(物:場 C‘)に徴す(いよいよ鮮やかに、心眼に映じて來る:D1の至大化)〕。及び(以下枠文參照)。
⑨は、この己の態度(D1)に空いた空洞(D1の至小化)〔とは:『生きた智慧(物:場 C‘)には、おのづから備つてゐる、尋常で健全(D1の至大化)な、内から發する努力(D1の至大化)』の缺如(D1の至小化)〕を、恐らく漠然と感じて(D1の至小化)、これを被はう(D1)として、その(贋に欺かれざる事の)やり方(理/自分の臆見:D1の至小化)を、『かしこげにいひな』す(D1の至大化)、――それ(理/自分の臆見:D1の至小化)で、⑩の役目は勤まるかも知れない(D1)が、『かしこげにいひな』して(D1の至大化)〔理に還元/自分流理附け/自分の臆見/理附け/定義附け(Eの至大化?)で〕、④を乗り切るわけにはいくまい(D1の至小化)、⑤を明らめよう(D1の至大化)とする〔とは以下枠『神(物:場 C‘)の道を受け行ふにあり(直毘霊)』文參照〕⑪の⑫には、當然、そのやうに見えてゐた筈(D1の至大化)である。
① と豫感する(D1の至大化)ところを信じて(D1の至大化)、これを絶えず⑥の上で試してゐる 〔とは:『生きた智慧には、おのづから備つてゐる、尋常で健全な、内から發する努力』の意〕人々(△枠)が、證據が揃ふ(D1の至大化)まで、①について手を拱いてゐる(D1の至小化)わけもなし、又證據が出揃ふ(D1の至大化)時には、これを、もう生きた①とも感じもしまい(D1の至小化)、といふわけである
P453關係論:①古傳説(物:場 C‘)②國々(場 C‘)③國(場
C‘)④我が持ちたるもの(物:場 C‘)⑤眞(物:場 C‘)⑥いづれ(物:場 C‘)⑦學問(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。①は②によつて異なる、それぞれの③の人々(△枠)が、④こそ⑤なれと主張する(D1の至大化)のを、公平に容認(D1の至大化)しなければならない。⑧は、⑥を⑤と定めて(D1の至大化)、これを信ずる(D1の至大化)事が出來ようか(D1の至小化)。そこで⑨は、『ただ此國(場 C‘)の人(△枠)は太古の靈奇(D1の至大化)なる傳説(物:場 C‘)をひたぶるに信じ居らん(D1の至大化)ぞ直かるべき(D1の至大化)』とでも言つて置かざるを得なかつた(D1)わけだ。しかし、そのやうな曖昧な考へ(D1の至小化)で、⑦が出來るわけはない(D1の至小化)。⑩が、⑦の上で、⑧として、わが③の①を信じたのは、『ただ此國(場 C‘)の人(△枠)』として、『信ずるかほして』見せた(D1の至小化)のではない(D1の至大化)。⑪が信ずべき(D1の至大化)事と見極めた(D1の至大化)から〔とは:『キリスト教』と立場は同じの、對『全人類』的性質として、では?〕、これを信じた(D1の至大化)のである、さういふ話になつた(D1
P453關係論:①自然(物:場 C‘)②神たち(物:場 C‘)③世中(場 C‘)④萬の事(物:場 C‘)⑤神の御心(物:場 C‘)⑥御しわざ(物:場 C‘)⑦『上つ代の傳説(つたへごと)』(物:場 C‘)⑧神々の物語(物:場 C‘)⑨『神たちの御しわざ』⑩姿(物:場 C‘)⑪歴史(物:場 C‘)⑫古い頃(場 C‘)⑬『記紀』(物:場 C‘)⑭わが國の正史(物:場 C‘)⑮基本的な事實(物:場 C‘)⑯神々の御行爲(みしわざ。物:場 C‘)⑰神の代(物:場 C‘)⑱人の代(物:場 C‘)⇒からの關係:⑲が、『事物(物:場 C‘)みな自然(物:場 C‘)に従て運轉する(D1の至大化)を、其勢ひに對へ立て止むべきにあらず(D1の至小化)』と言つた(D1)のに對し、⑳は、『こは余(⑳△枠)がもとより常にいふ所也(D1の至大化)、但し①の運轉(D1の至大化)といふは非也(D1の至小化)、運轉(D1の至大化)は②の御しわざ(D1の至大化)也、抑も③の④は、ことごとく⑤より出で(D1の至大化)その⑥なれば、よき(D1の至大化)もあしき(D1の至小化)も、21にてたやすく止むべきにあらず(D1の至小化)』、と言つた。⑳からすれば、22は、23とは言へやう(D1)が、24とは言へない(D1の至小化)ものだ。⑦が語る⑧を、ありのまま(D1の至大化)に素直に受取るなら、明らかに、それは⑨であり、讀む25が眼のあたりする(D1の至大化)その⑩は、⑤の現れに他なるまい(D1の至大化)。それで何が不足(D1の至小化)であらうか。⑪は、⑨についての、どんなに⑫からか、誰(△枠)が言ひ出した(D1の至大化)ことともない26で始つた、と⑬は言ふ(D1の至大化)。⑭をものした(D1の至大化)27にも、これを讀んだ(D1の至大化)27にも、⑪はさういふ風〔とは:傳へ言(△枠)で始つた〕に見えてゐた(D1の至大化)。この⑮を疑つてかかる(D1の至小化)理由など全くない(D1の至大化)、と⑳ははつきり考へてゐた(D1の至大化)。當然、⑯で動いてゐた⑰は、27の行爲に運轉される(D1)⑱に、いつの間にか移り(D1)、その間に斷絶は見られない(D1の至大化)。⑳の見方(D1)からすれば、他に書きやうがなかつた(D1の至大化)からである
P454關係論:①神代(物:場 C‘)②神たち(C)③其の代の人(
P454關係論:①上つ代の『傳説』(つたへごと。物:場 C‘)②超自然(C)③眞(物:場 C‘)④宗教的經驗(物:場 C‘)⑤神々(C)⑥人々(C‘)⑦行爲(物:場 C‘)⑧世(場 C‘)⑨『怪(あやし)き』『可畏(かしこ)き』物(物:場 C‘)⑩經驗(物:場 C‘)⑪智慧(物:場 C‘)⑫『古事記』註解(物:場 C‘)⑬仕事(物:場 C‘)⇒からの關係:①は、②の力が、③と見定められ(D1の至大化)、これが信じられた(D1の至大化)ところに成り立つた(D1の至大化)、といふ言ひ方をしてみる事は出來よう(D1の至大化)が、この⑭に必至(D1の至大化)であつた、廣い意味での④は、現實には、あたかも⑤の如く振舞ふ(D1の至大化)⑥の⑦として、語られた(D1の至大化)のである。宣長の⑮が注がれた(D1の至大化)のは、其處〔とは:宗教的經驗(物:場 C‘)は、現實には、あたかも神々(C)の如く振舞ふ(D1の至大化)人々(C‘)の行爲(物:場 C‘)として、語られた〕であつた。彼等(⑭△枠)は、基本的には、さういふ語り方以外の、どんな語り方も知らなかつた(D1の至小化)し、又、さういふ語り方〔とは:上記宗教的經驗云々文〕をしてみて、はじめて、⑧にも⑨を信ずる(D1の至大化)(事の世界)といふ容易ならぬ(D1の至大化)⑩が、身について(D1の至大化)、生きた⑪として、働く(D1の至大化)(事の世界)のを覺えた、と言つてもよからう。それなら、更に進んで、そのやうに語る事〔とは:古言のふり(F⇒Eの至大化)〕により、生活(F)の意味(Eの至大化)なり、目的なりが、しつかりと掴まれ(F⇒Eの至大化)、生き甲斐として實感される(F⇒Eの至大化)(言の世界)に至つたのは、決定的な事(事の世界=言の世界)だつた、と言へよう。⑫の虚心(D1の至大化)な⑬が⑮を導いた(D1)のは、一と筋に、さういふ次第〔とは:決定的な事(事の世界=言の世界)〕を踏んだ考へ(D1の至大化)だつた、と見てよいのである
