令和三年十一月六日~~

吉野櫻雲

小林秀雄著『本居宣長』(昭和五十一年連載終了:七十四歳)

《各主題及び各項の「關係論」的纏め

〔当HP:目次〕

〔四十七章主題〕norinaga47.pdf へのリンク

《『あやし(理りなし),古學本來の構造なのであり,あやしの構造を明らめて行くのが,古學に携はるといふ事

 

關係論#さかしら②#上古の事実③歌の[しらべ]⇒からの關係:一種の①の働きで,,その所謂②[とは:神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき][おぼつかなさ],[あやしさ],結局,(#天地のしらべ)のうちに解消された,と信じたのだが,(次項へ続)⇒⑪眞淵。

關係論#しらべ⑥#上古の事実⇒からの關係:(前項⇒)實を言へば,影の薄れた⑤[とは:無色透明化した『#天地のしらべ』の事]と共に,⑪の言ふ⑥[とは:#神代といふも名の異なるのみにて同じく人の上なるべき]自體が霧消して了つた,といふのが眞相だつたのである⇒⑪#真淵。 

關係論②『上古の事實』⑧神⇒からの關係:⑬の身勝手な②の尊重が語る、⑧の名だけを保存した、上の空の言葉〔とは:『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』の事〕は、⇒「⑪:日常生活(F)/神の傳説(つたへごと(F)」⇒E:⑮の、眼の前の⑧の姿なくしては、成り立たなかつた、⑪、その生きた味ひが、⑬には、そつくり無視されてゐる。これは、⑫の有りのままの姿〔例:『迦微』は、古言(いにしへごと)のふりの體言命名〕を、先づ壞した上でなければ起り得ない事だ、と⑬は考へた⇒⑬眞淵⑭宣長⑮上古の人々。

關係論#あやし(理りなし)世の中③あらゆる事④なに物⑤周囲⑥古学の道⇒からの關係:の不徹底な使ひ方[とは:あやしき(理りなし)ものに對する,さかしらな態度]ばかりが,に行はれてゐる様を,見てゐる内に,それが,,遂に誤らす事になつたのが,はつきりして來た⇒宣長

關係論①問題②古學の主題③あやし(理りなし)上代の心ばへの驚く程の天眞⇒からの關係:⑥は、『①として扱はれるのを、初めから拒絶してゐるやうなものを、②③として捉へ、⇒「⑤:(なほ)く安らか(F)」⇒E:③の對象を④即ち⑤とした。それ故に、⑤を明らめる事は,の觀照の世界を擴げ深め,をわが心とする(自照)以外にないと捉へた⇒⑥宣長(△枠)。

關係論#あやし④#古学#知識⑩#構造⇒からの關係:[部分的な斷定的な⑧の集積,或は #推論的進行(#さかしら)を以てしては決して出會へない,の意],本來の⑩なのであり,の⑩を明らめて行く(即ち:が蔵する難局を切り抜ける)のが,に携はるといふ事⇒#宣長

關係論③世の中の事⑦何物⑧源氏論⑨物語⑩傳説(古事記)古書⇒からの關係::つらつら思ひめぐらせば,,,あはれならざると觀じた⑲を得て,は盡きたのを思ひ出して貰へばよい.が⑩に變つた所で,最上と信ずる⑪の讀み方を變更する理由は,にはなかつた⇒⑱身⑲式部の眼⑳宣長。

 

〔以下は四十七章各項:纏め〕

 

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

P430關係論#古事記伝③#学問⇒からの關係:②註釋を終へて,[そもそもおのが道をとく趣は,聊かも私のさかしらをばまじへず,神典に見えたるままなること,あだし注釋どもと比べ見て知べし],と③上の確信を記述.②註釋の面倒な經驗が自分の確信を不動のものに育て上げた,と⇒⑥宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

P430關係論#古事記⑤#道⇒からの關係:⑦が手をつけなかつた④の註釋に没頭してみた結果,⑥に明らかに見えて來た事.⑦の⑤を説く趣には,[からごころを去れる事も,なほ清くは去りあへ給は]ぬ所があつたと言ふ事,これには,なかなか一と口では,盡せぬものがあつた⇒⑥#宣長⑦#真淵

 

(以下文の主旨抜粋)

P430關係論晩年(場 C‘)②『古事記傳』(物:場 C‘)③學問(物:場 C‘)④『古事記』(物:場 C‘)⑤道(物:場 C‘)⇒からの關係:①の⑥は、②全巻の註釋(D1の至大化)を終へて、『そもそもおのが道をとく趣は、いささかも私のさかしらをばまじへず、神典(かみのみふみ)(物:場 C‘)に見えたるままなること、あだし(D1の至小化)注釋どもとくらべ見て知べし』、と③上の確信(D1の至大化)を、念でも押すやうに書いてゐるが、其處には、實際に携はつた②の註釋の面倒な經驗(D1の至小化)が、自分の確信(D1の至大化)を不動のものに育て上げた(D1の至大化)、といふ含みがあつた。⑦が手をつけなかつた④の註釋に没頭(D1の至大化)してみた結果、⑥に明らかに見えて來た(D1の至大化)事、彼(⑥)の言葉で言へば、師(⑦)の⑤を説く趣には、『からごころ(物:場 C‘)を去れる事(D1)も,なほ清くは去りあへ給は』ぬ(D1の至小化)ところがあつたと言ふ事、これには、なかなか一と口では、盡せぬ(D1の至小化)ものがあつた。⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑥宣長⑦眞淵(△枠):①への適應正常。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P430關係論#学問②#人代(#万葉)#神代⇒からの關係:⑳の①は,その言ふやうに,[②を盡て,③をうかがふ]といふ風に進行したのだが,このいひ方は,そのまま,⑳の #研究 の方法そのものを示すものでもあつた(次項へ)⇒⑳真淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P430關係論#神代④#古事記⑤上古質直の國史⑥上古の事實⑦#古学⑩晩年⇒からの關係:(前項⇒)④といふ,⑳の所謂⑤を遡り,③に到り,其處に語られた⑥[神代といふも名の異なるのみにて同じく人の上なるべき]を納得すれば,自分の⑦は極まるといふ考へが,⑩になり固つたが,⇒⑳眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P430關係論#人代③#神代⑧#(こころ)⑨形式⑪問題⇒からの關係:(前項⇒)さういふ所に,⑪は,⑳にどういふ風に現れたかといふと,[いかなる⑧を以て,③を解くべきか]といふ⑨を取つてゐたのである.②をつくすのも,③をうかがふのも,その方法は,⑳には少しも變らなかつた⇒⑳眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P430關係論③神代⑫上つ代⑬人事⑭萬葉⑮古言⑯風雅の意⑰神事⑱祝詞⑲弘大なる風雅の意⇒からの關係:(前項⇒)⑫の⑬の優れた様は,⑭の⑮を得て,その⑯をつくす事によつて,極められる.ならば,この道を遡り⑰にしか係らぬ⑱の⑮に到り,その⑲を極めれば,③の事實は解ける⇒⑳眞淵

 

 

(以下文の主旨抜粋)

P430關係論學問(物:場 C‘)②人代(萬葉。物:場 C‘)③神代(物:場 C‘)④『古事記』(物:場 C‘)⑤『上古質直の國史』(物:場 C‘)⑥『上古の事實』(物:場 C‘)⑦古學(物:場 C‘)⑧意(こころ。物:場 C‘)⑨形式(物:場 C‘)⑩晩年(場 C‘)⑪問題(物:場 C‘)⑫上つ代(場 C‘)⑬人事(物:場 C‘)⑭『萬葉』(物:場 C‘)⑮古言(いにしへごと。物:場 C‘)⑯風雅の意(こころ。物:場 C‘)⑰神事(物:場 C‘)⑱祝詞(物:場 C‘)⑲弘大なる風雅の意(こころ。物:場 C‘)⇒からの關係:⑳の①は。その言ふやうに、『②を盡て(D1の至大化)、③をうかがふ(D1の至大化)』といふ風に進行した(D1の至大化)のだが、このいひ方は、そのまま、彼(⑳△枠)の研究の方法(D1の至大化)そのものを示すものでもあつた。④といふ、彼(⑳△枠)の所謂⑤を遡り(D1の至大化)、③に到り(D1の至大化)、其處に語られた(D1)⑥〔とは:『神代といふも名のことなる(異なる)のみにて、同じく人の上(とは:人代)なるべき』〕を納得すれば(D1の至大化)、自分(⑳△枠)の⑦は極まる(D1の至大化)〔とは:古學=歌學〕といふ考へ(とは以下枠文參照)が、

眞淵の上古の事實とは、P412『眞淵の古學は、神代といふも名のことなる(異なる)のみにて、同じく人の上(とは:人代)なるべき』事,といふ考へに貫かれてゐた』。

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十五章

〇P412關係論:②#古学④#神代⑲人の上⑳#人代⇒からの關係:㉓の②は,[④といふも名の異なるのみにて,同じく⑲なるべき],といふ考へに貫かれてゐた. この考への裡で,[:天地(人代ではないの意)古今の本意]⇒彼の⑯の考へ(⑳的考へ?)が熟したと確信した時,これを,[⑳を盡て,④をうかがふ]といふ言ひ方で言つた⇒㉓眞淵。

を納得すれば(D1の至大化)、自分(⑳△枠)の⑦は極まる(D1の至大化)〔とは:古學=歌學〕といふ考へが、⑩になつて、しつかりと固つた(D1の至大化)が、さういふ所〔とは:『⑤を遡り(D1の至大化)、③に到り(D1の至大化)、其處に語られた(D1)⑥を納得すれば(D1の至大化)、自分(△枠)の⑦は極まる(D1の至大化)』〕に、⑪は、⑳にどういふ風に現れた(D1)かといふと、それはやはり、彼(⑳△枠)の言つてゐる(D1)やうに、『いかなる⑧を以て、③を解くべき(D1の至大化)か〔詰まる所:神は人の上〕』といふ⑨を取つてゐた(D1)のである。②をつくす(D1の至大化)のも、③をうかがふ(D1の至大化)のも、その方法(D1の至大化)は、彼(⑳△枠)には少しも變らなかつた(D1の至大化)。⑫の⑬の優れた様(D1の至大化)は、⑭の⑮を得て(D1の至大化)、その⑯〔とは:しらべ〕をつくす(D1の至大化)事によつて、極める(D1の至大化)事が出來る。それなら、この道(⑯:しらべ)を更に遡つて(D1)、⑰にしか係らぬ(D1の至大化)⑱の⑮に到り、その⑲〔とは:『天地の(極度に純化された)しらべ』〕を極めれば(D1の至大化)、③の事實は解ける(D1の至大化)(とは以下枠文參照)〔とは:『天地のしらべ』の所有者の神は『人の上』〕事になる⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑳眞淵(△枠)。

神は中空(人の上)の物であるが故に、眞淵の『古事記』觀は、萬葉歌のしらべ(人代のしらべ)を示す『萬葉の風雅の意(こころ)』の上の、『弘大なる風雅の意(こころ)』を示す『天地の(極度に純化された)しらべ』と言ふ事になる〕・・・

とは、『弘大なる風雅の意〔『天地の(とは:極度に純化された)しらべ』〕を極めれば(D1の至大化)、神代の事實は解ける(D1の至大化)』つまり〔神は中空(人の上)の物〕。

 

『萬葉』:人代

祝詞・『古事記』:神代

眞淵の『古事記』觀

 

『天地の(とは:極度に純化された)しらべ』/P422『大事は,何を置いても,記紀のうちに現れた歌』/古人を知るのには古歌〔とは:『古事記』の心詞は古歌と言ふ事〕『古き世の歌=ふるき代々の人の心詞(こころことば)』】

神人同形説(神の位置)

 

『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』〔神は中空(人の上)の物〕】

しらべ

萬葉歌のしらべ(人代のしらべ)、

即ち『上古の人の風雅のこころ』/

風雅の意(こころ)

『天地の(とは:極度に純化された)しらべ』、

即ち『いよいよ上古之人の風雅にて、弘大なる意(こころ)』/弘大なる風雅の意(こころ)

 

 

 

 

 

 

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P431關係論①考へ②今日③#神人同形説⇒からの關係:(前項⇒)このやうな解法が,⑪に,極めて自然で,決定的に見えてゐたのも,元を糺せば,[神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき]とする①に基く.この⑪が抱く,②の所謂③には,⑪なりに徹底したものがあつた⇒⑪#眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P431關係論④國史⑤#神代⑥#人代⑦#古学⑧#神道⑨#古道⇒からの關係:(前項⇒)④の上で,連續して見える⑤と⑥とは,⑪の⑦の成熟[弘大なる風雅の意(こころ)を極めれば,神代の事實は解ける]のうちに取り入られるや,忽ちしつくりと重なり合ふ⑧と⑨といふ形を取つた(次項へ)⇒⑪眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P431關係論#神道⑨#古道⑩晩年の文章⇒からの關係:(前項⇒)實際,⑪の⑩では,⑧⑨の言葉は,平氣で混用されてゐて,其處には,あたかも,⑧と言ひ⑨と言ひ,元より名目を出ない[#神代 といふも名の異なるのみにて,同じく人の上]とする,はつきりした態度が現れてゐる⇒⑪#眞淵

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(以下文の主旨抜粋)

P431關係論考へ(物:場 C‘)②今日(場 C‘)③神人同形説(物:場 C‘)國史(物:場 C‘)⑤神代(物:場 C‘)⑥人代(物:場 C‘)⑦古學(物:場 C‘)⑧神道(物:場 C‘)⑨古道(物:場 C‘)⑩晩年の文章(物:場 C‘)⇒からの關係:このやうな解法(D1)が、⑪に、極めて自然(D1の至大化)で、且つ決定的(D1の至大化)に見えてゐたのも、元を糺せば、その『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』〔神は中空(人の上)の物〕とする①に基く(D1の至大化)のだが、更に言へば、この、彼(△枠)が抱いてゐた、②の所謂③には、彼(△枠)なりに徹底した(D1の至大化)ものがあつたからだ、といふ事にならう。④の上で、連續して見える⑤と⑥とは、彼(△枠)の⑦の成熟(D1の至大化)【とは:『弘大なる風雅の意〔『天地の(極度に純化された)しらべ』〕を極めれば(D1の至大化)、神代の事實は解ける(D1の至大化)』つまり〔神は中空(人の上)の物〕のうちに取り入られるや、忽ちしつくりと重なり合ふ(D1の至大化)、⑧と⑨(古代精神)といふ形を取つた。實際、彼(△枠)の⑩では、この二つの言葉は、平氣で混用(D1の至小化)されてゐるのであり、其處には、あたかも、⑧と言ひ⑨(古代精神)と言ひ、元より名目を出ない〔とは:『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』〕とする、はつきりした態度が現れてゐる。眞淵の③には、彼なりに徹底した(D1の至大化)ものがあつたと言つたのも、その邊りに窺へる、彼の自信を指すのである⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑪眞淵(△枠):③への適應。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P431關係論[#皇朝之大意]②#祝詞③#神事④#古言(#いにしへごと)⑤#しらべからの關係:①(即ち神代)をうかがはんとするの眼は,②,②が歌ふ⑤[#天地のしらべ(#極度に純化されたしらべ)]の投影と觀じた.⑩の眼力,あくまでさういふ向きに働いたのであつた⇒⑩#眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P431關係論#天地のしらべ上古之人の風雅にて弘大なる意⑦#古学主題からの關係:(前項⇒)⑩[人まろなどの及ぶべき言ならぬ]ものと感じ,その,⑥を我物とする所に,自分の,間違ひなく確實な⑨[神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき]に充填されると⇒⑩眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P431關係論#上古の神⑨#主題からの關係:(前項⇒)⑧もその #信仰 も,當然,この實質ある⑨[とは:#神代 といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき/#神 は中空(人の上)の物]の落す影と見做せば,足りるといふ事になつた⇒⑩#真淵

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(以下文の主旨抜粋)

P431關係論『皇朝之大意』(物:場 C‘)②祝詞(物:場 C‘)③神事(物:場 C‘)④古言(いにしへごと)(物:場 C‘)⑤『しらべ』(物:場 C‘)⑥『いよいよ上古之人の風雅にて、弘大なる意(こころ)』(物:場 C‘)⑦古學(物:場 C‘)⑧上古の神(物:場 C‘)⑨主題(物:場 C‘)⇒からの關係:①をうかがはん(D1の至大化)とする⑩の眼は、②の③を、②の④が歌ふ(D1の至大化)⑤〔とは:『天地の(極度に純化された)しらべ』〕の投影(D1の至大化)と觀じた。彼の眼力(⑩△枠)は、あくまでさういふ向き(D1)に働いたのであつた。彼(△枠)は、この『しらべ』〔とは:『天地の(極度に純化された)しらべ』〕を『人まろ(△枠)など(とは:『萬葉』のしらべ)の及ぶべき言ならぬ(D1の至小化)』ものと感じ、その〔『天地の(極度に純化された)しらべ』の〕、⑥をわが物とする(D1の至大化)ところに、自分の⑦の内容は、間違ひなく、確實な⑨【とは:『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』〔神は中空(人の上)の物〕】によつて、充填されるといふ事になる、と考へた(とは以下枠文參照)。⑧もその信仰(D1の至大化)も、當然、この實質ある⑨【とは:『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』〔神は中空(人の上)の物〕】の落す影(D1の至大化)と見做せば、足りる(D1の至大化)といふ事になつた」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑩眞淵(△枠):①への適應正常。

小生纏め:神は中空(人の上)の物であるが故に、眞淵の『古事記』觀は、萬葉歌のしらべ(人代のしらべ)を示す『萬葉の風雅の意(こころ)』の上の、『弘大なる風雅の意(こころ)』を示す『天地の(とは:極度に純化された)しらべ』と言ふ事になる〕・・・

とは、『弘大なる風雅の意〔『天地の(とは:極度に純化された)しらべ』〕を極めれば(D1の至大化)、神代の事實は解ける(D1の至大化)』つまり〔神は中空(人の上)の物と決せられる〕。

 

『萬葉』:人代

祝詞・『古事記』:神代

馬淵の『古事記』觀

 

『天地の(とは:極度に純化された)しらべ』/P422『大事は,何を置いても,記紀のうちに現れた歌』/古人を知るのには古歌〔とは:『古事記』の心詞は古歌と言ふ事〕『古き世の歌=ふるき代々の人の心詞(こころことば)』】

神人同形説(神の位置)

 

『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』〔神は中空(人の上)の物〕】

しらべ

萬葉歌のしらべ(人代のしらべ)、

即ち『上古の人の風雅のこころ』/

風雅の意(こころ)

『天地の(とは:極度に純化された)しらべ』、

即ち『いよいよ上古之人の風雅にて、弘大なる意(こころ)』/弘大なる風雅の意(こころ)

 

 

 

 

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P431關係論#学問(#古学)②#理想からの關係:⑥,①のうちに持ち込んだ,自分の②[とは:#神代 といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき]の爲に,苦しむ事になつたと言へる.言はば,いよいよ烈しくなるの火に,⑦を焼くといふ事が,起る事になつた⇒⑥#真淵我と我が身

○P431關係論#風雅のこころ④#天つちのままなるこころ風雅からの關係:(前項⇒)勿論,身を焼いた當人が,そのやうに意識する筈はなかつた.⑥,ただ,[⑧③(#万葉 のしらべ),④(#天地のしらべ)と呼んでいい觀念に仕上げたいと,一途に心を砕いたのであるが⇒⑥眞淵上古の人

○P431關係論#風雅からの關係:(前項⇒)その努力を重ねれば重ねるほど,⑤,いよいよ純化され[筆頭につくしがた]いもの(内容は無色透明)になつた.而も,さうなる事は又その決定的な表現をに求めて止まぬといふ事でもあつた.明らかにこれは自身が招いた難局であつた,⑥は,さういふ場所に追ひ込まれたとは,決して思はなかつたし,思へもしなかつた⇒⑥#真淵

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(以下文の主旨抜粋)

P431關係論學問(古學。物:場 C‘)②理想(物:場 C‘)③風雅のこころ(物:場 C‘)④『天つちのままなるこころ』(物:場 C‘)⑤風雅(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。さういふ次第を想ふと、⑥は、①のうちに持ち込んだ、自分の②【とは:『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』〔神は中空(人の上)の物〕】の爲に、苦しむ事(D1の至小化)になつたと言へる(とは以下枠文參照)。

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十五章

〇P415關係論#万葉⑩#古道#理想⇒からの關係:⑨の鑑賞や批評で充分に錬磨された筈の,⑫の素早い語感が,[神といふ古言の古意]では躊躇つてゐる.何が,彼の鋭敏な語感の自由な動きを阻んでゐるか,といふ事になれば,⑩の上で,己の⑪を貫かう(自己流解釋:理附け?)とする,⑫の意志だ⇒⑫真淵

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十五章

〇P415關係論#神②#古道(古代精神)③理想⇒からの關係:②の上で己の③[神は人の上(かみ),天地にかなふ上つ代の道]を貫かうとする意志が邪魔をし,[ #古言のふり]⇒⑤の,④に據る①への體言命名[#迦微 産巣日神,],⑦は理解出来なかつた,と⑥⇒⑤古人⑥宣長⑦#真淵

言はば、いよいよ烈しくなる(D1の至大化)その(②の)火に、⑦を焼く(D1の至小化)といふ事が、起る事になつたのである。勿論、身(△枠)を焼いた當人(⑥△枠)が、そのやうに意識する筈はなかつた(D1の至小化)。彼(⑥△枠)は、ただ、『⑧の③〔とは:万葉歌のしらべ〕』を、④〔天地の(とは:極度に純化された)しらべ〕と呼んでいい觀念に仕上げたいと、一途に心を砕いた(D1の至大化)のであるが、さういふ努力(D1の至大化)を重ねれば重ねるほど、⑤は、いよいよ純化され(D1の至大化)、『筆頭につくしがた』いもの〔とは:P435内容は無色透明(D1の至大化)なもの』『天地の(とは:極度に純化された)しらべ』〕になつた(とは以下枠文參照)

P415『神賀詞』の調べ(即ち『天地のしらべ』)がいよいよ純粋になる(D1の至大化)につれて、その(『神賀詞』即ち『天地のしらべ』の)内容は無色透明(D1の至大化)なものとなる』が、取りも直さず、彼が歌學の上で熟(こな)し得た(D1の至大化)方法の、言はば仕上げ(D1の至大化)に他ならない。

P414「彼(眞淵)の古學〔とは:古道(古代の精神)を明らかにする學問〕は、『神代(物:場 C‘)といふも名のことなる(異なる:D1の至小化)のみにて、同じく人の上(物:場 C‘)なるべき』事、といふ考へ(D1)に貫かれてゐた」。

 

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P422關係論①祝詞文②『古事記』③古言(いにしへごと)④雅言(みやびごと)⑤#万葉歌のしらべ⑥国語⇒からの關係:⑧は、①②の③を、言語構造上の差異を無視して、優秀な⑥としての④の歌文〔しらべ/つまり(心詞=歌)と捉へた。故に⑤ [いにしへ人のなほくして,心高く,みやびたる]を、⇒「⑦:天地(自然?)のしらべ」⇒①②では、極度に純化された⑦(歌道の精錬)として、仕立てた〔『歌道の精錬が,そのまま古道(#古代精神)』〕。が、②の本質〔とは:[神の物語を眞實と信ずる,上代人の意(こころ)〕が、⑧の②観(⑦)に背き否定する⇒⑧#真淵

而(しか)も、さうなる『筆頭につくしがた』いもの〔内容は無色透明(D1の至大化)なものとなる』事は、又その決定的な表現(歌詠み?)(D1の至大化)を、彼(⑥△枠)に求めて止まぬ(D1の至大化)といふ事でもあつた。明らかに、これは⑥自身が招いた難局(物:場 C‘)であつたが、彼(⑥△枠)は、さういふ場所に追ひ込まれた(D1の至小化)とは、決して思はなかつた(D1の至小化)し、思へもしなかつた(D1の至小化)⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑥眞淵⑦我と我が身⑧上古の人(△枠):①への適應正常。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P432關係論①難局②#古事記主題からの關係:④,このが介した,はつきり氣付いたのは,②註釋といふ廻り道によつた[とは:『其(#)はただ物にゆく道こそ有りけれ(#直毘霊)?]といふ事を,もう一度考へ直してみて欲しい⇒④#宣長⑤#真淵

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(以下文の主旨抜粋)

P432關係論①難局(物:場 C‘)②『古事記』(物:場 C‘)③主題(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。④が、この⑤が介した(D1の至小化)①に、はつきり氣付いた(D1の至大化)のは、②註釋(D1)といふ廻り道(D1の至大化)〔とは:『其(道)はただにゆく道(D1の至大化)こそ有りけれ、』(『直毘霊』)に氣附いた事の反面教師的内容〕によつたといふ事を、もう一度考へ直して(D1の至大化)みて欲しい。⑥としては、同じ③にもう一つ變奏を書く(D1の至大化)やうに誘はれた、といふ事である」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒④宣長⑤眞淵(△枠)⑥私(△枠小林):①への適應正常。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P432關係論#②#神代の #伝説③#註釋からの關係:①とは何かと問はれれば,自分(⑦),②[#見えたるまま]である[とは:()はただ #物 にゆく道こそ有りけれ,と同意]と答へる他はない,は言ふ.それを,⑧,及び自分自身が納得する爲にを書いた,⑦⇒⑦#宣長⑧#読者

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P432關係論#②#神代の傳説註釋④#神典新知識仕事からの關係:(前項⇒)④(#古事記)の解は,今日まで,いろいろ現れたが,#本文に見えたるまま といふやうな解のあつた例しがあつたか,その事を考へて欲しい,,⑧に言ひたいのだ⇒⑦#宣長⑧#讀者

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P432關係論#註釋④#神典⑤#新知識⑥#仕事からの關係:(前項⇒)自分の精細な,たださういふとして,そつくり受け取る事は容易であらうが,このによつて自分が敢行した事,即ちに關する在來の考へを,轉覆させ逆轉させた事,これはなかなかに付き難い,⑦⇒⑦宣長人目

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P432關係論#註釋④#神典⑥#仕事からの關係:(前項⇒)③の考への[#転覆/#逆転]に想到して,心を動かす様な,恐らく極めて少数であらう,敢行したなどと言ふより,③をしてゐるうちに,#自然,さういふ事[とは:#見えたるまま]になつた,と言つた方がよからう,⑦⇒⑦宣長

 

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P432關係論①道(物:場 C‘)②神代の傳説(物:場 C‘)③註釋(物:場 C

‘)④神典(物:場 C‘)⑤新知識(物:場 C‘)⑥仕事(物:場 C‘)⇒からの關係:①とは何かと問はれれば(D1)、自分(⑦△枠)は、②に『見えたるまま』(D1の至大化)である〔とは:『其(道)はただにゆく道(D1の至大化)こそ有りけれ、』と同意〕と答へる他はない、と⑦は言ふ。それを讀者(△枠)に納得してもらふ爲に、いや、さう自分自身が納得する爲に、③を書いた(D1の至大化)(とは以下枠文參照)、と今となつては、言つてもいい事になつた。それを讀者(△枠)に納得してもらふ爲に、いや、さう自分自身が納得する爲に、③を書いた(D1の至大化)(とは以下枠文參照)、と今となつては、言つてもいい事になつた。④(『古事記』)の解(D1の至大化)は、今日まで、いろいろ現れたが、本文に見えたるまま、といふやうな解(D1の至大化)のあつた例しがあつたか、その事を考へて欲しい、と彼(⑦△枠)は、⑧に言ひたいのだ。自分の精細(D1の至大化)な③を、たださういふ⑤として、そつくり受け取る事は容易(D1の至大化)であらうが、この⑥によつて、自分(⑦△枠)が敢行(D1の至大化)した事、即ち③に關する在來の考へ(D1の至小化)を、轉覆(D1の至大化)させ、逆轉(D1の至大化)させた事、これはなかなか⑨に付き難い、これ(轉覆/逆轉)〔とは:『其(道)はただにゆく道(D1の至大化)こそ有りけれ、』(『直毘霊』)と同意〕に想到して(D1の至大化)、心を動かす(D1の至大化)やうな⑩は、恐らく極めて少数(D1の至小化)であらう、宣長(△枠)は、これをよく知つてゐた。敢行(D1の至大化)したなどと言ふより、③の⑥をしてゐるうちに、自然(D1の至大化)、さういふ事〔とは:『見えたるまま』即ち『其(道)はただにゆく道(D1の至大化)こそ有りけれ、』(『直毘霊』)と同意〕(とは上枠文參照)になつた(D1の至大化)、と言つた方がよからう」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑦宣長⑧讀者⑨人目⑩人(△枠):①への適應正常。

 

 

(以下文の主旨抜粋)

P432關係論①道(物:場 C‘)②神代の傳説(物:場 C‘)③註釋(物:場 C‘)④神典(物:場 C‘)⑤新知識(物:場 C‘)⑥仕事(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。①とは何かと問はれれば(D1)、自分(⑦△枠)は、②に『見えたるまま』(D1の至大化)である〔とは:『其(道)はただにゆく道(D1の至大化)こそ有りけれ、』と同意〕と答へる他はない、と⑦は言ふ。

三十七章關係論*①上代の形②#天つ神の御心③人の眞心④心⇒からの關係:①とは②のままであらうとする[⑤のありやう],今もなほ[動くこそ③]といふ④のありやうに變りはない⇒[⑧道といふ #言挙]⇒但し[何の道くれの #]といふやうな⑧の事などしなければ,が宣長(『直毘霊』)の考へ⇒⑤上つ代の心。

