令和四年二月二十一日
吉野櫻雲 發表文
小林秀雄著『本居宣長』から
*論語・萬葉集・源氏物語他に於ける、『事の世界(觀之功/言靈の轉義D1の至大化)は、言(こと)の世界(興之功/言靈の合體Eの至大化)を知るでもあつた〔例:『物のあはれ(F)』⇒知る(合體Eの至大化)〕。』論の重要性を、以下「色別展開」にて論考明確にする。
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《以下、各章に對する「事・言(こと)の世界」色別(青黄)明確化》
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【「事・言(こと)の世界」に關する、代表的内容説明】 〔二十四章『源氏』P228〕 「事の世界〔直接經驗:即ち實情(喜怒哀楽の情)世界(物:場 C‘)⇒經驗D1の至大化〕は、言(こと)の世界〔『物のあはれ』(F)⇒を知る(Eの至大化)〕でもあつた」〕 P228關係論:①實情(喜怒哀楽の情)世界(物:場 C‘)②尋常な姿(物:場 C‘)⇒からの關係:①を直接經驗〔悲しい・樂しい(D1の至大化)〕するは、生きた經驗(D1の至大化)、「➌:凡そ經驗(D1の至大化)といふものの一番基本的な『ありやう』(D1の至大化)で②だと言つてよからう。つまり、主觀的な生活經驗〔即ち①經驗(D1の至大化)〕」⇒「④:『物のあはれ』(F)」(➌的概念F)⇒E:さうすると、④(即ち、言の世界)は、この世(物:場 C‘)に生きる、①の直接經驗(D1の至大化)と言ふ、一番基本的な『ありやう』(D1の至大化)のうち(事の世界)に現れると言ふ事になる。⑤は、このあるがままの世界〔即ち『言の世界:Eの至大化=事の世界:D1の至大化』〕を深く信じた。即ち、事の世界〔直接經驗の世界:①⇒經驗D1の至大化〕でもあつたのである」(④への距離獲得:Eの至大化)⇒⑤宣長(△枠):①への適應正常。 〔三十二章『言語観の繼承:孔子⇒徂徠⇒眞淵⇒宣長』:參照P88〕 《#孔子(詩論)⇒#徂徠(以下文)⇒#眞淵[冠辭考]⇒宣長[#言靈の,轉義/合體]へと繼承される,以下 #言語観》 *①言(#言靈)②#道(即ち #古聖人 の #禮楽 と言ふ治績)⇒からの關係:『①は②を載せて(即ち #轉義)⇒以て遷る(即ち #合體)』⇒徂徠『學則』二。 參照 *三十一章關係論:①神代(物:場 C‘)⇒からの關係:①の記載をそのまま「➋:受取つてはならぬといふのが④の考へである」(D1の至小化)⇒「③『詞』」(➋的概念F)⇒E:宣長では、決して離れる事のなかつた③〔言(こと)の世界〕と『意』(事の世界)とが、離れる(Eの至小化)のである」(③への距離不獲得:Eの至小化)⇒④白石(△枠):①への適應異常。 *十章P88關係論:①言(物:場 C‘)②道〔變らぬもの(物:場 C‘)〕③古今〔即ち、歴史(遷り變るもの:物:場 C‘)〕⇒からの關係:世(世の中)は①を「④:載せて以て(D1の至大化)遷(うつ)る』のである」(D1の至大化)⇒「⑤:歴史(遷り變るもの)」(④的概念F)⇒E:⑤を「②は貫透する(②は何を載せても遷(うつ)らぬ)。⑤から浮き上がるのではない」(Eの至大化)(③への距離獲得:Eの至大化)⇒徂徠曰く(△枠):①②への適應正常。 *『世(世の中)は言(『言靈』)を載せて以て遷り(即ち、轉義D1の至大化)、言(『言靈』)は道〔古聖人の禮樂と言ふ治績(物:場 C‘)〕を載せて以て遷る(即ち、合體Eの至大化)(故に、道は何を載せても遷らぬ)』(徂徠『學則』二) |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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*①は②を載せて(即ち #轉義)」。 *『世(世の中)は言(『言靈』)を載せて以て遷り(即ち、轉義D1の至大化)、」言(『言靈』)は道〔古聖人の禮樂と言ふ治績(物:場 C‘)〕を載せて』。 |
『以て遷る』(即ち、合體Eの至大化)。 *「宣長では、決して離れる事のなかつた③〔言(こと)の世界〕と『意』(事の世界)」。 |
〔三十二章『孔子の詩論』:P302〕
