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平成十八二十四



『福田恆存を讀む會』

吉野櫻雲 發表文



九月:テーマ評論 全集第七巻所載:【『シェイクスピア劇のせりふ

(「季刊藝術」第四十三號:秋季號。昭和五十二年十月刊:六十六歳)】


前囘『醒めて踊れ』では、個人主義(「精神の近代化」)の未形成なる日本人には、以下文(前囘發表文)の樣に「言葉との距離測定」の行爲は至難の業である事を學んだ。そしてそれを達成するには、まずは個人主義(「精神の近代化」)を確立せん事が大事であり、更にそれが結果として西歐近代への適應正常に繋がる事を知つたのである。

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的確に「言葉との距離測定」をし、各場面場面に沈湎せず適應正常していく(即ちEの至大化=D1の至大化:前囘發表文の圖參照)などと言ふ藝當は、個人の強靱性(個人主義)を保持して初めてそれが可能となるのである。

その爲には以下の逆プロセスが緊要であると、恆存は此處で言ひかつ諸處の評論でもそれを謳つてゐる。日本人には不得手な、上述文の行爲をも含めた、現象としての「鮮やかな場の轉換(場に沈湎しない)」は、その本質「精神の政治學としての近代化(AB分割線の最下降化)」をもつてそれが可能となるのである。要するに恆存は以下の「本質から現象への逆プロセス」の能動について、それら全てを含めて「精神の政治學としての近代化」と言つてゐるのではなからうか。現象(左端)は本質(右端)が極められなければ不可能事であると。

〔場(西歐近代)に適應正常する爲に=鮮やかな場の轉換(D1の至大化:場に沈湎しない)〕

場(西歐近代)に適應正常鮮やかな場の轉換(D1の至大化:場に沈湎しない)←「言葉との距離測定能力(Eの至大化)」←個人の強靱性←個人主義の確立(「精神の近代化」)←精神の政治學による「AB分割線の最下降化」(近代化:P8圖化)←日本の精神主義(前近代:P9圖)からの脱皮

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 で、今囘の評論『シェイクスピア劇のせりふ』では、場との關係を「適應正常」する爲、場との關係(實在物)から出現した言葉(せりふ・新漢語・外來語)にどの樣に對應したらよいか。その言葉への對應が、實在物である「關係」に如何に密接に結びついてゐるかを探究する。「なぜなら關係と称する實在物は潛在的には一つのせりふ(言葉・新漢語・外來語)によつて表し得るものだから」(全七P300『せりふと動き』)である。要するに、日本人には不得手な「言葉との距離測定能力(Eの至大化)」なるものを、どの樣にしたらそれが獲得出來る樣になるかを、恆存の論に從ひ探求するのである。
 今囘評論「P345下段最終文〜346下段」で取り上げられてゐる「せりふは語られてゐる意味の傳達を目的とするものではない。一定状況の下(場面)において、それを支配し、それに支配(宿命・關係)されてゐる人物の意志や動きを表情や仕草と同じく形のある『物』として表出する事、それが目的であり、意味の伝達はその為の手段に過ぎぬ」。換言すると、場面から關係として生ずる「心の動きを形のある『物』として見せるのがせりふの力学」(「せりふと動き」)は、前囘の『醒めて踊れ』の主題そのものと言つていい。この事を明確に把握する事が、恆存の言ふ「精神の近代化」から「完成せる統一體としての人格」論を、我々日本人が自己に確立する事へと繋がっていく。と言つても言ひ過ぎではないと小生は思ふのである。
 恆存は『醒めて踊れ』で、實證精神の範疇である、「So called」「フレイジング」「精神の政治學」をソフトウェア的手段と捉へてをり、「精神の近代化」(個人主義の確立)は、ソフトウェアの効果的發揮によつて、その結果として齎されるものと捉へてゐる。(參照:拙文『醒めて踊れ』の下欄圖)

即ち、西歐(場)との關係(宿命)として齎された「近代化」への適應を、新漢語・外來語の用法(So called)で正常な關係に「形ある『物』として見せる」。それがハードウェアとしての近代化(資本主義化・民主主義化・個人主義化・機械化・組織化・合理化等々)に對するソフトウェア(精神の政治學)としての對處方法なのである。何故日本は「資本主義化・民主主義化・個人主義化」を選擇するのか。西歐が近代でそれら概念に客體化して見せた「神に型どれる人間の概念の探究」を、日本も「形ある『物』として(それら新漢語の裏に)見せる」と言ふ事が「So called」なのである。當然其處には近代化が持つ二面性のもう一つ、「必要惡・疎外」等々の裏面も捉へ「形ある『物』として見せる」と言ふ「So called」も必要なのは言ふまでもない。と、その樣に評論『醒めて踊れ』等から小生は、恆存が言はんとする事をやうやく今囘整理及び理解する事が出來た。

 尚、今囘は補助テキストとして[平成十五十一發表文、「福田恆存の演劇論:4.演劇論と人生論の一致『役者修業は人間修業』の2」]の使用をした。

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