それを讀者(△枠)に納得してもらふ爲に、いや、さう自分自身が納得する爲に、③を書いた(D1の至大化)(とは以下枠文參照)、と今となつては、言つてもいい事になつた。さういふ思ひ入れ(D1の至大化)が、『あだし註釋ども(△枠)とくらべ見て知べし(D1の至大化)』といふ、彼(⑦△枠)の附言(D1の至大化)となつたと見ていい。

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十二章

P394關係論①上代人②意(こころ)③我國の歴史④神代⑤わが國史⇒からの關係:[誰もが眞實と信ずる,神の物語が生れて來て,それが傳へられて來た,①の②(心的事實?)を知らなければならない],⑥は,聊かも崩さなかつた. それ故に,③が,④といふ怪しげな時代から始つてゐる事を,どう解したらよいかといふ、古へから,⑦を惱ませて來た問題が,⑥にはおこらなかつた。⑥は極めて率直に,③が④から始つてゐる事に,⑤の紛れもない特色があると考へた⇒⑥宣長⑦世の識者(ものしりびと)等

四十五章:①言辭(古書の註釋/#古言 の語釋)の道②#上つ代事物④#具體性或は個性からの關係:①を探るの眼には,終始,何の曇りもなかつたと見ていい.#訓詁 の長い道を徹底的に辿つてみた,⑤の何一つ貯へぬ #心眼 に,②#あつたがまま ,鮮明に映じて來た⇒⑤宣長。

④(『古事記』)の解(D1の至大化)は、今日まで、いろいろ現れたが、本文に見えた

るまま、といふやうな解(D1の至大化)のあつた例しがあつたか、その事を考へて欲しい、と彼(⑦△枠)は、⑧に言ひたいのだ。自分の精細(D1の至大化)な③を、たださういふ⑤として、そつくり受け取る事は容易(D1の至大化)であらうが、この⑥によつて、自分(⑦△枠)が敢行(D1の至大化)した事、即ち③に關する在來の考へ(D1の至小化)を、轉覆(D1の至大化)させ、逆轉(D1の至大化)させた事、これはなかなか⑨に付き難い、これ(轉覆/逆轉)〔とは:『其(道)はただにゆく道(D1の至大化)こそ有りけれ、』(『直毘霊』)と同意〕に想到して(D1の至大化)、心を動かす(D1の至大化)やうな⑩は、恐らく極めて少数(D1の至小化)であらう、宣長(△枠)は、これをよく知つてゐた。敢行(D1の至大化)したなどと言ふより、③の⑥をしてゐるうちに、自然(D1の至大化)、さういふ事〔とは:『見えたるまま』即ち『其(道)はただにゆく道(D1の至大化)こそ有りけれ、』(『直毘霊』)と同意〕(とは上枠文參照)になつた(D1の至大化)、と言つた方がよからう」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑦宣長⑧讀者⑨人目⑩人(△枠):①への適應正常。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P432關係論#本文⇒からの關係:(前項⇒)⑥にとつて,①の #註釋 とは,①をよく知る爲の準備としての #分析的知識(#真淵 的方法)ではなかつた.そのやうなものでは決してなかつた.先づ①がそつくり信じられてゐないところに,どんな註釋も不可能な筈であると(次項へ続く)⇒⑥#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P432關係論#本文②#神代の傳説⇒からの關係:(前項⇒).①のない所に註釋はないといふ,極めて單純な,普通の⑦の眼にはとまらぬ程 #單純な事實が持つ奥行 とでも呼ぶべきものに,たださういふものだけに,⑥の關心は集中されてゐた.②に見えたるがままを信ずる,と⇒⑥宣長⑦#註釋家

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P432關係論②神代の傳説⇒からの關係:(前項⇒).②に見えたるが儘を信ずる⑧が⑨を反省する.それがそのまま註釋の形を取る.この註釋が信ずる⑧を新たにし,又新しい註釋を生む.さういふ一種無心な反復を,集中された關心の内にあつて行ふ他,何も願ひはしなかつた⑥⇒⑥宣長⑧心⑨己

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P432關係論③研究④#神の物語⑤眞淵の仕事⇒からの關係:(前項⇒).缺けてゐるものは何一つない,充實した實踐の内に,③が,自づから熟するのを待つた.息を殺して,④に聞き入れば足りるとした,⑥の態度からすれば,⑤には,逆な眼の使ひ方(分析),様々ないらざる氣遣ひ(とは:眞淵の理想/哲學/自己流解釋)があつた⇒⑥宣長

 

 

(以下文の主旨抜粋)

P432關係論①本文(物:場 C‘)②神代の傳説(物:場 C‘)③研究(物:場 C‘)④神の物語(物:場 C‘)⑤眞淵の仕事(物:場 C‘)⇒からの關係:彼(⑥△枠)にとつて、①の註釋(D1の至大化)とは、①をよく知る爲の準備としての分析的知識(D1の至小化)ではなかつた。そのやうなものでは決してなかつた。先づ①がそつくり信じられてゐない(D1の至小化)ところに、どんな註釋も不可能(D1の至小化)な筈であるといふ、略言すれば、①のない(D1の至小化)ところに註釋はない(D1の至小化)といふ、極めて單純な、普通の⑦の眼にはとまらぬ(D1の至小化)程單純な事實が持つ奥行(D1の至大化)とでも呼ぶべきものに、たださういふもの〔とは:『①がそつくり信じられてゐないところに、どんな註釋も不可能』〕だけに、彼(⑥△枠)の關心は集中(D1の至大化)されてゐた。②に見えたるがままを信ずる(D1の至大化)、その信ずる(D1の至大化)⑧が⑨を反省する(D1の至大化)、それがそのまま註釋(D1の至大化)の形を取る(とは以下枠文參照)。するとこの註釋が、信ずる⑧を新たにし(D1の至大化)、それが、又新しい註釋を生む(D1の至大化)、彼(⑥△枠)は、さういふ一種無心な反復(D1の至大化)を、集中された關心(D1の至大化)のうちにあつて行ふ他、何も願ひはしなかつた。この、缺けてゐるものは何一つない、充實した實踐(D1の至大化)のうちに、③が、おのづから熟するのを待つた(D1の至大化)。そのやうな、言はば、息を殺して(D1の至大化)、④に聞き入れば足りるとした、⑥の態度からすれば、⑤には、まるで逆な眼の使ひ方(D1の至小化)〔とは:眞淵の理想/哲學/自己流解釋〕、様々ないらざる氣遣ひ(D1の至小化)があつた、とも言へるだらう」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑥宣長⑦註釋家⑧心⑨己(△枠):①への適應正常。

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#上代人⑥#心ばへ⑦#天眞⑨#漢意⑬#わが心⇒からの關係:④の⑥を明らめる(觀照する)事は,その⑦を,⑬とする事が出來るかどうかを,#明らめる(#自照する)事と不離であつた[#さかしら]ここで⑮は,一切の⑭()を捨てるとはどういふ事か,といふ容易ならぬ經驗を味つた⇒⑮#宣長

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#神の御典(みふみ)#漢意⑩大敵⑪此身の固め⑬#わが心⇒からの關係:⑮にとつては,⑧を讀むとは,⑬を讀むといふ事であつた⇒[#さかしら]⇒一切の⑭を捨てるといふ經驗を味つたとは,[⑨といふ⑩と實際に戰つた]を行ける処まで行き,⑪に心を砕いた事を示す⇒⑮#宣長

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章主題

P399關係論#神②#古人の心③#天真⇒からの關係:①を歌ひ語る,②を #観照し,その③を⑤とする事が出來るかどうかを,#明らめる(#自照する)には,[:#さかしら(#漢意)]⇒一切の④(#/自己の #臆見)を捨てる事にある⇒⑤#わが心(宣長)

 

P399關係論#神⑧#古人の心⑨#古事記⇒からの關係:[#(なほ)く安らか]①を歌ひ語る⑧を,⑬と觀ずる(F⇒Eの至大化) #観照 の世界から出ない⑭の努力は,何處まで觀照(⑬)の世界(F⇒Eの至小化)を擴げ深める事が出來るか,といふ一と筋に向けられる.言はば,それは #自照(古人の心である『天眞』の獲得)を通じての⑨觀照の道だつた,と⇒⑭#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論

  ⑨古事記⑩後世⑪『そこひなき淵やはさはぐ』⇒からの關係: ①を歌ひ語る⑧を, [⑬直

(なほ)く安らか]⑬と觀ずる(F⇒Eの至大化),觀照の世界から出ない⑭の努力は,何處までこの世界(⑬)を擴げ深める(F⇒Eの至大化)事が出來るか,といふ一と筋に向けられる.言はば,それは自照(古人の心である天眞の獲得)を通じての⑨觀照の道だつた。この何處までもつづく道(⑬)を行き,⑭は⑨の姿を,⑩⑮が歌つたごとく,⑪と觀ずるやうになつた,と言ふのである⇒⑧古人の心⑭宣長⑮歌人

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#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#うひ山ぶみ②古書③本④上代⑤學問⑥心ばへ#天眞#わが心⇒からの關係:⑮は,①にある様に[何事も(營爲は悉く)②(C‘)によりて,その③を考へ,④の事を,詳らかに明らむる] (とは以下枠文參照)をした.研究するのは人の⑥なのであるから,是(④の⑥)を明らめる事は,この(④の⑥の)驚く程の⑦を,⑬とする事(自照)⇒⑮宣長

 

 

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P433關係論#神の言ひ傳へ傳説からの關係:①の尊重といふ點では,⑮⑯の別はなかつたのだが,⑮の場合,②尊重の念を保證するもの[弘大なる風雅の意(こころ)/天地のしらべ(極度に純化されたしらべ)/大事は,何を置いても,記紀のうちに現れた歌],必要としてゐた⇒⑮眞淵宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P433關係論#万葉の古言(いにしへごと)の文(あや)④上つ代の事實からの關係:(前項⇒).それはには,③[とは:#風雅の意(こころ)のしらべ],統一され錬磨された④[とは:#弘大なる風雅の意(こころ)/#天地のしらべ(極度に純化されたしらべ)],貫き通す説明原理であつた⇒⑮眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P433關係論#歌ごころ⑧#實體⑨#万葉からの關係:(前項⇒).⑮にあつては,⑦[とは:#風雅の意(#こころ) #しらべ]といふ,確かなの有る事が,先づ #假定され,これに #直く #明き #清く #雄々しき,といふやうな #詠歌の手段 が働くところに,⑨ #成立する とされる[とは:歌ごころ(假説)直く明き清く雄々しき(詠歌の手段)萬葉]⇒⑮#眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P433關係論#歌ごころ⑩#神代と呼ばれた物語⑫#神の傳説からの關係:(前項⇒).⑩に遡れば,この同じ⑦[#弘大なる風雅の意/#天地のしらべ]に關係して來るものは,敬神といふ表現手段[#神代といふも名の異なるのみにて同じく人の上]となり,其處に,⑫が成立することになる⇒⑮#眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P433關係論#仕事⑬#古事記⑭#古伝説からの關係:(前項⇒).⑤の上で,この様な行き方をしてゐるの姿は,⑯註釋の態度[とは:『息を殺して,#神の物語 に聞き入れば足りる』,とした態度]からすると,⑭の外側に食み出してゐる様に見えた⇒⑮#真淵⑯#宣長

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P433關係論①神の言ひ傳へ(古傳説。物:場 C‘)②傳説(物:場 C‘)③『萬葉』の古言(いにしへごと)の文(あや)(物:場 C‘)④『上つ代の事實』(物:場 C‘)⑤仕事(物:場 C‘)⑥研究(古學。物:場 C‘)⑦歌ごころ(物:場 C‘)⑧實體(物:場 C‘)⑨『萬葉』(物:場 C‘)⑩神代と呼ばれた物語(物:場 C‘)(物:場 C‘)⑪神事(物:場 C‘)⑫神の傳説(物:場 C‘)⑬『古事記』(物:場 C‘)⑭古傳説(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。①の尊重(D1の至大化)といふ點では、⑮⑯の別はなかつたのだが、⑮の場合では、②尊重(D1の至大化)の念を保證するもの【とは:P400『上古人の風雅の弘大なる意(こころ)』/『弘大なる風雅の意(こころ)』〔即ち:天地のしらべ(極度に純化されたしらべ)〕、即ち『大事は,何を置いても,記紀のうちに現れた歌(物:場 C‘)』】を、必要としてゐた。それは③とは:『風雅の意(こころ)のしらべ』が統一され(D1の至大化)、錬磨された(D1の至大化)④(『上古の事實』【とは:P400『上古人の風雅の弘大なる意(こころ)』『弘大なる風雅の意』〔天地のしらべ(極度に純化されたしらべ)〕】を、貫き通す説明原理(D1の至大化)であつた。

(中略)⑮にあつては、⑦〔とは:『風雅の意(こころ)のしらべ』〕といふ、確かな⑧の有る事が、先づ假定され(D1)これに直く、明き、清く、雄々しき、といふやうな詠歌の手段(D1の至大化)が働くところに、⑨は成立するとされる〔とは:歌ごころ(假説)⇒直く明き清く雄々しき(詠歌の手段)⇒『萬葉』〕。⑩に遡れば、この同じ⑦【とは:『弘大なる風雅の意』〔天地のしらべ(極度に純化されたしらべ)〕、即ち『大事は,何を置いても,記紀のうちに現れた歌(物:場 C‘)』】に關係(D1)して來るものは、敬神(D1の至大化)といふ表現手段(D1)【とは:『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』〔神は中空(人の上)の物〕】、或は⑪の素材(D1の至大化)〔とは:同上〕となるのであり、其處に、⑫が成立することになる〔とは:神代に於ける歌ごころ(天地のしらべ:假説)⇒からの關係:敬神(D1の至大化)といふ表現手段⇒『神の傳説』成立〕⑤の上で、このやうな行き方〔とは:神代に於ける歌ごころ(天地のしらべ:假説)⇒敬神(神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき:D1の至大化)〕をしてゐる⑮の姿は、⑯の⑬註釋の態度(D1の至大化)〔とは:『息を殺して(D1の至大化)、神の物語(物:場 C‘)に聞き入れば足りる、とした態度〕からすると、どうしても、⑭の外側(D1の至小化)に食み出してゐるやうに見えたのである⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑮眞淵⑯宣長(△枠):①への適應正常。

 

 

(以下文の主旨抜粋)

P433關係論①神の言ひ傳へ(古傳説。物:場 C‘)②傳説(物:場 C‘)③『萬葉』の古言(いにしへごと)の文(あや)(物:場 C‘)④『上つ代の事實』(物:場 C‘)⑤仕事(物:場 C‘)⑥研究(古學。物:場 C‘)⑦歌ごころ(物:場 C‘)⑧實體(物:場 C‘)⑨『萬葉』(物:場 C‘)⑩神代と呼ばれた物語(物:場 C‘)(物:場 C‘)⑪神事(物:場 C‘)⑫神の傳説(物:場 C‘)⑬『古事記』(物:場 C‘)⑭古傳説(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。①の尊重(D1の至大化)といふ點では、⑮⑯の別はなかつたのだが、⑮の場合では、②尊重(D1の至大化)の念を保證するもの【とは:P400『上古人の風雅の弘大なる意(こころ)』/『弘大なる風雅の意(こころ)』〔即ち:天地のしらべ(極度に純化されたしらべ)〕、即ち『大事は,何を置いても,記紀のうちに現れた歌(物:場 C‘)』】を、必要としてゐた。そして、言はば、それは③とは:『風雅の意(こころ)のしらべ』が統一され(D1の至大化)、錬磨された(D1の至大化)④(『上古の事實』とは:P400上古人の風雅の弘大なる意(こころ)』『弘大なる風雅の意』〔天地のしらべ極度に純化されたしらべ)〕】を、貫き通す説明原理(D1の至大化)であつた。これに比べれば、⑯の⑤には、さういふ⑥を支へる支柱【とは:『弘大なる風雅の意』〔天地のしらべ(極度に純化されたしらべ)〕、即ち『大事は,何を置いても,記紀のうちに現れた歌(物:場 C‘)』】の如きものは、全く思ひも付かなかつた(D1の至小化)、といふ趣があつた。⑮にあつては、⑦〔とは:『風雅の意(こころ)のしらべ』〕といふ、確かな⑧の有る事が、先づ假定され(D1)これに直く、明き、清く、雄々しき、といふやうな詠歌の手段(D1の至大化)が働くところに、⑨は成立するとされる〔とは:歌ごころ(假説)⇒直く明き清く雄々しき(詠歌の手段)⇒『萬葉』〕。⑩に遡れば、この同じ⑦【とは:『弘大なる風雅の意』〔天地のしらべ(極度に純化されたしらべ)〕、即ち『大事は,何を置いても,記紀のうちに現れた歌(物:場 C‘)』】に關係(D1)して來るものは、敬神(D1の至大化)といふ表現手段(D1)【とは:『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』〔神は中空(人の上)の物〕】、或は⑪の素材(D1の至大化)〔とは:同上〕となるのであり、其處に、⑫が成立することになる〔とは:神代に於ける歌ごころ(天地のしらべ:假説)⇒からの關係:敬神(D1の至大化)といふ表現手段⇒『神の傳説』成立〕⑤の上で、このやうな行き方〔とは:歌ごころ(天地のしらべ:假説)⇒敬神(神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき:D1の至大化)〕をしてゐる⑮の姿は、⑯の⑬註釋の態度(D1の至大化)〔とは:『息を殺して(D1の至大化)、神の物語(物:場 C‘)に聞き入れば足りる、とした態度〕からすると、どうしても、⑭の外側(D1の至小化)に食み出してゐるやうに見えたのである⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑮眞淵⑯宣長(△枠):①への適應正常。

 

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P433關係論#蕃山③#神典④#寓言(#たとへ)⑤#⑥#から心⑦#さかしらからの關係:(前項⇒).③の物語る所は,つたないを出ないとする,①同様のをなすのも,元はと言へば,⑫,そのを除く事が出來ず,そのを捨てられぬ所から來てゐる,は言つてゐる⇒⑪#宣長⑫#学者

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P433關係論#神典(#かみのみふみ)⑥から心⑧#神典寓言説からの關係:(前項⇒).しかし,③を説かんとする者は,先づ[⑥を清くはなれよ]とは,三十餘年も以前,⑪自身から直に聞かされた教へであつた.だがの行き方では,到底から,[清くはなれる]事は出來なかつた⇒⑪宣長眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P433關係論#から心⑦#さかしら⑨#万葉からの關係:(前項⇒).⑥からの #離脱 は,⑨の上[とは:#風雅の意(#こころ)の #しらべ]で試され,完全に成功するのを,⑭は見たからだ.だが,それは,⑭が望む通りの要素に #解體 し,それを #再構成 してみる事であつた⇒⑭#真淵

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P433關係論①蕃山(物:場 C‘)②『三輪物語』(物:場 C‘)③神典(物:場 C‘)④寓言(たとへ。物:場 C‘)⑤説(物:場 C‘)⑥『から心』(物:場 C‘)⑦『さかしら』(物:場 C‘)⑧神典寓言説(物:場 C‘)⑨『萬葉』(物:場 C‘)⑫眞淵(物:場 C‘)⇒からの關係:③の物語る(D1の至大化)ところは、つたない(D1の至小化)④を出ないとする、①同様の⑤をなす(D1の至小化)のも、元はと言へば、⑫が、その⑥を除く事が出來ず(D1の至小化)、その⑦を捨てられぬ(D1の至小化)ところから來てゐる、と⑪は繰り返し言つてゐる。しかし、③を説かん(D1の至大化)とする者(△枠)は、先づ『⑥を清くはなれよ(D1の至大化)』とは、三十餘年も以前(場 C‘)、⑪自身、⑫から直に聞かされた(D1の至大化)教へであつた。だが、⑬では、到底、⑧から、『清くはなれる』(D1の至大化)事は出來なかつた(D1の至小化)。ただ⑭自身は、そのやうな事〔とは:⑧から、『清くはなれる』(D1の至大化)事は出來なかつた(D1の至小化)〕を、夢にも考へなかつた(D1の至小化)だけだつた。⑥からの離脱(D1の至大化)は、⑨の上で試され(D1)〔とは:『風雅の意(こころ)のしらべ』〕、完全に成功する(D1の至大化)のを、彼(⑭△枠)(D1の至大化)は見たからだだが、それは、彼(⑭△枠)が望む(D1の至大化)通りの要素に⑨を解體し(D1)、それを再構成(とは以下枠文參照)してみる(D1)事であつた⇒⑩文(△枠:玉かつま)⑪宣長⑫學者⑬眞淵の行き方⑭眞淵(△枠)(△枠):①への適應正常。

 

 

(以下文の主旨抜粋)

P433關係論①蕃山(物:場 C‘)②『三輪物語』(物:場 C‘)③神典(物:場 C‘)④寓言(たとへ。物:場 C‘)⑤説(物:場 C‘)⑥『から心』(物:場 C‘)⑦『さかしら』(物:場 C‘)⑧神典寓言説(物:場 C‘)⑨『萬葉』(物:場 C‘)⑫眞淵(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。①の②を論じた(D1)⑩には、③の物語る(D1の至大化)ところは、つたない(D1の至小化)④を出ないとする①の⑤を、⑪は難じて(D1の至小化)、さういふ⑤をなす(D1の至小化)のも、元はと言へば、⑫が、その⑥を除く事が出來ず(D1の至小化)、その⑦を捨てられぬ(D1の至小化)ところから來てゐる、と繰り返し言つてゐる。しかし、③を説かん(D1の至大化)とする者(△枠)は、先づ『⑥を清くはなれよ(D1の至大化)』とは、三十餘年も以前(場 C‘)、⑪自身、⑫から直に聞かされた(D1の至大化)教へであつた。だが、⑬では、①の④といふ言葉の意味を、廣く解する(D1の至大化)なら、到底、⑧から、『清くはなれる』(D1の至大化)事は出來なかつた(D1の至小化)。ただ⑭自身は、そのやうな事〔とは:⑧から、『清くはなれる』(D1の至大化)事は出來なかつた(D1の至小化)〕を、夢にも考へなかつた(D1の至小化)だけだつた。⑥からの離脱(D1の至大化)は、⑨の上で試され(D1)〔とは:『風雅の意(こころ)のしらべ』〕、完全に成功する(D1の至大化)のを、彼(⑭△枠)(D1の至大化)は見たからだだが、それは、彼(⑭△枠)が望む(D1の至大化)通りの要素に⑨を解體し(D1)、それを再構成(とは以下枠文參照)してみる(D1)事であつた⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑩文(△枠:玉かつま)⑪宣長⑫學者⑬眞淵の行き方⑭眞淵(△枠)(△枠):①への適應正常。

*前項文:「『歌ごころ』(物:場 C‘)〔とは:『風雅の意(こころ)のしらべ』〕といふ、確かな實體(物:場 C‘)の有る事が、先づ假定され(D1)、これに直く、明き、清く、雄々しき、といふやうな詠歌の手段(D1の至大化)が働くところに、『萬葉』は成立するとされる」。

 

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P434關係論#神の物語②物語③#こころ()#しらべ⇒からの關係:①に,耳を傾ける⑮の態度の内には,⑯のやうに,②の③とか④とかいふ言葉[:風雅の意(こころ)のしらべ]を喚起して,②を解く切つ掛けを作るといふやうな考へ(分析的説明)は入り込む餘地はなかつた⇒⑮宣長⑯眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P434關係論#傳説⑦生き物#神⑨經驗的事實⇒からの關係:(前項⇒).無私と沈黙との領した註釋の仕事のうちで,⑥といふ見知らぬ⑦と出會ひ,何時の間にか,⑥⑦と親しく言葉を交はすやうな間柄になつてゐた,それだけの事だ.その語る所は,⑱の⑧に關する⑨である⇒宣長⑱#上代の人々

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P434關係論#伝説⑩事實性⇒からの關係:(前項⇒).しかし,その⑩[上代の人々の神に關する經驗的事實性(:#体言命名)],⑥といふ一つの完結した世界から,直かな照明を受けてゐた.いや,この(傳説の)自力で生きてゐる世界の現實性なり價値なりが,創り出してゐるものだつた⇒⑮宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P434關係論#経験的事実⇒からの關係:(前項⇒).さういふ事[とは:#伝説 といふ生き物の #現実性/#価値],しかと #納得 した上でなければ,⑨などど言つてみたところで #空言 だらう.⑮は,それをよく知つてゐた⇒⑮#宣長

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P434關係論①神の物語(物:場 C‘)②物語(物:場 C‘)③『こころ』(物:場 C‘)④『しらべ』(物:場 C‘)⑤話(物:場 C‘)⑥傳説(物:場 C‘)⑦生き物(物:場 C‘)⑧神(物:場 C‘)經驗的事實(物:場 C‘)事實性(物:場 C‘)⑪歴史(物:場 C‘)⑫歌(物:場 C‘)⑬衣装(物:場 C‘)⑭名前(物:場 C‘)⇒からの關係:①に、耳を傾ける(D1の至大化)⑮の態度(とは以下枠文參照)のうちには、⑯のやうに、②の③とか④とかいふ言葉〔とは:『風雅の意(こころ)のしらべ』〕を喚起して、②を解く(D1の至大化)切つ掛けを作るといふやうな考へ(D1の至小化:分析的説明?)は、入り込む餘地はなかつた(D1の至小化)、と言つていい(とは以下枠文參照)。恐らく、彼(⑮△枠)にとつて、②に耳を傾けるとは、この不思議な⑤に説得されて行く(D1の至大化)事を期待して(とは上枠文參照)、緊張するといふ事だつたに違ひない。無私(D1の至大化)と沈黙との領した註釋(D1)の仕事のうちで、⑥といふ見知らぬ(D1の至小化)⑦と出會ひ(D1の至大化)、何時の間にか、相手(⑥⑦)と親しく言葉を交はす(D1の至大化)やうな間柄になつてゐた、それだけの事だつたのであるその〔とは:傳説といふ見知らぬ生き物の〕語るところ(D1の至大化)は、⑱の、⑧に關する⑨(即ち:體言命名)である、と言つてもよい。しかし、その⑩〔『上代の人々の神(物:場 C‘)に關する經驗的事實』性(即ち:體言命名)は、⑥といふ一つの完結した世界(物:場 C‘)から、直かな照明(D1の至大化)を受けてゐた。いや、この(傳説の)自力で生きてゐる(D1の至大化)世界(物:場 C‘)の現實性なり價値(D1の至大化)なりが、創り出してゐる(D1の至大化)ものだつた〔とは:『上代の人々(△枠)の神に關する經驗的事實』性(即ち:體言命名)は、傳説といふ生き物(物:場 C‘)の、自力で生きてゐる世界(物:場 C‘)の、現實性(D1の至大化)なり價値(D1の至大化)なりが、創り出してゐるもの、と言ふ事〕、と言つた方がいいかも知れない。さういふ事〔とは:、傳説といふ生き物(物:場 C‘)の現實性・價値を、しかと納得(D1の至大化)した上でなければ、⑨などど言つてみたところで空言(D1の至小化)だらう。⑮は、それをよく知つてゐた。

⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑮宣長⑯眞淵⑰こちら側⑱上代の人々(△枠):①への適應正常。

 

 

(以下文の主旨抜粋)

P434關係論①神の物語(物:場 C‘)②物語(物:場 C‘)③『こころ(意)』(物:場 C‘)④『しらべ』(物:場 C‘)⑤話(物:場 C‘)⑥傳説(物:場 C‘)⑦生き物(物:場 C‘)⑧神(物:場 C‘)經驗的事實(物:場 C‘)事實性(物:場 C‘)⑪歴史(物:場 C‘)⑫歌(物:場 C‘)⑬衣装(物:場 C‘)⑭名前(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。①に、耳を傾ける(D1の至大化)⑮の態度(とは以下枠文參照)のうちには、⑯のやうに、②の③とか④とかいふ言葉〔とは:『風雅の意(こころ)のしらべ』〕を喚起して、②を解く(D1の至大化)切つ掛けを作るといふやうな考へ(D1の至小化:分析的説明?)は、入り込む餘地はなかつた(D1の至小化)、と言つていい。あちら側にある②を、⑰から解く(D1の至大化)といふ考へが、そもそも、彼(⑮△枠)を見舞つた事はなかつた(D1の至小化)(とは以下枠文參照)

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章主題

P399關係論#神②#古人の心③#天真⇒からの關係:①を歌ひ語る,②を #観照し,その③を⑤とする事が出來るかどうかを,#明らめる(#自照する)には,[:#さかしら(#漢意)]⇒一切の④(#/自己の #臆見)を捨てる事にある⇒⑤#わが心(宣長)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十五章

〇P417關係論①言辭(言葉遣ひ/古書の註釋/#古言 の語釋)の道②#上つ代③事物④#具體性或は個性⇒からの關係:①を探る⑤の眼には,終始,何の曇りもなかつたと見ていい.#訓詁 の長い道を徹底的に辿つてみた,⑤の何一つ貯へぬ #心眼〔とは:『#自照(古人の心である『天眞』の獲得)を通じての『古事記』觀照の道〕,②の③の #あつたがまま の④が,鮮明に映じて來た⇒⑤宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十五章