P455關係論:①上つ代の『傳説』(つたへごと。物:場 C‘)②今(場 C‘)③『神話』(物:場 C‘)④(物:場 C‘)⑤『私説(わたくしごと)』⑥『古學』(物:場 C‘)⑦神話學(物:場 C‘)⑧『日神の傳説』(ひのかみのつたへごと。物:場 C‘)⑨『太陽崇拜』(物:場 C‘)⑩道(物:場 C‘)⑪學問(物:場 C‘)⑫わが國(場 C‘)⑬上つ代の人々(物:場 C‘)⑭『心ばへ』の姿(物:場 C‘)⑮意味(物:場 C‘)⑯何處(物:場 C‘)⑰物語(物:場 C‘)⑱『天照大御神』(C)⑲實在の神様(C)⇒からの關係:①といふ、②は耳遠くなつた(D1の至小化)、⑳自身の言葉に固執して、今日普通になつてゐる(D1)③といふ言葉を避けてきた(D1の至小化)のも、③を③として受取り(D1)、これに⑤を加へぬ(D1の至小化)といふ、21の態度に反對する(D1の至小化)理由は、⑳にはなかつた(D1の至大化)のだが、彼(⑳△枠)の⑥(古道=古代精神:研究)は、本質的(D1の至大化)には、⑦とは、決して言へない(D1の至小化)ものだつたからである。③の内容が整理され(D1の至大化)、分類され、比較され(D1の至大化)、例へば、⑧は、⑨といふ③の一類型(D1)と理解される、さういふ〔とは:⑨といふ③の一類型(D1)と理解される〕⑩を、⑳は行かなかつた(D1の至小化)。彼(⑳△枠)には全く無縁(D1の至小化)な⑩だつたとは言はないまでも、彼(⑳△枠)の⑪からすれば、やはりこれは、脇道(D1の至小化)には違ひなかつた。⑧が、そのまま、⑫の⑬の、掛け替へなく(D1の至大化)個性的(D1の至大化)な⑭と觀じられてゐれば(D1の至大化)、それで充分(D1の至大化)と、彼(⑳△枠)は、自分の⑪の中心部で、考へてゐた(D1の至大化)からである。それ〔とは:掛け替へなく(D1の至大化)個性的(D1の至大化)な⑭〕は、見るにも飽かぬ眺め(D1の至大化)であり、その中から、汲みつくせぬ(D1の至大化)⑮が現れて來る(D1の至大化)のであつた。さういふ姿〔とは:掛け替へなく(D1の至大化)個性的(D1の至大化)な⑭〕に仕上げてみせた力は、⑯から來てゐるかといふ事になるなら、それは、言はずと知れた、⑰として統一された(D1の至大化)その魅力(D1の至大化)に他ならない。⑱といふ⑲が信じられ(D1の至大化)、生きられる(D1の至大化)⑰に、耳を傾けてゐさへ(D1の至大化)すれば、其處には、分析的理解(D1の至小化)など、一切入込んで來る餘地がない(D1の至小化)事を、彼(△枠)は確かめてゐた(D1の至大化)わけである
P455關係論:①『傳説』(つたへごと。物:場 C‘)②人生觀(物:場 C‘)③人生(物:場 C‘)④思想(物:場 C‘)⑤目覺めた感覺感情(物:場 C‘)⇒からの關係:①は、⑥にとつては、ともどもに秩序ある(Eの至大化)生活(F)を營む(F⇒Eの至大化)爲に、不可缺な②ではあつたが、勿論、それは、③理解の明瞭な形(D1の至大化)を取つてはゐなかつた(D1の至小化)。言はば、發生状態(D1の至小化)にある②の形で、⑦の想像裡(D1)に生きてゐた。④といふには單純すぎ(D1の至小化)、或は激しすぎる、あるがまま(D1の至大化)の③の感じ方、と言つていいものがあるだらう、⑤の天眞な動き(D1の至大化)による、その受取り方(D1の至大化)があるだらう、⑧もがしてゐる事だ。この〔とは:⑤の天眞な動き(D1の至大化)による〕受取り方(D1の至大化)〔とは:神への古言(いにしへごと)による古意(いにしへごころ)=體言命名〕から、直接に①は生れて來たであらうし、又、生れ出た①は、逆に、受取り方を確かめ(D1の至大化)、發展させる(D1の至大化)やうに働きもしたらう。⑨が入込んだのは、さういふ場所〔とは上記:⑤の天眞な動き、云々〕であつた
P456關係論:①上代の人々の『心ばへ』(物:場 C‘)②古人の『心ばへ』(物:場 C‘)③意味(物:場 C‘)④今日(場 C‘)⑤人情(物:場 C‘)⑥『まごころ』(物:場 C‘)⑦事物(物:場 C‘)⑧『古事記傳』(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。①を言ふ時、さういふ場所〔とは上項:目覺めた感覺感情の天眞な動き、云々〕を、彼(⑨宣長△枠)が考へてゐた(D1の至大化)とすれば、②と言つても、⑩の言つた③〔とは以下:『天眞な歌ごころ』〕とは餘程違つたものだつたわけだし(とは以下枠文參照)、
① 上代の人々の『心ばへ』(物:場 C‘)②古人の『心ばへ』(物:場 C‘)③意味(物:場 C‘) ④今日(場 C‘)⑤人情(物:場 C‘)⑥『まごころ』(物:場 C‘)⑦事物(物:場 C‘)⑧『古事記傳』(物:場 C‘)⇒からの關係: 又これ(古人の『心ばへ』)を言ふのに、④の意味合で、主觀的とか客觀的とかいふ、惑はしい(D1の至小化)言葉に躓いてはならない。⑪の素朴な⑤、人が持つて生れて來た⑥と呼んでもいいとした⑤と、有るがままの⑦との出會ひ(D1の至大化)、⑧のもつと愼重で正確な言ひ方(D1の至大化)で言へば、『天地はただ天地(物:場 C‘)、男女(めを)はただ男女(めを)、水火(ひみづ)はただ水火(ひみづ)の、性質情状(あるかたち)(物:場 C‘)』との出會ひ(D1の至大化)、これが語られるのを聞いてゐれば、⑨には充分だつた(とは以下枠文參照)
P456關係論:①『上古言傳(ことづた)へのみなりし代の心』(物:場 C‘)②、子供の時期(場 C‘)③歴史(物:場 C‘)④子供の世(場 C‘)⑤昔(場 C‘)⑥人性の基本的構造(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。さういふ〔とは前項:人が持つて生れて來た『まごころ』(物:場 C‘)と呼んでもいいとした人情と、有るがままの事物(物:場 C‘)との出會ひ(D1の至大化)が語られるのを聞いてゐれば、宣長(△枠)には充分だつた〕次第で、⑦が①を言ふ(D1の至大化)時、⑧が②を經て來た(D1)やうに、③にも、④があつたといふ通念(D1の至小化)から、彼(⑦△枠)は全く自由(D1の至大化)であつた。どんな⑤でも、大人(△枠)は大人(△枠)であつたし、子供(△枠)は子供(△枠)だつたと、率直に考へて(D1の至大化)ゐれば足りた(D1の至大化)。⑨は餘程利口(D1の至大化)になつた積りでゐる⑩には、⑥が、解りにくい(D1の至小化)ものになつた、と彼(⑦△枠)は見てゐた(D1の至大化)のである
