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令和六年三月二十八日

『福田恆存を讀む會』

吉野櫻雲 發表文

 

〔「美意識/關係といふ眞實を生かす」再論究〕

著『人間の生き方、ものの考へ方』《P11:講義1「惡に耐える思想」(昭和三十七年八月十九日:五十一歳)から》

 

〔論究項目〕注:當レジュメでは、論究明確化の爲、「關係と言ふ眞實を生かす」を(D2の至大化)價値觀/前提」を見極めるを(D1の至大化)とする

Ⅰ.恆存が言ふ、美感(美意識)に據る再出發とは、「言葉の用法(so called:精神の政治學)の成立(Eの至大化)」、「關係と言ふ眞實を生かす(D2の至大化)」事に有り、と小生は理解した(下項參照)。

Ⅱ.「言葉の用法(so called:精神の政治學)の成立(Eの至大化)」「關係と言ふ眞實を生かす(D2の至大化)」には、相手(假説。物:場 C‘)が、どんな「價値觀/前提」(物:場 C‘)を抱懐してゐるのかを見極める(D1の至大化)事が必要(下項參照)。

Ⅲ.「完成せる統一體としての人格論(PP圖參照kanseiseru.pdf へのリンク)に則り、「關係と言ふ眞實を生かす(D2の至大化)」の最終到達點が、絶對C・全體(C:空間的/時間的)ならば、途中通過點の「相手(物:場 C‘)」が「眞實を生かす(D2の至大化)」對象に相當せず、と見極められた(D1の至大化)場合、その對應はどうするか?「却下か?妥協か?徹底抗戰か?」(下項參照)。

 

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Ⅰ.恆存が言ふ、美感(美意識)に據る再出發とは、「言葉の用法(so called:精神の政治學)の成立(Eの至大化)」、「關係と言ふ眞實を生かす(D2の至大化)」事に有り、と小生は理解した。

 

〔以下は、前囘『レジュメ』からの抜粋〕

〔「物」に對する日本人の感覺〕項目の以下文

以下「 」内が恆存文。( )〔 〕内は吉野注。

 

「一種の美意識(型:Eの至大化)といふか、文化(D1の至大化)感覺といふか、さういふものが私たちの中に自づからに備はつてゐた。それが明治以來(場:C‘)崩れて來た〔とは:美意識(型:Eの至大化)の摩耗=文化(D1の至大化)の衰退〕」(〔難解又は重要文〕P13)

及び、〔『現實』の意味〕項目に於ける「現代日本の混亂」に關するレジュメ文を再讀してゐて、ふと、以下『日本および日本人』文章中の傍線部分が頭に浮かんだ。

『日本および日本人』から以下「 」内が恆存文。( )〔 〕内は吉野注。

 

「私は、日本人のさういふ美感〔「調和の美感」即ち「祓ひ清めて和に達する」(儀式E: 美的潔癖⇒和)といふ態度〕が、明治以來、徐々に荒らされていくのを殘念におもふと同時に、またそれ(美感)だけが頼るべき唯一のものであり、再出發のための最低の段階であると信じてをります。日本人に『罪惡』の問題を識別するso called:Eの至大化)抽象化の能力が缺けてゐる(Eの至小化)ことはたしかであり、それが調和を愛する感覺的美感によつて助長されてゐることもまた疑ひの餘地のないところですが、さればといつて、れ(美感)を土臺としないかぎり、わたしたちは動きがとれないのです第一、それを無視して押しつけてくる抽象的觀念(ネオ漢語等)といふものにたいして、私たちの美感は、そもそもそれを歪んでゐるものと見なすでせう」(『日本および日本人』P176)

 以前から、『日本および日本人』文に觸れる度、「それ(美感)だけが頼るべき唯一のものであり、再出發のための最低の段階である」の文に、「現代の樣な美意識喪失の時代に、恆存は何を謂はんとしてゐるのか」と、小生は引つかかりを禁じ得なかつたのだが、今般、この謎が解けたやうな氣がする。