〇P417關係論#上つ代③事物④具體性或は個性⇒からの關係:#心眼 に直觀される,②の③の意味合なり價値なりが,そのまま承認できない理由など,⑥には,何處にも見當りはしなかつた[:#言語]⇒それが,⑦の場合となると,⑦の眼前で,⑤は,[あつたがままの④]まで裸になつて見せなかつた⇒⑥宣長⑦#真淵。

恐らく、彼(⑮△枠)にとつて、②に耳を傾けるとは、この不思議な⑤に説得されて行く(D1の至大化)事を期待して(とは上枠文參照)、緊張するといふ事だつたに違ひない(とは上枠文參照)無私(D1の至大化)と沈黙との領した註釋(D1)の仕事のうちで、⑥といふ見知らぬ(D1の至小化)⑦と出會ひ(D1の至大化)、何時の間にか、相手(⑥⑦)と親しく言葉を交はす(D1の至大化)やうな間柄になつてゐた、それだけの事だつたのであるその〔とは:傳説といふ見知らぬ生き物の〕語るところ(D1の至大化)は、⑱の、⑧に關する⑨(即ち:體言命名)である、と言つてもよい。しかし、その⑩〔『上代の人々の神(物:場 C‘)に關する經驗的事實』性(即ち:體言命名)は、⑥といふ一つの完結した世界(物:場 C‘)から、直かな照明(D1の至大化)を受けてゐた。いや、この(傳説の)自力で生きてゐる(D1の至大化)世界(物:場 C‘)の現實性なり價値(D1の至大化)なりが、創り出してゐる(D1の至大化)ものだつた〔とは:『上代の人々(△枠)の神に關する經驗的事實』性(即ち:體言命名)は、傳説といふ生き物(物:場 C‘)の、自力で生きてゐる世界(物:場 C‘)の、現實性(D1の至大化)なり價値(D1の至大化)なりが、創り出してゐるもの、と言ふ事〕、と言つた方がいいかも知れない。さういふ事〔とは:、傳説といふ生き物(物:場 C‘)の現實性・價値を、しかと納得(D1の至大化)した上でなければ、⑨などど言つてみたところで空言(D1の至小化)だらう。⑮は、それをよく知つてゐた。仕事(物:場 C‘)の上で、親交を結んだ相手〔とは:『古事記』〕に、⑮は、どんな特徴も探り出さうとはしなかつた(D1の至小化)(とは以下枠文參照)。

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十五章

〇P417關係論①言辭(言葉遣ひ/古書の註釋/#古言 の語釋)の道②#上つ代③事物#具體性或は個性⇒からの關係:①を探る⑤の眼には,終始,何の曇りもなかつたと見ていい.#訓詁 の長い道を徹底的に辿つてみた,⑥の何一つ貯へぬ #心眼〔とは:『#自照(古人の心である『天眞』の獲得)を通じての『古事記』觀照の道〕,②の③の #あつたがまま の④が,鮮明に映じて來た⇒⑤宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十五章

〇P417關係論#上つ代③事物④具體性或は個性⇒からの關係:#心眼 に直觀される,②の③の意味合なり價値なりが,そのまま承認できない理由など,⑥には,何處にも見當りはしなかつた⇒[:#言語]⇒それが,⑦の場合となると,⑦の眼前で,⑤は,[あつたがままの④]まで裸になつて見せなかつた⇒⑥宣長⑦#真淵。

(⑯が喚起する樣な?)⑪とか②とか⑫とかいふ類ひの、一見似合ひの⑬さへ、實はこの相手〔とは:『古事記』〕は、必要としてゐない(D1の至小化)事を確かめてゐたただ⑥といふ、いかにもその人〔とは:『古事記』〕にふさはしい(D1の至大化)⑭で呼ばれてゐれば、それで充分(D1の至大化)であると考へてゐた⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑮宣長⑯眞淵⑰こちら側⑱上代の人々(△枠):①への適應正常。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P435關係論#伝説②巨きな肉體③#言葉④#難局⇒からの關係:(承前).さういふ次第で,⑥が直に觸れてゐたのは,言はば①といふ②であり,直に聞いてゐたのは,その發する③の,裸で重々しい音聲であつた.⑦が追ひ込まれた④をみたのも,そのやうな雰圍氣を通してであつた⇒⑥宣長⑦眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P435關係論④難局⑤さかしら⇒からの關係:(承前).⑦が追ひ込まれた④を⑥が見たのも,その様な雰圍氣を通してであつた事を,想ひ描いてみるならば,⑥の眼に映じた⑦の姿は,⑤から離脱しようとした性急な願ひ,或は努力が作り出して了つた,これ又一種の⑤を現してゐた⇒⑥宣長⑦眞淵

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(以下文の主旨抜粋)

P435關係論①傳説(物:場 C‘)②巨きな肉體(物:場 C‘)③言葉(物:場 C‘)④難局(物:場 C‘)⑤『さかしら』(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。さういふ次第で、⑥が直に触れてゐた(D1の至大化)のは、言はば①といふ②であり、直に聞いてゐた(D1の至大化)のは、その發する③の、裸で重々しい音聲(D1の至大化)であつた。⑦が追ひ込まれた④をみた(D1)のも、そのやうな雰圍氣〔とは:①といふ②に直に触れてゐた(D1の至大化)雰圍氣〕を通してであつた(とは以下枠文參照)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P425關係論#上つ代②故事(ふること)#上つ代の正實(まこと)⑥故事⑦古人の心上古の事實⇒からの關係:(続き⇒)②に加へる,収集と整理の力は,②が内に秘めた⑦を逃して了ふとの考への裡にあつて,⑰が⑤を言ふ場合,⑱も亦,同じく⑧を言つてゐる(但し:P415『神は人の上』のものと,分析的説明を加へての⑧)のを思つてゐた⇒⑰宣長⑱眞淵

事を、努めて想ひ描いてみるならば、⑥の眼に映じた⑦の姿は、敢へて言へば、⑤〔とは:漢ごころ〕から離脱しようとした性急な願ひ(D1の至小化)、或は努力(D1の至小化)が作り出して了つた、これ又一種の⑤〔とは:『神は人の上』)のものと,分析的説明&老荘と言ふ漢ごころ?〕を、現してゐたと言つていいだらう(とは以下枠文參照)⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑥宣長⑦眞淵(△枠):①への適應正常。

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十四章

〇P410關係論⑫自然⇒からの關係:⑬は,さかしらを厭ふあまり,([]とは本來[禮樂/]を名附けて謂ふに反し),⑫の道をしひて立てんとし、人作り(人爲)の道を悪むあまり,⑫の大道(老子の『天地自然の道』)を説かんと急ぎ,⑭指摘の[おのづから猶その意(漢意)におつる]事になつた⇒⑬眞淵⑭宣長

 

 

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

P435關係論②『上古の事實』(物:場 C‘)⑧神(物:場 C‘)⇒からの關係:⑬の身勝手な②の尊重が語る、「◎:⑧の名だけを保存した、上の空の言葉〔とは:『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』の事〕は、」⇒「⑪:日常生活(F)/⑫神の傳説(つたへごと(F)」(◎的對立概念F)⇒E:⑮の、眼の前の⑧の姿なくしては、成り立たなかつた、⑪、その生きた味ひ(Eの至大化)(とは以下枠文參照)が、⑬には、そつくり無視(Eの至小化)されてゐる。これは、⑫の有りのままの姿(Eの至大化)〔例:『迦微』は、古言(いにしへごと)のふりの體言命名〕を、先づ壞した(Eの至小化)上でなければ起り得ない事だ、と⑬は考へた(とは以下枠文參照)(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑬眞淵⑭宣長⑮上古の人々(△枠):①への適應正常

參考:(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十四章

P410關係論#神②古言のふり③迦微の道⇒からの關係:①に直かに觸れてゐるといふ, 己の直觀(可畏き)の内容を,⑤は②で體言命名[#迦微 #産巣日神 #天照大御神,]をした[#天地自然の道]⇒⑥は②から離れて,(迦微=道)を理に還元し,⑦の④に適ふと変質⇒⑤古人(古意:いにしへごころ)⑥眞淵⑦老荘

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P435關係論#さかしら#上古の事実③歌の[しらべ]⇒からの關係:一種の①の働きで,⑪は,その所謂②[とは:神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき][おぼつかなさ],[あやしさ],結局,(#天地のしらべ)のうちに解消された,と信じたのだが,(次項へ続)⇒⑪眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P435關係論#しらべ⑥#上古の事実⇒からの關係:(前項⇒)實を言へば,影の薄れた⑤[とは:無色透明化した『#天地のしらべ』の事]と共に,⑪の言ふ[とは:#神代といふも名の異なるのみにて同じく人の上なるべき』]自體が霧消して了つた,といふのが眞相だつたのである⇒⑪#真淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P435關係論#上古の事実⑧#神⑨神の #伝説⑩#有りの儘の姿⇒からの關係:(前項⇒).⑪の身勝手な②の尊重[#神代といふも名の異なるのみにて同じく人の上]では,眼の前の⑧の姿なくしては成り立たなかつた⇒⑭:日常生活⑬の⑭,その生きた味ひ(F⇒Eの至大化),そつくり無視されてゐる⇒⑪#真淵⑬#上古人

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P435關係論#神の伝説(#つたへごと)⑩有りのままの姿⇒からの關係:(前項⇒).⑪の無視は,⑨の⑩[:#迦微 は體言],先づ壞した上でなければ起り得ない事だ[とは:⑨は #分析的説明 が加へられれば堪へられず,これに化せられて歪む](⑩が重要と).⑫は,直ちにさう考へたのである⇒⑪眞淵⑫宣長

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P435關係論:①『さかしら』(物:場 C‘)②『上古の事實』(物:場 C‘)③歌の『しらべ』(物:場 C‘)④傳説の肉體(物:場 C‘)⑤『しらべ』(物:場 C‘)⑥『上古の事實』(物:場 C‘)⑦傳説の姿(物:場 C‘)⑧神(物:場 C‘)⑨神の傳説(つたへごと。物:場 C‘)⑩有りのままの姿(物:場 C‘)⇒からの關係:一種の①〔とは:漢ごころ〕の働き(D1の至小化)で、⑪は、その(⑪の)所謂②〔とは:『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』の事〕の『おぼつかなさ』(D1の至小化)も、『あやしさ』(D1の至小化)も、結局、③(天地のしらべ)のうちに解消された(D1の至大化)、と信じたのだが實を言へば、影の薄れた⑤[とは『#天地のしらべ』といふ名の無色透明化?]とは以下枠文内容は無色透明』參照)〕と共に、

四十五章:P415「『神賀詞』(『祝詞』)をよく見給へ、その調べ(即ち『天地のしらべ』)がいよいよ純粋になる(D1の至大化)につれて、その(『神賀詞』即ち『天地のしらべ』の内容は無色透明(D1の至大化)なものとなる」、と眞淵は言つてゐるのである。つまるところ、これが、取りも直さず、彼が歌學の上で熟(こな)し得た(D1の至大化)方法〔『風雅の意のしらべ』〕の、言はば仕上げ(D1の至大化)に他ならない〔とは:神代は人の上だから、古事記は、『萬葉』の『風雅の意のしらべ』の上位、『弘大なる風雅の意(こころ)』即ち『天地のしらべ(極度に純化されたしらべ)』ということになる〕『祝詞』は、彼の古學〔とは:古道(古代の精神)を明らかにする學問〕を完成させた。少なくとも、彼の緊張した意識(D1の至大化)は、その(眞淵古學の)完成[とは:眞淵流自己解釋P414『神は人の上』が『天地古今の本意』]を、『人代を盡く』すといふ形で、確めたと言つていいだらう。従つて、『祝詞考』といふ最後の仕事に到つて、古傳説(『古事記』?)に現れた上代の人々の⑨神や信仰に出會つた(D1の至大化)、といふ形は取つてゐるものの、むしろ出會ふ(D1)爲の準備〔とは:『讀者を、古道(古代の精神)の本意へ導かう(D1)が爲のもの』の意〕が、そこで整つた(D1)と言つた方がいい〔とは以下枠文參照:即ち以下の、上代人の信仰經驗(D1の至大化)には出會つてないといふ事

 

P414彼(眞淵)の古學〔とは:古道(古代の精神)を明らかにする學問〕は、『神代(物:場 C‘)といふも名のことなる(異なる:D1の至小化)のみにて、同じく人の上(物:場 C‘)なるべき』事、といふ考へ(D1)に貫かれてゐた」

⑥〔とは:『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』の事〕自體が霧消して了つた、といふのが眞相(D1の至大化)だつたのである。

⑪の身勝手な②の尊重〔『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』〕では、眼の前の⑧の姿なくしては、成り立たなかつた⑬の日常生活(F)(とは以下枠文參照)その生きた味ひ(Eの至大化)が、そつくり無視(Eの至小化)されてゐる。これ〔とは:『眼の前の⑧の姿なくしては、成り立たなかつた上古の人々(△枠)の日常生活(F)その生きた味ひ(Eの至大化)の無視』は、⑨神の傳説(つたへごと。物:場 C‘)の、⑩有りのままの姿(物:場 C‘)〔とは:『迦微』は體言〕を、先づ壞した(D1の至小化)上でなければ起り得ない事だ、【とは:④は、極めて傷き易く(D1の至小化)、少しでも分析的説明(神は人の上』のものと:D1の至小化)(とは以下枠文參照)が加へられれば、堪へられず、これ(分析的説明:神は人の上』のものと)に化せられて歪むものだ〔とは:『有りのままの姿』が重要だと〕】⑫は、直ちにさう考へたのである⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑪眞淵⑫宣長⑬上古の人々(△枠):①への適應正常。

 

 

(以下文の主旨抜粋)

P435關係論:①『さかしら』(物:場 C‘)②『上古の事實』(物:場 C‘)③歌の『しらべ』(物:場 C‘)④傳説の肉體(物:場 C‘)⑤『しらべ』(物:場 C‘)⑥『上古の事實』(物:場 C‘)⑦傳説の姿(物:場 C‘)⑧神(物:場 C‘)⑨神の傳説(つたへごと。物:場 C‘)⑩有りのままの姿(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。この一種の①〔とは:漢ごころ〕の働き(D1の至小化)で、⑪は、その(⑪の)所謂②〔とは:『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』の事〕の『おぼつかなさ』(D1の至小化)も、『あやしさ』(D1の至小化)も、結局、③(天地のしらべ)のうちに解消された(D1の至大化)、と信じたのだが(とは以下枠文參照)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P422關係論#心詞(こころことば)⑮眞淵の歌學⑯#しらべ㉑天地のしらべ極度に純化されたしらべ)からの關係:⑭について,[いにしへ人のなほくして,心高く,みやびたるを,#万葉 に得]た上は,㉔は,その(『萬葉』のの純粋性に,思ひを潛め,これを㉑とも呼べるものに,仕立て上げればよかつたといふ事だ#真淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P422關係論#古道⑯#しらべ⑰#古事記⑱#万葉⑲#歌道路線からの關係:極度に純化された〔とは:天地のしらべ〕を掲げて,㉔は,⑰に入り込んだわけだ.このやうな,⑱からに直結する,と言ふより,⑲の精錬が,そのまま⑫(#古代精神)である,といふ㉔流の⑳,㉒には敷かれてゐなかつた⇒㉒#宣長㉔#真淵

實を言へば、影の薄れた⑤透明化の事か??とは:『天地の(とは:人代(萬葉)の上/極度に純化された)しらべ』〕と共に、⑥〔とは:『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』の事〕自體が霧消して了つた、(とは以下枠文參照)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十四章

〇P410關係論⑫自然⇒からの關係:⑬は,さかしらを厭ふあまり,([]とは本來[禮樂/]を名附けて謂ふに反し),⑫の道をしひて立てんとし、人作り(人爲)の道を悪むあまり,⑫の大道(老子の『天地自然の道』)を説かんと急ぎ,⑭指摘の[おのづから猶その意(漢意)におつる]事になつた⇒⑬眞淵⑭宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十五章

〇P415關係論#万葉⑩#古道#理想⇒からの關係:⑨の鑑賞や批評で充分に錬磨された筈の,⑫の素早い語感が,[神といふ古言の古意]では躊躇つてゐる.何が,彼の鋭敏な語感の自由な動きを阻んでゐるか,といふ事になれば,⑩の上で,己の⑪〔とは:『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』の事〕を貫かう(自己流解釋:理附け?)とする,⑫の意志だ⇒⑫真淵

 

といふのが眞相(D1の至大化)だつたのである。④は、極めて傷き易く(D1の至小化)、少しでも分析的説明(神は人の上』のものと:D1の至小化)(とは以下枠文參照)が加へられれば、堪へられず、これ(分析的説明:神は人の上』のものと)に化せられて歪むものだ〔とは:『あるがまま』が重要だと〕

P415:「(『神は人の上』)のものと,分析的に」。

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P425關係論#上つ代②故事(ふること)#上つ代の正實(まこと)⑥故事⑦古人の心⑧上古の事實⇒からの關係:(続き⇒)②に加へる,収集と整理の力は,②が内に秘めた⑦を逃して了ふとの考への裡にあつて,⑰が⑤を言ふ場合,⑱も亦,同じく⑧を言つてゐる(但し分析的説明を加へての⑧)のを思つてゐた⇒⑰宣長⑱眞淵

*P434:「眞淵のやうに、物語の『こころ』とか『しらべ』とかいふ言葉〔とは:『風雅の意(こころ)のしらべ』〕を喚起して、物語を解く(D1の至大化)切つ掛けを作るといふやうな考へ(D1)」を宣長は批判する。

*P433:「『萬葉』の古言(いにしへごと)の文(あや)〔とは:『風雅の意(こころ)のしらべ』〕が統一され(D1の至大化)、錬磨された(D1の至大化)『上つ代の事實』【とは:『弘大なる風雅の意』〔天地のしらべ(極度に純化されたしらべ)〕】を、貫き通す説明原理(D1の至大化)」は、「これ(分析的説明)に化せられて歪むものだ」と〔とは:『あるがまま』が重要だと〕。。

⑫が尊重した(D1の至大化)のは、さういふ⑦の敏感性(D1の至大化)であり、これを槇重に迎へ、彼の所謂『上つ代の正實(まこと)』〔とは:『言辭の形』『古言F⇒ふりEの至大化』〕(とは以下枠文參照)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P426關係論#古事記#古へ の語言(ことば=國語)⇒からの關係:(続き)⇒③はいささかもさかしら(賢しら)を加へずて,古へより云ひ傳へたるままに記されたれば,その意も事も(事の世界)言(言の世界)も相稱(#あひかなひ)〔とは:『言辭の形』〕, #上つ代の實(#まこと)なり,是れもはらを⑨(古言F⇒ふりEの至大化)主としたるが故ぞかし](次項へ)#宣長

 

が、内から光が差して來る(D1の至大化)やうに、現れて來るのを、忍耐強く待つたのであつた(即ち:あるがままに)。さういふ所(場 C‘:忍耐強く待つ所)で、彼(宣長⑫△枠)は、⑪の身勝手な②の尊重(とは以下枠文參照)が語る、⑧の名だけを保存した、上の空の言葉〔とは:『神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』の事〕を聞いた。其處では、眼の前の⑧の姿なくしては、成り立たなかつた⑬の日常生活(F)(とは以下枠文參照)その生きた味ひ(Eの至大化)が、そつくり無視(Eの至小化)されてゐる。

眞淵の『上古の事實』とは神代といふも名の異なるのみにて,同じく人の上なるべき』。

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十五章

〇P412關係論:#古学④#神代人の上⑳#人代からの關係:㉓の②は,[④といふも名の異なるのみにて,同じくなるべき],といふ考へに貫かれてゐた. この考への裡で,⇒[⑯:天地(人代ではないの意)古今の本意]⇒彼のの考へ(⑳的考へ?)が熟したと確信した時,これを,[⑳を盡て,④をうかがふ]といふ言ひ方で言つた㉓眞淵

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P400關係論①萬葉學②最晩年③萬葉のますらをの手ぶり⑦祝詞⑧上古人の風雅⑨弘大なる意⑩神代の意⇒からの關係:①を大成した⑪は,②にさしかかり,所謂③の内に安住が出來なくなる.⑦の文を引き,[⑬の及ぶべき言ならぬ]⑧が存するとし,その⑨を明らめて⑩を得んと⇒⑪眞淵⑬柿本

三十九章P367關係論#神⇒からの關係:⑤に直かに觸れてゐるといふ,[:内部]⇒己の#直観の内容を,ひたすら⑥から明らめようとする努力で,⑦も一ぱいだつたであらう.この努力こそ,⑤の名[#迦微 #産巣日神,]を得ようとする行爲(#古言のふり)そのものであつた⇒上古の人々⑦誰の心

三十九章P365關係論#八百万の神々②#姿③周圍⇒からの關係:先づ①の,何か,恐るべき具體的な②[即ち:#可畏(かしこ)],漠然とでも,③に現じてゐる(#事の世界)といふ事でなければ⇒[:#神代]⇒④の #生活[古言(いにしへごと)のふり:#言の世界]は始まりはしなかつた#上代人

 

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十五章

P416關係論#古道(古代の精神)觀②#③經驗主義⇒からの關係:⑤の①は,[②は人の上] [#祝詞考]と言ふ一種の③にとどまり,[#迦微]⇒④といふ #古言(いにしへごと),⑥の生活に即した使ひ方[④は體言],の古意(いにしへごころ)に迄は,理解は至つていない,と⑦言ふ⇒⑤眞淵⑥古人⑦宣長.

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十四章

P410關係論#神②『古言(いにしへごと)のふり』③迦微の道⇒からの關係:①に直かに觸れてゐるといふ, 己の直觀(可畏き)の内容を,⑤は、②により體言〔迦微/産巣日神/天照大御神/伊邪那岐神,等〕での命名をした⇒「④:天地自然の道」⇒⑤は② (體言命名)から離れて,(迦微=道)を理に還元し,⑦の④に適ふと変質させた⇒⑤古人⑥眞淵⑦老荘

これ〔とは:『眼の前の⑧の姿なくしては、成り立たなかつた上古の人々(△枠)の日常生活(F)その生きた味ひ(Eの至大化)の無視』は、⑨神の傳説(つたへごと。物:場 C‘)の、⑩有りのままの姿(物:場 C‘)〔とは:『迦微』は體言〕を、先づ壞した(D1の至小化)上でなければ起り得ない事だ、⑫は、直ちにさう考へたのである(とは上枠文參照)⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑪眞淵⑫宣長⑬上古の人々(△枠):①への適應正常。

 

參照:以下〔眞淵『上古の事實』と、宣長『上つ代(上古)の正實(まこと)』の對比〕

 

眞淵

宣長

二者の「神/神代」觀の相違

眞淵の『上古の事實』に於ける神・・・

『神代といふも名のことなる(異なる)のみにて、同じく人の上(とは:人代)なるべき』

P435「『眼の前の神の姿なくしては、成り立たなかつた上古の人々(△枠)の日常生活(F)その生きた味ひ(Eの至大化)の(眞淵の)無視(『神代といふも名のことなる』云々)』は、神の傳説(つたへごと)の、有りのままの姿〔とは:『迦微』は體言〕を先づ壞した(D1の至小化)上でなければ起り得ない事」。⇒右項參照

宣長上つ代の正實(まこと)(『言辭の形』『古言F⇒ふりEの至大化』)に於ける神・・・『古言(いにしへごと)のふり』による體言命名〔迦微/産巣日神/天照大御神/伊邪那岐神,等〕。

眞淵『上古の事實』と、宣長上つ代(上古)の正實(まこと)』の對比。

 

眞淵の『上古の事實』とは、『眞淵の古学は、神代といふも名のことなる(異なる)のみにて、同じく人の上(とは:人代)なるべき』事,といふ考へに貫かれてゐた。

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十五章

〇P412關係論:②#古学④#神代人の上⑳#人代からの關係:㉓の②は,[④といふも名の異なるのみにて,同じくなるべき],といふ考へに貫かれてゐた. この考への裡で,⇒[⑯:天地(人代ではないの意)古今の本意]⇒彼のの考へ(⑳的考へ?)が熟したと確信した時,これを,[⑳を盡て,④をうかがふ]といふ言ひ方で言つた㉓眞淵。

P433『上つ代の事實』・・・【とは:『弘大なる風雅の意』〔天地のしらべ極度に純化されたしらべ)〕】

『上古の事實』とは『上古人の風雅の弘大なる意』・・・即ち、眞淵(△枠)は、P400上古人の風雅の弘大なる意を明らめて神代の意を得んと』したのである

宣長上つ代(上古)の正實(まこと)・・・

P425『古への語言(ことば=國語)(つまり:古言F⇒ふりEの至大化)を主(むね)としたる』。

『言辭の形』〔とは:意(こころ)も事(こと)(事の世界),(ことば:言の世界)も、相稱(あひかな)つてゐる〕こそ、『古事記』の本質を構成する、『上つ代の清らかな正實(まこと)』。

眞淵、宣長の『古事記』觀

『古事記』(古道/古代精神)=歌道

*『天地の(とは:人代(萬葉)の上/極度に純化された)しらべ』/P422『大事は,何を置いても,記紀のうちに現れた歌』/古人を知るのには古歌〔とは:『古事記』の心詞は古歌と言ふ事/『古き世の歌=ふるき代々の人の心詞(こころことば)

*『天地の(とは:人代の上/極度に純化された)しらべ』、即ち『いよいよ上古之人の風雅にて、弘大なる意(こころ)』/弘大なる風雅の意(こころ)

『古事記』の本質〔とは:神の物語を眞實と信ずる,上代人の意(こころ)〕。

神は中空(人の上)の物であるが故に、眞淵の『古事記』觀は、萬葉歌のしらべ(人代のしらべ)を示す『風雅の意(こころ)』の更に上位の、『弘大なる風雅の意(こころ)』である『天地の(とは:極度に純化された)しらべ』と言ふ事になる〕。神代は『人の上』だから、古事記は、『萬葉』の『風雅の意のしらべ』の上位、『天地のしらべ(極度に純化されたしらべ)』ということになると・・・

とは、『弘大なる風雅の意〔『天地のしらべ(極度に純化されたしらべ)』〕を極めれば(D1の至大化)、神代の事實は解ける(D1の至大化)』つまり〔神は中空(人の上)の物と決せられる〕と。

 

 

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

P435關係論①『じゆしや心』(物:場 C‘)②『から心』(物:場 C‘)③學問(物:場 C‘)④『さかしら(賢しら)』(物:場 C‘)⑤『智(さとり)』(物:場 C‘)⑥古學(物:場 C‘)⑦『上つ代の正實(まこと)』(物:場 C‘)⑧難局(物:場 C‘)⇒からの關係:⇒からの關係:⑥(古道/古代精神の研究)の肝腎(D1の至大化)は、⑦〔とは:神の物語を眞實と信ずる上代人の意(こころ)/古言のふり/言辭の形〕(とは以下枠文參照)を『さとる』(D1の至大化)にある。②を去れと言ふやうな否定的(D1の至小化)な言を、藝もなく重ねる、⑨が出會つた⑧」⇒「⑪:『天眞』」(◎的概念F)⇒E:に對するに、⑨は結果として、②を去れと言ふ消極的概念から、古人の心であるをわが心にする(F⇒Eの至大化)と言ふ積極的概念への反轉となつた」⇒⑨宣長⑩學者等(△枠):①への適應正常。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P435關係論①じゅしゃ心②#から心③#学問④#さかしら⑤#(さとり)⇒からの關係:⑨の口癖の,①を去れ,②を捨てよ,といふ主張は,③の上で,當時の⑩が見せてゐる,④と思はれるものの否認である.⑤といふものの,⑩が氣付いてゐない誤用(④を⑤と誤用)を難ずるのだ⇒⑨宣長⑩學者等

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P435關係論#古学⑦#上つ代の正実(#まこと)⑧難局⇒からの關係:(前項⇒).(#古道研究)の肝腎は,[とは:#神の物語 を #真実 と信ずる #上代人の意(#こころ)/#古言のふり/#言辞の形] #さとる にあるが,⑨は,その手段として,進んで有效な忠告は,何一つ出來ずにゐる⇒⑨#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P435關係論#から心⑧#難局⇒からの關係:(前項⇒).ただ,②を去れと言ふやうな否定的な言を,藝もなく重ねるだけだ.一體どうした事か.これが,⑨が出會つた⑧[その結果として,②を去れと言ふ消極的概念から,#古人の心『#天真』をわが心にすると言ふ積極的概念へと #反轉]⇒⑨宣長

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P435關係論①『じゅしゃ心』(物:場 C‘)②『から心』(物:場 C‘)③學問(物:場 C‘)④『さかしら(賢しら)』(物:場 C‘)⑤『智(さとり)』(物:場 C‘)⑥古學(物:場 C‘)⑦『上つ代の正實(まこと)』(物:場 C‘)⑧難局(物:場 C‘)⇒からの關係:⑨の口癖の、①を去れ、②を捨てよ、といふ主張(D1の至大化)は、③の上で、當時の⑩が見せてゐる、④(賢しら)と思はれるものの否認である。つまり、⑤といふものの、彼等(⑩△枠)が氣付いてゐない誤用(D1の至小化)〔とは:賢しらを智(さとり)と誤用或いは自己欺瞞〕を難ずるのだ。⑥(古道/古代精神の研究)の肝腎(D1の至大化)は、〔とは:[神の物語を眞實と信ずる上代人の意] /古言のふり/言辭の形〕(とは以下枠文參照)を『さとる』(D1の至大化)にあるが、