P456關係論:①(物:場 C‘)②自然(場 C‘)③自然感情(物:場 C‘)④太陽(物:場 C‘)⑤青い海(物:場 C‘)⑥高い山(物:場 C‘)⑦力(物:場 C‘)⑧威力(物:場 C‘)⑨言靈(ことだま。物:場 C‘)⑩空や山や海(物:場 C‘)⑪彼方(場 C‘)⑫神々(C)⑬驚くべき心(物:場 C‘)⑭自然全體(物:場 C‘)⑮壓力(物:場 C‘)⑯惠み(物:場 C‘))⑰多種多様な事物(物:場 C‘)⑱人生の『實(まこと)』(物:場 C‘)⑲物語(物:場 C‘)⑳意味なり價値(物:場 C‘)21人生の物語(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。さういふ22の考へ方(D1の至大化)からすれば、上古の人々の生活(F)は、②の懐に抱かれて(D1)行はれてゐた(Eの至大化)と言つても、ただ、子供(△枠)の③の鋭敏な動き(D1の至大化)を言ふのではない(D1の至小化)。さういふ事は二の次であつて、23を捕へて離さぬ(D1の至大化)輝く④にも、⑤にも、⑥にも宿つてゐる(D1の至大化)⑦、23の意志(D1)から、全く獨立してゐる(D1の至大化)としか思へない、計り知りえぬ(D1の至大化)⑧に向ひ(D1)、どういふ態度を取り(事の世界)、どう行動したらいいか(D1)、『その性質情状(あるかたち:D1の至大化)』〔とはP333:言葉で作られた『物』(太陽/青い海.言霊:神代/神。物:場 C‘)の『いはではやみがたき(ありやう)』=性質情状(あるかたち:D1の至大化)と同種〕(とは以下枠文參照)を見究めよう(D1の至大化)とした〔とは:『尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏き物(物:場 C‘)を迦微(F)と言ふ』とした(體言命名:F⇒Eの至大化)〕24の努力〔とは:神への古言(いにしへごと)による古意(いにしへごころ)=體言命名〕に、(宣長は)注目してゐたのである。これは、⑨の働き〔とは:言靈(ことだま:C’)⇒轉義(D1の至大化)⇒合體(古言/體言命名/Eの至大化)〕を待(別字)たなければ、出來ない事であつた。
① (物:場 C‘)②自然(場 C‘)③自然感情(物:場 C‘)④太陽(物:場 C‘)⑤青い海(物: 場 C‘)⑥高い山(物:場 C‘)⑦力(物:場 C‘)⑧威力(物:場 C‘)⑨言靈(ことだま。物:場 C‘)⑩空や山や海(物:場 C‘)⑪彼方(場 C‘)⑫神々(C)⑬驚くべき心(物:場 C‘)⑭自然全體(場 C‘)⑮壓力(物:場 C‘)⑯惠み(物:場 C‘)⑰多種多様な事物(物:場 C‘)⑱人生の『實(まこと)』(物:場 C‘)⑲物語(物:場 C‘)⑳意味なり價値(物:場 C‘)、21人生の物語(物:場 C‘)⇒からの關係:そして、この働き〔とは:言靈(ことだま:C’)⇒轉義(D1の至大化)⇒合體(體言命名/Eの至大化)〕も亦、⑩の、遙か見知らぬ⑪から、25の許にやつて來た(D1の至大化)と考へる他はないのであつた。⑫は、25を信じ(D1の至大化)、その⑬を、25に通はせ(D1の至大化)、君達(△枠)の、信ずる(D1の至大化)ところを語れ(D1の至大化)、といふ様子をみせたであらう。さういふ聲(F)が、25に聞えて來た(F⇒Eの至大化)といふ事は、言つてみれば、⑭のうちに、自分等(△枠)は居る(D1の至大化)のだし、23全體の中に②が在る(D1の至大化=Eの至大化)、これほど確かな事(D1の至大化=Eの至大化)はないと感じて生きて行く(D1の至大化)、その味ひ(Eの至大化)だつたであらう。其處で、25は、言ふに言はれぬ(D1の至大化)、恐ろしい(可畏き:D1の至大化/小生注)頑丈な⑮とともに、これ又言ふに言はれぬ(D1の至大化)、柔らかく豊かな⑯も現してゐる(D1の至大化)②の姿、恐怖(可畏き:D1の至大化)と魅惑(D1の至大化)とが細かく入り混る、⑰の『性質情状(あるかたち:D1の至大化)』〔とはP333:言葉で作られた『物』(太陽/青い海.言霊:神代/神。物:場 C‘)の『いはではやみがたき(ありやう:D1の至大化)』と同種〕を、そのまま素直に感受し(事の世界:D1の至大化)、その困難な表現〔とは:神への古言(いにしへごと)による古意(いにしへごころ)=體言命名〕に心を躍らす(F⇒Eの至大化:言の世界)といふ事になる。これこそ⑱と信じ得た(D1の至大化)ところを、最上(D1の至大化)と思はれた着想(D1)、即ち先づ26が驚くほど(D1の至大化)の着想(D1)によつて、27が言ひ出した(D1の至大化)ともなく語られた(D1の至大化)⑲、⑫が坐(いま)さなければ(D1の至小化)、その⑳なりを失つて了ふ(D1の至小化)が、28から28へと大切に(D1の至大化)言ひ傳へられ、育てられて來なかつたわけがあらうか(D1の至大化)
#小林秀雄 著 #本居宣長 四十九章 ⑫神々⑬驚くべき心⑭自然全體⑮壓力⑯惠み⑰多種多様な事物⑱人生の[實(まこと)]⑲物語⑳意味なり價値㉑人生の物語⇒からの關係:(前項⇒).これこそ⑱と信じ得た(D1の至大化)ところを、最上(D1の至大化)と思はれた着想(D1)、即ち先づ26が驚くほど(D1の至大化)の着想(D1)によつて、27が言ひ出した(D1の至大化)ともなく語られた(D1の至大化)⑲、⑫が坐(いま)さなければ(D1の至小化)、その⑳なりを失つて了ふ(D1の至小化)が、28から28へと大切に(D1の至大化)言ひ傳へられ、育てられて來なかつたわけがあらうか(D1の至大化)
P457關係論:①古傳説(物:場 C‘)②古人の心ばへ(物:場 C‘)③わが國の歴史(物:場 C‘)④神々(C)⑤傳統的心ばへ(物:場 C‘)⑥今(場 C‘)⑦人々の表情(物:場 C‘)⑧國語の力(物:場 C‘)⑨運命(物:場 C‘)⑩姿(物:場 C‘)⑪意味(物:場 C‘)⑫眞(物:場 C‘)⑬天(場 C‘)⇒からの關係:⑭は、①を創り(D1の至大化)、育て(D1の至大化)、信じて來た(D1の至大化)②を熟知(D1の至大化)しなければ、③を解く事(D1の至大化)は出來ぬ、④が、⑤のうちには、現に生きてゐる(D1の至大化)事は、⑮の見るところ(D1の至大化)である、さういふ風に考へてゐた(D1の至大化)。(とは以下枠文參照)
これは『其國(物:場 C‘)のたましひ(物:場 C‘)が、國(物:場 C‘)の臭氣(D1の至小化)也』とする⑯の考へ(D1の至小化)とは、全く逆(D1の至大化)であつた。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