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P302關係論:①言語の道(物:場 C‘)②詩(物:場 C‘)⇒からの關係:④の註解(『論語徴』)によれば、『◎:凡そ①は、②これ(①)を盡す(D1の至大化)』といふ考へ」⇒「◎:孔子の眼」(◎的概念F)⇒E:③はさういふ處にまで、つまり、自在な表現(『興之功』:『言(こと)の世界』)が、自在な認識(『觀之功』:事の世界)と結んでゐるところに(とは即ち:言靈の、合體Eの至大化=轉義D1の至大化、の事)まで届いてゐた、と④は解した」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒④徂徠(△枠):①への適應正常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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*「凡そ①は、②これ(①)を盡す」。 *「自在な認識(『觀之功』:事の世界)と結んでゐる」。 |
*「自在な表現(『興之功』:『言(こと)の世界』)」。 |
〔三十二章『徂徠『詩經之教』に於ける「言靈の、觀之功(轉義D1の至大化)=興之功(合體Eの至大化)」』:P306〕
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P306關係論:①言語(物:場 C‘)②物(物:場 C‘)③類(物:場 C‘)⇒からの關係:①は、②の意味〔觀之功(D1の至大化)即ち『事(こと)の世界(物:場 C‘)』〕を傳へる(D1の至大化)「◎:單なる道具ではない。『⑤は、③に觸れて賦し〔轉義D1の至大化(即ち:類例『萬葉集』『古今集』『新古今』)〕』(徂徠:詩經之教)」⇒「④:新しい意味(F)」(◎的對立概念F)⇒E:『從容として以て發す〔合體Eの至大化:例『ますらをぶり・心餘りて・反省・批評・歌の自律的な表現性』〕』。即ち、①は、④を生み出して行く(興之功:即ち、合體Eの至大化)働きである」(④への距離獲得:Eの至大化)⇒⑤詩人(△枠):①への適應正常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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*「①は、②の意味〔觀之功(D1の至大化)即ち『事(こと)の世界(物:場 C‘)』〕を傳へる(D1の至大化)「◎:單なる道具ではない。『⑤は、③に觸れて賦し〔轉義D1の至大化(即ち:類例『萬葉集』『古今集』『新古今』)〕』(徂徠:詩經之教)」。 |
*「從容として以て發す〔合體Eの至大化:例『ますらをぶり・心餘りて・反省・批評・歌の自律的な表現性』〕』。即ち、①は、④を生み出して行く(興之功:即ち、合體Eの至大化)働きである」(④への距離獲得:Eの至大化)」。 |
〔三十二章『理(自分流:定義附け・原理附け)に於ける、新しい意味(F)を生み出す事(即ち、合體Eの至大化)の不毛性』:P306〕
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P306關係論:①言語(物:場 C‘)②言語生活(物:場 C‘)③言語傳統(言靈。物:場 C‘)④國語(物:場 C‘)⇒からの關係:共有の財として深く信頼の①によつて組織された〔例:『萬葉集』『古今集』『新古今』等)へ、轉義D1の至大化されての〕、」⇒「⑤:自分流(F)」(➍的對立概念F)⇒E:意味(F)の世界(即ち、合體Eの至大化)の事である、この共通の基盤〔とは、言語(言靈)の、轉義D1の至大化=合體Eの至大化〕に、保證されてゐるといふ安心(Eの至大化)がなくて、⑤に物を言つて〔(Eの至小化):向後、P312~3項目『理(定義附け・原理附け)』への展開内容〕、新しい意味(合體)〔とは、P305『言語(F)は新しい意味(F)を生み出して行く(興之功:即ち、合體Eの至大化)』といふ内容〕を打ち出す自由など、誰にも持てる筈はない」(⑤への距離不獲得:Eの至小化)⇒宋儒(△枠):①への適應正常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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*「この(共有の財として深く信頼の)言語(『言靈』。物:場 C‘)によつて組織された〔組織(例:『萬葉集』『古今集』『新古今』等)へ、轉義D1の至大化されての〕」。 *「この共通の基盤〔とは、言語(言靈)の、轉義D1の至大化=合體Eの至大化〕」。 |