〔四十六章主題〕

《眞淵の『古事記』觀(天地のしらべ/古人を知るのには古歌)には、『古事記』の本質〔とは:[神の物語を眞實と信ずる,上代人の意(こころ)が背く。そして『言辭の形』〔とは:意(こころ)も事(こと)(事の世界),(ことば:言の世界)も、相稱(あひかな)つてゐる〕こそ、『古事記』の本質を構成する『上つ代の清らかな正實(まこと)』なのである》

 

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P426關係論①書紀②後の代③意(こころ)④上つ代⑤事⑥漢國⑦皇國(みくに)⑧古事記⑨上つ代の實(まこと)⇒からの關係:[①は,②の③をもて,④の⑤を記し],「◎:[⑥の言(ことばF)を以て,⑦の③を記されたる故に,あひかな(相稱)はざること多し]「⑩:古への語言〔F:古言(いにしへごと)のふり〕」(◎的對立概念F)⇒E:⑧は、古へより云ひ傳へたるままに記されたれば,その③も⑤も(事の世界)言(F:言の世界)も相稱(あひかな)ひて(言辭の形Eの至大化),皆⑨なり,是れもはらを⑩主としたる(Eの至大化)が故ぞかし]」⇒宣長(『古事記傳』)(△枠):①⑧への適應正常。

P426「上つ代の正實を知るに,『古事記』は,[あるが中の最上(#かみ)たる史典、その理由については,[是れ,もはら(専ら)古への語言(つまり:古言F⇒ふりEの至大化)を主(むね)]

その手段として、進んで有效な忠告は、何一つ出來ずにゐる。ただ、②を去れと言ふやうな否定的(D1の至小化)な言を、藝もなく重ねるだけだ。一體どうした事か。これが、⑨が出會つた⑧〔とは:結果としての、②を去れと言ふ消極的概念から、古人の心である『天眞』をわが心にすると言ふ積極的概念への反轉〕(とは以下枠文參照)⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑨宣長⑩學者等(△枠):①への適應正常。

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#神⑧#古人の心⑨#古事記⇒からの關係:[#(なほ)く安らか]①を歌ひ語る⑧を,⑬と觀ずる(F⇒Eの至大化) #観照 の世界から出ない⑭の努力は,何處まで觀照(⑬)の世界(F⇒Eの至小化)を擴げ深める事が出來るか,といふ一と筋に向けられる.言はば,それは #自照(古人の心である『天眞』の獲得)を通じての⑨觀照の道だつた,と⇒⑭#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#うひ山ぶみ②古書③本④上代⑤學問⑥心ばへ#天眞⑬#わが心⇒からの關係:⑮は,①にある様に[何事も(營爲は悉く)②(C‘)によりて,その③を考へ,④の事を,詳らかに明らむる]をした.研究するのは人の⑥なのであるから,是(④の⑥)を明らめる事は,この(④の⑥の)驚く程の⑦を,⑬とする事(自照)⇒⑮宣長

 

 

(以下文の主旨抜粋)

P435關係論①『じゅしゃ心』(物:場 C‘)②『から心』(物:場 C‘)③學問(物:場 C‘)④『さかしら(賢しら)』(物:場 C‘)⑤『智(さとり)』(物:場 C‘)⑥古學(物:場 C‘)⑦『上つ代の正實(まこと)』(物:場 C‘)⑧難局(物:場 C‘)⇒からの關係:①を去れ、②を捨てよ、といふ主張(D1の至大化)は、⑨の口癖になつてゐたとも言へるものだ。これは、③の上で、當時の⑩が見せてゐる、④(賢しら)と思はれるものの否認である。つまり、⑤といふものの、彼等(⑩△枠)が氣付いてゐない誤用(D1の至小化)〔とは:賢しらを智(さとり)と誤用或いは自己欺瞞〕を難ずるのだが、まともな『さとり』をどうかう言ふのではない。ところが、そのまともの『さとり』の方には、一向うまい言葉がないのである。⑥(古道/古代精神の研究)の肝腎(D1の至大化)は、⑦〔とは:[神の物語を眞實と信ずる上代人の意]/古道(古代精神)/古言のふり/言辭の形〕(とは以下枠文參照)を『さとる』(D1の至大化)にあるが、

〔四十六章主題〕

《眞淵の『古事記』觀(天地のしらべ/古人を知るのには古歌)には、『古事記』の本質〔とは:[神の物語を眞實と信ずる,上代人の意(こころ)が背く。そして『言辭の形』〔とは:意(こころ)も事(こと)(事の世界),(ことば:言の世界)も、相稱(あひかな)つてゐる〕こそ、『古事記』の本質を構成する『上つ代の清らかな正實(まこと)』なのである》

 

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P426關係論①書紀②後の代③意(こころ)④上つ代⑤事⑥漢國⑦皇國(みくに)⑧古事記⑨上つ代の實(まこと)⇒からの關係:[①は,②の③をもて,④の⑤を記し],「◎:[⑥の言(ことばF)を以て,⑦の③を記されたる故に,あひかな(相稱)はざること多し]「⑩:古への語言〔F:古言(いにしへごと)のふり〕」(◎的對立概念F)⇒E:⑧は、古へより云ひ傳へたるままに記されたれば,その③も⑤も(事の世界)言(F:言の世界)も相稱(あひかな)ひて(言辭の形Eの至大化),皆⑨なり,是れもはらを⑩主としたる(Eの至大化)が故ぞかし]」⇒宣長(『古事記傳』)(△枠):①⑧への適應正常。

P426「上つ代の正實を知るに,『古事記』は,[あるが中の最上(#かみ)たる史典、その理由については,[是れ,もはら(専ら)古への語言(つまり:古言F⇒ふりEの至大化)を主(むね)]

その手段として、進んで有效な忠告は、何一つ出來ずにゐる。ただ、②を去れと言ふやうな否定的(D1の至小化)な言を、藝もなく重ねるだけだ。一體どうした事か。これが、⑨が出會つた⑧であつた〔とは:結果としての、②を去れと言ふ消極的概念から、古人の心である『天眞』をわが心にすると言ふ積極的概念への轉化〕(とは以下枠文參照)⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑨宣長⑩學者等(△枠):①への適應正常。

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#神⑧#古人の心⑨#古事記⇒からの關係:[#(なほ)く安らか]①を歌ひ語る⑧を,⑬と觀ずる(F⇒Eの至大化) #観照 の世界から出ない⑭の努力は,何處まで觀照(⑬)の世界(F⇒Eの至小化)を擴げ深める事が出來るか,といふ一と筋に向けられる.言はば,それは #自照(古人の心である『天眞』の獲得)を通じての⑨觀照の道だつた,と⇒⑭#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#うひ山ぶみ②古書③本④上代⑤學問⑥心ばへ#天眞⑬#わが心⇒からの關係:⑮は,①にある様に[何事も(營爲は悉く)②(C‘)によりて,その③を考へ,④の事を,詳らかに明らむる]をした.研究するのは人の⑥なのであるから,是(④の⑥)を明らめる事は,この(④の⑥の)驚く程の⑦を,⑬とする事(自照)⇒⑮宣長

 

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P436關係論①難局②#学問主題問題からの關係:⑦の場合[即ち:の身勝手な上古の事實の尊重]と違つて,①,②の方から持ち込まれ[とは:④として扱はれるのを,初めから拒絶してゐるとして],⑧を捕らへた.,これをはつきり意識し正面から受取つた⇒⑦眞淵研究者宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P436關係論③主題④問題⑥あやしき事の説⇒からの關係:(前項⇒).扱はねばならない,いづれ解決が期待出來る,普通,と言はれてゐるやうな形では,提出されてゐない[とは:古人の心である天眞をわが心とする](上代の心ばへの驚く程の天眞の獲得)のを,⑨は早くも感じ取つてゐた.これをどう扱ふのか,それが⑥⇒⑨宣長

 

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P436關係論①問題②古學主題③あやし④上代の心ばへの驚く程の天眞⇒からの關係:⑥,[①として扱はれるのを,初めから拒絶してゐるやうなもの],②③として捉へ,⇒[⑤#直く安らか]⇒③の對象を④(⑤)とし,明らめる唯一の方法は,⑤への觀照を深め,わが心とする(#自照)⇒⑥宣長

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P436關係論①問題(物:場 C‘)②古學の主題(物:場 C‘)③『あやし(理りなし)』(物:場 C‘)④『上代の心ばへの驚く程の天眞』(物:場 C‘)⇒からの關係:⑥は、『①として扱はれるのを、初めから拒絶してゐるやうなもの』を、②③として捉へ、⇒「⑤:『直(なほ)く安らか』(F)」⇒E:③の對象を④即ち⑤とした。それ故に、⑤を明らめる事(Eの至大化)は,⑤の觀照の世界を擴げ深め,⑤をわが心とする(自照)以外にないと捉へた」(⑤への距離獲得:Eの至大化)⇒⑥宣長(△枠):②への適應正常。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#神⑧#古人の心⑨#古事記⇒からの關係:[#(なほ)く安らか]①を歌ひ語る⑧を,⑬と觀ずる(F⇒Eの至大化) #観照 の世界から出ない⑭の努力は,何處まで觀照(⑬)の世界(F⇒Eの至小化)を擴げ深める事が出來るか,といふ一と筋に向けられる.言はば,それは #自照(古人の心である『天眞』の獲得)を通じての⑨觀照の道だつた,と⇒⑭#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#うひ山ぶみ②古書③本④上代⑤學問⑥心ばへ#天眞⑬#わが心⇒からの關係:⑮は,①にある様に[何事も(營爲は悉く)②(C‘)によりて,その③を考へ,④の事を,詳らかに明らむる]をした.研究するのは人の⑥なのであるから,是(④の⑥)を明らめる事は,この(④の⑥の)驚く程の⑦を,⑬とする事(自照)⇒⑮宣長

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

P436關係論①難局(物:場 C‘)②學問(物:場 C‘)③主題(物:場 C‘)④問題(物:場 C‘)⑤『三輪物語』論(物:場 C‘)⑥『あやしき事の説』(物:場 C‘)⇒からの關係:⑦の場合〔とは:眞淵の身勝手な『上古の事實』(前項參照)の尊重(⑦⇒自己流解釈『上古の事實』⇒學問/古學)〕と違つて、①は、②の方から持ち込まれ〔とは:『④として扱はれる(D1の至大化)のを、初めから拒絶(D1の至小化)』してゐる③として〕、⑧を捕らへたのである。⑨は、これ(②の方から持ち込まれた①)をはつきり意識して、正面から受取つた(D1の至大化)。扱はねばならない③は、いづれ解決が期待出來る(D1の至大化)、普通、④と言はれてゐるやうな形(D1の至小化)では、提出されてゐない(D1の至小化)のを〔とは一例:『古人の心である天眞をわが心とする』〕、彼(⑨△枠)は早くも感じ取つてゐた(D1の至大化)からだ。これ〔とは:『④として扱はれる(D1の至大化)のを、初めから拒絶(D1の至小化)してゐるやうなもの』(上代の心ばへの驚く程の天眞)〕を、どう扱ふ(D1の至大化)のか(とは以下枠文參照)、それが、⑥となつたと言つてよい。⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑦眞淵⑧研究者(△枠)⑨宣長:①への適應正常。

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#神⑧#古人の心⑨#古事記⇒からの關係:[#(なほ)く安らか]①を歌ひ語る⑧を,⑬と觀ずる(F⇒Eの至大化) #観照 の世界から出ない⑭の努力は,何處まで觀照(⑬)の世界(F⇒Eの至小化)を擴げ深める事が出來るか,といふ一と筋に向けられる.言はば,それは #自照(古人の心である『天眞』の獲得)を通じての⑨觀照の道だつた,と⇒⑭#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#うひ山ぶみ②古書③本④上代⑤學問⑥心ばへ#天眞⑬#わが心⇒からの關係:⑮は,①にある様に[何事も(營爲は悉く)②(C‘)によりて,その③を考へ,④の事を,詳らかに明らむる]をした.研究するのは人の⑥なのであるから,是(④の⑥)を明らめる事は,この(④の⑥の)驚く程の⑦を,⑬とする事(自照)⇒⑮宣長

 

 

(以下文の主旨抜粋)

P436關係論①難局(物:場 C‘)②學問(物:場 C‘)③主題(物:場 C‘)④問題(物:場 C‘)⑤『三輪物語』論(物:場 C‘)⑥『あやしき事の説』(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。⑦の場合〔とは:眞淵の身勝手な『上古の事實』(前項參照)の尊重(⑦⇒自己流解釈『上古の事實』⇒學問)〕と違つて、①は、②の方から持ち込まれ、⑧を捕らへたのである。⑨は、これ(②の方から持ち込まれた①)をはつきり意識して、正面から受取つた(D1の至大化)。なるほど、解決はあつた(D1の至大化)わけだが、其處には、①の解決(D1の至大化)と氣易くは言へない(D1の至小化)ものがあつた。と言ふのは、扱はねばならない③は、面倒(D1の至小化)だが、いづれ解決が期待出來る(D1の至大化)、普通、④と言はれてゐるやうな形(D1の至小化)では、提出されてゐない(D1の至小化)のを〔とは一例:『古人の心である天眞をわが心とする』〕、彼(⑨△枠)は早くも感じ取つてゐた(D1の至大化)からだ。これは、⑤に續く、⑥以下の文を讀めば(D1)おのづから明らかになつて來る(D1の至大化)事なのである〔とは:P436⑥原文參照〕(中略)言はば、④として扱はれる(D1の至大化)のを、初めから拒絶(D1の至小化)してゐるやうなもの〔とは一例:『古人の心である天眞をわが心とする』〕に、向き合つてゐるのを、彼(⑨△枠)は鋭敏に感じてゐた(D1の至大化)。これ〔とは:『④として扱はれる(D1の至大化)のを、初めから拒絶(D1の至小化)してゐるやうなもの(上代の心ばへの驚く程の天眞)』〕を、どう扱ふ(D1の至大化)のか(とは以下枠文參照)、それが、⑥となつたと言つてよい。⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑦眞淵⑧研究者(△枠)⑨宣長:①への適應正常。

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#神⑧#古人の心⑨#古事記⇒からの關係:[#(なほ)く安らか]①を歌ひ語る⑧を,⑬と觀ずる(F⇒Eの至大化) #観照 の世界から出ない⑭の努力は,何處まで觀照(⑬)の世界(F⇒Eの至小化)を擴げ深める事が出來るか,といふ一と筋に向けられる.言はば,それは #自照(古人の心である『天眞』の獲得)を通じての⑨觀照の道だつた,と⇒⑭#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#うひ山ぶみ②古書③本④上代⑤學問⑥心ばへ#天眞⑬#わが心⇒からの關係:⑮は,①にある様に[何事も(營爲は悉く)②(C‘)によりて,その③を考へ,④の事を,詳らかに明らむる]をした.研究するのは人の⑥なのであるから,是(④の⑥)を明らめる事は,この(④の⑥の)驚く程の⑦を,⑬とする事(自照)⇒⑮宣長

 

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P436關係論#神代②今③世④世の中⑤あらゆる事⑥なに物⇒からの關係:つらつら思ひめぐらせば,④に⑤,⑥かはあやしからざる(どれもあやしくない物はない/#理りなし),いひもてゆけば,あやしからぬ(理りある)はなきぞとよ(あやしくないなんて言ふ物はない/#あやしき事の説)⇒宣長

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P436關係論①神代(物:場 C‘)②今(場 C‘)③世(場 C‘)④世の中(場 C‘)⑤あらゆる事(物:場 C‘)⑥なに物(物:場 C‘)⇒からの關係:

つらつら思ひめぐらせば(D1の至大化)、④に⑤、⑥かはあやしからざる(どれもあやしくない物はない/すべてあやし即ち理りなし!:D1の至小化)、いひもてゆけば、あやしからぬ(理りある:D1の至大化)はなき(D1の至小化)ぞとよ(あやしくない、なんて言ふ物はない/すべてあやし即ち理りなし!:D1の至小化)』(『あやしき事の説』)」⇒宣長(△枠):①への適應正常。

 

(以下文の主旨抜粋)

P436關係論①神代(物:場 C‘)②今(場 C‘)③世(場 C‘)④世の中(場 C‘)⑤あらゆる事(物:場 C‘)⑥なに物(物:場 C‘)⇒からの關係:(P436前略)『すべて①の事どもも、②は③にさる(神代の)事のなけれ(D1の至小化)ばこそ、あやし(理りなし)とはおもふ(D1の至小化)なれ②もあらまし(D1の至大化)かば、あやしとはおもはましや(理りなしと思ふか?:D1の至小化)、②③にある事も、②あればこそ、あやし(理りなし:D1の至小化)とは思はね(思はない:D1の至大化)、つらつら思ひめぐらせば(D1の至大化)、④に⑤、⑥かはあやしからざる(どれもあやしくない物はない/すべてあやし即ち理りなし!:D1の至小化)、いひもてゆけば、あやしからぬ(理りある:D1の至大化)はなき(D1の至小化)ぞとよ(あやしくない、なんて言ふ物はない/すべてあやし即ち理りなし!:D1の至小化)』(『あやしき事の説』)」⇒宣長(△枠):①への適應正常。

 

小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P437關係論#あやし(#理りなし)#世の中③#あらゆる事④#なに物⑤周囲⑥#古學の道⇒からの關係:①のまともな使ひ方[とは:なに物かは #あやしからざる]をしてゐる⑧,が何と少ないか.さういふ事を,⑦は,つらつら思ひめぐらしてゐるのである⇒⑦#宣長⑧人

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P437關係論#あやし(理りなし)②世の中③あらゆる事④なに物⑤周囲⑥古学の道⇒からの關係:①の不徹底な使ひ方[とは:あやしき(理りなし)ものに對する,さかしらな態度]ばかりが,⑤に行はれてゐる様を,見てゐる内に,それ[とは:あやしき(理りなし)ものに對する,さかしらな態度],⑥を,遂に誤らす事になつたのが,はつきりして來た⇒宣長

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P437關係論①『あやし』(理りなし。物:場 C‘)②世の中(場 C‘)③あらゆる事(物:場 C‘)④なに物(物:場 C‘)⑤周囲(場 C‘)⑥古學の道(物:場 C‘)⇒からの關係:①のまともな使ひ方(D1の至大化)〔とは:『なに物かはあやしからざる』〕をしてゐる⑧、が何と少ない(D1の至小化)か。さういふ事を、彼(⑦△枠)は、つらつら思ひめぐらしてゐる(D1の至大化)のである。この言葉(①)の不徹底な使ひ方(D1の至小化)〔とは:『あやし』き(理りなし)ものに對する『さかしら』な態度(つまり:『さとり』の誤用)ばかりが、⑤に行はれてゐる(D1の至小化)様を、見てゐるうちに、それ〔『あやし』(理りなし)の不徹底な使ひ方(D1の至小化)〕が、⑥を、遂に誤らす(D1の至小化)事になつた〔とは:一例が眞淵の所謂『上古の事實(神は人の上)』〕のが、彼(⑦△枠)には、いよいよはつきり(D1の至大化)して來た⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑦宣長⑧人(△枠):①への適應正常。

 

(以下文の主旨抜粋)

P437關係論①『あやし』(理りなし。物:場 C‘)②世の中(場 C‘)③あらゆる事(物:場 C‘)④なに物(物:場 C‘)⑤周囲(場 C‘)⑥古學の道(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。此處で、彼(⑦△枠)が言ひたいのは、①といふ言葉の使ひ方である。『つらつら思ひめぐらせば(D1の至大化)、②に③、④かはあやしからざる(どれもあやしくない物はない/すべて理りなし!:D1の至小化)』と自分(⑦△枠)の言ふところを、そのまま率直に(D1の至大化)受け取つて欲しい。①といふ言葉を、まともに使はう(D1の至大化)とすれば、どうしても、このやうに強い反語的な言ひ方(『なに物かはあやしからざる』)にならざるを得ない(D1の至大化)、といふ事が、解つて貰へるだらうか。この言葉(①)のまともな使ひ方(D1の至大化)〔とは:『なに物かはあやしからざる』〕をしてゐる⑧、が何と少ない(D1の至小化)か。さういふ事を、彼(⑦△枠)は、つらつら思ひめぐらしてゐる(D1の至大化)のである。この言葉(①)の不徹底な使ひ方(D1の至小化)〔とは:『あやし』き(理りなし)ものに對する『さかしら』な態度(つまり:『さとり』の誤用)ばかりが、⑤に行はれてゐる(D1の至小化)様を、見てゐるうちに、それ〔『あやし』(理りなし)の不徹底な使ひ方(D1の至小化)〕が、⑥を、遂に誤らす(D1の至小化)事になつた〔とは:一例が眞淵の所謂『上古の事實(神は人の上)』〕のが、彼(⑦△枠)には、いよいよはつきり(D1の至大化)して來た⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑦宣長⑧人(△枠):①への適應正常。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P437關係論①あやし②理りなし(理がない)#(さと)り④古学⑤難局⇒からの關係:①とは②,と高が括れるやうな③を頼んでゐては,④が蔵する⑤[とは:問題として扱はれるのを初めから拒絶してゐるやうなものに向き合つてゐる,難局]を切り抜けられぬ事を⑪はよく感じてゐた⇒⑪宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P437關係論#あやし#古学#知識#構造⇒からの關係:(前項⇒).[部分的な斷定的な⑧の集積,或は #推論的進行(#さかしら)を以てしては決して出會へない,の意],④本來の⑩なのであり,①の⑩を明らめて行く(即ち:④が蔵する難局を切り抜ける)のが,④に携はるといふ事⇒#宣長

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P437關係論①『あやし』(物:場 C‘)②『理りなし(理がない)』(物:場 C‘)③智(さと)り(物:場 C‘)④古學(物:場 C‘)⑤難局(物:場 C‘)⑥研究(物:場 C‘)⑦もの(物:場 C‘)⑧知識(物:場 C‘)⑨本質(物:場 C‘)⑩構造(物:場 C‘)⇒からの關係:①とは②、と高が括れる(D1の至小化)やうな③(即ち:さかしら)を頼んでゐて(D1の至小化)は④が蔵する(D1の至大化)⑤【とは:P436『問題として扱はれるのを、初めから拒絶してゐるやうなものに向き合つてゐる』〔一例:『古人の心である天眞をわが心とする』〕と言ふやうな難局】を切り抜けられぬ(D1の至小化)事を、⑪はよく感じてゐた(D1の至大化)。

つまり、『部分的(D1の至小化)な、斷定的(D1の至小化)な知識(物:場 C‘)の集積(D1の至小化)、或は推論的進行(D1の至小化)(即ち:さかしら)を以てしては、決して出會へない(D1の至小化)』〕のが、④本來の⑩(とは以下枠文參照)なのであり、

④本來の⑩、即ち上記本文、『古學〔古道(古代精神)を明らかにする學問〕の本質(物:場 C‘)を成してゐる(D1の至大化)もの』とは・・・[古人の意(こころ)の外への現れ]である古言のふり/『迦微』への古意(いにしへごころ:古言⇒ふり)を徹底的に釋(と)く / 『神といふ古言の古意(いにしへごころ)』/【『上つ代の正實(まこと)』〔即ち:『神の物語を眞實と信ずる上代人の意』/『言辭の形』『古言F⇒ふりEの至大化』〕】。

この⑩〔とは:『部分的、斷定的知識の集積、或は推論的進行(即ち:さかしら)を以てしては、決して出會へない構造』〕を明らめて行く(D1の至大化)〔換言すれば:『古學(物:場 C‘)が蔵する(D1の至大化)難局(物:場 C‘)を切り抜ける(D1の至大化)』のが、④に携はる(D1の至大化)といふその事なのだ」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑪宣長⑫學者達(△枠):①への適應正常。

 

(以下文の主旨抜粋)

P437關係論①『あやし』(物:場 C‘)②『理りなし(理がない)』(物:場 C‘)③智(さと)り(物:場 C‘)④古學(物:場 C‘)⑤難局(物:場 C‘)⑥研究(物:場 C‘)⑦もの(物:場 C‘)⑧知識(物:場 C‘)⑨本質(物:場 C‘)⑩構造(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。①とは、②といふ意味(D1の至大化)だ。なるほど、それ(①とは②)に違ひない(D1の至大化)。だが、⑪が考へてゐた(D1の至大化)ところは別なので、間違ひない〔とは:①とは②〕、と高が括れる(D1の至小化)やうな③(即ち:さかしら)を頼んでゐて(D1の至小化)は、先にも觸れたやうに、④が蔵する(D1の至大化)⑤【とは:P436『言はば、問題として扱はれる(D1の至大化)のを、初めから拒絶(D1の至小化)してゐるやうなもの〔とは:『天眞(物:場 C‘)をわが心(物:場 C‘)とする(自照)〕に、向き合つてゐる』と言ふ難局(物:場 C‘)】を切り抜けられぬ(D1の至小化)事を、⑪はよく感じてゐた(D1の至大化)。⑥上、整理されて(D1の至大化)、對象化し(D1の至大化)、問題化してゐる(D1の至大化)⑦の分析(D1)に、⑫がどんなに練達(D1の至大化)しても、さういふ部分的(D1の至小化)な、斷定的(D1の至小化)な⑧の集積(D1の至小化)、或は推論的進行(D1の至小化)(即ち:さかしら)を以てしては、④〔とは:古道(古代精神)を明らかにする學問〕の⑨を成してゐる(D1の至大化)⑦には、決して出會へない(D1の至小化)。(とは以下枠文參照)

*「さかしら(F)」(理:自分流理附け)が,學者等(△枠)と神書(物:場 C‘)との間に介在(F⇒Eの至小化)し, 神書(物:場 C‘)との直かな接觸を阻んでゐる(D1の至小化),といふのが實相。

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P397關係論:#神書③#世の中④あやしき事⇒からの關係:⑦に言はせれば,⑧は[③に④は無き理りぞと,かたおちに思ひとれる]処に在る⇒[#さかしら]⇒⑤が⑧と①との間に介在し①との直かな接觸を阻んでゐる,といふのが實相だが,⑧は決してこの實相に氣附かない⇒⑦宣長⑧#学者 等

 

*『古學〔とは:古道(古代精神)を明らかにする學問〕の本質(物:場 C‘)を成してゐる(D1の至大化)もの』とは・・・[古人の意(こころ)の外への現れ]である古言のふり/『迦微』の古意(いにしへごころ:古言⇒ふり)を徹底的に釋く / [神といふ古言の古意(いにしへごころ)]/【『上つ代の正實(まこと)』〔即ち:[神の物語を眞實と信ずる上代人の意]/『言辭の形』『古言FふりEの至大化』〕】。

 

『天眞(物:場 C‘)をわが心(物:場 C‘)とする(自照)』事が出來る(D1の至大化)かどうかを,明らめる(自照:D1の至大化)には、一切のさかしら(漢意F)を捨てる(Eの至小化)事にある」(とは以下枠文參照)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#神⑧#古人の心⑨#古事記⇒からの關係:[#(なほ)く安らか]①を歌ひ語る⑧を,⑬と觀ずる(F⇒Eの至大化) #観照 の世界から出ない⑭の努力は,何處まで觀照(⑬)の世界(F⇒Eの至小化)を擴げ深める事が出來るか,といふ一と筋に向けられる.言はば,それは #自照(古人の心である『天眞』の獲得)を通じての⑨觀照の道だつた,と⇒⑭#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論

  ⑨古事記⑩後世⑪『そこひなき淵やはさはぐ』⇒からの關係: ①を歌ひ語る⑧を, [⑬直

(なほ)く安らか]⑬と觀ずる(F⇒Eの至大化),觀照の世界から出ない⑭の努力は,何處までこの世界(⑬)を擴げ深める(F⇒Eの至大化)事が出來るか,といふ一と筋に向けられる.言はば,それは自照(古人の心である天眞の獲得)を通じての⑨觀照の道だつた。この何處までもつづく道(⑬)を行き,⑭は⑨の姿を,⑩⑮が歌つたごとく,⑪と觀ずるやうになつた,と言ふのである⇒⑧古人の心⑭宣長⑮歌人

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#うひ山ぶみ②古書③本④上代⑤學問⑥心ばへ#天眞⑬#わが心⇒からの關係:⑮は,①にある様に[何事も(營爲は悉く)②(C‘)によりて,その③を考へ,④の事を,詳らかに明らむる]をした.研究するのは人の⑥なのであるから,是(④の⑥)を明らめる事は,この(④の⑥の)驚く程の⑦を,⑬とする事(自照)⇒⑮宣長

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十五章

〇P417關係論#上つ代③事物④具體性或は個性⇒からの關係:#心眼 に直觀される,②の③の意味合なり價値なりが,そのまま承認できない理由など,⑥には,何處にも見當りはしなかつた⇒[:#言語]⇒それが,⑦の場合となると,⑦の眼前で,⑤は,[あつたがままの④]まで裸になつて見せなかつた⇒⑥宣長⑦#真淵。

 

と言ふより、むしろ、さういふ事〔とは:『部分的(D1の至小化)な、斷定的(D1の至小化)な知識(物:場 C‘)の集積(D1の至小化)、或は推論的進行(D1の至小化)(即ち:さかしら)を以てしては、決して出會へない(D1の至小化)』〕になつてゐるのが、④本來の⑩(とは以下枠文參照)なのであり、

*上記本文『古學〔古道(古代精神)を明らかにする學問〕の本質(物:場 C‘)を成してゐる(D1の至大化)もの』とは・・・[古人の意(こころ)の外への現れ]である古言のふり/『迦微』への古意(いにしへごころ:古言⇒ふり)を徹底的に釋く / 『神といふ古言の古意(いにしへごころ)』/【『上つ代の正實(まこと)』〔即ち:『神の物語を眞實と信ずる上代人の意』/『言辭の形』『古言F⇒ふりEの至大化』〕】。

この⑩〔とは:『部分的、斷定的知識の集積、或は推論的進行(即ち:さかしら)を以てしては、決して出會へない構造』〕を明らめて行く(D1の至大化)〔即ち:『古學(物:場 C‘)が蔵する(D1の至大化)難局(物:場 C‘)を切り抜ける(D1の至大化)』のが、④に携はる(D1の至大化)といふその事なのだ」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑪宣長⑫學者達(△枠):①への適應正常。

 

 

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P438關係論#(さと)②#光源③#世の中の事④#かたちからの關係:③,[#あやしからぬはなきぞとよ] #人生」と言ふの働きが,即ちとなつて,③の有るがままの,⑤ #一擧に照し出す⇒⑤#人の身(スクリーン).