P457關係論:①古傳説(物:場 C‘)②古人の心ばへ(物:場 C‘)③わが國の歴史(物:場 C‘)④神々(C)⑤傳統的心ばへ(物:場 C‘)⑥今(場 C‘)⑦人々の表情(物:場 C‘)⑧國語の力(物:場 C‘)⑨運命(物:場 C‘)⑩姿(物:場 C‘)⑪意味(物:場 C‘)⑫眞(物:場 C‘)⑬天(場 C‘)⇒からの關係:⑥もなほ①の流れに浸つた(D1の至大化)⑦は、故意に眼を閉じなければ(D1の至小化)、⑰にも見えてゐる(D1の至大化)。それは、⑱が⑧に捕らへられてゐる(D1の至大化)のと同じやうに、⑱の⑨と呼ぶべき(D1の至大化)ものである。⑨の外に出られる(D1の至大化)ものなら、⇒「運(F)とか命(F)」⇒E:とかいふ言葉(F)を、⑰もが、何時の間にか使つてゐた(F⇒Eの至大化)わけはない
P457關係論:①古傳説(物:場 C‘)②古人の心ばへ(物:場 C‘)③わが國の歴史(物:場 C‘)④神々(C)⑤傳統的心ばへ(物:場 C‘)⑥今(場 C‘)⑦人々の表情(物:場 C‘)⑧國語の力(物:場 C‘)⑨運命(物:場 C‘)⑩姿(物:場 C‘)⑪意味(物:場 C‘)⑫眞(物:場 C‘)⑬天(場 C‘)⇒からの關係:⑰のものでもない自分の⑨の特殊性の完璧な(D1の至大化)⑩、それ〔とは:〕自身で充實した(D1の至大化)⑪を見極めて(D1の至大化)、これを⑫として信ずる(D1の至大化)事は、⑲の⑨は⑬與(D1の至大化)のものといふ考へに向ひ(D1の至大化)、これを支へて(D1の至大化)ゐなければ、不可能(D1の至小化)ではないか。このやうな事に、⑰が『ただ信ずるかほして居』る(D1の至小化)事が出來ようか |
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〔四十八章主題〕 《言傳(ことづた)へだけで,[あやし]なる語り方をしなければならぬ, 上古の人々の[内的な必然性]の意味を問ふ事。それが[神代とは不合理]の始末》 #小林秀雄 著 #本居宣長 四十八章 ○P440關係論:①#文字③世④#浮きたる事⑤今の世⑧國⑩#神代⑪#心⇒からの關係:(前項⇒).⑩より言ひ傳へ,⇒[⑬#言霊]⇒⑬の幸はふ⑧と語り繼いで來た[①なき③は,①なき③の⑪なる故]と,想像力を働かせるなら,[言辭の道]に於いて,④はむしろ⑤の,[①知れる⑰]の側と,⑮⇒⑮宣長⑰人 (凝縮實在關係論) #小林秀雄 著 #本居宣長 四十八章 ○P441關係論:①#文字②#何時③#昔④#人間の心の歴史⇒からの關係:①の出現以前,②からとも知れぬ③から,④は,ただ #言傳(ことづた)へだけで,支障なくつづけられてゐたのは何故か.⇒[⑦#話し言葉]⇒#言葉 と言へば,⑦があれば足りたからだ,と⑬⇒⑬#宣長 (MIX:凝縮實在關係論) #小林秀雄 著 #本居宣長 四十八章 ○P446關係論:①#神代の物語②#學問③[#あやしさ]⑤[#あやし]⑥#常識⑦#物語⑨彼等の仕事⇒からの關係:(前項から).⑧が,⑨に大きな不滿を抱いたのは,①を⑤(#理りなし)と受け止める餘裕すらなく,誰も(⑩)が,その合理化(#理り/#理に還元/自分流 #理附け)に走るから⇒⑧宣長⑩#学者達 (F挿入&MIX:凝縮實在關係論) #小林秀雄 著 #本居宣長 四十八章 ○P446關係論:④#傳説⑤#心ばへ⇒からの關係:(前項から).④の無名の⑩の⑤(#事の世界)からすると,⇒[⑦#あやし]⇒⑦なる #語り方(とは:#古言のふり による #體言命名/#言の世界)をしなければ,何一つ語る事は出來なかつた,⑩のさういふ #内的(#心的)な #必然性(とは以下項參照)⇒#宣長の眼⑩#作家達
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〔以下は四十八章各項:纏め〕 |
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P439關係論:①神代の傳説(つたへごと。物:場 C‘)②『くず花』(物:場 C‘)③『まがのひれ/末賀乃比礼』(物:場 C‘)④文字の徳(物:場 C‘)⑤言傳(ことづた)への徳(物:場 C‘)⇒からの關係:①について、⑥が非常に明瞭(D1の至大化)な、徹底した考へ方(D1の至大化)をしてゐた事は、②の議論(D1)の中によく現れてゐる(D1の至大化)。③の⑦が、④を言ふ(D1の至大化)に對し、⑥は⑤を説く。(以下枠文參照)このやうな事を明言した者は、この人以前(とは以下枠文參照)に、誰一人ゐなかつた⇒⑥宣長⑦著者(市川匡麻呂△枠)(△枠):①への適應正常。
P439關係論:①それ(物:場 C‘)②譬へ(物:場 C‘)③文字(物:場 C‘)⑤今日(場 C‘)⇒からの關係:⑥が、『古へ(物:場 C‘)を、おのが心言(ことば)にならはし得』たところ(即ち:身勝手な『上古の事實』の事)を振返つてみるなら、①とは質の違つた想像力(D1の至大化)〔とは:『上古(場 C‘)言傳〔(ことづた)へ:F⇒Eの至大化〕のみなりし代(物:場 C‘)の心(△枠)に立ちかへりて見』るといふ事〕が、「◎:この(上記の)易しい(D1の至大化)②の裏には、働いてゐる(D1の至大化)のが見えて來るであらう⇒「④:言(F)」(◎的概念F)⇒E:宣長曰く『④:を以ていひ傳ふる(F⇒Eの至大化)と、③をもて書傳ふる(D1)とをくらべいはんには、互ひに得失有て、いずれを勝(まさ)れり共定めがた』くと、宣長(△枠)は繰返し言つてゐる。兩者(③④)は相違する(D1の至大化)といふ端的な事實に着目して欲しいと、言つてゐるのだ。ところが、其處に眼を向ける人がない。『上古(場 C‘)言傳〔(ことづた)へ:F⇒Eの至大化〕のみなりし代(物:場 C‘)の心(△枠)に立ちかへりて見(D1の至大化)』るといふ事が、⑤になつてみると如何に難しい(D1の至小化)かを、宣長は考へる(D1の至大化)のであり、その言ふところには、③を用ゐなれたる(D1の至大化)人々(△枠)が、知らずして抱いてゐる偏見(D1の至小化)に、強く抗議したい(D1の至大化)といふ含みがある」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑥眞淵⑦宣長(△枠):③への適應正常。
P440關係論:①文字(物:場 C‘)②いく千年(物:場 C‘)③世(場 C‘)④うき(浮き)たること(物:場 C‘)⑤今の世(場 C‘)⑥萬の事(物:場 C‘)⑦皇國(みくに。物:場 C‘)⑧國(場 C‘)⑨萬國(物:場 C‘)⑩神代(物:場 C‘)⑪世(場 C‘)⑫(物:場 C‘)⇒からの關係:⑮更に『くず花』にて曰く、『①は不朽(D1の至大化)の物なれば、一たび記し置つる事は、②を經て(D1の至大化)も、そのままに遺る(D1の至大化)は①の徳(D1の至大化)也、然れ共①なき(D1の至小化)③は、①なき(D1の至小化)③の⑯なる故に、言傳〔(ことづた)へ:F⇒Eの至大化〕とても、①ある(D1の至大化)③の言傳〔(ことづた)へ:F⇒Eの至大化〕とは大に異(D1の至小化)にして、④さらになし(D1の至小化)、⑤とても、①知れる(D1)⑰は、⑥を①に預くる故に、空にはえ覺え居らぬ(D1の至小化)事をも、「◎:①知らぬ(D1の至小化)⑰は、返りてよく覺え居る(D1の至大化)にてさとる(D1の至大化)べし、⇒「⑬:言靈(ことだま:F)⑭:古語(いにしへごと:F)」(◎的概念F)⇒E:殊に⑦は、⑬の助くる(F⇒Eの至大化)⑧、⑬の幸(さき)はふ(F⇒Eの至大化)⑧と⑭にもいひて(F⇒Eの至大化)、實に言語(F)の妙なる(F⇒Eの至大化)こと⑨にすぐれたる(D1の至大化)をや』、⑩より言ひ傳へ(F⇒Eの至大化)、⑬の幸(さき)はふ(F⇒Eの至大化)⑧と語り繼いで來た『①なき(D1の至小化)⑪は、①なき(D1の至小化)⑪の⑯なる故』と、しつかりと想像力を働かせてみる(D1の至大化)なら、『言辭(ことば遣ひ:F⇒Eの至大化)の道』に於いて、④は、むしろ⑤の、『①知れる(D1)⑰』の側にある事に氣付く(D1の至大化)であらう。といふのが、⑮の言ひたいところ(D1の至大化)だつた」(⑬⑭への距離獲得:Eの至大化)⇒⑮宣長⑯心⑰人(△枠):①への適應正常。