 「それ(美感)だけが頼るべき唯一のもの」云々、即ち、日本に於ける「美意識の復元」は、以下思想(『關係論』)にと、結實しているのではなかろうか、と小生は想ひ至つたのである。

《美感(美意識)に據る再出發とは、「言葉の用法(so called:精神の政治學)の成立(Eの至大化)」、「關係と言ふ眞實を生かす(D2の至大化)」事に有り》

 

*上述の、美感(美意識)の缺如(即ち:Eの至小化)を埋めるものとして、以下「關係論」に於ける、「言葉の用法(so called:精神の政治學)の成立(Eの至大化)・自分と言葉との距離測定の成立(Eの至大化)」を、その手立てと考へ、美意識復元(Eの至大化)に繋がるものと恆存は捉へたのではなからうか。

つまり、以下、補足的文中で謂ふ「さういふ能力(Eの至大化=D1の至大化)こそ、精神の政治學としての近代化(D1の至大化)」文が、奇しくも、美感(F美意識)の復元(F⇒Eの至大化)に當たるのだと、恆存は言つてゐるのではなからうか。

 

#人間の生き方、ものの考へ方

關係論:①明治②場⇒からの關係:①以來崩れて來た #美意識 の再興手段として,②との關係と言ふ眞實を生かす,[#言葉]即ち,③の用法(o called)成立,自分と③との距離測定成立,頼るべき唯一のもの,再出發の為の最低段階であると⇒恆存。

〔參照補足〕

P51「私が日本獨自の思想といふ場合でも、なにも神がかり式に言つてゐるのではありません。日本は明治以後(價値觀/前提。場: C‘)、古今未曾有の經驗(近代化適應)をしたのです。が、そこには大きな無理があつた、その無理を調整する〔とは:『對應する方法は言葉や概念に囚れず、逆にこれを利用すること、即ち言葉の用法(言葉の自己所有化?)にすべてが懸つてゐる。自分と言葉との距離』の測定〕のが日本獨自の思想〔つまり:美感/美意識(Eの至大化)〕であるといふやうに考へます」。それは他國におしつけるやうな性質のものではない。日本だけに通用する、日本人を生かす道でなければなりません。しかし明治以後(價値觀/前提。場: C‘)日本が苦しんできたもの(近代化適應:D1)は、多かれ少なかれ西洋自身(價値觀/前提。場: C‘)の問題(即ち:近代化適應D1)でもあるわけですから、そこ〔とは:近代化適應の無理を調整する〕に生れてくる本獨自の思想〔とは「F言葉⇒Eの至大化(距離測定)」:言葉の用法/自分と言葉との距離の測定/so called/精神の政治學〕といふものは結果としては世界のためにもなると思ひます。すなはち、西洋(價値觀/前提。場: C‘)でも近代(D1)といふものの弱點〔とは:「衰退:デクリネイション/必要惡:ネセサリー・イーブル」?〕が段々暴露して、化けの皮を現はしはじめてきた、文明開化一點張りで來たのに對して、人間の精神(B)が追ひつけなくなつてきた〔とは例:上記枠文『疎外』、『人間關係の稀薄』『個人主義=絶對全體喪失(衰退)』等?〕のです。それは日本の近代が明治以後(價値觀/前提。場: C‘)苦しんできたもの〔とは例:『無限定(絶對全體喪失)の自己』?〕なので、むしろこちらの方が一足お先に被害を蒙つてゐるのです。原爆を受けた以上に――原爆を受けたことは大したことではないので、その前に日本(△枠)は西洋文明〔西洋(價値觀/前提。場: C‘)⇒近代化(D1の至大化)〕といふ原爆を受けて(D1の至小化)その中で苦しみながら〔近代化適應異常(D1の至小化)〕ながら今日(場: C‘)ここまで至つてゐるのです従つてその中から生み出される思想(D1の至大化)〔とは「F言葉⇒Eの至大化(距離測定)」:言葉の用法/自分と言葉との距離の測定/so called/精神の政治學〕は、結果として西洋(價値觀/前提。場: C‘)に影響を與へる(D2の至大化)ことが出來ると思ひます。しかしそれ〔西洋(價値觀/前提。場: C‘)に影響を與へる(D2の至大化)〕が目的ではないので、あくまでも日本(△枠)がどう生きていけばいい(D1)のか、それ〔どう生きていけばいい(D1)のか〕に眞劍に取り組まなければ(D1の至大化)いけないし、そこに必ずや何ものかが生れてくる筈だ、私はそれを日本獨自の思想〔とは:「完成せる統一體としての人格」論の事か?〕と申上げたまでです」。

