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以下論考文、讀みにくい場合は「PDE」ファイルでご覽下さい。
(「PDE」ファイルkojinnokiki.new.pdf へのリンク)個人の危機:(西歐と日本の差異を含めて)
平成十七年十月
吉野櫻雲:論考
恆存が啓示する「個人の危機」はかなり重要な今日的問題なのであり、それは現代の自
由の歪曲、平和の歪曲にと繋がつています。その事は前囘選擇評論『平和の理念』最終 章で、「世の中にパンよりも大事な物は何もないといふ甚だ素朴な現實主義の前に吾々 は敗退して行かねばならないのです」と示唆してゐる。即ち「社會的解決で個人の問題 は解決」と言ふ事は、以下の如き結論になると。
「個人は社會にたいする有用性」としての價値へ転落。
→�ー�由は精神の問題でなくなる。社會的物質的自由にて解決(物質主義)。
→�⊆厥鯏�平和があれば個人の問題は解決。(平和の最高價値化・絶對平和主義)。
個人の危機:(西歐と日本の差異を含めて)
「個人は社會にたいする有用性」としての價値へ転落。その二つの理由。
(恆存評論を索引にして:P65全一『現代日本文學の諸問題』他から)
「個人(B)の危機」についての恆存の論を要約すれば、以下の通りになる。
「精神の自律性」不全⇒「個人の敗北」⇒「社會にたいする有用性」としての價値へ転落
⇒個人の危機。 とは・・・
肉體(A)の保證なくして精神(B)は自律性を發揮しえないが、と同時にC(神・絶對・全
體)なくしても、精神はその自律性を發揮し得ない。その二つの結果から、精神はその特 質である「個人の純粋性」を保持出來ずに、「個人の特殊性」へと転落してしまふ。將に その二つの結果に、個人が敗北し「社會にたいする有用性」として價値転落してしまつた 理由があるのだと。
と言ふ事で、上記の「精神の自律性」不全が齎す「個人の敗北」、その二樣相をこれか
ら追ふ事とする。〔參照圖は『福田恆存を讀む會:テキスト』のP8「甲図:西欧十九世紀 構図」、及びP9「乙図:日本的精神(B)主義構図(非近代)」。以下文中では「テキスト」と 略〕
「個人の敗北」:二つの要因と結果
個人主義そのものに胚胎する、二つの敗北要因(�/世悗糧正佞鉢⊆厥鬚悗燐�立)
中世においては、神が全てを統一し社會は神の管理組織である教門が支配してゐた。
故に個人の「支配・被支配の自己:A」は、教門に奉仕する事によつて(結果として神にも 通じる)、それが満たされてをり社會と對立する必要はなかつた。(參照圖:「テキスト」P 5)
ルネサンスに到つて、その「社會A・個人B・神C」間の均衡に破綻が生じ、個人(B)と社
會(A)との對立も始まつたのである。その後「ルネサンス以來五百年間の精神的主題で ある個人と社會との對立」、換言すれば個人主義の歴史は、「人間が神(C)と自然とに 對してその自主性(B:個人の自由と自律性)を奪取したばかりでなく、さらにすすんで支 配者(A)にたいして、社会的環境(A)にたいして平等と自由とを宣言した十八九世紀に おいて、ますますその本領を發揮することとなつた」。
即ち「その本領の發揮」とは、�/澄平世了燹砲釦瑤垢觚朕佑陵グ明�追求(C"化)と、��
神(中世)脱出が齎す、社會(A)に對する個人(B)價値の追求、とをした事を表す。そし てやはりその結果として、以下二つの「個人敗北」の道筋が照らし出されるのである。 (注:上記傍線借用文の主語は本文では「散文の運命」であるが、言ひ替へが可能と判 斷し「個人主義の歴史」と轉用。參照:P599全一『小説の運命�機戞�
�/澄複叩砲悗糧正佞砲茲觚朕佑陵グ明�追求(C"化)とその敗北。
「近代自我(個人主義)の限界」⇒個人の敗北⇒個人の権威の否定⇒「社會的價値の名
のもとに一切の個人的なものを否定」⇒個人は「社會にたいする有用性」としての價値 へ転落。
即ち「近代自我の必然」(自己主張→自己主人公化→自己陶酔:畢竟エゴイズム)とし
て、浮かび上がつたエゴイズムによつて、個人は「社會の有用性」としてしか、その生き 延びる道を見出し得なかつた、と言ふ事になる。
�⊆厥髻複繊砲釦瑤垢觚朕諭複臓朴�値の追求とその敗北:(注:社會=肉體A。個人=精神
B。と恆存は見てゐる)
「精神(B)は肉體(A)の保證なくしてその眞實性を自己確認しえぬ」:「物質(A)によつて
支へられなければ、その所在も眞實性も保證しえぬ精神のあいまいさ」⇒肉體(A:社 會・物質)の優位性⇒精神(個人)の問題は物質でケリがつく⇒積極的承認:唯物論・社 會主義へ。消極的承認:「個人は社會にたいする有用性」へ。(參照P58・62〜3全一 『現代日本文學の諸問題』)
�,痢峩畭綣�我(個人主義)の限界」は何を齎したか。⇒個人は社會への有用性として
の價値へ転落。(P65全一『現代日本文學の諸問題』)
西歐十九世紀は、「精神の政治学」の均衡によつて、個人主義(自己主人公化:C"化)
の時代こそ「精神の自律性」の保持が可能であると錯覚した。
「精神の自律性」を發揮し、「(西歐)個人主義は個人の純粋性を擁護せんとした」が、結
局C(絶對・全体)無くしての「個人の純粋性」は、その特質を發揮し得ず、単なる「個人 の特殊性(以下枠内文章)」にと転落せざるを得なかつた。(參照:P112単:p458全二 『近代の宿命』)
・・・とは、以下の事を意味する。