P440關係論:①『まがのひれ』(物:場 C‘)②文字(物:場 C‘)③世世(場 C‘)④古事(いにしへごと。物:場 C‘)⑤よきさま(物:場 C‘)⑥實の事(物:場 C‘)⑦中古(なかむかし。場 C‘)⑧さかしら(物:場 C‘)⇒からの關係:①のが、②なかりし(D1の至小化)③の④は、皆その後の天皇の御心(△枠)もて、⑤に造り成し給へる(D1の至小化)物にて、⑥にはあらず(D1の至小化)」と言ふに對し、⑩はかしこげ(小賢しい:D1の至小化)なる意見と、烈しく抗し(D1の至大化)、『⑦迄、中々に②といふ物の⑧なく(無く)して(D1の至小化)、妙なる(Eの至大化)言靈(ことだま:F)の傳へなりし徳(Eの至大化)』を忘れてはならない(Eの至大化)と言ふ。彼(宣長△枠)は、②の徳(D1の至大化)を、少しも見損なつてはゐなかつた(D1の至大化)が、②の徳(D1の至大化)との馴れ合ひ(D1の至小化)、言はば、『文字(物:場 C‘)といふ物のさかしら(物:場 C‘)』となれば、これは又別事(D1の至小化)である事を、見逃してはゐなかつた。それが、『文字(物:場 C‘)知れる(D1)人(△枠)は、萬の事(物:場 C‘)を文字(物:場 C‘)に預くる(D1の至小化)故に』云々、といふ言ひ方になるのであり、さういふ含み(D1の至大化)が辿れなければ、讀まぬに等しいであらう
P441關係論:①『古語(ふるごと)拾遺』(物:場 C‘)②今の世(場 C‘)③文字(物:場 C‘)④教養とか知能(物:場 C‘)⑤世(場 C‘)⇒からの關係:⑥は①(平安時代の家伝。1巻。斎部広成いんべのひろなり撰)を重んじてゐた(D1の至大化)。その序に、『上古の世(場 C‘)、未だ文字(物:場 C‘)有らず(D1の至小化)、貴賤老少、口々相傳、前言往行、存而(ぞんして?)不忘』とある。②で、物識り(D1の至大化)と言はれるほどの⑦なら、知らぬものはない言葉だ。⑥に言はせれば、この⑧の間に、生きて働いてゐた(F⇒Eの至大化)口々相傳(F⇒Eの至大化)の言(F)が、③に預けられて(D1)以來、固定した知識(D1の至小化)となつて死んで了つたことを語つてもゐるのである。④とかいふものを測る標準(D1)が、基本的には、讀み書きが出來る(D1の至大化)出來ない(D1の至小化)で定まつて了ひ、⑨もこれを疑はない(D1の至小化)⑤となつては、そのやうな事〔とは:③に預けられて(D1)以來、固定した知識(D1の至小化)となつて死んで了つたこと〕を氣に掛ける人(△枠)もない。
P441關係論:①文字(物:場 C‘)②何時(場 C‘)③昔(場 C‘)④人間の心の歴史(物:場 C‘)(物:場 C‘)⑤心の生活(物:場 C‘)⑥古人(物:場 C‘)⇒からの關係:①の出現(D1の至大化)以前、②からとも知れぬ③から、④は、ただ言傳へ〔(ことづた)へ:F⇒Eの至大化〕だけで、支障なくつづけられてゐた(D1の至大化)のは何故か。⇒「⑦:話し言葉⑧:意味内容(F)⑨:肉聲(F)」(◎的概念F)⇒E:言葉(物:場 C‘)と言へば、⑦があれば足りた(F⇒Eの至大化)からだ。⑧で、はち切れん(F⇒Eの至大化)ばかりになつてゐる、⑩の⑨の充實感(言の世界:F⇒Eの至大化)が、⑪めいめいの⑤を貫いてゐれば(事の世界:D1の至大化)、⑫と共にする生活(F)の秩序保持(F⇒Eの至大化)の肝腎に、事を缺かぬ(Eの至大化)、事を缺く道理がなかつたからだ。さういふ、⑥の言語(F)經驗(F⇒Eの至大化)の廣大深刻な味ひ(Eの至大化)を想ひ描き、⑬は、はつきりと、これ〔とは:古人(物:場 C‘)の言語(F)經驗(F⇒Eの至大化)の廣大深刻な味ひ(Eの至大化)〕(とは以下枠文參照)に驚嘆する事が出來た。
『書契(文字化)以來、不レ好レ談レ古』と言つた⑭の古い嘆き(D1の至小化)を、今日(場 C‘)、新しく考へ直す(D1の至大化)要がある事を、⑬ほどよく知つてゐた(D1の至大化)ものはゐなかつた」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑩己⑪世人⑫人々⑬宣長⑭斎部宿禰(△枠):①への適應正常。
P441關係論:①『古事記』註釋(物:場 C‘)②『皇國(みくに)の古言(いにしへごと)』(物:場 C‘)③言葉(物:場 C‘)④文字(物:場 C‘)⑤世(場 C‘)⑥今日(場
C‘)⑦言語(物:場 C‘)⑧靈(物:場 C‘)⑨事實(物:場 C‘)⑩情(こころ。物:場 C‘)⑪言葉といふ物(物:場 C‘)⑫生き物(物:場 C‘)⇒からの關係:先に、⑬が歩いた(D1の至大化)、①といふ『廻り道』について述べたが、彼(⑬△枠)が、非常な忍耐(D1の至大化)で、ひたすら接觸(D1の至大化)をつづけた②とは、註解(①)の初めにあるやうに、『ただに其の物(物:場 C‘)其の事(物:場 C‘)のあるかたちのまま(物:場 C‘)に、やすく(D1の至大化)云ひ初め名づけ初め(D1の至大化)たる〔とは:『迦微といふ古言は,體言であつて,迦微といふ[ただ其物を指して云ふ]言葉』の意〕
未だ④がなく(D1の至小化)、ただ發音(F)に頼つてゐた(F⇒Eの至大化)⑤の⑦の機能(F⇒Eの至大化)が、⑥考へられぬほど優性(Eの至大化)だつた傾向を、ここで、彼(⑬)は言つてゐる(D1の至大化)のである。⑬は、言靈(ことだま:F)といふ③を持ち出した(D1の至大化)時、それは、⑭の肉聲(F)に乗つて幸(さき)はつた(F⇒Eの至大化)といふ事を、誰(△枠)よりも深く見てゐた(D1の至大化)。⑦には固有な⑧があつて、それが、⑦に不思議な働き〔とは:轉義(D1の至大化)/合體(Eの至大化)〕をさせる、といふ發想(D1)は、言傳(ことづた)へ(F⇒Eの至大化)を事とした、⑮の間に生れた(D1の至大化)、といふ事、③の意味(D1の至大化:事の世界)が、これを發音する⑯の、肉聲(F)のニュアンス(ふり?)と合體(F⇒Eの至大化:言の世界)して働いてゐる、といふ事、そのあるがままの姿〔とは:言の世界=事の世界〕を、そのまま素直に受け納れて(F⇒Eの至大化)〔とは:『直く安らか』(F)と言ふ上古の人々の古意(いにしへごころ:F⇒Eの至大化)〕(とは以下枠文參照)、何ら支障もなく暮してゐた(D1の至大化)といふ、全く簡明(D1の至大化)な⑨に、(宣長は)改めて、注意を促した(D1の至大化)のだ。