 

Ⅱ.前項「Ⅰ」の、「言葉の用法(so called:精神の政治學)の成立(Eの至大化)」「關係と言ふ眞實を生かす(D2の至大化)」には、相手(假説。物:場 C‘)が、どんな「價値觀/前提」(物:場 C‘)を抱懐してゐるのかを、見極める(D1の至大化)事が必要(以下二枠文參照)。

「 」内が恆存文。〔 〕( )内は吉野注。

 

講義1「惡に耐える思想」恆存文P28

私はどうしてもそこ〔とは:假説(價値觀/前提。場: C‘)への見極め異常(D1の至小化)による善惡の混迷noto called:Eの至小化)〕に行きついたうへでものを考へなければいけないと思ふのです。だが人々(△枠)は皆勝手(D1の至大化)に、知らないうちにある約束(假説/價値觀/前提。場: C‘)を受け入れて(D1の至小化)、その(約束=價値觀/前提)通りに言葉(F)を用ゐて怪しまないnot so calledEの至小化)のです。現代(場: C‘)における混亂(D1の至小化)のすべての原因(D1の至小化)は、ここ〔假説/價値觀/前提(場: C‘)不問(D1の至小化)による、言葉(F)の距離不測定(Eの至小化)〕にあると申せませう」(P28)。

 

以下は、小生レジュメ「惡に耐える思想」から抜粋(一部加筆修正有り)

P28關係論假説(價値觀/前提。場: C‘)②約束(假説/價値觀/前提。場: C‘)③現代(前提。場: C‘)⇒からの關係:「◎:例へば一つの①に立つて(D1)」⇒「言葉F:④ナセルのナショナリズム(F)⑤ナショナリズム(F)」(◎的概念F)⇒E:④を認める(Eの至大化)ことが許されるならば、それとは違つた生き方(主觀/教養:E)を①として、⑤の善惡を決める行き方(Eの至大化/Eの至小化)も當然認められる。どちらだつて(④だらうが⑤だらうが)かまはないではないかといふことになつてくる。ニヒリスティック(Eの至小化)になり、絶望的(Eの至小化)になつて、一體何(F)が眞實だかわからない(noto called:Eの至小化)所に一應行きつく。しかしそれ〔⑤に對する善惡の混迷(noto called:Eの至小化)〕が如何に絶望的(Eの至小化)であつても、私(恆存)はどうしてもそこ〔とは:①(場との關係:D1の至小化)による善惡の混迷(noto called:Eの至小化)〕に行きついたとは:D1の至小化=Eの至小化)上でものを考へなければ(Eの至大化)いけないと思ふ〔とは:言葉(F)の善惡を決める(Eの至大化/Eの至小化)には、①との關係を見極め(D1の至大化)なければならない(即ち:D1の至大化=Eの至大化)、と言ふ事〕だが⑤は皆(△枠)勝手(D1の至大化)に、知らないうちにある②を受け入れて(D1の至小化)、その(②)通り(D1の至小化)に言葉(F)を用ゐて怪しまない(Eの至小化)のです。③における混亂(D1の至小化)のすべての原因(D1の至小化)は、ここ〔假説/價値觀/前提(場: C‘)不問(D1の至小化)による、言葉(④⑤)との距離不測定(Eの至小化)〕にある」(④⑤への距離不獲得:Eの至小化)⇒⑤人々(△枠):①②③への適應異常。