個人主義では、精神は「絶對・全体:C」缺如の爲自己満足・自己撞着に陥り、逆にその
自律性を發揮し得ない。結果として肉體の自律性(「支配・被支配の自己」:A)の自己愛 的引力に引き摺られ、その必然として更なる「自己主張→自己主人公化→自己陶酔」の エゴイズムに陥つた。そして、結果として自我喪失に到つたのである。
そして西歐十九世紀「近代自我=個人主義」の結論は以下の通りに。
近代自我の必然としてのエゴイズム(個人主義は畢竟エゴイズム)⇒個人の敗北⇒近代
自我(個人主義)の限界と凋落⇒個人の権威の否定⇒個人主義の超克⇒「個人的價値 に對する社会的價値の優位」⇒個人は社會への有用性としての価値へ転落。
それを二十世紀は「二十世紀の理想」として引き継ぐ。(下欄「重要」文參照)
�。臓文朕諭�藝術)のA(社會)への奉仕。社会革命に奉仕(民主主義文學=プロレタリア
文學の延長として)。(P63全一『現代日本文學の諸問題』)
�⊆厥髻癖�質)的解決で個人(精神)の問題は解決:
*自由は精神の問題でなくなる。社會的物質的自由にて解決(物質主義)。
*社會的平和があれば個人の問題は解決(平和の最高價値化。絶對平和主義へ)。
別な脱却方法:個人價値の再構築(恆存の主張):「一匹と九十九匹」の峻別。即ち「文
學的=個人的自我」の追求。「個人は社會にたいする有用性」としての価値へ転落させ るのではなく、「社會との葛藤を通じて個人の確立」を。(以下「重要」文參照)
重要:『小説の運命�機戞幣赦惰鷭銃麈�著)より(括弧内は吉野注)
「個人主義の凋落とともに、たしかに個人の権威はおびやかされ、否定されようとしてゐ
る。ひとびとは社會的價値の名のもとに一切の個人的なものを否定しようとしてゐる。社 會的價値を通じて以外に個人の存在はみとめられない。これが二十世紀の理想であり、 そのかぎりにおいて人類は進歩の段階をふみしめつつある。ぼくはそれを疑はない。 が、それはあくまで政治の理想であり、文學の道ではない。ぼくたちのうちに――ぼくた ちひとりひとりの内部に、政治的=集団的自我があり、また文學的=個人的自我があ る。個人主義の線にそつての個人の権威は没落しても、個人の存在は永遠に失はれぬ であらうし、文學は――文學が存續しうるかぎり、この存在を見うしなつてはならない。 (中略)
社會が個人を否定して抹殺してかかるならば、まさにその對立と矛盾とこそ好個の題
材ではないか。(中略)前世紀においてこの(社會と個人の)對立は個人(個人主義)の 勝利からその敗北へ、その自意識(「人間如何に生くべき:D2」)の發見とその虚妄(結 局自己陶酔と言ふ:D3)とにをはつた。が、今日、個人は敗北と自我喪失(個人主義は 畢竟エゴイズム)とから、この危機におそはれてふたたび個人と社會との對立に直面し てゐる。ひとびとは性急に個人の廢棄によつてその解決がもたらされうると信じこんでゐ るかにみえる。が、文學者とは自己のうちの個人を廢棄しえぬ人間ではなかつたか。と すれば、いかなるイデオロギーのまへにも、なんの氣がねもなく個人に執着し、社會との 葛藤を通じていかにしてでも個人を確立しなければならない。・・・(以下も重要文つづ く)」(P601全一『小説の運命�機戞�
(とは、文學者に限らず吾々にとつても、「全體・絶對」との黙契を失はない限り個人の存
在は失はれない、と恆存は言つてゐるのでは。そして「個人の危機」からの脱出口、或い は「社會との葛藤を通じての個人の確立」に、「全體・絶對」との黙契を維持した「完成せ る統一體としての人格」論が、又しても浮かび上がつてくるのである)
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日本の特殊性:「テキスト」P8【西欧十九世紀構図】と、P9日本的精神(B)主義構図(非
近代)の差異
上述の「個人の敗北」�´△寮睫世砲弔い董�恆存が言つてゐる更に重要な點を見逃す
事は出來ない。
それは何かと言ふと、西歐の場合、個人が「社會にたいする有用性」として價値転落の
理由は、�´△瞭鵑弔箸矚弔屯箸襪�、日本の場合は�△靴�當て嵌らないと言ふ事なので ある。
「個人主義を経験しない(日本)國民が個人の限界(� 砲鮓�にするといふことは言語道
斷」であると。そして戦後知識人がその欺瞞をしてゐるのだと。即ち彼等は、戰爭中の個 人敗北の後ろめたさを隠蔽すべく、外來思想(新漢語:「個人主義」)の権威を「自己保 存の後楯・護符(C2化:P9圖參照)」にした、と恆存は指摘(參照:『近代日本知識人の 典型』他)する。そして、戦争中の日本人の「個人の敗北」は、�△痢嵎�質(A:暴力・ファ シズム)に對する個人の敗北」でしかなく、「�ゞ畭綣�我(個人主義)の敗北」などとは關 係ないのだと自己欺瞞を鋭く剔抉するのである。(參照:P602全一『小説の運命�機戞�P 61全一『現代日本文學の諸問題』)
この西歐との彼我の差を、堪へず見逃しさうになる缺點を日本人は持つてゐるのであ
る。
恆存は評論中で、常に西歐的限界と日本的限界を「パラレル」に描き、その彼我の差
を明示してゐる。しかし惜しいかな、我々日本人はそれを理解できない。其處に更なる 「恆存探求」の意義を小生は見出すのである。
をはり
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