〔『あやしからぬはなき』の智(さと)り(物:場 C‘)⇒有るがまま(D1の至大化)を一擧に照す(D1の至大化)⇒人の身に(△枠)〕

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P438關係論③世の中の事⑦何物⑧源氏論⑨物語⑩傳説⑪古書⇒からの關係:つらつら思ひめぐらせば,③,⑦,あはれならざると觀じたを得て,⑧は盡きたのを思ひ出して貰へばよい.⑨に變つた所で,最上と信ずるの讀み方を變更する理由は,⑳にはなかつた⇒⑱式部の眼宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P438關係論#學問⑬#人間經驗の根本⑭#神代⑮#今世⑯#古傳説思想家からの關係:(前項⇒).,⑳の一切の實りが由來する,⑬(#實情 #まごころ 把握),⑭⑮の移りにつれて,移る筈もなかつた⇒⑳#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十七章

○P438關係論#古傳説⑰#思想家からの關係:(前項⇒).かういふ事はあるだらう.⑳,⑯のわが國最初の㉑であつたが,むしろ,覺め切つた[とは:#あやし の不徹底な使ひ方が,古學の道を遂に誤らす事になつたを覺知する],最後の㉑となつた所に,このを語る困難はある⇒⑳宣長㉑愛読者

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P438關係論比喩の衣(物:場 C‘)②文の骨組(物:場 C‘)③世の中の事(物:場 C‘)④智(さと)り(物:場 C‘)⑤光源(物:場 C‘)⑥『かたち』(物:場 C‘)⑦何物(物:場 C‘)⑧『源氏』の論(物:場 C‘)⑨『物語』(物:場 C‘)⑩「傳説」(物:場 C‘)⑪古書(物:場 C‘)⑫學問(物:場 C‘)⑬人間經驗の根本(物:場 C‘)⑭神代(場 C‘)⑮今世(場 C‘)⑯古傳説(物:場 C‘)⑰思想家(物:場 C‘)からの關係:つらつら思ひめぐらせば、③、⑦か、あはれ(F)ならざると觀じた(F⇒Eの至大化)⑲を得て、⑧は盡きた(D1の至大化)のを思ひ出して貰へばよい。(とは以下枠文參照)

P438關係論①世の中(物:場 C‘)②何物(物:場 C‘)⇒からの關係:①の事②か、⇒「③あはれ(F)」⇒E:③(F)ならざる(何物もあはれなり)と觀じた(F⇒Eの至大化)④(『源氏』論)」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒④式部の眼(△枠):①への適應正常。

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十三章

P399關係論#神⑥玉勝間⑦#古事記伝⑧古人の心⇒からの關係:⑭の①に關する考へは,充分に熟した上で,⑦は始められた⇒[#あはれ/#(なほ)く安らか]⇒⑥での⑫と見るといふ言ひ方は,⑦では,⑬と見るとなつてゐる.それだけの違ひだ.①を歌ひ,①を語る⑧を,⑬と觀ずる⇒⑭宣長

P438關係論①「傳説」(古事記。物:場 C‘)②可畏き(恐るる。物:場 C‘)⇒からの關係:①の②に觸れ(D1の至大化)、⇒「③:阿夜(あや)F」⇒E:③と嘆く(F⇒Eの至大化)」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒上古人(△枠):①への適應正常。

P438關係論①「傳説」(古事記。物:場 C‘)②なに物(物:場 C‘)⇒からの關係:①の②に觸れ(D1の至大化)、」⇒「③:あやし」(◎的概念F)⇒E:③からぬはなきぞとよ(F⇒Eの至大化)」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒上古人&宣長(△枠):①への適應正常。

⑨が⑩に變つた(D1)(とは上枠文參照)ところで、最上と信ずる(D1の至大化)⑪(『古事記』)の讀み方(D1の至大化)を變更する理由は、⑳にはなかつたし(とは上枠文參照)又、彼(⑳△枠)の⑫の一切の實り(D1の至大化)が由來する、⑬(實情/まごころ把握)が、⑭⑮の移り(D1)につれて、移る筈もなかつた(D1の至小化)。ただ、かういふ事はあるだらう。⑳は、⑯のわが國最初の㉑であつた事は、言ふまでもないが、むしろ、覺め切つた〔とは:『あやし』のまともな使ひ方(D1の至大化)〔とは:『なに物かはあやしからざる』〕をしてゐる人が何と少ない(D1の至小化)か。『あやし』(理りなし)の不徹底な使ひ方(D1の至小化)が、古學の道(物:場 C‘)を、遂に誤らす(D1の至小化)事になつた(一例が眞淵の所謂『上古の事實/神は人の上』)のが、宣長には、いよいよはつきり(D1の至大化)して來た」の意最後の㉑となつたところに、この⑰を語る困難(D1の至小化)はあるやうに思はれる」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑱身⑲式部の眼⑳宣長㉑愛讀者(△枠):①への適應正常。

 

(以下文の主旨抜粋)

P438關係論比喩の衣(物:場 C‘)②文の骨組(物:場 C‘)③世の中の事(物:場 C‘)④智(さと)り(物:場 C‘)⑤光源(物:場 C‘)⑥『かたち』(物:場 C‘)⑦何物(物:場 C‘)⑧『源氏』の論(物:場 C‘)⑨『物語』(物:場 C‘)⑩「傳説」(物:場 C‘)⑪古書(物:場 C‘)⑫學問(物:場 C‘)⑬人間經驗の根本(物:場 C‘)⑭神代(場 C‘)⑮今世(場 C‘)⑯古傳説(物:場 C‘)⑰思想家(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。さういふ次第〔とは:『部分的、斷定的知識の集積、或は推論的進行を以てしては、決して出會へない構造』〕を明らめて行く(D1の至大化)』=『古學(物:場 C‘)が蔵する(D1の至大化)難局(物:場 C‘)を切り抜ける(D1の至大化)』のが、④に携はる(D1の至大化)といふその事なのだ」〕で、一見、曖昧な(D1の至小化)①〔とは:『なに物かはあやしからざる』?〕を透して(D1の至大化)、②が見えて來る。③『あやしからぬはなき(D1の至小化)ぞとよ(あやしくない、即ち理りある、なんて言ふ物はない/すべてあやし即ち理りなし!:D1の至小化)』とでも言ふより他はない、名状し難い(D1の至大化)、直かな(D1の至大化)、人生(物:場 C‘)〔とは:世の中の事『あやしからぬはなき(D1の至小化)ぞとよ』の人生〕との接觸に導かれた(D1の至大化)といふ④の働きだけが、言はば、⑤のうちに⑱を置くやうに、③の有るがまま(D1の至大化)の⑥を、一擧に照し出す(D1の至大化)(とは以下枠文參照)。

P438關係論①智(さと)り(物:場 C‘)②『光源』(物:場 C‘)③世の中の事(物:場 C‘)④『かたち』(物:場 C‘)⇒からの關係:「③『あやしからぬはなき(D1の至小化)ぞとよ』の人生」と言ふ①の働き(D1の至大化)が、即ち②となつて(D1の至大化)、③の有るがまま(D1の至大化)の④を、⑤に一擧に照し出す(D1の至大化)」⇒⑤人の身(スクリーン△枠):③への適應正常。〔『あやしからぬはなき』の智(さと)り(物:場 C‘)⇒有るがまま(D1の至大化)を一擧に照す(D1の至大化)⇒人の身に(△枠)〕

つらつら思ひめぐらせば、③、⑦か、あはれ(F)ならざると觀じた(F⇒Eの至大化)⑲を得て、⑧は盡きた(D1の至大化)のを思ひ出して貰へばよい。(とは以下枠文參照)

P000關係論:①世の中(物:場 C‘)②何物(物:場 C‘)⇒からの關係:①の事②か、⇒「③あはれ(F)」⇒E:③(F)ならざる(何物もあはれなり)と觀じた(F⇒Eの至大化)④(『源氏』論)」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒④式部の眼(△枠):①への適應正常。

P000關係論:①「傳説」(古事記。物:場 C‘)②可畏き(恐るる。物:場 C‘)⇒からの關係:①の②に觸れ(D1の至大化)、⇒「③:阿夜(あや)F」⇒E:③と嘆く(F⇒Eの至大化)」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒上古人(△枠):①への適應正常。

⑨が⑩に變つた(D1)(とは上枠文參照)ところで、最上と信ずる(D1の至大化)⑪の讀み方(D1の至大化)を變更する理由は、⑳にはなかつたし(とは上枠文參照)又、彼(⑳△枠)の⑫の一切の實り(D1の至大化)が由來する、⑬(實情/まごころ:把握)が、⑭⑮の移り(D1)につれて、移る筈もなかつた(D1の至小化)。ただ、かういふ事はあるだらう。⑳は、⑯のわが國最初の㉑であつた事は、言ふまでもないが、むしろ、覺め切つた〔とは:「『あやし』(理りなし)の不徹底な使ひ方(D1の至小化)が、古學の道(物:場 C‘)を、遂に誤らす(D1の至小化)事になつた(一例が眞淵の所謂『上古の事實/神は人の上』)のが、宣長には、いよいよはつきり(D1の至大化)して來た」の意〕最後の㉑となつたところに、この⑰を語る困難(D1の至小化)はあるやうに思はれる」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑱身⑲式部の眼⑳宣長㉑愛讀者(△枠):①への適應正常。

〔四十六章主題〕

 

《眞淵の『古事記』觀(天地のしらべ)には、『古事記』の本質〔とは:[神の物語を眞實と信ずる,上代人の意(こころ)〕が背く。そして『言辭の形』〔とは:意(こころ)も事(こと)(事の世界),(ことば:言の世界)も、相稱(あひかな)つてゐる〕こそ、『古事記』の本質を構成する、『上つ代の清らかな正實(まこと)』なのである》

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P422關係論#古人③#古歌⇒からの關係:②を知るのには,③に如くものはないといふ⑨の考へは,[古き世の歌ちふものこそ,ふるき代々の人の #心詞(こころことば)なれ]〔とは:『古事記』の心詞は古歌と言ふ事〕といふ風に,繰り返し語られてゐるうちに,動かぬ確信(#歌=心詞)となり,⑨独特の意味を帶びるやうになつた⇒⑨眞淵

 

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P422關係論:①祝詞②#古事記③#古言④#雅言⑤万葉歌のしらべ⇒からの關係:⑦は,①②の③を,④の歌文(しらべ/心詞)と捉へた.故に⑤を,[:天地のしらべ]⇒①②では,(歌道の精錬)として仕立てた.,②の本質[神の物語を眞實と信ずる上代人の意],⑦の②観(⑥)に背く⇒⑦真淵.

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P422關係論:①祝詞文②#古事記③古言(いにしへごと)④#雅言(みやびごと)⑤#万葉歌のしらべ#国語⇒からの關係:⑧は、①②の③を、言語構造上の差異を無視して、優秀な⑥としての④の歌文〔しらべ/つまり(心詞=歌)と捉へた。故に⑤ [いにしへ人のなほくして,心高く,みやびたる]を、⇒「⑦:天地(自然?)のしらべ」⇒①②では、⑥の延長線上の、極度に純化された⑦(歌道の精錬)として、仕立てた〔『歌道の精錬が,そのまま古道(#古代精神)』〕。が、②の本質〔とは:[神の物語を眞實と信ずる,上代人の意(こころ)〕が、⑧の②観(⑦)に背き否定する⇒⑧#真淵。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P426關係論#古事記⑨#古への語言(ことば)からの關係:(続き)⇒③はいささかもさかしら(賢しら)を加へずて,古へより云ひ傳へたるままに記されたれば,その意も事も言も相稱(#あひかなひ), #上つ代の實(#まこと)なり,是れもはらを主としたるが故ぞかし](次項へ)⇒#宣長(『古事記傳』)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P426關係論#古事記⑦#上つ代の清らかな正實古への語言(ことば)⇒からの關係:(続き⇒)すべて意(#こころ)も事(#こと)[#事の世界],(#ことば)[#言の世界]以て傳ふるものなれば,(#ふみ)はその(古への)記せる #言辭(ことば:言葉遣ひ/物の言ひ方/つまり:古言F⇒ふりEの至大化),主には有ける]⇒⑪#宣長(『古事記傳』)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P427關係論#古事記②#古へ③#(#こころ)④#(#こと)⑤#言葉⑥[#]⑦#上つ代の實(#まこと)⇒からの關係: (前項の続き⇒).その[③(事の世界),(ことば:言の世界) #相稱(あひかな)つてゐる]こそ,取りも直さず〔とは:古道(古代精神)〕と呼ぶものだ,は言ひたい.これは,⑬が工夫し,⑬が作り上げたでもない⇒⑫#宣長誰。

 

換言すれば

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P427關係論#古事記②古へ③#(こころ)#(こと)⑤言葉#⇒からの關係:①の,②よりの云ひ傳へに忠實な言語表現(#古言のふり)では,言はば,[③も④も(事の世界),(ことば:言の世界) #相稱(あひかな)]つてゐると言ふ.⑫がよく使ふ⑤で言へば,其處には,さういふ⑥が見える,と⇒⑫宣長。

 

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P428關係論:P428關係論①古事記②古へ③言語表現(古言のふり)④意(こころ)⑤事(こと)⑥言辭の形⑦[神の世の事ら]⑧喜怒哀楽(まごころ)⑨物の可畏き(おそるる)⑩我邦の歴史からの關係:⑫の心には、①の、②よりの云ひ傳へに忠實な③で、④も⑤も(事の世界),(ことば:言の世界)も、相稱(あひかな)つてゐる(即ち⑥の),⑦が鮮やかに映じてゐた.しかしこの⑥は,⑫が[もののあはれ]論について書いた時に,『⑧/⑨』に觸れて⇒[⑪あはれ]⇒⑪を直ちに歎く(奈我牟流/阿夜)は,⑩と確信してゐた⑫宣長。

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P428關係論①古事記②古へ③言語表現(古言のふり)④意(こころ)⑤事(こと)⑥言辭の形⑦[神の世の事ら]⑧喜怒哀楽(まごころ)⑨物の可畏き(おそるる)⑩我邦の歴史⇒からの關係:⑫の心には、①の、②よりの云ひ傳へに忠實な③で、④も⑤も(事の世界),(ことば:言の世界)も、相稱(あひかな)つてゐる(即ち⑥の),⑦が鮮やかに映じてゐた。しかしこの⑥は、⑫が『源氏』論で『もののあはれ』について書いた時に、『⑧/⑨』に觸れて⇒[⑪あはれ]⇒⑪を直ちに歎く(奈我牟流/阿夜)は、⑩として、既に①に始つてゐたのだと確信してゐた⇒⑫宣長(△枠)。

 

〔參照:三十九章主題〕:

P369關係論#源氏雅の趣實情世界(喜怒哀楽)④古事記可畏(かしこ:おそるる) ⇒からの關係: ⑦,①熟讀(雅言のふり に徹す),②を得,③に觸れての⇒[⑥あはれ]⇒⑥を發見(⑥を奈我牟流)。と同時にに、「觸れを阿夜(あや:驚て歎く)」(古言のふり)を發見し、兩者を『我邦の歴史』と信じた⇒⑦宣長。

〔以下は四十六章各項:纏め〕

 

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P421關係論#雅言②#古言③中古④#古事記⑤上つ代⇒からの關係:⑦は,①と②とを,はつきり使ひ分けてゐた.⑦の言ひ方で言へば,[③の①][ふり],④の[訓法]の規準をなすと考へた,⑤の②の[#ふり]とには,それぞれの時代の[定まり]があつて,兩者の混同は許されない,と⇒⑦宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P421關係論#雅言(みやびごと)②古言⑥奈良朝以前⇒からの關係:⑧は,大體,⑥の言語を①と呼んでゐた.だが,この事は,ただ⑦が②と呼んでゐた,と言つただけでは片付かない.見易い名稱の相違の背後には,二人の,言はば,命名の動機の,目立たぬ違ひが隱れてゐたからだ⇒⑦宣長⑧#真淵

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P421關係論①雅言(みやびごと。物:場 C‘)②古言(いにしへごと。物:場 C‘)③中古(なかむかし。場 C)④『古事記』(: C)⑤上つ代( C)⑥奈良朝以前(C)⇒からの關係:⑦は、①と②とを、はつきり使ひ分けてゐた。彼(⑦)の言ひ方で言へば、『③の①』の『ふり』と、④の『訓法(よみざま)』(D1の至大化)の規準をなすと考へた、⑤の②の『ふり』とには、それぞれの時代の『定まり』があつて、兩者の混同は許されない。(中略)⑧は,大體、⑥の言語を①と呼んでゐた。だが、この事は、ただ⑦が②と呼んでゐた、と言つただけでは片付かない。見易い名稱の相違の背後には、二人の、言はば、命名の動機(D1)の、目立たぬ違ひ(D1の至小化)が隱れてゐたからだ⇒「③:」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑦宣長⑧眞淵(△枠):①への適應正常。

 

(以下文の主旨抜粋)

P421關係論雅言(みやびごと。物:場 C‘)②古言(いにしへごと。物:場 C‘)③中古(なかむかし。場 C)④『古事記』(: C)⑤上つ代( C)⑥奈良朝以前( C)⇒からの關係:既記のやうに、⑦は、①と②とを、はつきり使ひ分けてゐた。彼(⑦)の言ひ方で言へば、『③の①』の『ふり』と、④の『訓法(よみざま)』(D1の至大化)の規準をなすと考へた、⑤の②の『ふり』とには、それぞれの時代の『定まり』があつて、兩者の混同は許されない。(中略)⑧は,大體、⑥の言語を①と呼んでゐた。だが、この事は、ただ⑦が②と呼んでゐた、と言つただけでは片付かない。見易い名稱の相違の背後には、二人の、言はば、命名の動機(D1)の、目立たぬ違ひ(D1の至小化)が隱れてゐたからだ」⇒「③:」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑦宣長⑧眞淵(△枠):①への適應正常。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P421關係論①雅言②言語構造③言語組織⇒からの關係:⑳といふ場合,明かにの上での定義であり,これを[いにしへごと]と混同してはならぬとは,兩者の優劣は,定義上,引き出せぬといふ意味になる.,㉑が①と言ふ場合は,①の優秀性が,直ちに打ち出される形をとる⇒⑳宣長㉑眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P421關係論#雅言一つごころ復古思想平言俗言國語からの關係:㉑の①は,㉒が[みやび]と歌つてゐるのになずらへて[言みやびにたる古こと,④はなほき⑤]と言ふに發想され,⑥と結び,かつ育つたものだ.⑦に對して,優れた正しい傳統的なとする㉑眞淵㉒萬葉歌人

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P421關係論#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

①雅言⑦平言俗言⑧國語⑨#祝詞上古之人の風雅にて弘大なる意上世風後世風からの關係:㉑は⑦に對して,優れた正しい傳統的なとする.従つて,⑧まで遡り,[⑩を知]るに,[雄々しく,雅たる]⑪,[女々しく,いやしき]⑫との優劣の對比が表出される㉑眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P421關係論#古道⑮#古意眞淵の教へ⑰#国意(くにごころ)⑲別々からの關係:⑳を知るについては,#古言 を得て,然る後,⑮を得よといふ,⑮を得るとは即ち⑰(#古事記?)を得る事である,といふ所まで,忠實に守り抜いたわけだが,路線はに敷かれてゐる⇒⑳#宣長㉑#真淵

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P421關係論①雅言(みやびごと。物:場 C‘)②言語構造(物:場 C‘)③言語組織(物:場 C‘)④心(物:場 C‘)⑤一つごころ(眞心?物:場 C‘)⑥復古思想(物:場 C‘)⑦平言俗言(物:場 C‘)⑧國語(物:場 C‘)⑨祝詞(物:場 C‘)⑩上古之人の風雅にて、弘大なる意(こころ。物:場 C‘)⑪上世の風(物:場 C‘)⑫後世風(物:場 C‘)⑬學問(物:場 C‘)⑭古道(古代精神。物:場 C‘)⑮古意(いにしへごころ。物:場 C‘)⑯眞淵の教へ(物:場 C‘)⑰國意(くにごころ。物:場 C‘)⑱深い個性(物:場 C‘)⑲別々(物:場 C‘)⇒からの關係:⑳が①といふ場合、これは、明かに②の上での定義(D1の至大化)なのであり、これを、「いにしへごと」(F)と混同して(D1の至小化)はならぬとは、そこから、直ちに兩者〔とは:①と古言(いにしへごと)〕の優劣は、定義上、引き出せぬ(D1の至小化)といふ意味になるわけだが、㉑が①と言ふ場合は、さういふ③の觀察(D1)は表に出ず(D1の至小化)、むしろ①の優秀性(D1の至大化)が、直ちに打ち出される形をとる。彼(㉑)の所謂①には、やかましいさだまり(D1の至大化)〔とは:②の上での定義(D1の至大化)〕などはなく(D1の至小化)、ただ、それは㉒が『みやび』(F)と歌つてゐる(Eの至大化)のになずらへて、――『言(ことば:F)みやびにたる(Eの至大化)古こと(F)、④はなほき(D1の至大化)⑤』といふ風に言ふところ(D1)に發想され(D1の至大化)、この發想(D1の至大化)が、その⑥と結び、その中で育つた(D1の至大化)ものだ。彼(㉑)は⑦に對して、①を言ふので優れた(D1の至大化)、正しい傳統的な(D1の至大化)⑧を①とするのである。従つて、⑧を⑨まで遡り(D1の至大化)、『いよいよ⑩を知』る(D1の至大化)に及んで、『雄々しく、みやびたる』〔とは:ますらをぶりの〕(D1の至大化)⑪と、『女々しく、いやしき』(D1の至小化)⑫との優劣の、際立つた對比(D1の至大化)が、表に出て來る(D1の至大化)といふ事になつた。その點では、㉑の⑬上の態度(D1)は、⑳に比べると、餘程感情的(D1の至小化)であつたとは言へるであらうが、それも平俗的な意味合(D1の至小化)で、一應はさう言へるといふに過ぎない。⑳は⑭を知る(D1の至大化)については、古言(F)を得て(Eの至大化:言の世界)、然る後、⑮を得よ(D1の至大化:事の世界)といふ⑯を、⑮を得る(D1の至大化)とは即ち⑰〔とは:祝詞の事か?〕を得る(D1の至大化)事である、といふところまで、忠實に守り抜いた(D1の至大化)わけだが、この兩者の、無私な良心的な(D1の至大化)⑬の一と筋な道(D1の至大化)をよく見れば、その下には、二人の學者(⑳㉑)の⑱に由來する(D1の至大化)路線が、⑲に敷かれてゐる(D1の至大化)のが見えて來る」⇒「③」(◎的概念F)⇒」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑳宣長㉑眞淵㉒萬葉歌人(△枠):①への適應正常。

 

(以下文の主旨抜粋)

P421關係論雅言(みやびごと。物:場 C‘)②言語構造(物:場 C‘)言語組織(物:場 C‘)④心(物:場 C‘)⑤一つごころ(眞心?物:場 C‘)⑥復古思想(物:場 C‘)⑦平言俗言(物:場 C‘)⑧國語(物:場 C‘)⑨祝詞(物:場 C‘)⑩上古之人の風雅にて、弘大なる意(こころ。物:場 C‘)⑪上世の風(物:場 C‘)⑫後世風(物:場 C‘)⑬學問(物:場 C‘)⑭古道(古代精神。物:場 C‘)⑮古意(いにしへごころ。物:場 C‘)⑯眞淵の教へ(物:場 C‘)⑰國意(くにごころ。物:場 C‘)⑱深い個性(物:場 C‘)⑲別々(物:場 C‘)⇒からの關係:⑳が①といふ場合、これは、明かに②の上での定義(D1の至大化)なのであり、これを、「いにしへごと」(F)と混同して(D1の至小化)はならぬとは、そこから、直ちに兩者〔とは:①と古言(いにしへごと)〕の優劣は、定義上、引き出せぬ(D1の至小化)といふ意味になるわけだが、㉑が①と言ふ場合は、さういふ③の觀察(D1)は表に出ず(D1の至小化)、むしろ①の優秀性(D1の至大化)が、直ちに打ち出される形をとる。彼(㉑)の所謂①には、やかましいさだまり(D1の至大化)〔とは:②の上での定義(D1の至大化)〕などはなく(D1の至小化)、ただ、それは㉒が『みやび』(F)と歌つてゐる(Eの至大化)のになずらへて、――『言(ことば:F)みやびにたる(Eの至大化)古こと(F)、④はなほき(D1の至大化)⑤』といふ風に言ふところ(D1)に發想され(D1の至大化)、この發想(D1の至大化)が、その⑥と結び、その中で育つた(D1の至大化)ものだ。彼(㉑)は⑦に對して、①を言ふので優れた(D1の至大化)、正しい傳統的な(D1の至大化)⑧を①とするのである。従つて、⑧を⑨まで遡り(D1の至大化)、『いよいよ⑩を知』る(D1の至大化)に及んで、『雄々しく、みやびたる』〔とは:ますらをぶりの〕(D1の至大化)⑪と、『女々しく、いやしき』(D1の至小化)⑫との優劣の、際立つた對比(D1の至大化)が、表に出て來る(D1の至大化)といふ事になつた。その點では、㉑の⑬上の態度(D1)は、⑳に比べると、餘程感情的(D1の至小化)であつたとは言へるであらうが、それも平俗的な意味合(D1の至小化)で、一應はさう言へるといふに過ぎない。⑳は⑭を知る(D1の至大化)については、古言(F)を得て(Eの至大化:言の世界)、然る後、⑮を得よ(D1の至大化:事の世界)といふ⑯を、⑮を得る(D1の至大化)とは即ち⑰〔とは:祝詞の事か?〕を得る(D1の至大化)事である、といふところまで、忠實に守り抜いた(D1の至大化)わけだが、この兩者の、無私な良心的な(D1の至大化)⑬の一と筋な道(D1の至大化)をよく見れば、その下には、二人の學者(⑳㉑)の⑱に由來する(D1の至大化)路線が、⑲に敷かれてゐる(D1の至大化)のが見えて來る」⇒「③」(◎的概念F)⇒」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑳宣長㉑眞淵㉒萬葉歌人(△枠):①への適應正常。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P422關係論①心ことば②古人③古歌④萬葉⇒からの關係:⑨,①[心詞=歌]といふ事をよく言つた.②を知るのには,③に如くものはないといふの考へは,久しくのうちに沈潛してゐるうちに,成熟したものだ⇒⑨眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P422關係論#古人③#古歌からの關係:②を知るのには,③に如くものはないといふの考へは,[古き世の歌ちふものこそ,ふるき代々の人の #心詞(こころことば)なれ]といふ風に,繰り返し語られてゐるうちに,動かぬ確信(心詞=#)となり,⑨独特の意味を帶びるやうになつた⇒⑨眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P422關係論④萬葉⑤#記紀歌學⑦#古道からの關係:⑨をつくし,つづいて窺はんとする,この確信(心詞=#)の延長線上にあつたのであり,大事は,何を置いても,⑤のうちに現れたに着目するにあつた.と言ふより,そこに着目すれば足りる(とは:歌=心詞),といふ事になつた⇒⑨眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P422關係論①心ことば⑥歌學⑦歌⑧古道⇒からの關係:[いにしへの事とても,心こと葉(心詞=歌)の外やはある.しか古へを,おのが①(心詞=歌)にならはし得たらんとき,身こそ後の世にあれ,①(心詞=歌),上つ代にかへらざらめや] 〔とは:古歌を知れば、上つ代(場 C‘)即ち、古道(古代精神)を知る事が可能〕⑨.⑥の上で,⑦と呼ばれた所がを論ずる場合,そのままといふ言葉になる⇒⑨眞淵