〔上記の簡略文〕

關係論假説(價値觀/前提。場: C‘)⇒からの關係:「◎:①との關係を見極め(D1の至大化)」⇒「②:言葉(F)③もの(F)」(◎的概念F)⇒E:②に對する善惡(so called/善し悪し)を決めなければならない(Eの至大化/Eの至小化)。②に對する善惡(善し悪し)の混迷(noto called:Eの至小化)が如何に絶望的〔とは:一體何が眞實だかわからない(not so called:Eの至小化)〕であつても、どうしても(價値觀)との惡關係(D1の至小化)から來る、②に對する善惡(善し悪し)の混迷noto called:Eの至小化)に行きついた(Eの至小化)上で〔とは:『彼(物:場 C‘)我(△枠)の差』に踏み留まつて〕③を考へなければ(Eの至大化)いけない」(②③への距離獲得:Eの至大化)⇒人々(△枠):①への適應正常

 

*P41「西洋(價値觀/前提。場: C‘)の近代〔近代化(D1の至大化)〕を受け入れてゐる私たち(△枠)の無理な姿勢〔「近代化適應異常(D1の至小化)」の姿勢〕を正しく見きはめて、何とかして近代文明に對應し得る〔近代化適應「正常」(D1の至大化)の〕思想(D1の至大化)を作り上げねばならないと思ひます」。

〔上述『正しく見きはめて』とは、以下の樣に見きはめる(so called)事を言つてゐるのであらう〕

*①場(西歐近代)⇒から生ずる關係(近代化:實在物)⇒②言葉(潜在物:關係的概念)〔技術や社會制度的言葉、即ち機械化・組織化・劃一化・合理化等々〕⇒②の用法(so called)成立・自分と言葉との距離測定の成立⇒日本および日本人(△枠)①との關係の適應正常化(場への非沈湎、即ち近代化適應正常)。

 

《つまり、恆存は、『惡に耐える思想』で以下「關係論」を掲示してくれたと言へる》

  約束(價値觀/前提。場: C‘)⇒からの關係:①の見極め(from:D1の至大化)&①への

係と言ふ眞實を生かす即ち:美意識(to:D2の至大化)⇒「②言葉:F(關係的概念)⇒②の用法(o called)/自分と②との距離測定(Eの至大化)⇒日本および日本人(△枠)

そして、「見極め(from:D1の至大化)の必要性」諸例を以下の如く明示した(『惡に耐える思想』本文に於ける「價値觀」&見極め各種「關係論」)。

  相手(假説。物:場 C‘)

價値觀(物:場 C‘)

からの關係:

との關係を見極める(D1の至大化)=①への關係と言ふ眞實を生かす(D2の至大化)

「②:言葉(F)」(關係的概念)

の用法(o called)/自分ととの距離測定(Eの至大化)

(△枠)

 

マルクス主義者(△枠)の價値觀・・・①『プロレタリア革命』(價値觀/前提。場:C‘)

⇒からの關係:マルクス主義は、①を起すを價値觀/前提としてゐる、と見極める(D1の至大化)

⇒「②言葉()(關係的概念)・・・資本主義/權力/支配階級/侵略主義」⇒

⇒「②は①を起す(D1)事を前提として作られた。従つて①の爲、マルクス主義者(△枠)の②は都合のいい(Eの至大化)やうにして全部こしらへて(Eの至小化)ある」、と「so called

⇒マルクス主義者(△枠)

ルネサンス人(△枠)價値觀・・・①ギリシャ・ローマ(價値觀/前提。場: C‘)

⇒からの關係:①の豐かな文化の再發見をするを、ルネサンス人(△枠)は、價値觀/前提としてゐる、と見極める(D1の至大化)

⇒「②言葉()(關係的概念)・・・[人文主義/ヒューマニズム/人道主義/人間主義/人間といふ觀念]

⇒「人文主義から、元來、ヒューマニズムは出發(F⇒Eの至大化)してゐる。現代の日本で使はれてゐる人情、人道主義とはおよそ異なつた(Eの至小化)もの、と「so called