⑩の動き(D1の至大化:事の世界)に直結する肉聲(F)の持つニュアンス(ふり?:F⇒Eの至大化:言の世界)は、極めて微妙(Eの至大化)なもので、話す⑰の手にも負へぬ(Eの至小化)、少くとも思ひ通りにはならぬ(Eの至小化)ものであり、それ〔とは:(D1の至大化)=(Eの至大化)〕が、語られる③の意味(D1の至大化:事の世界)に他ならないなら、⑪を、そのやう〔とは:『肉聲(F)の持つニュアンス(ふり?:F⇒Eの至大化:言の世界)は、極めて微妙(Eの至大化)なもので、話す當人(△枠)の手にも負へぬ(Eの至小化)、少くとも思ひ通りにはならぬ(Eの至小化)もの』〕な、『たましい』(F)を持つて生きてゐる(F⇒Eの至大化)⑫と(上古の人々が)觀ずる(D1の至大化)のは、まことに自然(D1の至大化)な事だつたのである⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑬宣長⑭人々⑮上古の人々⑯人⑰當人(△枠):①への適應正常。
注:二十三章:てにをは関聨參照! P442關係論:①文字の徳(物:場 C‘)②文字の道(物:場 C‘)③思ふところ(物:場 C‘)④言葉(物:場 C‘)⑤文字(物:場 C‘)⑥言語(物:場 C‘)⑦内容(物:場 C‘)⇒からの關係:⑧は、①が、言傳(ことづた)へ(F⇒Eの至大化)の徳に取つて代つた、などど言つてゐるのではない。⑨にもそんな事の出來る力はありはしない(D1の至小化)。言傳(ことづた)へ(F⇒Eの至大化)の遺産(Eの至大化)の上に、②が開かれる(D1の至大化)事になつたのだが、これ〔とは:文字の道(物:場 C‘)が開かれる(D1の至大化)事〕は、言靈(ことだま:F)の働き(F⇒Eの至大化)を大きく制限(Eの至小化)しないでは行はれはしなかつた。さういふ決定的な(D1の至大化)事に、⑩が鈍感(D1の至小化)になつて了つた事を言ふ。⑪は、③を、⑫しらず口(F)にする(F⇒Eの至大化:言の世界)といふ自然な行爲(Eの至大化)によつて、④の意味(D1の至大化:事の世界)を、⑬を以て、感じ取つてゐた(D1の至大化)筈だから、其處〔われ(△枠)しらず口(F)にする(F⇒Eの至大化:言の世界)〕に、④の定義(決まつた意味。物:場 C‘)を介入(D1)させる爲には、話し方(F⇒Eの至大化:言の世界)と話の⑦〔とは:思ふところ(物:場 C‘:事の世界)〕とを、無理にも引き裂かなければ(D1の至小化)ならなかつたであらう。動く話し方(F⇒Eの至大化:言の世界)の方を引離して、これ〔とは:無理にも引き裂かなければ(D1の至小化)ならなかつた〕を無視すれば、後には、動かぬ⑦〔とは:思ふところ(物:場 C‘:事の世界)〕が殘り、定義(決まつた意味。物:場 C‘)を待つ(D1)事になつただらう。⑤の出現(D1の至大化)により、⑥の機能(D1)の上で、思ふにまかせぬ(Eの至小化)表現の様(さま:言の世界)(F⇒E)から、意のままになる(D1の至大化)⑦の傳達(D1)〔とは:動かぬ内容が殘り、定義(決まつた意味。物:場 C‘)を待つ(D1)事になつた〕への、大きな轉囘(D1の至大化)が可能になつたわけだが、⑧は、これを、⑭を奪ふ樣な大事(D1の至大化)とは、考へてゐなかつた(D1の至小化)。⑪は、そのやうな事〔とは:心を奪ふ樣な大事〕に未だ思ひ及ばなかつたのではなく、そのやうな餘計な事〔とは:心を奪ふ樣な大事〕を思ひ付く必要を、感じてゐなかつた、といふ考へだつたからである。
P442關係論:①物事(物:場 C‘)②互ひ(物:場 C‘)③文字と共に始つた歴史(物:場 C‘)④世(場 C‘)⑤姿(上古の人々。物:場 C‘)⑥人々の心ばへ(物:場 C‘)⑦其處(場 C‘)⑧智識(物:場 C‘)⑨心身(物:場 C‘)⑩『文字ある世』(場 C‘)⇒からの關係:⑪は、自分等が口にしてゐる國語(F)の抑揚〔F⇒Eの至大化:古言(いにしへごと)のふり〕さへ掴まへてゐれば、①を知り(D1の至大化:事の世界)、②に理解し合つて暮らす(D1の至大化)のに、何の不自由もなかつた(D1の至大化)。さういふ生活(F)が、③以前、どれほど久しい間、續けられて來たか(F⇒Eの至大化)、⑫は、この言傳(ことづた)へ(言の世界:F⇒Eの至大化)の④として、何一つ缺けたところのない(D1の至大化)⑤の裡に、身(⑫△枠)を置いて(D1)、⑥を宰領してゐる(D1の至大化:事の世界)言語表現(言の世界:F⇒Eの至大化)を想ひ描き(D1)、⑦では、表現の才(Eの至大化)を言ふより、表現(Eの至大化)の天分〔とは:言靈(ことだま:C’)⇒轉義(D1の至大化)⇒合體(Eの至大化)〕を言ふ方が、どれほど自然(D1の至大化)な事だつたかを直覺してゐた(D1の至大化)。言語表現(F⇒E)の本質(Eの至大化)を成すものは、習ひ覺えた(D1の至大化)⑧に依存せず(D1の至小化)、⑬の持つて生れて來た〔とは:歴史(物:場 C‘??)的環境(時と場)がもたらす(D1)?〕⑨の働き(D1)に、深く關はつてゐる(D1の至大化)ものだ、さういふ言語機能(F⇒E)の基本的な性質(Eの至大化)は、⑩になつても、少しも變りはしない(Eの至大化)のだが、それが、忘れられて了つた(D1の至小化)のである
P443關係論:①場合(物:場 C‘)②考へ方(物:場 C‘)③天眞な歌ごころ(物:場 C‘)④實生活(場 C‘)⑤生きた智恵(物:場 C‘)⑥古道(物:場 C‘)⑦『直毘靈』(物:場 C‘)⑧文字(物:場 C‘)⑨智識(物:場 C‘)⑩『強事(しひごと)』(物:場 C‘)⇒からの關係:この①、⑪は、⑫のやうに不自由(D1の至小化)な②はしなかつた。⑬は生れて來る、⑭は、皆、③を持つてゐた、といふ風に問題を狭め(D1の至小化)はしなかつた。⑮の間では、直かな、豊かな表現(F⇒Eの至大化)は、當然、その日常會話(F⇒E)にも及んでゐた、と考へた(D1の至大化)のだが、更に進んで、さういふ精氣ある言語表現(古言のふり:F⇒Eの至大化)を⑯としてゐた⑰が、④の上で、これ〔とは:精氣ある言語表現(古言のふり:F⇒Eの至大化)〕に即した、⑤を身に付けてゐなかつたわけがない(D1の至大化)、といふ考へ(D1の至大化)に(宣長は)導かれたのである。言ふまでもなく、この考へ〔とは:④の上でも、これに即した、⑤を身に付けてゐた〕は、彼の⑥(古代精神)の根本思想に繋つてゐる(D1の至大化)。⑦にあるやうに、『人(△枠)はみな、産靈日神(むすびのかみ)の御靈(物:場 C‘)によりて、生れつる(D1の至大化)まにまに、身(△枠)にあるべきかぎりの行(わざ。物:場 C‘)は、おのづから知りてよく爲(す)る(D1の至大化)物にしあれば』、『いかでか其の上へをなほ強ひる(D1の至小化)ことのあらむ』といふ事になる。⑧による、⑨の普及と教へ(D1の至大化)といふ⑩の成功(D1の至大化)の如きが、人の本質的な⑨に、何を加へ得たらうか(D1の至小化)。この點に關し、⑱の、その自負から來る錯覺(D1の至小化)はまことに深い(D1の至小化)のである