*「意味(F)の世界(即ち、合體Eの至大化)の事である、この共通の基盤〔とは、言語(言靈)の、轉義D1の至大化=合體Eの至大化〕に、保證されてゐるといふ安心(Eの至大化)がなくて、⑤に物を言つて〔(Eの至小化):向後、P312~3項目『理(定義附け・原理附け)』への展開内容〕、新しい意味(合體)〔とは、P305『言語(F)は新しい意味(F)を生み出して行く(興之功:即ち、合體Eの至大化)』といふ内容〕を打ち出す自由など、誰にも持てる筈はない」。 |
〔三十二章『孔子と徂徠の關係』:P315〕
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P315關係論:①『子路篇』(物:場 C‘)②孔子の言葉(物:場 C‘)③名(物:場 C‘)④言(物:場 C‘)⑤言語(物:場 C‘)⑥大樹(物:場 C‘)⑦先王(物:場 C‘)⑧營爲(物:場 C‘)⑨物(物:場 C‘)⇒からの關係:⑪は、『⑫の學ぶ(D1の至大化)所を學ばんと欲し(轉義D1の至大化)』た。⑫の學んだ(D1の至大化)⑦の⑧(即ち、禮樂・孝悌仁義といふ治績)は、「◎:⑨(禮樂・孝悌仁義といふ物?)と③(道)とが、しつかり合つたこの種〔⑨(禮樂・孝悌仁義といふ物?)+命③(道と言ふ名を⇒命ずD1の至大化)の種〕から育つた(即ち、轉義D1の至大化)⇒「⑩:思想や感情」(◎的概念F)⇒E:健全な言語(F)活動に貫かれてゐた(即ち、合體Eの至大化)と見た。⑦の⑧を學ぶ(即ち、轉義D1の至大化)とは、⑦自身が、その掛け代へのない⑩を語つてゐるところ(即ち、合體Eの至大化)を學ぶといふ、その事に他ならないといふ考へである〔つまりは、『言靈』の、轉義D1の至大化=合體Eの至大化、が此處にも含意されてゐるのでは?〕〕」(⑩への距離獲得:Eの至大化)⇒⑪徂徠⑫孔子(△枠):①②⑦への適應正常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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⑪は、『⑫の學ぶ(D1の至大化)所を學ばんと欲し(轉義D1の至大化)』た。⑫の學んだ(D1の至大化)⑦の⑧(即ち、禮樂・孝悌仁義といふ治績)は、「◎:⑨(禮樂・孝悌仁義といふ物?)と③(道)とが、しつかり合つたこの種〔⑨(禮樂・孝悌仁義といふ物?)+命③(道と言ふ名を⇒命ずD1の至大化)の種〕から育つた(即ち、轉義D1の至大化)。 *「⑦の⑧を學ぶ(即ち、轉義D1の至大化)」 |
⑦自身が、その掛け代へのない⑩を語つてゐるところ(即ち、合體Eの至大化)を學ぶといふ、その事に他ならないといふ考へである〔つまりは、『言靈』の、轉義D1の至大化=合體Eの至大化、が此處にも含意されてゐるのでは?〕〕 |
〔三十二章『孔子と古聖人達の關係』:P316〕
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P316關係論(文を倒置):①歴史(物:場 C‘)②禮樂(物:場 C‘)③事實(物:場 C‘)④『知命之言』(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。②を作つたのは⑥であつて、⑦ではなかつた、といふ③を(朱子△枠は)看過する(D1の至小化)。作らない(D1の至小化)當人(⑦)が、作らないと言ふの〔即ち『信じて古(物:場 C‘)を好む(D1の至大化)』といふ言〕が、何故、辭の謙(謙遜の辭)なるものであるか(D1の至小化)。これ〔『信じて古(物:場 C‘)を好む(D1の至大化)』〕は、決して⑦の謙語ではない(D1の至小化)。彼の④〔とは、『(天・古聖人:C‘の)命ずる(C⇒D1の至大化)を知る』、の言〕である、と⑧は言ふ。