⇒ルネサンス人(△枠)

藤原鎌足(△枠)の價値觀・・・①『大化の改新』(價値觀/前提。場:C‘)

⇒からの關係:内外(唐/蘇我一族)から迫つてきた危機(とは:當時に於ける「近代化」的危機)對蹠の爲、藤原鎌足(△枠)が①を起すを價値觀/前提としてゐる、と見極める(D1の至大化)

「言葉()(關係的概念)・・・[⑥儒教]

⇒その爲、藤原鎌足(△枠)は一所懸命に⑥を勉強(so called/言葉との距離測定:Eの至大化)をした、と「so called

⇒藤原鎌足(△枠)

 よって、上記及び、恆存文「日本の近代史を『近代化に對する適應異常の歴史』として見直す事を提案する」(『適應異常について』)を援用し、更なる類推を下表で考察してみた(つまり、西歐近代が抱懐する「價値觀」を、どのように見極めたら良いかの一例)

  相手(假説。物:場 C‘)

  價値觀(物:場 C‘)

からの關係:

との關係を見極める(D1の至大化)=①への關係と言ふ眞實を生かす(D2の至大化)

「②:言葉」(潜在物:關係的概念)

の用法

(△枠):①への適應正常

 

では、「西歐近代」が抱懐する價値觀を、どのように見極めたら良いか?その一例。

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「西歐近代」が抱懐する價値觀(物:場 C‘)・・・①『神に型どれる人間の概念の探究』(物:場 C‘)。

⇒からの關係:「西歐近代」は、①價値觀/前提とし、「神の解體と變形と抽象化」(即ち近代化)を追求した、と見極める(from:D1の至大化)⇒右項

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⇒への關係:「西歐近代」(①)への關係と言ふ眞實を生かす(to:D2の至大化)とは、⇒右項:②の用法

⇒「②:言葉」〔關係的(近代化的概念〕・・・個人主義(権利義務の契約)/民主主義/資本主義/自然主義等。技術や社會制度的言葉(機械化/組織化/劃一化/合理化等々)。

⇒②の用法(so called)成立。即ち、自分と言葉との距離測定の成立。

⇒日本および日本人(△枠)

しかし、日本(日本人)は、以下の樣には見極める(D1の至大化)事が出來なかつた。故に「關係と言ふ眞實を生かす」(D2の至大化)も當然の事、出來なかつた(即ち『近代化適應異常』)

*西歐近代の「價値觀/前提」(物:場 C‘)とは、『神に型どれる人間の概念の探究』

*「近代ヨーロッパは神を見失つた――が、それはただ神の解體と變形と抽象化とを意味するに過ぎぬ。まさにそのための手續きであり過程にすぎなかつたヨーロッパの近代精神とその政治制度・経済機構(A領域:民主主義・國際法・資本主義等々)なのである」(『近代の宿命』全二P466)。

⇒參照PP圖「神の解體と變形と抽象化」https://tsuneariyomukai.dousetsu.com/kaminokaitaitohenkei.pdf

參考:拙發表文『シェイクスピア劇のせりふ』より

*何故日本は、近代化の技術や社會制度としての「資本主義化・民主主義化・個人主義化」「機械化・組織化・劃一化・合理化」等々を選擇するのか。西歐(二元論文化:注加筆)が近代でそれら概念に客體化して見せた〔即ち:西歐近代の價値觀(物:場 C‘)〕「神に型どれる人間の概念の探究」を、日本も「形ある『物』として(それら新漢語の裏に)見せる(F⇒Eの至大化)」と言ふ事が「So called」なのである。であるから、日本は「二元論思考」が是が非にも必要、と言ふ事になる(注加筆)。

 

Ⅲ.「完成せる統一體としての人格論」(PP圖參照new.kankeiron.pdf へのリンク)に則り、「關係と言ふ眞實を生かす(D2の至大化)」の最終到達點が、絶對C・全體(C:空間的/時間的)ならば、途中通過點の相手(物:場 C‘)が「眞實を生かす(D2の至大化)」對象に相當せず、と見極められた(D1の至大化)場合、その對應はどうするか。「却下か?妥協か?徹底抗戰か?鄭重にお斷り?」。