P445關係論:①わが國(物:場 C‘)②神代の傳説(つたへごと。物:場 C‘)③古人(物:場 C‘)④古學(物:場 C‘)⑤愛讀の道(物:場 C‘)⑥學問の道(物:場 C‘)⑦『あやしき事の説』(物:場 C‘)⑧『あやし』(物:場 C‘)⑨傳説(つたへごと。物:場 C‘)⑩あやしからぬ物(不思議でないもの。物:場 C‘)⑪あやしき物(不思議なもの/理りなし。物:場 C‘)⑫『源氏』(物:場 C‘)⑬神の物語(物:場 C‘)⑭神々の傳説(つたへごと。物:場 C‘)⑮『古事記傳』(物:場 C‘)⇒からの關係:⑯は、①の②の、最初にして最後の、覺め切つた(D1の至大化)⑰であつたとは、先に書いたところだ。③の生き方(D1)を、一擧に掴まうとした(D1の至大化)、彼の④(古道=古代精神:研究)の極まる(D1の至大化)ところ、⑤〔とは:古人の心『#天真』をわが心にする〕が、そのまま⑥として熟した(D1の至大化)、さういふ形を取つた事を言つたわけだが、其の際、彼の⑦といふ文に觸れた(D1)。學者達(△枠)は、②に接し、特にその内容を取り上げて、⑧と判ずる(D1)のだが、⑨の裡に暮らしてゐた(D1)人々(△枠)は、さういふ⑧いふ言葉の使ひ方(D1)、つまり、⑩に對して、⑪を立てる巧みを知らず(D1の至小化)、ただどう仕様もなく(D1の至小化)、『あやし』(F)と甘受する事の味ひ(F⇒Eの至大化)の中にゐた、といふのが、宣長(△枠)の考へ(D1の至大化)であつた。丁度、⑫が語られる(D1の至大化)その様を、『あはれ』(F)といふ長息(なげき)の聲に發する(F⇒Eの至大化)、斷絶を知らぬ發展〔とは:事の世界(D1の至大化)=言の世界(F⇒Eの至大化)〕(更に以下枠文參照)と受取つたやうに、⑬に關して(D1)は、その(⑬の)成長(事の世界)の源泉(言の世界)に『あやし』(F)といふ絶對的〔とは:『阿夜訶志古泥神(あやかしこきのかみ)』〕な『なげき』(F⇒Eの至大化)を得た(とは以下枠文參照)。
この、宣長(△枠)の大膽な類推(D1の至大化)〔とは:兩者を『我邦の歴史』(上枠文參照)と信じた〕に、⑱はついて行く事が出來なかつた(D1の至小化)。彼(⑱)の逡巡(D1の至小化)は、彼が⑭の註解(D1)に、實際に手をつけなかつた(D1の至小化)事〔とは:『迦微』といふ言葉(古言)の古意(いにしへごころ)に關する吟味に手をつけなかつた(D1の至小化)事〕に、恐らく深く關係(D1の至大化)した。(とは以下枠文參照)
少なくとも、⑯の⑮の仕事を子細に眺めてゐる(D1の至大化)と、さういふ考へに誘はれる(D1の至大化)のは、私には極めて自然な事(D1の至大化)だつた
P444關係論:①『高天原』(物:場 C‘)②國土(くに。物:場 C‘)③古人の『心詞(こころことば)』(物:場 C‘)④神域(物:場 C‘)⑤其の物(物:場 C‘)⑥かたち(物:場 C‘)(物:場 C‘)⑦『古事記傳』(物:場 C‘)⑧註解といふ仕事(物:場 C‘)⑨神々のまともな物語(物:場 C‘)⑩神々の系譜(物:場 C‘)⑪原文(物:場 C‘)⑫物語の眞の内容(物:場 C‘)⇒からの關係:⑬は、①といふ言葉に躓いた。①とは、何處にある②と指して名づけたものか(D1)、といふ尋常な問ひ(D1の至大化)を、思ひ切つて、振り捨てて了ふ(D1の至小化)のは、非常に困難な事(D1の至大化)であつた。③に通暁(D1の至大化)してゐた彼(⑬眞淵)にも、①といふ日常の場所(『神は人の上』的謂ひ)を超えた④(を描き)、『⑤のある⑥に名づけ初める(體言命名:D1の至大化)』(『古事記傳』註解)といふ、⑭の言語行爲(體言命名/古言のふり:F⇒Eの至大化)の中に、入込んで行く(Eの至大化)といふ(宣長のやうな)考へ(D1の至大化)は、(眞淵には)浮んで來なかつた(D1の至小化)のである。(とは以下枠文參照&二十三章二十八章:てにをは/言靈(ことだま)關聯)
それが、⑮の場合になると、考へが浮かぶ浮ばぬといふ事(D1の至大化/D1の至小化)ではなく、⑦の冒頭を讀めば明らかなやうに、⑧が、さういふ⑭の言語行爲(體言命名/古言のふり:F⇒Eの至大化)の現場〔とは:古人がなす、神といふ古言(いにしへごと)の古意(いにしへごころ)〕に、否應なく(D1の至大化)、彼(⑭宣長)を立會はせる(Eの至大化)事になつたのである。そこに立會つてみれば、⑨が始まる(D1の至大化)前に、先づ⑩が語られてゐる(D1の至小化)、といふ風には、⑪は讀めなかつた(D1の至大化)。さういふ普通な讀み方(D1の至小化)を、⑧は許さなかつた(D1の至大化)のである(とは以下枠文參照)。
⑧は、あくまで物語の語り方(體言命名/古言のふり:F⇒Eの至大化:言の世界)に即して行はなければならない。⑫は、語り方の進行(古言のふり:F⇒Eの至大化:言の世界)に随伴して現れて來る(D1の至大化:事の世界))以上、⑮は當然、⑨は、(『物語が始まる前に、先づ神々の系譜』語りではなく)、既に、その系譜で始まつてゐる〔とは:古言のふり(F⇒Eの至大化)による、迦微等(F)の體言命名(F⇒Eの至大化)で始まつてゐる〕、といふ風に讀まざるを得なかつた(D1の至大化)のである(とは上枠文參照)
P445關係論:①神々(物:場 C‘)②神(物:場 C‘)③神の『かたち』(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。④が註解者(△枠)として入込んだ(Eの至大化)のは、①に名づけ初める〔體言命名する(F⇒Eの至大化)〕、⑤の言語行爲(古言のふり:F⇒Eの至大化:言の世界)の内部(とは:『神への古言(いにしへごと)の古意(いにしへごころ)』:以下枠文參照)なのであり、其處(内部)では、②といふ對象は、その名(體言命名の名:F)と全く合體(F⇒Eの至大化)してゐる(とは以下枠文參照)のである(高天原といふ名にしても同樣である)。
彼(④)が立會つてゐるのは、例へば、『高御產巢日神(たかみむすびのかみ:F)神產巢日神(かみむすびのかみ:F)』の二柱の神の御名(體言命名の名/古言:F)を正しく唱へれば(古言のふり:F⇒Eの至大化)、『生(むす)』といふ御名(體言命名の名/古言:F)のままに、『萬づの物(物:場 C‘)も事業(こと。物:場 C‘)も悉(ことごと)に皆』、生成(うみなし)賜ふ(D1の至大化)③〔とは:事の世界〕は、⑤の眼前に出現する(言の世界=事の世界)といふ、『あやしき』(F)光景に他ならなかつた