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P422關係論①『心ことば』(物:場 C‘)②古人(物:場 C‘)③古歌(物:場 C‘)④『萬葉』(物:場 C‘)⑤『記紀』(物:場 C‘)⑥歌學(物:場 C‘)⑦歌(物:場 C‘)⑧古道(古代精神)(物:場 C‘)⇒からの關係:⑨は、①〔とは:心詞=歌〕といふ事をよく(D1の至大化)言つた。②を知る(D1の至大化)のには、③に如くものはない(D1の至大化)といふ彼の考へ(⑨△枠)は、久しく④のうちに沈潛してゐる(D1の至大化)うちに、成熟した(D1の至大化)ものだ。これ〔とは:②を知る(D1の至大化)のには、③に如くものはない(D1の至大化)といふ彼の考へ(△枠は、『古き世(場 C‘)の歌(古歌。物:場 C‘)ちふものこそ、ふるき代々(場 C‘)の人の心詞(こころことば。物:場 C‘)なれ〔とは:心詞=歌〕』(萬葉集大考)といふ風に、繰り返し語られてゐるうちに、動かぬ確信(D1の至大化)〔とは:心詞=歌〕となり、⑨独特の意味を帶びるやうになつた。④をつくし、つづいて窺はん(D1の至大化)とする⑤も、この確信とは:『古き世(場 C‘)の歌(物:場 C‘)ちふものこそ、ふるき代々(場 C‘)の人の心詞(こころことば。物:場 C‘)なれ〔とは:心詞=歌〕』の延長線上にあつたのであり、大事は、何を置いても、⑤のうちに現れた歌に着目するにあつた。と言ふより、そこ〔とは:⑤のうちに現れたに着目すれば足りる〔とは:歌=心詞〕、といふ事になつたのである。――『いにしへの事とても、心こと葉〔とは:歌=心詞〕の外やはある。しか(であるから)古へ(③)を、おのが①〔とは:心詞=歌〕にならはし得たらん(D1の至大化)とき、身(△枠)こそ後の世(場 C‘)にあれ、心ことば〔とは:心詞=歌〕は、上つ代(場 C‘)にかへらざらめや(D1の至大化)』〔とは:古歌を知れば、上つ代(場 C‘)即ち、古道(古代精神)を知る事が可能〕と言ふ。――この言ひ方から明らかなやうに、の上で、⑦と呼ばれた(D1の至大化)ところが⑧を論ずる(D1の至大化)場合には、そのまま①といふ言葉になる⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑨眞淵(△枠)

 

(以下文の主旨抜粋)

P422關係論①『心ことば』(物:場 C‘)②古人(物:場 C‘)③古歌(物:場 C‘)④『萬葉』(物:場 C‘)⑤『記紀』(物:場 C‘)⑥歌學(物:場 C‘)⑦歌(物:場 C‘)⑧古道(古代精神)(物:場 C‘)⇒からの關係:⑨は、①〔とは:心詞=歌〕といふ事をよく(D1の至大化)言つた。②を知る(D1の至大化)のには、③に如くものはない(D1の至大化)といふ彼の考へ(⑨△枠)は、久しく④のうちに沈潛してゐる(D1の至大化)うちに、成熟した(D1の至大化)ものだ。これ〔とは:②を知る(D1の至大化)のには、③に如くものはない(D1の至大化)といふ彼の考へ(△枠は、『古き世(場 C‘)の歌(古歌。物:場 C‘)ちふものこそ、ふるき代々(場 C‘)の人の心詞(こころことば。物:場 C‘)なれ〔とは:心詞=歌〕』(萬葉集大考)といふ風に、繰り返し語られてゐるうちに、動かぬ確信(D1の至大化)〔とは:心詞=歌〕となり、⑨独特の意味を帶びるやうになつた。④をつくし、つづいて窺はん(D1の至大化)とする⑤も、この確信とは:『古き世(場 C‘)の歌(物:場 C‘)ちふものこそ、ふるき代々(場 C‘)の人の心詞(こころことば。物:場 C‘)なれ〔とは:心詞=歌〕』の延長線上にあつたのであり、大事は、何を置いても、⑤のうちに現れた歌に着目するにあつた。と言ふより、そこ〔とは:⑤のうちに現れたに着目すれば足りる〔とは:歌=心詞〕、といふ事になつたのである。――『いにしへの事とても、心こと葉〔とは:歌=心詞〕の外やはある。しか(であるから)古へ(③)を、おのが①〔とは:心詞=歌〕にならはし得たらん(D1の至大化)とき、身(△枠)こそ後の世(場 C‘)にあれ、心ことば〔とは:心詞=歌〕は、上つ代(場 C‘)にかへらざらめや(D1の至大化)』〔とは:古歌を知れば、上つ代(場 C‘)即ち、古道(古代精神)を知る事が可能〕と言ふ。――この言ひ方から明らかなやうに、の上で、⑦と呼ばれた(D1の至大化)ところが⑧を論ずる(D1の至大化)場合には、そのまま①といふ言葉になる⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑨眞淵(△枠)(△枠)」。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P422關係論②眞淵書簡③#⑤#祝詞後世妙譽の文⑧#記紀からの關係:㉒に宛てた②では,③とは言はず,④と言つてゐる.⑤を推賞し,このやうな,⑥の㉓には及びもつかぬ⑦が,正しく訓めば,⑧にもある事を考へ給へ,と言ふ.このとは,④の形をしたといふ意味㉒宣長㉓人

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P422關係論#⑩#⑪#たたへ言(稱へごと)⇒からの關係:㉔の説き方で言へば,⑩にしぬばむ(偲ばん)おもひがあれば,内よりおこるとなるが,目に見,耳に聞く(外よりの)ところに,もだす(黙す)べからぬ事があれば,外より來るとなる,と言ふだけの事なのである㉒宣長㉔#真淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P422關係論#古道⑬#古人⑭#心詞(こころことば)⑮眞淵の #歌学⑯#しらべからの關係: ㉔にとり,⑫(#古代精神)を明らめるとは,⑬⑭(心詞=歌/)を知る事であり,⑬⑭(心詞=歌/)を知るとは,⑮が説く如く,その[もはら(専ら)]とするを得る事だ#真淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P422關係論#心詞(こころことば)⑮眞淵の歌學⑯#しらべ㉑天地(天然?)のしらべからの關係:⑭について,[いにしへ人のなほくして,心高く,みやびたるを,#万葉 に得]た上は,㉔は,そのの純粋性に,思ひを潛め,これを㉑とも呼べるものに,仕立て上げればよかつたといふ事だ#真淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P422關係論#古道⑯#しらべ⑰#古事記⑱#万葉⑲#歌道路線からの關係:極度に純化されたを掲げて,㉔は,⑰に入り込んだわけだ.このやうな,⑱からに直結する,と言ふより,⑲の精錬が,そのまま⑫(#古代精神)である,といふ㉔流の⑳は,㉒には敷かれてゐなかつた⇒㉒#宣長㉔#真淵

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P422關係論:①祝詞②#古事記③#古言④#雅言⑤万葉歌のしらべ⇒からの關係:⑦は,①②の③を,④の歌文(しらべ/心詞)と捉へた.故に⑤を,[:天地のしらべ]⇒①②では,(歌道の精錬)として仕立てた.,②の本質[神の物語を眞實と信ずる上代人の意],⑦の②観(⑥)に背く⇒⑦真淵.

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P422關係論:①祝詞文②『古事記』③古言(いにしへごと)④雅言(みやびごと)⑤#万葉歌のしらべ⑥国語⇒からの關係:⑧は、①②の③を、言語構造上の差異を無視して、優秀な⑥としての④の歌文〔しらべ/つまり(心詞=歌)と捉へた。故に⑤ [いにしへ人のなほくして,心高く,みやびたる]を、⇒「⑦:天地(自然?)のしらべ」⇒①②では、極度に純化された⑦(歌道の精錬)として、仕立てた〔『歌道の精錬が,そのまま古道(#古代精神)』〕。が、②の本質〔とは:[神の物語を眞實と信ずる,上代人の意(こころ)〕が、⑧の②観(⑦)に背き否定する⇒⑧#真淵

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P422關係論①『祝詞考』(物:場 C‘)②書簡(物:場 C‘)③歌(物:場 C‘)④文(物:場 C‘)⑤祝詞(物:場 C‘)⑥後世(場 C‘)⑦『妙譽の文』(物:場 C‘)⑧『記紀』(物:場 C‘)⑩心(物:場 C‘)⑪『たたへ(稱へ?)言(ごと)』(物:場 C‘)⑫古道(古代精神。物:場 C‘)⑬古人(物:場 C‘)⑭心詞(物:場 C‘)⑮彼(眞淵)の歌學(物:場 C‘)⑯『しらべ』(物:場 C‘)⑰『古事記』(物:場 C‘)⑱『萬葉』(物:場 C‘)⑲歌道(物:場 C‘)⑳路線(物:場 C‘)㉑『天地(自然?天然?)のしらべ』(物:場 C‘)⇒からの關係:①執筆(D1の至大化)の頃に書かれた、㉒に宛てた②では、③とは言はず、④と言つてゐる。⑤を推賞し(D1の至大化)、このやうな、⑥の㉓には及びもつかぬ(D1の至小化)⑦が、正しく訓めば(D1の至大化)、⑧にもある事を考へ給へ(D1の至大化)、と言ふ。この④といふのは、㉔にしてみれば、飽くまでも④の形をした③といふ意味(D1の至大化)を出ないので、特に、詩に對して、散文を言ふのではない。彼(㉔)の説き方(D1)で言へば、⑩にしぬばむ(偲ばん)おもひ(D1の至大化)があれば、内よりおこる(D1の至大化)③となるが、目に見(D1)、耳に聞く(D1)ところ〔とは:外よりおこるところ〕に、もだす(黙す)べからぬ事(D1の至大化)があれば、外より來る⑪となる(文意考)、と言ふだけの事なのである。そこで⑫(古代精神)を明らめる(D1の至大化)とは、⑬の⑭〔とは:心詞=歌(文)〕を知る事であり、⑬の⑭〔とは:心詞=歌(文)〕を知るとは、⑮が説く(D1)如く、その(⑬の⑭の)『もはら(専ら)』(D1の至大化)とする⑯を得る事(D1の至大化)だ。といふ事は、〔とは:心詞=歌(文)〕について、『いにしへ人のなほくして(D1の至大化)、心高く(D1の至大化)、みやびたる(D1の至大化)を、萬葉(物:場 C‘)に得』た上(D1の至大化)は、その⑯の純粋性(D1の至大化)に、思ひを潛め(D1の至大化)、これを㉑とも呼べるものに、仕立て上げれば(D1の至大化)よかつたといふ事である。この極度に純化(D1の至大化)された⑯を掲げて、㉔は、⑰に入り込んだ(D1)わけだ。このやうな⑱から⑰に直結する、と言ふより、⑲の精錬(D1の至大化)が、そのまま⑫であるといふ㉔流の⑳は、㉒には敷かれてゐなかつた(D1の至小化)」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒㉒宣長㉓人㉔眞淵(△枠)。

 

(以下文の主旨抜粋)

P422關係論『祝詞考』(物:場 C‘)②書簡(物:場 C‘)③歌(物:場 C‘)④文(物:場 C‘)⑤祝詞(物:場 C‘)⑥後世(場 C‘)⑦『妙譽の文』(物:場 C‘)⑧『記紀』(物:場 C‘)⑩心(物:場 C‘)⑪『たたへ(稱へ?)言(ごと)』(物:場 C‘)⑫古道(古代精神。物:場 C‘)⑬古人(物:場 C‘)⑭心詞(物:場 C‘)⑮彼(眞淵)の歌學(物:場 C‘)⑯『しらべ』(物:場 C‘)⑰『古事記』(物:場 C‘)⑱『萬葉』(物:場 C‘)⑲歌道(物:場 C‘)⑳路線(物:場 C‘)㉑『天地(自然?天然?)のしらべ』(物:場 C‘)⇒からの關係:①執筆(D1の至大化)の頃に書かれた、㉒に宛てた②では、③とは言はず、④と言つてゐる。⑤を推賞し(D1の至大化)、このやうな、⑥の㉓には及びもつかぬ(D1の至小化)⑦が、正しく訓めば(D1の至大化)、⑧にもある事を考へ給へ(D1の至大化)、と言ふ。この④といふのは、㉔にしてみれば、飽くまでも④の形をした③といふ意味(D1の至大化)を出ないので、特に、詩に對して、散文を言ふのではない。彼(㉔)の説き方(D1)で言へば、⑩にしぬばむ(偲ばん)おもひ(D1の至大化)があれば、内よりおこる(D1の至大化)③となるが、目に見(D1)、耳に聞く(D1)ところ〔とは:外よりおこるところ〕に、もだす(黙す)べからぬ事(D1の至大化)があれば、外より來る⑪となる(文意考)、と言ふだけの事なのである。そこで⑫(古代精神)を明らめる(D1の至大化)とは、⑬の⑭〔とは:心詞=歌(文)〕を知る事であり、⑬の⑭〔とは:心詞=歌(文)〕を知るとは、⑮が説く(D1)如く、その(⑬の⑭の)『もはら(専ら)』(D1の至大化)とする⑯を得る事(D1の至大化)だ。といふ事は、〔とは:心詞=歌(文)〕について、『いにしへ人のなほくして(D1の至大化)、心高く(D1の至大化)、みやびたる(D1の至大化)を、萬葉(物:場 C‘)に得』た上(D1の至大化)は、その⑯の純粋性(D1の至大化)に、思ひを潛め(D1の至大化)、これを㉑とも呼べるものに、仕立て上げれば(D1の至大化)よかつたといふ事である。この極度に純化(D1の至大化)された⑯を掲げて、㉔は、⑰に入り込んだ(D1)わけだ。このやうな⑱から⑰に直結する、と言ふより、⑲の精錬(D1の至大化)が、そのまま⑫であるといふ㉔流の⑳は、㉒には敷かれてゐなかつた(D1の至小化)」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒㉒宣長㉓人㉔眞淵(△枠)。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P423關係論①心ことば②玉勝間④神の御典⑤古言⇒からの關係:⑪,⑫に倣つて,①といふ言葉を使つてゐる.②にある[あがたゐのうしの御さとし言]といふ文で,④を解かんとする高き所を望むのなら,まづを得るといふ,低き所を固めねばならない,といふ教へを體せんと⇒⑪宣長眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P423關係論#こころ詞眞淵の戒めからの關係:(先述の)⑦を體せんと,[いよいよ #萬葉集 に,心をそめて,深く考へ,くりかへし問ひただして,いにしへの⑥(=歌/)をさとりえて見れば],は言つてゐる.しかし言葉(⑥)は借用しても,自分流にしか使い熟(こな)せはしない⇒⑪宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P423關係論#こころ詞眞淵の戒めからの關係:(続き⇒)⑥,使はれてゐる内に,⑫[#歌のこころ,#しらべ]から,⑪自身の[#言の振り,#(さま)],その中味の重點は移つてゐる.⑦と耳には聞いても,その實行は,わが身の事で,自分のやり方で,行はざるを得なかつた⇒⑪宣長⑫#真淵

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P423關係論①『心ことば』(物:場 C‘)②『玉勝間』(物:場 C‘)③文(物:場 C‘)④『神の御典(みふみ)』(物:場 C‘)⑤古言(いにしへごと)⑥『こころ詞』(物:場 C‘)⑦眞淵の戒め(物:場 C‘)⑧自分の事(物:場 C‘)⑨學問(物:場 C‘)⑩個性(物:場 C‘)⇒からの關係:⑪も、⑫にならつて、①といふ言葉を使つて(D1)はゐる。だが、それは形の上でだけの事だ。②にある『あがたゐのうしの御さとし言』といふ③で、④を解かん(D1の至大化)とする高きところを望む(D1の至大化)のなら、まづ、⑤を得るといふ、低きところ(語彙語釋)をかためねば(D1の至小化)ならない、といふ教へ(D1)を體し、――『いよいよ萬葉集(物:場 C‘)に、心(物:場 C‘)をそめて(D1の至大化)、深く考へ(D1の至大化)、くりかへし問ひただして(D1の至大化)、いにしへ(場 C‘)のこころ詞〔=歌(文)〕(物:場 C‘)をさとりえて(D1の至大化)見れば』、――と言つてゐる。しかし、言葉は借用(D1)しても、自分(△枠)流にしか、本當に、これ(眞淵の上文)を使い熟(こな)せ(D1の至大化)はしない。⑥といふ單語にしても、使はれてゐる(D1の至大化)うちに、言はば、⑫の『歌のこころ(物:場 C‘)、しらべ(F)』から、⑪自身の『言(F)の振り(Eの至大化)、格(さま。Eの至大化)』に、その中味の重點は移つてゐる(D1の至大化)と考へていい。懇ろな(D1の至大化)『いましめ』(⑦)と耳には聞いても(D1)、その實行(D1の至大化)となれば、わが身の事(⑧)で、自分のやり方(D1)で、行はざるを得なかつた(D1の至大化)と言へよう。⑨の上での、二人の⑩の微妙な相違(D1の至小化)がある⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑪宣長⑫眞淵(△枠)」。

 

(以下文の主旨抜粋)

P423關係論『心ことば』(物:場 C‘)②『玉勝間』(物:場 C‘)③文(物:場 C‘)④『神の御典(みふみ)』(物:場 C‘)⑤古言(いにしへごと)⑥『こころ詞』(物:場 C‘)⑦眞淵の戒め(物:場 C‘)⑧自分の事(物:場 C‘)⑨學問(物:場 C‘)⑩個性(物:場 C‘)⇒からの關係:⑪も、⑫にならつて、①といふ言葉を使つて(D1)はゐる。だが、それは形の上でだけの事だ。②にある『あがたゐのうしの御さとし言』といふ③で、④を解かん(D1の至大化)とする高きところを望む(D1の至大化)のなら、まづ、⑤を得るといふ、低きところ(語彙語釋)をかためねば(D1の至小化)ならない、といふ教へ(D1)を體し、――『いよいよ萬葉集(物:場 C‘)に、心(物:場 C‘)をそめて(D1の至大化)、深く考へ(D1の至大化)、くりかへし問ひただして(D1の至大化)、いにしへ(場 C‘)のこころ詞〔=歌(文)〕(物:場 C‘)をさとりえて(D1の至大化)見れば』、――と言つてゐる。しかし、言葉は借用(D1)しても、自分(△枠)流にしか、本當に、これ(眞淵の上文)を使い熟(こな)せ(D1の至大化)はしない。⑥といふ單語にしても、使はれてゐる(D1の至大化)うちに、言はば、⑫の『歌のこころ(物:場 C‘)、しらべ(F)』から、⑪自身の『言(F)の振り(Eの至大化)、格(さま。Eの至大化)』に、その中味の重點は移つてゐる(D1の至大化)と考へていい。その邊りのところが見通されれば(D1の至大化)、②の文章も、⑦だけを表に出して(D1の至大化)、物を言つてはゐるが、實は、⑧しか語つてはゐない(D1の至大化)事が解つて來る。懇ろな(D1の至大化)『いましめ』(⑦)と耳には聞いても(D1)、その實行(D1の至大化)となれば、わが身の事(⑧)で、自分のやり方(D1)で、行はざるを得なかつた(D1の至大化)と言へよう。それ〔とは:『實行となれば、わが身の事で、自分のやり方』〕が、③の含みとして、③〔とは:『眞淵の戒め』〕の背後に隱れる(D1の至小化)。⑨の上での、二人の⑩の微妙な相違(D1の至小化)を考へてゐると、そんな言ひ方に誘はれる(D1の至大化)⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑪宣長⑫眞淵(△枠)」。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P424關係論①眞淵の言ひ方②#古事記足取り④#神々⑤#高天原からの關係: ⑦,①を難じた際,⑦には,②に入り込んで來る,非常にはつきり見えてゐた.④,⑤に留まるか,留まらぬか,[かかることに,⑧ #雅言 不雅言のあるべきにあらず],⑦は難じた⇒⑦#宣長⑧#真淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P424關係論#古事記神々高天原からの關係: [④に留まるか留まらぬかに,雅言不雅言のあるべきにあらず]といふ意味は⇒[⑥:天地のしらべ]⇒⑥を提げて,②の裡に入り込んだのだから,⑧,どんな抵抗にも出會はずに濟んだ.,②の方でに抵抗してゐると⑦⇒⑦宣長眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P424關係論#古事記神々高天原からの關係:(前項からの続き⇒)いかにも,⑧の提げた,[#しらべ](#天地のしらべ),②に充滿してゐる[],つまり[#古傳説(②)の正實(まこと)とは,#上古人 の眞(まこと)を示す]を處理するには,②の方でに抵抗して,無力であつた⇒⑦宣長⑧#真淵

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P424關係論①眞淵の言ひ方(物:場 C‘)②『古事記』(物:場 C‘)③足取り(物:場 C‘)④神々(物:場 C‘)⑤高天原(場 C‘)⇒からの關係: ⑦が、①を難じた際、⑦には、②に入り込んで來る(D1の至大化)⑧の③が、非常にはつきり見えてゐた(D1の至大化)と思はれる。④が、⑤に留まる(D1の至大化)か、留まらぬ(D1の至小化)か、「◎:『かかることに、雅言(みやびごと)(D1の至大化)不雅言(D1の至小化)のあるべきにあらず』といふ意味〔とは:④⑤の問題(事の世界)に『雅言不雅言』では對處出來得ぬといふ事〕は、⇒「⑥:『天地のしらべ』(F)」(◎的概念F)⇒E:なるほど⑥〔とは:極度に純化されたしらべ〕を提げて(Eの至大化)、②の裡(言の世界?)に入り込んだ(Eの至大化)のであるから、⑨は、どんな抵抗にも出會はず(Eの至大化)に濟んだ筈だが、②の方で、⑨に抵抗してゐる(D1の至小化)ではないか〔とは:⑥では「事の世界」の處理は不可能だと〕、といふ事になるだらう。いかにも⑧の『しらべ』(⑥F:言の世界?)は、②に充滿してゐる(D1の至大化)『事』(事の世界)〔とは:[古傳説(#古事記)の正實(まこと:)とは,上古人の眞(まこと:心的事實?)を示す]〕を處理(D1の至大化)するには、無力(D1の至小化)であつた」」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑦宣長⑧眞淵⑨貴方(△枠)」。

 

(以下文の主旨抜粋)

P424關係論眞淵の言ひ方(物:場 C‘)②『古事記』(物:場 C‘)③足取り(物:場 C‘)④神々(物:場 C‘)⑤高天原(場 C‘)⇒からの關係:⑦が、①を難じた際、⑦には、②に入り込んで來る(D1の至大化)⑧の③が、非常にはつきり見えてゐた(D1の至大化)と思はれる。④が、⑤に留まる(D1の至大化)か、留まらぬ(D1の至小化)か、「◎:『かかることに、雅言(みやびごと)(D1の至大化)不雅言(D1の至小化)のあるべきにあらず』といふ意味〔とは:④⑤の問題(事の世界)に『雅言不雅言』では對處出來得ぬといふ事〕は、⇒「⑥:『天地のしらべ』(F)」(◎的概念F)⇒E:なるほど⑥〔とは:極度に純化されたしらべ〕を提げて(Eの至大化)、②の裡(言の世界?)に入り込んだ(Eの至大化)のであるから、⑨は、どんな抵抗にも出會はず(Eの至大化)に濟んだ筈だが、②の方で、⑨に抵抗してゐる(D1の至小化)ではないか〔とは:⑥では「事の世界」の處理は不可能だと〕、といふ事になるだらう。いかにも⑧の『しらべ』(⑥F:言の世界?)は、②に充滿してゐる『事』(事の世界)〔とは:[古傳説(#古事記)の正實(まこと:)とは,上古人の眞(まこと:心的事實?)を示す]〕を處理(D1の至大化)するには、無力(D1の至小化)であつた」」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑦宣長⑧眞淵⑨貴方(△枠)」。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P425關係論①宣長著[#うい山ぶみ]②#古学[#古道(#古代精神)を明らかにする #学問]⇒からの關係:①の中に,②のはつきりした定義がある.[古學とは,すべて後世の説にかかはらず,何事も,#古書 によりて,その本を考へ,#上代 の事を,詳らかに明らむる學問也],は言ふ⇒⑪眞淵宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P425關係論[#うい山ぶみ]⇒からの關係:①,更に言ふ.[大かた #奈良の朝 よりしてあなたの #古へ の,もろもろの事のさまを,こまかに精しく考へしりて,手にもとるばかりになりぬるは,もはら此大人(⑪), #古學 のをしへの功にぞ有ける],⇒⑪#真淵⑫#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P425關係論[#古学 をしへの功]⑥#古事記⑦#上つ代もろもろの事のさま⑨#史書からの關係:確かに,⑫の言ふやうに,⑪を見損なふわけにはいかない.⑦を明らめ知るには,⑥が第一のであるといふ考へを,はつきりと打ち出した人は,⑪以前にはゐなかつた⇒⑪#真淵⑫#宣長

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P425關係論①『うい山ぶみ』(物:場 C‘)②古學(物:場 C‘)③『古學(物:場 C‘)をしへの功』(物:場 C‘)④古く(場 C‘)⑤『日本紀』(物:場 C‘)⑥『古事記』(物:場 C‘)⑦上つ代(物:場 C‘)⑧『もろもろの事のさま』(物:場 C‘)⑨史書(物:場 C‘)⑩田安家(場 C‘)⇒からの關係:(承前)。①の中に、②〔とは:古道(古代の精神)を明らかにする學問〕のはつきりした定義(D1の至大化)がある。――『古學(物:場 C‘)とは、すべて後世の説(物:場 C‘)にかかはらず、何事も、古書(物:場 C‘)によりて、その本を考へ、上代(場 C‘)の事を、詳らかに明らむる(D1の至大化)學問(物:場 C‘)也』と言ひ、――『大かた奈良の朝(場 C‘)よりしてあなたの古へ(場 C‘)の、もろもろの事(物:場 C‘)のさまを、こまかに精しく考へしりて(D1の至大化)、手にもとるばかりになりぬる(D1の至大化)は、もはら此大人(眞淵△枠)の、此古學(物:場 C‘)のをしへの功(D1の至大化)にぞ有ける』、――と附言(D1)してゐる。確かに、その言ふやうに、⑪の③を見損なふ(D1の至小化)わけにはいかないのである。⑦の⑧を明らめ知る(D1の至大化)には、⑥が第一の⑨であるといふ考へ(D1の至大化)を、⑪のやうに、はつきりと打ち出した(D1の至大化)人は、彼以前にはゐなかつた(D1の至小化)⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑪眞淵⑫宣長(△枠)」。

 

(以下文の主旨抜粋)

P425關係論①『うい山ぶみ』(物:場 C‘)②古學(物:場 C‘)③『古學(物:場 C‘)をしへの功』(物:場 C‘)④古く(場 C‘)⑤『日本紀』(物:場 C‘)⑥『古事記』(物:場 C‘)⑦上つ代(物:場 C‘)⑧『もろもろの事のさま』(物:場 C‘)⑨史書(物:場 C‘)⑩田安家(場 C‘)⇒からの關係:(承前)。①の中に、②〔とは:古道(古代の精神)を明らかにする學問〕のはつきりした定義(D1の至大化)がある。――『古學(物:場 C‘)とは、すべて後世の説(物:場 C‘)にかかはらず、何事も、古書(物:場 C‘)によりて、その本を考へ、上代(場 C‘)の事を、詳らかに明らむる(D1の至大化)學問(物:場 C‘)也』と言ひ、――『大かた奈良の朝(場 C‘)よりしてあなたの古へ(場 C‘)の、もろもろの事(物:場 C‘)のさまを、こまかに精しく考へしりて(D1の至大化)、手にもとるばかりになりぬる(D1の至大化)は、もはら此大人(眞淵△枠)の、此古學(物:場 C‘)のをしへの功(D1の至大化)にぞ有ける』、――と附言(D1)してゐる。確かに、その言ふやうに、⑪の③を見損なふ(D1の至小化)わけにはいかないのである。④から、⑤を尊重し(D1の至大化)、⑥を輕んずる(D1の至小化)風があつたが、これを偏見(D1の至小化)に基づく通念に過ぎずとし、⑦の⑧を明らめ知る(D1の至大化)には、⑥が第一の⑨であるといふ考へ(D1の至大化)を、⑪のやうに、はつきりと打ち出した(D1の至大化)人は、彼以前にはゐなかつた(D1の至小化)。⑫はそれを言つてゐる(D1の至大化)わけだが、この⑪の②の企て(D1)がしつかりした形を取つて來た(D1の至大化)のは、⑩に仕官して(D1)からの事だ」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑪眞淵⑫宣長(△枠)」。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P425關係論#上つ代 の #正実(#まこと)②#古事記③#史典(#ふみ)④#古への語言(#ことば)⇒からの關係:⑪,①を知るに,②,[あるが中の最上(#かみ)たる③]であるとするのだが,その理由については,[是れ,もはら(専ら)④を主(むね)としたるが故ぞかし]と言ふ⇒⑪#宣長⑬#真淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P425關係論#古学⑥#皇国(#みくに)⑦#古言(#いにしへごと)⑧#眞淵 の大人の功(いさお)⑨日本紀⑩#古事記伝からの關係:(前項の続き⇒)そして,⑤の上で,何を措いても,先づ[⑥ #(#あや)]を直接に感受するやう,⑫をいざなつたところに,⑧があつた,は言ふ⇒⑪宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P425關係論#古事記⑨#日本紀⑩#古事記傳からの關係:(前項の続き⇒),⑬[]としたので,これを捨て去つたわけではない.⑨には,[#古語 に #漢字 を配し,#事理委き]長所があるからだ.これも亦によつて受けつがれた意見であつた⇒⑪宣長眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P425關係論#古事記⑤#古学⑨#日本紀⑩#古事記傳からの關係:(続き⇒),⑨に比べると,[事を記さるること廣く,はた其年月日などまで詳にて,不足(あかぬ)ことなき史なれば,②の及ばざることも多きは,云ふもさらなり]は言ふ.ただにはの大事はないと⑪⑬⇒⑪宣長眞淵