一案:「關係と言ふ眞實を生かす(D2の至大化)」べく、相手(物:場 C‘)へ「非の警鐘」を鳴らし、それでも無視されるなら、縁(關係)を切る、又は最小限とする(遠ざかる)。

參考

「行動に論理の筋を通す」⇒PP圖參照『少數派と多數派』https://tsuneariyomukai.dous etsu.com/shousuha.pdf

 

關係論:①神(觀念上の絶對:C)⇒からの關係:①に「②信頼してゐる」〔即ち神の「救ひ・罰」をも神意(D1)として信じてゐる(D1の至大化)事〕⇒③行動(②的概念:F)⇒③に論理の筋を通す(Eの至大化)〔とは、神(C絶對)との黙契(D1の至大化)は、行動の結果「救罰即ち相對」を不問かつ享受、意に介さず。:③との距離獲得(Eの至大化)〕⇒少數派(△枠) :への適應正常。

 

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附録

竝列比較「關係論」:關係と言ふ眞實を生かす/『醒めて踊れ』(近代化)/『せりふと動き』

 

著 人間の生き方、ものの考へ方

  明治からの關係:①以來崩れて來た #美意識 の再興手段として,②との關係と言ふ眞實を生か

す(D1の至大化),⇒[③#言葉]⇒即ち,③の用法(o called)成立,自分ととの距離測定成立を,頼るべき唯一のもの,再出發の為の最低段階であると⇒恆存。

著 『醒めて踊れ』  近代化適適應異常  「#民主主義 #個人主義」。

#神の死 (近代西歐)から生ずる關係(①#近代化:神の解體と變形と抽象化)⇒#民主主義 #個人主義 等(的概念)への用法(言葉への距離測定・so called  #精神の政治学)で日本人(△枠):への適應正常化。

著『日本および日本人』 # #新漢語 #利己主義

#近代西歐からの關係(① #近代化)⇒①的概念(②個人主義的 #権利義務 #制度 #法律)⇒②用語への日本人的 #距離感缺如(言葉へのnot so called・安直解釋)日本人:への適應異常。

著『せりふと動き』

場面⇒から關係として生ずる「①心の動き(D1の至大化)」⇒を「せりふ」(①的概念)⇒への用法(#フレイジング #距離測定 So called)で、「形のある『物』として(Eの至大化)見せる」場面への適應正常(#役者修業 は #人間修業)

 

場(物:場 C‘)

からの關係:

「關係と言ふ眞實を生かす」(D1の至大化)

言葉(關係的概念)

用法(o called)成立,自分ととの距離測定成立

(△枠)

①明治

 

#人間の生き方、ものの考へ方

 

以來崩れて來た #美意識 の再興手段として,②との關係と言ふ眞實を生かす(D1の至大化),

⇒[③#言葉]

即ち,③の用法(o called)成立,自分ととの距離測定成立を,頼るべき唯一のもの,再出發の為の最低段階であると

⇒恆存

神の死 (近代西歐)

 

#醒めて踊れ

①#近代化:神の解體と變形と抽象化)

(D1の至大化)

⇒#民主主義 #個人主義 等(的概念)

への用法(言葉への距離測定・so called  #精神の政治学)で

日本人(△枠):への適應正常化

近代西歐

 

#日本および日本人

① #近代化)

個人主義的 #権利義務 #制度 #法律

⇒②用語への日本人的 #距離感缺如(言葉へのnot so called・安直解釋)

日本人:への適應異常。

 

場面

 

著『せりふと動き』

 

關係「①心の動き(D1の至大化)」

⇒を「せりふ」(①的概念)

⇒への用法(#フレイジング #距離測定 So called)で、「形のある『物』として(Eの至大化)見せる」

⇒#役者修業 は #人間修業:場面への適應正常

 

 

をはり