P445關係論:①註解(物:場 C‘)②高天原(物:場 C‘)③神々(物:場 C‘)④神々の系譜(物:場 C‘)⑤何の神(物:場 C‘)⑥『神世七代(かみよななよ)』の神々(物:場 C‘)⇒からの關係:宣長(△枠)の①がどれほど行きとどいたものか(D1の至大化)、又行きとどいて、どういふ事になつてゐるかに、重ねて言及する。②に、次々に成り坐す③の名が擧げられるに添うて進む①に導かれ、これを、④と呼ぶのが、そもそも適切ではない、と宣長が考へてゐる(D1の至大化)のが、其處(①)にはつきり見てとれる(D1の至大化)。①によれば、次(つぎに)⑤、次(つぎに)⑤とある、その次(つぎに)といふ言葉は、『其れに縦横(たてよこ)の別(わき)あり、縦(たて)は、假令(たとへ)ば、父の後を子の嗣(つぐ)たぐひなり、横は、兄(せ)に次(つぎ)に弟(おと)の生るる類ひなり、記中に次(つぎに)とあるは、皆此の横の意なり、されば今此(ここ)なるを始めて、下に次に妹伊邪那美の神とある次(つぎに)まで、皆同時にして、指し續き次第(つぎつぎ)に成り坐ること、兄弟の次序(ついで)の如し、〔父子の次第(ついで)の如く、前(さき)の神の御世過ぎて、次に後の神とつづくには非ず、おもひまがふることなかれ〕』、と言ふ。⑥の出現が、⑦には、『同時』(場 C‘)の出來事に見えてゐた(D1の至大化)、それに間違ひはないとする。
P445關係論:①神々(物:場 C‘)②神々の系譜(物:場 C‘)③『天地初發時(あめつちのはじめのとき)』(場 C‘)④『時』(場 C‘)⑤絶對的な内容(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。①は、言はば離れられぬ(D1の至小化)一團を形成し、横様に並列して現れるのであつて、とても②などといふ言葉を、うつかり使ふ(D1の至小化)わけにはいかない。③と語る⑥の、その語り樣に即して言へば、彼等の④は、『天地の初發の』といふ、具體的で、而も⑤を持つものであり、④の縦様の次序(ついで)は消え、④は停止する、と(⑤)はつきり言ふのである
P446關係論:①宣長の仕事の本質(物:場 C‘)②出發點(場 C‘)③事物(物:場 C‘)④時空(場 C‘)⑤觀念の質(物:場 C‘)⑥抽象的な時空の觀念(物:場 C‘)
P446關係論:①神代の物語(物:場 C‘)②學問(物:場 C‘)③『あやしさ』(物:場 C‘)④問題(物:場 C‘)⑤『あやし』(物:場 C‘)⑥常識(物:場 C‘)⑦物語(物:場 C‘)⑨彼等の仕事(物:場 C‘)⇒からの關係:①の示す不合理(理りなし:D1の至小化)〔とは:天上の国(神代) とは不合理であると言ふ考へ〕は、まことに露骨(D1の至小化)なものであつて、これをそのままに差し置いて(D1の至小化)、その上に②を築くわけにはいかない(D1の至小化)。②を出發させる(D1の至大化)爲には、この物語(①)の③(理りなし)をなんとか始末(D1の至大化)しなければならない(とは以下枠文參照)。
⑧は、④を、其處(③の始末)へ絞つたわけだが、彼(宣長⑧)が、⑨に大きな不滿を抱いたのは、彼等(⑨)の身勝手な始末(D1の至小化)、といふより、⑨は、始末(D1の至大化)まで行つてもゐないと思へるところにあつた。物語(①)を⑤(理りなし)と受け止める(D1の至大化)餘裕すらなく、誰も(⑨)が、その合理化(D1の至小化)〔理りあり化/理に還元/自分流理附け〕に走る(とは以下枠文參照)。
まるで、自分等(⑨)が頼んでゐる②の⑥(『理りあり』)を、根柢から覆さう(D1の至小化)と挑戦して來る⑩〔とは:『あやし』なる神代の物語〕に對し、氣構へる(D1の至小化)、といふ態度(「學問の敵」視)が取られる。⑩〔とは:『あやし』なる神代の物語〕の顔など、もう見もしない(D1の至小化)。これでは、③(理りなし)の始末(D1
P446關係論:①問題(物:場 C‘)②物語(物:場 C‘)③根據(物:場 C‘)④傳説(物:場 C‘)⑤心ばへ(物:場 C‘)⑥内的(心的。物:場 C‘)⑦『あやしさ』(理りなし/不合理。物:場 C‘)⑧學問(古學)の道(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。しかし、⑨は、どのやうな措置(D1)〔とは:物語の『あやしさ』(理りなし)を捨て、理りあり(合理=學問)を選擇する事(D1)〕が取られようとも、〔學者達(△枠)には、物語(物:場 C‘)と學問(物:場 C‘)が〕兩立しない(D1の至小化)といふ當の事實自體には、何の變りもありはしない(D1の至小化)、そちらの側を見てゐた。①は、相手〔とは:『あやし』なる神代の物語(物:場 C‘)〕の挑戰〔『あやし』(物:場 C‘)〕に應ずる(D1)にはない、相手〔とは:『あやし』なる神代の物語(物:場 C‘)〕の挑戰的表情〔とは:『世の中の事何物かは,あやしからざる』〕を、虚心に眺める(D1の至大化)にある。この態度轉換〔とは:理りあり(合理=學問)選擇よりも『あやし(不合理)=物語に見えるがまま』選擇〕の困難につき、⑨はその仕事ぶり(D1の至大化)から推して、長い間、思ひめぐらしてゐた(D1の至大化)やうに思はれる。思ひめぐらし(D1の至大化)、又して(D1の至大化)は、②(神代の物語)に見えるがまま(D1の至大化)の、『あやしさ』(F)の『かたち』(Eの至大化)に連れ戻される樣〔とは以下枠文「弐」:即ち『つらつら思ひめぐらせば,世の中の事何物かは,あやし(F)からざる』〕を、私は想像に描いてみる(とは以下枠文參照)。
彼(⑨△枠)の観察と熟考(D1の至大化)とは、②の見せてゐる表情(D1の至大化)〔とは:『あやし』なる神代の物語(物:場 C‘)の挑戰的表情(D1の至大化)即ち『世の中の事何物かは,あやし(F)からざる』〕が、よつて立つてゐる(D1の至大化)③に向けられた(D1の至大化)。④の無名の⑩の⑤〔とは:『事の世界』〕からすると、このやうな(『あやし:F』なる)語り方(古言のふりによる體言命名:F⇒Eの至大化/言の世界)をしなければ、何一つ語る事は出來なかつた、さういふ〔とは:『このやうな(『あやし:F』なる)語り方をしなければ、何一つ語る事は出來なかつた』:即ち『古言のふりによる體言命名:F⇒Eの至大化/言の世界』といふ〕⑥な必然性(D1の至大化)(とは以下枠文參照)が、⑪にも付き易い(D1の至大化)、②の⑦の背後に隠れてゐる(D1の至小化)。これ〔内的(心的。物:場 C‘)な必然性(D1の至大化)(とは以下枠文參照)〕を見つけ、
その意味を問ふ事(とは:『あやしの構造を明らめる』)が、②(神代の物語)の露骨な不合理(理りなし)〔とは:天上の国(神代) とは不合理であると言ふ考へ〕から、眼を逸らす事なく(D1の至大化)、これ〔『あやしさ』(理りなし/不合理)〕を本當に始末(D1の至大化)して⑧を開く(D1の至大化)事だ。彼(⑨△枠)はさう確信した(D1の至大化) |