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P425關係論①『上つ代の正實(まこと)』(物:場 C‘)②『古事記』(物:場 C‘)③史典(ふみ)(物:場 C‘)④古への語言(ことば)(古言。物:場 C‘)⑤古學(物:場 C‘)⑥皇國(みくに)(物:場 C‘)⑦古言(いにしへごと)(物:場 C‘)⑧『彼の大人の功(いさお)』(物:場 C‘)⑨『日本紀』(物:場 C‘)⑩『古事記傳』(物:場 C‘)⇒からの關係:⑪は、①を知る(D1の至大化)に、②は、『あるが中の最上(かみ:D1の至大化)たる③』であるとするのだが、その理由については、『是れ、もはら(専ら)④を主(むね)としたる(D1の至大化)が故ぞかし』と言ふ。そして、⑤〔とは:古道(古代の精神)を明らかにする學問〕の上で、何を措いても、先づ『⑥の⑦文(あや)』を直接に感受する(D1の至大化)やう、⑫をいざなつた(D1)ところに、⑧があつたとする。⑬は⑨を『次』としたので、これを捨て去つたわけではない(D1の至大化)。⑨には、『古語に漢字を配し(D1)、事理委き(D1の至大化)』長所があるからだ。これも亦⑪によつて受けつがれた意見であつて、⑨は、②に比べると、――『事(物:場 C‘)を記さるること廣く(D1の至大化)、はた其年月日(場 C‘)などまで詳(D1の至大化)にて、不足(あかぬ)ことなき(D1の至大化)史(ふみ)(物:場 C‘)なれば、此記(②)の及ばざる(D1の至小化)ことも多き(D1の至大化)は、云ふもさらなり』と⑩は言ふただ、其處(⑨)には、⑤〔とは:古道(古代の精神)を明らかにする學問〕の大事はないといふところで、二人の考へは一致してゐた(D1の至大化)わけなのである」⇒⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑪宣長⑫人⑬眞淵(△枠)」。

 

(以下文の主旨抜粋)

P425關係論『上つ代の正實(まこと)』(物:場 C‘)②『古事記』(物:場 C‘)③史典(ふみ)(物:場 C‘)④古への語言(ことば)(古言。物:場 C‘)⑤古學(物:場 C‘)⑥皇國(みくに)(物:場 C‘)⑦古言(いにしへごと)(物:場 C‘)⑧『彼の大人の功(いさお)』(物:場 C‘)⑨『日本紀』(物:場 C‘)⑩『古事記傳』(物:場 C‘)⇒からの關係:(參照:P425眞淵著『延喜式祝詞解』)。⑪は、①を知る(D1の至大化)に、②は、『あるが中の最上(かみ:D1の至大化)たる③』であるとするのだが、その理由については、『是れ、もはら(専ら)④を主(むね)としたる(D1の至大化)が故ぞかし』と言ふ。そして、⑤〔とは:古道(古代の精神)を明らかにする學問〕の上で、何を措いても、先づ『⑥の⑦文(あや)』を直接に感受する(D1の至大化)やう、⑫をいざなつた(D1)ところに、⑧があつたとする。⑬は⑨を『次』としたので、これを捨て去つたわけではない(D1の至大化)。⑨には、『古語に漢字を配し(D1)、事理委き(D1の至大化)』長所があるからだ。これも亦⑪によつて受けつがれた意見であつて、⑨は、②に比べると、――『事(物:場 C‘)を記さるること廣く(D1の至大化)、はた其年月日(場 C‘)などまで詳(D1の至大化)にて、不足(あかぬ)ことなき(D1の至大化)史(ふみ)(物:場 C‘)なれば、此記(②)の及ばざる(D1の至小化)ことも多き(D1の至大化)は、云ふもさらなり』と⑩は言ふただ、其處(⑨)には、⑤〔とは:古道(古代の精神)を明らかにする學問〕の大事はないといふところで、二人の考へは一致してゐた(D1の至大化)わけなのである」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑪宣長⑫人⑬眞淵(△枠)」。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P425關係論#上つ代②#故事(#ふること)③#國史の體(さま)⑤上つ代の #正実(#まこと)⑨#日本紀からの關係:⑰の言ひ方で言へば,① #収集と整理 とによつて,③,[事備(そな)はる]のが見えて來ても,⑨には,⑤を決定するやうな力はない,といふの考へ⇒⑰#宣長⑱#眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P425關係論#上つ代故事(ふること)⑤#上つ代の正實(まこと)⑥故事古人の心上古の事實からの關係:(続き⇒)②に加へる,収集と整理の力は,②が内に秘めたを逃して了ふとの考への裡にあつて,⑰を言ふ場合,⑱も亦,同じくを言つてゐるのを思つてゐた⇒⑰宣長眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P425關係論#上古の事實⑨#日本紀⑩#漢文⑪#古事記⑫#上古 質直の #國史⑬#國語からの關係: (前項から続き⇒)⑱,⑨[⑧に違]ふと言ふのは,[⑩に泥(なず)]んだが爲といふ考へからだし,⑪と呼ぶのも,[⑬を専(もはら)としてゐるといふ意味だ⇒⑰#宣長⑱#眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P425關係論⑬眞淵の教え⑭うい山ぶみ⑮[]⑯#心詞からの關係: (続き⇒)⑭,⑬により,[古の,諸々の事の様],ただ明らかになると言ふに止まらず,[手にもとるばかりになりぬる]は言つてゐるが,これは,⑱(『上古の事實』:事の世界?)を傍觀せず,⑯と觀じて,親しく交つてゐる事の謂ひ⇒⑰宣長

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P425關係論①上つ代(場 C‘)②『故事(ふること)』(物:場 C‘)③『國史の體(さま)』(物:場 C‘)④其處(『日本紀』)(物:場 C‘)⑤『上つ代の正實(まこと)』(物:場 C‘)⑥故事(ふること。物:場 C‘)⑦古人(いにしへびと)の心(物:場 C‘)⑧『上古の事實』(物:場 C‘)⑨『日本紀』(物:場 C‘)⑩漢文(物:場 C‘)⑪『古事記』(物:場 C‘)⑫『上古質直の國史』(物:場 C‘)⑬國語(物:場 C‘)⑭『うい山ぶみ』(物:場 C‘)⑮『事』(物:場 C‘)⑯『心詞』(=歌)(物:場 C‘)⇒からの關係:⑰の言ひ方で言へば、①の②の収集と整理(D1)とによつて、③に、『事備(そな)はる』(D1の至大化)のが見えて來ても、④には、⑤を決定する(D1の至大化)やうな力はない(D1の至小化)。②に加へるそのやうな外からの力(D1の至小化)〔とは:収集と整理(D1)〕は、②が内に秘めた⑦を逃して了ふ(D1の至小化)といふ考へである。かういふ考への裡にあつて、⑰が⑤を言ふ場合、⑱も亦同じ意味合(D1の至大化)で、⑧を言つてゐる(D1の至大化)のを思つてゐたであらう。⑱が、⑨が『⑧に違』ふと言ふのは、『⑩に泥(なず)』んだ(D1の至小化)が爲といふ考へからだし、⑪が⑫と呼ぶ(D1の至大化)のも、『⑬を専(もはら)』としてゐる(D1の至大化)といふ意味だ。⑭で、眞淵のをしへ(物:場 C‘)により、『古(場 C‘)の、もろもろの事のさま(物:場 C‘)』が、ただ明らかになる(D1の至大化)と言ふに止まらず、『手にもとるばかりになりぬる(D1の至大化)』と⑰は言つてゐるが、言ふまでもなく、これは、⑱が⑮(『上古の事實』:事の世界?)を傍観(D1の至小化)せず、これを⑯と觀じて(D1の至大化)、親しく(D1の至大化)、これと交つてゐる(D1の至大化)。それが念頭にあつて(D1の至大化)言つてゐるのである⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑰宣長⑱眞淵(△枠)。

 

(以下文の主旨抜粋)

P425關係論上つ代(場 C‘)②『故事(ふること)』(物:場 C‘)③『國史の體(さま)』(物:場 C‘)④其處(『日本紀』)(物:場 C‘)⑤『上つ代の正實(まこと)』(物:場 C‘)⑥故事(ふること。物:場 C‘)⑦古人(いにしへびと)の心(物:場 C‘)⑧『上古の事實』(物:場 C‘)⑨『日本紀』(物:場 C‘)⑩漢文(物:場 C‘)⑪『古事記』(物:場 C‘)⑫『上古質直の國史』(物:場 C‘)⑬國語(物:場 C‘)⑭『うい山ぶみ』(物:場 C‘)⑮『事』(物:場 C‘)⑯『心詞』(=歌)(物:場 C‘)⇒からの關係:⑰の言ひ方で言へば、①の②の収集と整理(D1)とによつて、③に、『事備(そな)はる』(D1の至大化)のが見えて來ても、④には、⑤を決定する(D1の至大化)やうな力はない(D1の至小化)。②に加へるそのやうな外からの力(D1の至小化)〔とは:収集と整理(D1)〕は、②が内に秘めた⑦を逃して了ふ(D1の至小化)といふ考へである。かういふ考への裡にあつて、⑰が⑤を言ふ場合、⑱も亦同じ意味合(D1の至大化)で、⑧を言つてゐる(D1の至大化)のを思つてゐたであらう。⑱が、⑨が『⑧に違』ふと言ふのは、『⑩に泥(なず)』んだ(D1の至小化)が爲といふ考へからだし、⑪が⑫と呼ぶ(D1の至大化)のも、『⑬を専(もはら)』としてゐる(D1の至大化)といふ意味だ。⑭で、眞淵のをしへ(物:場 C‘)により、『古(場 C‘)の、もろもろの事のさま(物:場 C‘)』が、ただ明らかになる(D1の至大化)と言ふに止まらず、『手にもとるばかりになりぬる(D1の至大化)』と⑰は言つてゐるが、言ふまでもなく、これは、⑱が⑮(『上古の事實』:事の世界?)を傍観(D1の至小化)せず、これを⑯と觀じて(D1の至大化)、親しく(D1の至大化)、これと交つてゐる(D1の至大化)。それが念頭にあつて(D1の至大化)言つてゐるのである⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑰宣長⑱眞淵(△枠)。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P426關係論#書紀③#古事記古學史典(ふみ)⑦#上つ代の清らかな正實(#まこと)⑧古への語言(ことば)⇒からの關係:(続き⇒)⑪,何故よりもを推すか,⑤の上で,③,[あるが中の最上(かみ)⑥]と定めるのは,⑦,(うま)らに見る事が出來るからだ⇒⑩#眞淵宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P426關係論#書紀③#古事記⑧#⑨#古へ の #語言(#ことば)⇒からの關係:(続き⇒)③#文体(#かきざま),[⑧にかかはらず,ただ,⑨を失はぬを主(むね)]として書かれてゐるからだ,さう言つて,直ぐ,次のやうにつづける.(⇒次項へ続く)⇒⑩#眞淵⑪#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P426關係論②書紀③#古事記⑦#上つ代の清らかな正實からの關係:(続き⇒)[(そもそも)(こころ)と事(こと)[とは:事の世界]と言(ことば)[とは:言の世界]とは,みな相稱(#あひかな)へる物にして,#上つ代は意も事も言も上つ代,後の代は,意も事も言も後の代],(次項へ続く)⇒⑪宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P426關係論#書紀③#古事記⑦#上つ代の清らかな正實からの關係:(続き⇒)[#漢国(#からくに),意も事も言も漢国なるを,②,#後の代の意 をもて,上つ代の事を記し,漢国の言を以て,#皇国(#みくに)の意を記されたる故に,あひかな(相稱)はざること多かるを],(次項へ続く)⇒宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P426關係論#古事記⑨#古へ の語言(ことば)⇒からの關係:(続き)⇒③はいささかもさかしら(賢しら)を加へずて,古へより云ひ傳へたるままに記されたれば,その意も事も言も相稱(#あひかなひ), #上つ代の実(#まこと)なり,是れもはらを主としたるが故ぞかし](次項へ)⇒#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P426關係論#古事記⑦#上つ代の清らかな正實古への語言(ことば)⇒からの關係:(続き⇒)すべて意(#こころ)も事(#こと)[#事の世界],(#ことば)[#言の世界]以て傳ふるものなれば,(#ふみ)はその(古への)記せる #言辭(ことば:言葉遣ひ/物の言ひ方),主には有ける]⇒⑪#宣長

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P426關係論『心詞』(物:場 C‘)②『書紀』(物:場 C‘)③『古事記』(物:場 C‘)④物(物:場 C‘)⑤古學(物:場 C‘)⑥史典(ふみ。物:場 C‘)⑦『上つ代の清らかな正實(まこと)』(物:場 C‘)⑧漢(場 C‘)⑨古への語言(ことば。物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。やはり話は、⑩の言ふ①の、⑪による受取り方(D1の至大化)に搾られるやうである。⑪が、何故②よりも③を推す(D1の至大化)か、を言ふところを、ここで、丁寧に辿つてみる(D1の至大化)事にしよう。⑤〔とは:古道(古代の精神)を明らかにする學問〕の上で、③を、『あるが中の最上(かみ:D1の至大化)の⑥』と定めるのは、⑦が、熟(うま)らに見る(D1の至大化)事が出來るからだ。具體的に言へば、その文體(かきざま)(F⇒Eの至大化)は、『⑧にかかはらず(D1の至小化)、ただ、⑨を失はぬ(D1の至大化)を主(むね)』として書かれてゐるからだ。さう言つて、直ぐ、次のやうにつづける、――『抑(そもそも)意(こころ)(物:場 C‘)と事(こと)(物:場 C‘)〔とは:事の世界〕と言(ことば)(F)〔とは:言の世界〕とは、みな相稱(あひかな)へる(D1の至大化)物(物:場 C‘)にして、上つ代(場 C‘)は、意(こころ)も事(こと)〔とは:事の世界〕も言(ことば)(F)〔とは:言の世界〕も上つ代(場 C‘)、後の代(場 C‘)は、意(こころ)も事(こと)〔とは:事の世界〕も言(ことば)(F)〔とは:言の世界〕も後の代(場 C‘)、漢國(からくに:場 C‘)は、意も事も〔とは:事の世界〕言(F)〔とは:言の世界〕も漢國(場 C‘)なるを、書紀(物:場 C‘)は、後の代(場 C‘)の意(こころ。物:場 C‘)をもて、上つ代(場 C‘)の事(物:場 C‘)を記し(D1の至小化)、漢國(場 C‘)の言(ことば)(F)を以て、皇國(みくに)の意(こころ。物:場 C‘)を記されたる(D1の至小化)故に、あひかな(相稱)はざる(D1の至小化)こと多かるを、此記(『古事記』。物:場 C‘)はいささかもさかしら(賢しら)(D1の至小化)を加へず(D1の至小化)て、古へ(場 C‘)より云ひ傳へたるまま(D1の至大化)に記されたれば、その意も事も〔とは:事の世界〕言(F)〔とは:言の世界〕も相稱(あひかなひ)て、皆上つ代(場 C‘)の實(まこと。物:場 C‘)なり、是れもはら(専ら)古へ(場 C‘)の語言(ことば。物:場 C‘)を主(むね)としたる(D1の至大化)が故ぞかし、すべて意も事〔とは:事の世界〕も、言(F)〔とは:言の世界〕以て傳ふるものなれば、書(ふみ。物:場 C‘)はその(古への)記せる言辭(ことば:言葉遣ひ/物の言ひ方/F⇒Eの至大化)ぞ、主(むね)には有ける(D1の至大化)と。」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑩眞淵⑪宣長(△枠)。

 

(以下文の主旨抜粋)

P426關係論『心詞』(物:場 C‘)②『書紀』(物:場 C‘)③『古事記』(物:場 C‘)④物(物:場 C‘)⑤古學(物:場 C‘)⑥史典(ふみ。物:場 C‘)⑦『上つ代の清らかな正實(まこと)』(物:場 C‘)⑧漢(場 C‘)⑨古への語言(ことば。物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。やはり話は、⑩の言ふ①の、⑪による受取り方(D1の至大化)に搾られるやうである。⑪が、何故②よりも③を推す(D1の至大化)か、を言ふところを、ここで、丁寧に辿つてみる(D1の至大化)事にしよう。この邊りの事情には、その④の言ひ方(D1の至大化)から、直に感じ取る(D1の至大化)より他はないやうなものがあるのを思ふからである。⑤〔とは:古道(古代の精神)を明らかにする學問〕の上で、③を、『あるが中の最上(かみ:D1の至大化)の⑥』と定めるのは、⑦が、熟(うま)らに見る(D1の至大化)事が出來るからだ。具體的に言へば、その文體(かきざま)(F⇒Eの至大化)は、『⑧にかかはらず(D1の至小化)、ただ、⑨を失はぬ(D1の至大化)を主(むね)』として書かれてゐるからだ。さう言つて、直ぐ、次のやうにつづける、――『抑(そもそも)意(こころ)(物:場 C‘)と事(こと)(物:場 C‘)〔とは:事の世界〕と言(ことば)(F)〔とは:言の世界〕とは、みな相稱(あひかな)へる(D1の至大化)物(物:場 C‘)にして、上つ代(場 C‘)は、意(こころ)も事(こと)〔とは:事の世界〕も言(ことば)(F)〔とは:言の世界〕も上つ代(場 C‘)、後の代(場 C‘)は、意(こころ)も事(こと)〔とは:事の世界〕も言(ことば)(F)〔とは:言の世界〕も後の代(場 C‘)、漢國(からくに:場 C‘)は、意も事も〔とは:事の世界〕言(F)〔とは:言の世界〕も漢國(場 C‘)なるを、書紀(物:場 C‘)は、後の代(場 C‘)の意(こころ。物:場 C‘)をもて、上つ代(場 C‘)の事(物:場 C‘)を記し(D1の至小化)、漢國(場 C‘)の言(ことば)(F)を以て、皇國(みくに)の意(こころ。物:場 C‘)を記されたる(D1の至小化)故に、あひかな(相稱)はざる(D1の至小化)こと多かるを、此記(『古事記』。物:場 C‘)はいささかもさかしら(賢しら)(D1の至小化)を加へず(D1の至小化)て、古へ(場 C‘)より云ひ傳へたるまま(D1の至大化)に記されたれば、その意も事も〔とは:事の世界〕言(F)〔とは:言の世界〕も相稱(あひかなひ)て、皆上つ代(場 C‘)の實(まこと。物:場 C‘)なり、是れもはら(専ら)古へ(場 C‘)の語言(ことば。物:場 C‘)を主(むね)としたる(D1の至大化)が故ぞかし、すべて意も事〔とは:事の世界〕も、言(F)〔とは:言の世界〕以て傳ふるものなれば、書(ふみ。物:場 C‘)はその(古への)記せる言辭(ことば:言葉遣ひ/物の言ひ方/F⇒Eの至大化)ぞ、主(むね)には有ける(D1の至大化)と。」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑩眞淵⑪宣長(△枠)。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P427關係論#古事記古へ③#(こころ)④#⑥#からの關係:①,②よりの云ひ傳へに忠實な言語表現(#古言のふり)では,言はば,[③(事の世界),(ことば:言の世界)#相稱(あひかな)]つてゐると言ふ.⑫がよく使ふで言へば,其處には,さういふが見える,⇒⑫宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P427關係論#古事記②#古へ③#(#こころ)④#(#こと)⑤#言葉⑥[#]⑦#上つ代の實(#まこと)⇒からの關係: (前項の続き⇒).その⑥(#言の世界=#事の世界)こそ,取りも直さずと呼ぶものだ,は言ひたい.これは,⑬が工夫し,⑬が作り上げたでもない⇒⑫#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P427關係論#⑧#国語からの關係: (前項続き⇒).⑭に語り繼がれて生きて行くうちに,⑧,自らの力で,さういふ⑥(言の世界=事の世界)を整へたのである.ただ,⑧,そのを整へるに當つて經驗した,特殊な條件([#古言のふり]での,最古の國史の記載)が問題なのだ⇒⑫宣長人々

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P427關係論#古事記⑥#⑧#国語⑩#語言(#ことば)⑪#国史からの關係: (前項続き⇒).それは何かと言ふと,⑮,[古への⑩],尋常な⑥[とは:言の世界(#古言のふり)#事の世界][失はぬを主と]して,自分達の最古のを書かねばならなかつた,といふ事である,⑫⇒⑫宣長

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P427關係論①『古事記』(物:場 C‘)②古へ(場 C‘)③意(こころ。物:場 C‘)④事(こと。場 C‘)⑤言葉(物:場 C‘)⑥『形』(物:場 C‘)『上つ代の實(まこと)』(物:場 C‘)⑧國語(物:場 C‘)⑨わが國の上つ代(場 C‘)⑩語言(ことば。物:場 C‘)⑪國史(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。①の、②よりの云ひ傳へに忠實(D1の至大化)な言語表現(D1の至大化)〔とは:古言(いにしへごと)のふり〕では、言はば、『③も④も〔とは:事の世界〕言(ことば:F)〔とは:言の世界〕も相稱(あひかな)』つて、ゐると言ふ。⑫がよく使ふ⑤で言へば、其處〔とは:『①の、②よりの云ひ傳へに忠實(D1の至大化)な言語表現(D1の至大化)』:古言(いにしへごと)のふり〕には、さういふ〔『相稱(あひかな)』つて、ゐる〕⑥〔とは:言の世界=事の世界〕が見えるのであつてその〔『相稱(あひかな)』つて、ゐる〕〔とは:言の世界/古言(いにしへごと)のふり=事の世界〕こそ、取りも直さず⑦と呼ぶ(D1の至大化)ものだ、と彼(⑫)は言ひたい(D1の至大化)。これは、⑬が工夫し、⑬が作り上げた⑥〔とは:言の世界=事の世界〕でもない(とは以下枠文參照)。⑭に語り繼がれて(轉義?)生きて行くうちに、⑧は、自らの力(言靈?)で、さういふ⑥〔とは:言の世界=事の世界〕を整へた(合體?)のである。何も、⑨の⑩に限らない。何處の國(場 C‘)の、何時の時代(場 C‘)の⑩でも、さういふ⑥〔とは:言の世界(古言のふり)=事の世界〕を取る力は、自らのうちに藏してゐる。ただ、ここでは、⑧が、その⑥〔とは:言の世界(古言のふり)=事の世界〕を整へる(D1の至大化)に當つて經驗した、特殊な條件〔とは:『古言のふり』(F⇒Eの至大化)での最古の國史(物:場 C‘)の記載〕が問題なのだ。それは何かと言ふと、⑮は、『古への⑩』の、尋常な⑥〔とは:言の世界(古言のふり)=事の世界〕を『失はぬ(D1の至大化)を主(むね)と(D1の至大化)』して、自分達の最古の⑪を書かねばならなかつた(D1の至大化)、といふ事である」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑫宣長⑬誰⑭人々⑮私達(△枠)。

 

(以下文の主旨抜粋)

P427關係論『古事記』(物:場 C‘)②古へ(場 C‘)③意(こころ。物:場 C‘)④事(こと。場 C‘)⑤言葉(物:場 C‘)⑥『形』(物:場 C‘)『上つ代の實(まこと)』(物:場 C‘)⑧國語(物:場 C‘)⑨わが國の上つ代(場 C‘)⑩語言(ことば。物:場 C‘)⑪國史(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。①の、②よりの云ひ傳へに忠實(D1の至大化)な言語表現(D1の至大化)〔とは:古言(いにしへごと)のふり〕では、言はば、『③も④も〔とは:事の世界〕言(ことば:F)〔とは:言の世界〕も相稱(あひかな)』つて、ゐると言ふ。⑫がよく使ふ⑤で言へば、其處〔とは:『①の、②よりの云ひ傳へに忠實(D1の至大化)な言語表現(D1の至大化)』:古言(いにしへごと)のふり〕には、さういふ〔『相稱(あひかな)』つて、ゐる〕⑥〔とは:言の世界=事の世界〕が見えるのであつてその〔『相稱(あひかな)』つて、ゐる〕〔とは:言の世界/古言(いにしへごと)のふり=事の世界〕こそ、取りも直さず⑦と呼ぶ(D1の至大化)ものだ、と彼(⑫)は言ひたい(D1の至大化)。これは、⑬が工夫し、⑬が作り上げた⑥〔とは:言の世界=事の世界〕でもない(とは以下枠文參照)

《『古事記の古への傳へ(古傳説)は、誰が云出し言ともなく、ただいと上つ代より、語り傳へ來つるまま』(古事記傳)〔即ち:『傳説の正實(まこと:)といふ事〕。そして、神代の古傳説の正實(まこと:)とは,神代の古傳説に表現され,直かに感受出來る國民の心。及びその國民の心を領してゐた思想・信念の正實(まこと:)に他ならない》

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十二章

P393關係論#伝説③正實(#まこと:)④紀⑤記⑥古事記傳⑦古への傳へ⑧上つ代⇒からの關係:⑳は,③を,②の③の意味〔傳説の正實(まこと:)〕で使用。④よりも⑤が何故,優れてゐるかは,⑥で記述の様に,[古事記の⑦は然らず,㉑が云出し言ともなく,ただいと⑧より,語り傳へ來つるまま]〔即ち:『傳説の正實(まこと:)』といふ事〕なる故と⇒⑳宣長㉑誰

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十二章

P393關係論⑨文字も書物⑩遠い昔⇒からの關係:⑨もない,⑩から,長い年月,[Ⅰ共同生活/#神の歌/Ⅲ神の物語]⇒極めて多數の尋常な(上代の)㉒が,Ⅰを營みつつ,誰言ふとなく語り出し(言の世界),語り合ふうちに,誰もが美しいと感ずるⅡ(言の世界)や,誰もが眞實と信ずるⅢが生れて來て傳へられて來た⇒㉒生活人

(凝縮實在關係論)

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十二章主題

P393關係論①古傳説の正實(まこと:)⇒からの關係:②の言ふ,①とは⇒[Ⅰ共同生活/Ⅱ神の歌/Ⅲ神の物語]⇒③が,Ⅰを營みつつ,誰言ふとなく語り出し,語り合ふ内に,誰もが美しいと感ずるⅡや,誰もが眞實と信ずるⅢが,生れて來て傳へられて來た,③の眞(まこと:心的事實?)を示す⇒②宣長③上古人

⑭に語り繼がれて(轉義?)生きて行くうちに、⑧は、自らの力(言靈?)で、さういふ⑥〔とは:言の世界=事の世界〕を整へた(合體?)のである。何も、⑨の⑩に限らない。何處の國(場 C‘)の、何時の時代(場 C‘)の⑩でも、さういふ⑥〔とは:言の世界(古言のふり)=事の世界〕を取る力は、自らのうちに藏してゐる。ただ、ここでは、⑧が、その⑥〔とは:言の世界(古言のふり)=事の世界〕を整へる(D1の至大化)に當つて經驗した、特殊な條件〔とは:『古言のふり』(F⇒Eの至大化)での最古の國史(物:場 C‘)の記載〕が問題なのだ。それは何かと言ふと、⑮は、『古への⑩』の、尋常な⑥〔とは:言の世界(古言のふり)=事の世界〕を『失はぬ(D1の至大化)を主(むね)と(D1の至大化)』して、自分達の最古の⑪を書かねばならなかつた(D1の至大化)、といふ事である」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑫宣長⑬誰⑭人々⑮私達(△枠)。

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P427關係論#漢文②#國語③#④#意識⑤#文化の曙⑥#事件からの關係:①との衝突によつて目覺まされ,研がれたの動き,⑱,これ(とは:[#古言のふり]での最古の國史の記術)に當り,その内奥で起つた,異様な重大なと率直に受取つてゐたのである⇒⑱宣長私達

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P427關係論#歴史意識⑧#言語⑨#文章からの關係:(続き⇒).⑱の鋭い⑦[#古言のふり 記述は #文化の曙 に當り,その内奥で起つた異様な重大な #事件,との意識]には何度でも,立還つてみなければならない.さうしないと,⑧を論ずるでは,その含蓄する所が見えて來ない⇒⑱宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P427關係論#歴史眼⑫#(ふみ)⑬#⑭#歴史⑮#言辭からの關係:(続き⇒).⑱の言ひ方[上つ代の實(まこと)]でも,紙背にが光つてゐる.その,[すべて意も事も,言以て傳ふるものなれば,⑫はその記せる,主には有ける]といふの結びやうを,決定してゐるのを感ずる⇒⑱宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P427關係論#歴史言辭思想玉鉾百首からの關係:⑱,⑭の行く道は即ち(ことば:言葉遣ひ/物の言ひ方/Eの至大化)の行く道〔とは:徂徠『世は言を乘せて以て遷り』と同〕である,と言ひ切つてゐる.この,⑰では,[上つ代の 形よく見よ 石上 #古事記 は まそみのかがみ(十全な鏡)],或は[神の世の 事らことごと 傳へ來て 記せる御書 見ればたふとし]⇒⑱宣長