自ら②は作らず(D1の至小化)、既に作られた②を祖述(D1の至大化)するといふ仕事をするのも、①のめぐり合せ(即ち、轉義D1の至大化)であるとして、「◎:これ(作られた②)に隨順(即ち、轉義D1の至大化)した人(⑦)の言であるとした」⇒「⑤:理智」(◎的對立概念F)⇒E:一體、⑤(自分流の原理・定義附け:F)の不動を重んずる(Eの至大化)者(宋儒)は、①の推移(即ち、轉義D1の至大化)を輕んずる(D1の至小化)ものである」(⑤への距離不獲得:Eの至小化)⇒⑥古聖人達⑦孔子⑧徂徠(△枠):①②④への適應正常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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① を作つたのは⑥であつて、⑦ではなかつた、とい ふ③を(朱子△枠は)看過する(D1の至小化)。作らない(D1の至小化)當人(⑦)が、作らないと言ふの〔即ち『信じて古(物:場 C‘)を好む(D1の至大化)』といふ言〕が、」。 *「これ〔『信じて古(物:場 C‘)を好む(D1の至大化)』〕は、決して⑦の謙語ではない(D1の至小化)。彼の④〔とは、『(天・古聖人:C‘の)命ずる(C⇒D1の至大化)を知る』、の言〕である」。 *「既に作られた②を祖述(D1の至大化)するといふ仕事をするのも、①のめぐり合せ(即ち、轉義D1の至大化)である」。 *「◎:これ(作られた②)に隨順(即ち、轉義D1の至大化)した人(⑦)の言」。 *「①の推移(即ち、轉義D1の至大化)を輕んずる(D1の至小化)」。 |
*「⑤(自分流の原理・定義附け:F)の不動を重んずる(Eの至大化)者(宋儒)は」。・・・とは「言靈の、轉義D1の至大化=合體Eの至大化」を輕んずる(D1の至小化)ものと言ふことを示す。 |
〔三十一章『古事記傳』・白石『古史通』:P295〕
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P295關係論:①神代(物:場 C‘)⇒からの關係:①の記載をそのまま「➋:受取つてはならぬといふのが④の考へである」(D1の至小化)⇒「③『詞』」(➋的概念F)⇒E:宣長では、決して離れる事のなかつた③〔言(こと)の世界〕と『意』(事の世界)とが、離れる(Eの至小化)のである」(③への距離不獲得:Eの至小化)⇒④白石(△枠):①への適應異常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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*「神代(物:場 C‘)の記載をそのまま「➋:受取つてはならぬ(D1の至小化)」。 *『意』(事の世界) |
『詞』 〔言(こと)の世界〕 |
〔三十一章『古事記傳』・白石『古史通』:P297〕
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P297關係論:①『見る・知る(事の世界)』『語る〔言(こと)の世界〕』(物:場 C‘)②『朴陋の俗』(物:場 C‘)③古人(物:場 C‘)⇒からの關係:①といふ私達の働きは、特に意識して離さうとしない限り、一體をなしてゐる。このやうに考へる⑥と、②を批判し、「➍:觀察して③(『事の世界』)を知らうとした⑦とは、事ごとに話が食違ふ(D1の至小化)事になる」⇒「⑤:歴史の形で書かれた神の物語」(➍的對立概念F)⇒E:特に兩者の場合、扱はれた古記が、⑤であつたが爲に、二人の歩いた道に、大變際立つた(Eの至小化)對照が現れるといふ事になつた」(白石:⑤への距離不獲得:Eの至小化)⇒⑥宣長⑦白石(△枠):①への適應異常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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『見る・知る(事の世界)』 ① 古人(物:場 C‘) ② 『朴陋の俗』(物:場 C‘)を批判し、觀察して③(『事の世界』)を知らうとした⑦ |
『語る〔言(こと)の世界〕』 「⑤:歴史の形で書かれた神の物語」 |
〔三十一章『古事記傳』・白石『古史通』:P297〕