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P427關係論①漢文(物:場 C‘)②國語(物:場 C‘)『形』(物:場 C‘)④意識(物:場 C‘)⑤文化の曙(物:場 C‘)⑥事件(物:場 C‘)⑦歴史意識(物:場 C‘)⑧言語(物:場 C‘)⑨文章(物:場 C‘)⑩問題(物:場 C‘)⑪歴史眼(物:場 C‘)⑫書(ふみ。物:場 C‘)⑬文(物:場 C‘)⑭歴史(物:場 C‘)⑮言辭(物:場 C‘)⑯思想(物:場 C‘)⑰『玉鉾百首』(物:場 C‘)⇒からの關係:①との衝突(D1の至小化)によつて目覺まされ(D1の至大化)、研がれた(D1の至大化)②の③〔とは:言の世界(古言のふり)=事の世界〕の④の動き(D1の至大化)、⑱は、これ〔とは:(前項記)『古言のふり』(F⇒Eの至大化)での最古の國史(物:場 C‘)の記術〕を⑲の⑤に當り、その内奥で起つた(D1の至大化)、異様な重大(D1の至大化)な⑥と率直に受取つてゐた(D1の至大化)のである。この、彼(△枠)の鋭い(D1の至大化)⑦〔とは:『文化の曙(物:場 C‘)の内奥で起つた、異様な重大(D1の至大化)な事件(物:場 C‘)』觀〕には、何度でも、立還つて(D1の至大化)みなければならない。さうしないと、⑧を論ずる(D1の至大化)⑱の⑨では、その含蓄するところ(D1の至大化)が見えて來ない(D1の至小化)。今⑩としてゐる、彼(⑱)の物の言ひ方〔とは:『上つ代の實(まこと)』(物:場 C‘)〕でも、まさしくさうなので、やはり私は、紙背に光つてゐる筆者(⑱)の⑪を想ふ(D1の至大化)。それが、『すべて意(こころ)も事(こと)〔とは:事の世界〕も、言(ことば:F)〔とは:言の世界〕以て傳ふるものなれば、⑫はその(言の)記せる⑮(ことば:物の言ひ方/F⇒Eの至大化/言葉遣ひ)ぞ、主(むね:D1の至大化)には有ける(D1の至大化)といふ⑬の結びやう(D1の至大化)を、決定してゐる(D1の至大化)のを感ずる⑱は、⑭の行く道(D1の至大化)は即ち⑮言辭(ことば:言葉遣ひ/物の言ひ方/F⇒Eの至大化)の行く道(D1の至大化)〔とは:徂徠『世は言を乘せて以て遷り』と同〕である、とはつきり言ひ切つてゐるのだ(D1の至大化)。この徹底した⑯が、例へば⑰では、直ちに『上つ代の 形〔とは:言の世界(古言のふり)=事の世界〕よく見よ 石上 古事記は まそみのかがみ(眞十:十全な鏡)』(とは以下枠文參照)、或は『神の世の 事らことごと 傳へ來て 記せる御書(『古事記』) 見ればたふとし』と歌はれるのである⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑱宣長⑲私達(△枠)

#小林秀雄 著 #本居宣長 三十七章

P348關係論#神代の古言#古事記③まそみの鏡(眞十:十全な鏡)上代の形⑤古典⑥#味御路⑦物⇒からの關係:①(迦微/産巣日神/天照大御神等)とは,②といふ③に映し出された,[よく見よ]と言ふ④であつた〔とは:神代の古言は上代の形〕⇒⑧道といふ #言挙⇒⑤に現れた生活には[何の道くれの道]といふ様な⑧は,なかつたのだし,#道 と言へば⑥と言はれた,[ただ⑦にゆく道]があつただけ以下割愛:,その他に道といふものは考へられてはゐなかつた.それで秩序ある社會生活を營むのに何の仔細もなかつた,のみならず、その事についての明らかな自覺があつた事は,[神ながら言擧せぬ國]といふ古語が使はれてゐた事で知られるのである⇒上代人

 

(以下文の主旨抜粋)

P427關係論漢文(物:場 C‘)②國語(物:場 C‘)③『形』(物:場 C‘)④意識(物:場 C‘)⑤文化の曙(物:場 C‘)⑥事件(物:場 C‘)⑦歴史意識(物:場 C‘)⑧言語(物:場 C‘)⑨文章(物:場 C‘)⑩問題(物:場 C‘)⑪歴史眼(物:場 C‘)⑫書(ふみ。物:場 C‘)⑬文(物:場 C‘)⑭歴史(物:場 C‘)⑮言辭(物:場 C‘)⑯思想(物:場 C‘)⑰『玉鉾百首』(物:場 C‘)⇒からの關係:①との衝突(D1の至小化)によつて目覺まされ(D1の至大化)、研がれた(D1の至大化)②の③〔とは:言の世界(古言のふり)=事の世界〕の④の動き(D1の至大化)、⑱は、これ〔とは:(前項記)『古言のふり』(F⇒Eの至大化)での最古の國史(物:場 C‘)の記術〕を⑲の⑤に當り、その内奥で起つた(D1の至大化)、異様な重大(D1の至大化)な⑥と率直に受取つてゐた(D1の至大化)のである。この、彼(△枠)の鋭い(D1の至大化)⑦〔とは:『文化の曙(物:場 C‘)の内奥で起つた、異様な重大(D1の至大化)な事件(物:場 C‘)』觀〕には、何度でも、立還つて(D1の至大化)みなければならない。さうしないと、⑧を論ずる(D1の至大化)⑱の⑨では、その含蓄するところ(D1の至大化)が見えて來ない(D1の至小化)、さういふ事が、私の經驗では、屡々起つた。今⑩としてゐる、彼(⑱)の物の言ひ方〔とは:『上つ代の實(まこと)』(物:場 C‘)〕でも、まさしくさうなので、やはり私は、紙背に光つてゐる筆者(⑱)の⑪を想ふ(D1の至大化)。それが、『すべて意(こころ)も事(こと)〔とは:事の世界〕も、言(ことば:F)〔とは:言の世界〕以て傳ふるものなれば、⑫はその(言の)記せる⑮(ことば:物の言ひ方/F⇒Eの至大化/言葉遣ひ)ぞ、主(むね:D1の至大化)には有ける(D1の至大化)といふ⑬の結びやう(D1の至大化)を、決定してゐる(D1の至大化)のを感ずる⑱は、⑭の行く道(D1の至大化)は即ち⑮言辭(ことば:言葉遣ひ/物の言ひ方/F⇒Eの至大化)の行く道(D1の至大化)〔とは:徂徠『世は言を乘せて以て遷り』と同〕である、とはつきり言ひ切つてゐるのだ(D1の至大化)。この徹底した⑯が、例へば⑰では、直ちに『上つ代の 形〔とは:言の世界(古言のふり)=事の世界〕よく見よ 石上 古事記は まそみのかがみ(眞十:十全な鏡)』(とは以下枠文參照)、或は『神の世の 事らことごと 傳へ來て 記せる御書(『古事記』) 見ればたふとし』と歌はれるのである⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑱宣長⑲私達(△枠)。

#小林秀雄 著 #本居宣長 三十七章

P348關係論#神代の古言#古事記③まそみの鏡(眞十:十全な鏡)上代の形⑤古典⑥#味御路⑦物⇒からの關係:①(迦微/産巣日神/天照大御神等)とは,②といふ③に映し出された,[よく見よ]と言ふ④であつた〔とは:神代の古言は上代の形〕⇒⑧道といふ #言挙⇒⑤に現れた生活には[何の道くれの道]といふ様な⑧は,なかつたのだし,#道 と言へば⑥と言はれた,[ただ⑦にゆく道]があつただけ以下割愛:,その他に道といふものは考へられてはゐなかつた.それで秩序ある社會生活を營むのに何の仔細もなかつた,のみならず、その事についての明らかな自覺があつた事は,[神ながら言擧せぬ國]といふ古語が使はれてゐた事で知られるのである⇒上代人

 

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P428關係論①眞淵著[#万葉集大考]⇒からの關係:①[いにしへの事とても,#心こと葉(心詞=歌)の外やはある.しか古へを,おのが心ことばにならはし得たらんとき,身こそ後の世にあれ,心ことばは,上つ代にかへらざらめや](とは:古歌を知れば,上つ代即ち,古道を知る事が可能)⇒⑬眞淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P428關係論#心こと葉③#古学④#上つ代⑤[#こと]⑥[#ありさま]⇒からの關係:⑬,自分の使つてゐる②(心詞=歌)といふ言葉のうちに,閉じ込められてゐる様が見えて來る.③の遂の目的は,④⑤⑥をつまびらかに明らめるにあるが,⑬の場合,変わつた順序を踏む⇒⑬#真淵宣長の心

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P428關係論[#国意考]⇒からの關係:(続き⇒).⑬の場合,①,[いにしへの歌もて,いにしへの心詞をしり(#歌=#心詞),それ(#歌=#心詞)をおして古への世の有さまを知べし,古への人の世の有さまを知てより,おしさかのぼらしめて,#神代 のことも思ふべし],といふ順序を踏む⇒⑬#真淵

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P428關係論#心こと葉③#古學④#上つ代⑤[#こと]⑥[#ありさま]⇒からの關係:(前項⇒).順序を踏むと言ふのは,(上つ代の)⑤,②(#心詞=#)から推し量れるもの,或は推し量れば,それで濟むものであつた⇒⑬#眞淵⑭#宣長 の心

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

P428關係論②心こと葉⑦雅たる古言⑧直き一つ心⑨古へ⑩古事記⑪言辭の形⑫[神の世の事ら]⇒からの關係:(前項⇒)⑬,⑦とが一體となつた,⑨から一歩もでられないでゐる限り,⑭に鮮やかに映じてゐた,⑩そのままがなのだ,を想像に描く事は不可能⇒⑬眞淵宣長の心

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P428關係論①眞淵著『萬葉集大考』②『心こと葉』(物:場 C‘)③古學(物:場 C‘)④上つ代(場 C‘)⑤『こと』(物:場 C‘)⑥『ありさま』(物:場 C‘)⑦『みやびたる古言(いにしへごと)』(物:場 C‘)⑧『なほき一つ心』(物:場 C‘)⑨いにしへ(場 C‘)⑩『古事記』(物:場 C‘)⑪言辭(物:場 C‘)⑫『神の世の事ら』(物:場 C‘)⇒からの關係:①――『いにしへの事(物:場 C‘)とても、心こと葉(物:場 C‘)〔とは:心詞=歌〕の外やはある。しか(であるから)古へ(古歌)(物:場 C‘)を、おのが(△枠)心ことば〔とは:心詞=歌〕にならはし得たらん(D1の至大化)とき、身(△枠)こそ後の世(場 C‘)にあれ、心ことば〔とは:心詞=歌〕は、上つ代(場 C‘)にかへらざらめや(D1の至大化)』〔とは:古歌を知れば、上つ代(場 C‘)即ち、古道(古代精神)を知る事が可能〕――⑬が、自分の使つてゐる②といふ言葉のうちに、閉じ込められてゐる(D1の至小化)様が見えて來る。③〔とは:古道(古代精神)を明らかにする學問〕の遂の目的(D1の至大化)は、④の⑤⑥をつまびらかに明らめる(D1の至大化)にあると言つても、⑬の場合、『いにしへの歌(物:場 C‘)もて、いにしへの心詞(物:場 C‘)〔とは:心詞=歌〕をしり(D1の至大化)、それ〔とは:心詞=歌〕をおして古への世(場 C‘)の有さま(物:場 C‘)を知べし(D1の至大化)、古へ(場 C‘)の人の世の有さま(物:場 C‘)を知て(D1の至大化)より、おしさかのぼらしめて(D1の至大化)、神代(物:場 C‘)のことも思ふべし(D1の至大化)』(國意考)といふ順序を踏む。と言ふのは、(上つ代の)⑤も⑥も、②〔とは:心詞=歌〕から推し量れる(D1の至大化)もの、或は推し量れば、それで濟む(D1の至大化)ものであつた。いづれにせよ、彼(⑬)は、⑦と⑧(とは:真つ直ぐで純粋な心?)とが一體となつた(D1の至大化)、⑨の②〔とは:心詞=歌〕の内部にある、其處〔とは:心詞=歌〕から一歩もでられない(D1の至小化)でゐる限り、⑭に、鮮やかに映じてゐた(D1の至大化)、⑩に記された⑪(ことば:言葉遣ひ/物の言ひ方/F⇒Eの至大化)の『形』F〔とは:古言のふり(言の世界)=事の世界〕そのままが、⑫〔とは:『古事記』に記された言辭の『形』(即ち:古言のふり/體言命名)が『神の世の事ら』〕であつた有様(とは以下枠文參照)を、想像に描く(D1)事は、先づ出來ない(D1の至小化)相談だつたと思はれる⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑬眞淵⑭宣長の心(△枠)。

#小林秀雄 著 #本居宣長 三十七章

P348關係論#神代の古言#古事記③まそみの鏡(眞十:十全な鏡)上代の形⑤古典⑥#味御路⑦物⇒からの關係:①(迦微/産巣日神/天照大御神等)とは,②といふ③に映し出された,[よく見よ]と言ふ④であつた〔とは:神代の古言は上代の形〕⇒⑧道といふ #言挙⇒⑤に現れた生活には[何の道くれの道]といふ様な⑧は,なかつたのだし,#道 と言へば⑥と言はれた,[ただ⑦にゆく道]があつただけ以下割愛:,その他に道といふものは考へられてはゐなかつた.それで秩序ある社會生活を營むのに何の仔細もなかつた,のみならず、その事についての明らかな自覺があつた事は,[神ながら言擧せぬ國]といふ古語が使はれてゐた事で知られるのである⇒上代人

 

(以下文の主旨抜粋)

P428關係論①眞淵著『萬葉集大考』②『心こと葉』(物:場 C‘)③古學(物:場 C‘)④上つ代(場 C‘)⑤『こと』(物:場 C‘)⑥『ありさま』(物:場 C‘)⑦『みやびたる古言(いにしへごと)』(物:場 C‘)⑧『なほき一つ心』(物:場 C‘)⑨いにしへ(場 C‘)⑩『古事記』(物:場 C‘)⑪言辭(物:場 C‘)⑫『神の世の事ら』(物:場 C‘)⇒からの關係:①――『いにしへの事(物:場 C‘)とても、心こと葉(物:場 C‘)〔とは:心詞=歌〕の外やはある。しか(であるから)古へ(古歌)(物:場 C‘)を、おのが(△枠)心ことば〔とは:心詞=歌〕にならはし得たらん(D1の至大化)とき、身(△枠)こそ後の世(場 C‘)にあれ、心ことば〔とは:心詞=歌〕は、上つ代(場 C‘)にかへらざらめや(D1の至大化)』〔とは:古歌を知れば、上つ代(場 C‘)即ち、古道(古代精神)を知る事が可能〕――⑬が、自分の使つてゐる②といふ言葉のうちに、閉じ込められてゐる(D1の至小化)様が見えて來る。③〔とは:古道(古代精神)を明らかにする學問〕の遂の目的(D1の至大化)は、④の⑤⑥をつまびらかに明らめる(D1の至大化)にあると言つても、⑬の場合、『いにしへの歌(物:場 C‘)もて、いにしへの心詞(物:場 C‘)〔とは:心詞=歌〕をしり(D1の至大化)、それ〔とは:心詞=歌〕をおして古への世(場 C‘)の有さま(物:場 C‘)を知べし(D1の至大化)、古へ(場 C‘)の人の世の有さま(物:場 C‘)を知て(D1の至大化)より、おしさかのぼらしめて(D1の至大化)、神代(物:場 C‘)のことも思ふべし(D1の至大化)』(國意考)といふ順序を踏む。と言ふのは、(上つ代の)⑤も⑥も、②〔とは:心詞=歌〕から推し量れる(D1の至大化)もの、或は推し量れば、それで濟む(D1の至大化)ものであつた。いづれにせよ、彼(⑬)は、⑦と⑧(とは:真つ直ぐで純粋な心?)とが一體となつた(D1の至大化)、⑨の②〔とは:心詞=歌〕の内部にある、其處〔とは:心詞=歌〕から一歩もでられない(D1の至小化)でゐる限り、⑭に、鮮やかに映じてゐた(D1の至大化)、⑩に記された⑪(ことば:言葉遣ひ/物の言ひ方/F⇒Eの至大化)の『形』F〔とは:古言のふり(言の世界)=事の世界〕そのままが、⑫〔とは:『古事記』に記された言辭の『形』(即ち:古言のふり/體言命名)が『神の世の事ら』〕であつた有様(とは以下枠文參照)を、想像に描く(D1)事は、先づ出來ない(D1の至小化)相談だつたと思はれる⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑬眞淵⑭宣長の心(△枠)。

#小林秀雄 著 #本居宣長 三十七章

P348關係論#神代の古言#古事記③まそみの鏡(眞十:十全な鏡)上代の形⑤古典⑥#味御路⑦物⇒からの關係:①(迦微/産巣日神/天照大御神等)とは,②といふ③に映し出された,[よく見よ]と言ふ④であつた〔とは:神代の古言は上代の形〕⇒⑧道といふ #言挙⇒⑤に現れた生活には[何の道くれの道]といふ様な⑧は,なかつたのだし,#道 と言へば⑥と言はれた,[ただ⑦にゆく道]があつただけ以下割愛:,その他に道といふものは考へられてはゐなかつた.それで秩序ある社會生活を營むのに何の仔細もなかつた,のみならず、その事についての明らかな自覺があつた事は,[神ながら言擧せぬ國]といふ古語が使はれてゐた事で知られるのである⇒上代人

 

 

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P428關係論①眞淵②紫文要領③石上私淑言④#文事⑤#思想⑥#源氏問題からの關係:⑰,①に入門した時には,もうも書き上げてゐた.⑰に關するは大成してゐた.⑰自身を論じながら,扱ふの擴りや深さを非常によく知つてゐた,扱ひ兼ねるほどよく知つてゐた⇒⑰宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P428關係論⑥問題⑦[#もののあはれ]⑧#平安期からの關係:(前項⇒). ⑱によると,⑰の使つたといふ言葉は,⑧の用語例を逸脱したもので,⑦といふ語に,⑰,自分の考へを,[はちきれるほどに押しこんで,示した]といふ.そして,確かに,これは #はち切れた のであつた⇒⑰宣長折口

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P428關係論[#もののあはれ]⑫#言葉⑬#言語からの關係:(前項⇒).⑰の執拗な吟味によつて,⑲が見ても取るに足らないといふ平凡なから,その含蓄する思ひも掛けぬ豊かな意味合(#:#言の世界=#事の世界),姿を現した⇒⑰宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P428關係論#紫文要領⑥#問題⑦[#もののあはれ]⑬#言語からの關係:(前項⇒).⑰のやうな人には,⑬といふ #分析 の對象の #奥行の深さ に,承知してゐながら,言はば,#魅入られる といふ事が起つた.その様子が,②,明らかに窺へる.⑦ #はち切れてゐる のである⇒⑰#宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 四十六章

〇P428關係論#問題⑦[#もののあはれ]⑯#古事記からの關係:(前項⇒).⑥(#:#言の世界=#事の世界),㉒に秘められ,持越されたと見るべきだが,これを,⑯ #訓詁 と言ふ實際の仕事が,㉓から引出し,その(⑥)解決を迫つた⇒⑰#宣長㉒彼の #心㉓彼の裡

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P428關係論①眞淵(物:場 C‘)②『紫文要領』(物:場 C‘)③『石上私淑言』(物:場 C‘)④文事(物:場 C‘)⑤思想(物:場 C‘)⑥『源氏』(物:場 C‘)⑦問題(物:場 C‘)⑧平安期(場 C‘)⑨語(物:場 C‘)⑩文學本質論(物:場 C‘)⑪仕事(物:場 C‘)⑫言葉(物:場 C‘)⑬言語(物:場 C‘)⑭『玉の小櫛』(物:場 C‘)⑮難問(物:場 C‘)⑯『古事記』(物:場 C‘)⇒からの關係:⑰は、①に入門(D1)した時には、もう②も③も書き上げて(D1の至大化)ゐた。彼の④に關する⑤は大成してゐた(D1の至大化)のである。⑰自身⑥を論じながら(D1の至大化)、扱ふ⑦の擴りや深さ(D1の至大化)〔とは:『古事記』關聯(古言、あや=あはれ?)〕(とは以下枠文參照)を非常によく知つてゐた、扱ひ兼ねるほどよく知つてゐた。

#小林秀雄 著 #本居宣長 三十九章主題

P370關係論⑤古の道⑥雅の趣⑦自然の #神道⑧自然の歌詠⑨我邦の #歴史⑩物のかしこき⇒からの關係:⑤と⑥とは重なり合ふ,或は⑦は⑧に直結してゐるのを發見し,⑨は,⑩に觸れて⇒[#あはれ]⇒⑪を直ちに歎く[あはれ⇒#奈我牟流]その⑬の歎きに⑨は始つたのだと信じた⇒⑫宣長⑬人々

〔小生的:主題纏め〕

#小林秀雄 著 #本居宣長 三十九章

P370關係論#源氏②雅の趣③實情世界(喜怒哀楽)#古事記⑤物のかしこき(おそるる)⇒からの關係:⑦は,①熟讀(#雅言のふり に徹す),①に具現化する②を發見し,③に觸れて⇒[⑥あはれ]⇒⑥を知る(⑥を奈我牟流)事が,④でも⑤に觸れて,⑥を直ちに歎くに通ずるを見抜いた⇒⑦宣長。

*他は省略:⇒參照

⑱によると、⑰の使つた『もののあはれ』(F)といふ言葉は、⑧の用語例(F⇒Eの至大化)を逸脱(Eの至小化)したもので、『もののあはれ』(F)といふ語に、⑰は、自分(⑰)の考へ(D1)を、『はちきれるほどに押しこんで、示した』(D1の至大化)といふ。そして、確かに、これははち切れた(D1の至大化)のであつた〔とは:『わが國の歴史』云々(とは上枠文參照)〕。彼(⑰)の執拗な吟味(D1の至大化)によつて、⑲が見ても取るに足らない(D1の至小化)『もののあはれ』といふ平凡な⑫から、その含蓄する思ひも掛けぬ豊かな意味合〔とは:言の世界(F⇒Eの至大化)=事の世界(D1の至大化)〕が、姿を現した(D1の至大化)。⑰のやうな人には、⑬といふ分析(D1)の對象の奥行の深さ(D1の至大化)に、承知してゐながら(D1の至大化)、言はば、魅入られる(D1の至大化)といふ事が起つた。その様子が、②に、明らかに(D1の至大化)窺へる。『もののあはれ』(F)がはち切れてゐる(F⇒Eの至大化)のである。⑦は、㉒に秘められ(D1の至大化)、持越されたと見るべきだが、これを、⑯の訓詁(D1の至大化)と言ふ實際の仕事が、㉓から引出し(D1の至大化)、その解決を迫つた(D1の至大化)(とは上枠文參照)⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑰宣長⑱折口氏⑲誰⑳分析家㉑讀者㉒彼の心㉓彼の裡(△枠)。

 

 

(以下文の主旨抜粋)

P428關係論①眞淵(物:場 C‘)②『紫文要領』(物:場 C‘)③『石上私淑言』(物:場 C‘)④文事(物:場 C‘)⑤思想(物:場 C‘)⑥『源氏』(物:場 C‘)⑦問題(物:場 C‘)⑧平安期(場 C‘)⑨語(物:場 C‘)⑩文學本質論(物:場 C‘)⑪仕事(物:場 C‘)⑫言葉(物:場 C‘)⑬言語(物:場 C‘)⑭『玉の小櫛』(物:場 C‘)⑮難問(物:場 C‘)⑯『古事記』(物:場 C‘)⇒からの關係:⑰は、①に入門(D1)した時には、もう②も③も書き上げて(D1の至大化)ゐた。彼の④に關する⑤は大成してゐた(D1の至大化)のである。私(小林)が、彼の⑥論について書いた(D1)時に、私の興味は、次の點に集中してゐた。それは、⑰自身⑥を論じながら(D1の至大化)、扱ふ⑦の擴りや深さ(D1の至大化)〔とは:『古事記』關聯(古言、あや=あはれ?)〕(とは以下枠文參照)を非常によく知つてゐた、扱ひ兼ねるほどよく知つてゐた、(私の興味は)さういふところであつた。

#小林秀雄 著 #本居宣長 三十九章主題

P369關係論#源氏②#雅の趣③喜怒哀楽(まごころ)#古事記⑤#可畏(かしこ:おそるる) ⇒からの關係: 宣長は①熟讀(#雅言のふりに徹す),②を得,③に觸れての⇒[:#あはれ]⇒⑥を知る(#奈我牟流).と同時に④に,[⑤に觸れ⑥を阿夜(歎く:#古言のふり)]を發見.兩者を[我邦の #歴史]と信じた

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#小林秀雄 著 #本居宣長 三十九章主題

P369關係論#源氏②雅の趣③實情世界(喜怒哀楽)④古事記⑤可畏(かしこ:おそるる) ⇒からの關係: ⑦は,①熟讀(雅言のふり に徹す),②を得,③に觸れての⇒[⑥あはれ]⇒⑥を發見(⑥を奈我牟流)。と同時に④の⑤に、「觸れ⑥を阿夜(あや:驚て歎く)」(古言のふり)を發見し、兩者を『我邦の歴史』と信じた⇒⑦宣長

#小林秀雄 著 #本居宣長 三十九章主題

P370關係論①我邦の #歴史②物の #かしこき(おそるる)⇒からの關係:①は②に觸れて⇒[#あはれ]⇒③を直ちに #歎く.歎く事[③を #奈我牟流,聲ほどよく長めて歌ふ][③の妄念の重荷から己を解き放ち立て直す.心晴るる].その④の歎きに始つたのだと⑤は信じた⇒④人々⑤宣長

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#小林秀雄 著 #本居宣長 三十九章主題

P370關係論①我邦の歴史(物:場 C‘)②物のかしこき(おそるる。物:場 C‘)⇒からの關係:①は②に觸れて⇒「③:あはれ」⇒E:③を直ちに歎く[あはれ⇒#奈我牟流]。③を歎く[あはれ⇒#奈我牟流](③⇒聲ほどよく長めてうたふ:Eの至大化)事で、『③の妄念の重荷から己を解き放ち立て直す』『こなたの心晴るる』。その⑬の歎きに始つたのだと⑫は信じた(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑫宣長⑬人々

#小林秀雄 著 #本居宣長 三十九章主題

P370關係論⑤古の道⑥雅の趣⑦自然の #神道⑧自然の歌詠⑨我邦の #歴史⑩物のかしこき⇒からの關係:⑤と⑥とは重なり合ふ,或は⑦は⑧に直結してゐるのを發見し,⑨は,⑩に觸れて⇒[#あはれ]⇒⑪を直ちに歎く[あはれ⇒#奈我牟流]その⑬の歎きに⑨は始つたのだと信じた⇒⑫宣長⑬人々

〔小生的:主題纏め〕

#小林秀雄 著 #本居宣長 三十九章

P370關係論#源氏②雅の趣③實情世界(喜怒哀楽)#古事記⑤物のかしこき(おそるる)⇒からの關係:⑦は,①熟讀(#雅言のふり に徹す),①に具現化する②を發見し,③に觸れて⇒[⑥あはれ]⇒⑥を知る(⑥を奈我牟流)事が,④でも⑤に觸れて,⑥を直ちに歎くに通ずるを見抜いた⇒⑦宣長

⑱によると、⑰の使つた『もののあはれ』(F)といふ言葉は、⑧の用語例(F⇒Eの至大化)を逸脱(Eの至小化)したもので、『もののあはれ』(F)といふ語に、⑰は、自分(⑰)の考へ(D1)を、『はちきれるほどに押しこんで、示した』(D1の至大化)といふ。そして、確かに、これははち切れた(D1の至大化)のであつた〔とは:『わが國の歴史』云々(とは上枠文參照)〕。この(『もののあはれ』の)⑨を、上手に定義(D1の至大化)し、出來のいい(D1の至大化)⑩を仕上げたといふやうな⑪で、⑰は事を濟ませたのではなかつた(D1の至大化)のである。彼(⑰)の執拗な吟味(D1の至大化)によつて、⑲が見ても取るに足らない(D1の至小化)『もののあはれ』といふ平凡な⑫から、その含蓄する思ひも掛けぬ豊かな意味合〔とは:言の世界(F⇒Eの至大化)=事の世界(D1の至大化)〕が、姿を現した(D1の至大化)。力の弱い(D1の至小化)⑳には、起らぬ事だが、⑰のやうな人には、⑬といふ分析(D1)の對象の奥行の深さ(D1の至大化)に、承知してゐながら(D1の至大化)、言はば、魅入られる(D1の至大化)といふ事が起つた。その様子が、②に、明らかに(D1の至大化)窺へる。『もののあはれ』(F)がはち切れてゐる(F⇒Eの至大化)のである。この邊りのところは、後年の⑭では、削除されてゐる(Eの至小化)。誤讀(D1の至小化)されるより増しと考へたのであらう。⑮を⑮として受取つてくれる(D1の至大化)やうな、確かな眼力(D1の至大化)を、㉑に期待出來ない(D1の至小化)事を、よく知つてゐた(D1の至大化)のであらう。いづれにせよ、⑦は、㉒に秘められ(D1の至大化)、持越されたと見るべきだが、これを、⑯の訓詁(D1の至大化)と言ふ實際の仕事が、㉓から引出し(D1の至大化)、その解決を迫つた(D1の至大化)(とは上枠文參照)といふ、さういふ考へ(D1)に、私はここで、誘はれてゐる(D1の至大化)のである」⇒「③」(◎的概念F)⇒E:」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒⑰宣長⑱折口氏⑲誰⑳分析家㉑讀者㉒彼の心㉓彼の裡(△枠)。