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P297關係論:①『太古朴陋(ぼくろう:素朴でいやしい)の俗』(物:場 C‘)②太古の人々(物:場 C‘)⇒からの關係:⑤は①による言葉の使ひ方を、正さうとするのだが、②の素朴な意のうち〔とは、古言の『ふり』、即ち『内にある古人の意(こころ)の外への現れ』の事〕に、「➌:素直に這入つて行く(D1の至大化)⑥には、①といふやうな⑤の言ひ方は、全く無縁なのである」(D1の至大化)⇒「④:古語の義」(➌的概念F)⇒E:古人の意のうちに居て、その意〔古言の『ふり』:内にある古人の意(こころ)の外への現れ〕を通して口を利いてみなければ、どうして④などが解けようか」(④への距離獲得:Eの至大化)⇒⑤白石⑥宣長(△枠):①への適應正常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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①『太古朴陋(ぼくろう:素朴でいやしい)の俗』(物:場 C‘) ③ 太古の人々(物:場 C‘) |
*「素朴な意のうち〔とは、古言の『ふり』、即ち『内にある古人の意(こころ)の外への現れ』の事〕」。 *「古人の意のうちに居て、その意〔古言(ふるごと)の『ふり』:内にある古人の意(こころ)の外への現れ〕を通して口を利いてみなければ、どうして「④:古語の義」などが解けようか」。 |
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〔二十七章P248~9『言語は、言靈といふ自らの衝動を持ち「轉義D1の至大化=合體Eの至大化」〕
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P248關係論:①言語(物:場 C‘)②言靈(物:場 C‘)③環境(物:場 C‘)⇒からの關係:①は②といふ自らの衝動を持ち(D1の至大化)、③に出會ひ(D1)、「④:自發的にこれに處してゐる〔『鋭敏に反應』(轉義:D1の至大化)〕」⇒「⑤:姿」(④的概念F)⇒E:事物に當つて、己(①)を驗し、事物に鍛へられて、己の⑤(F)を形成(合體:Eの至大化)してゐるものだ」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒(△枠):①への適應正常。 P249關係論:①言靈(物:場 C‘)②和歌史(場 C‘)③歌學の基本(物:場 C‘)⇒からの關係:この①の營みを、明瞭に辿る事は誰にも出來ないにせよ、「❹:それ(①)が②を一貫する流れ(即ち、轉義D1の至大化)を成してゐるといふのが、⑥の③にある直觀(D1の至大化)である」⇒「⑤:『詞の玉緒』」(❹的概念F)⇒E:⑥が⑤〔詞の玉(F)緒(即ち、合體Eの至大化)〕で究明したのは、⑦が言語を持つてゐるのは、あたかも⑦が肉體〔即ち『文といふ衣(F)を縫ふ縫ひて(E)』『自然、我物〔『おのが腹の内の物』(F)〕なる(Eの至大化)ゆへ也』〕を持つてゐるが如きものだといふ事であつた」(⑤への距離獲得:Eの至大化)⇒⑦私達⑥宣長(△枠):①への適應正常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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P248*「①は②といふ自らの衝動を持ち(D1の至大化)、③に出會ひ(D1)、「④:自發的にこれに處してゐる〔『鋭敏に反應』(轉義:D1の至大化)〕」。 P249*「それ(①)が②を一貫する流れ(即ち、轉義D1の至大化)を成してゐるといふのが、⑥の③にある直觀(D1の至大化)である」。 |
P248「事物に當つて、己(①)を驗し、事物に鍛へられて、己の⑤(F)を形成(合體:Eの至大化)」。 P249*「⑤〔詞の玉(F)緒(即ち、合體Eの至大化)〕で究明したのは、⑦が言語を持つてゐるのは、あたかも⑦が肉體〔即ち『文といふ衣(F)を縫ふ縫ひて(E)』『自然、我物〔『おのが腹の内の物』(F)〕なる(Eの至大化)ゆへ也』〕を持つてゐるが如き」。 |
〔二十三章『源氏』:P219〕
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P219(Ⅰ)關係論:①すべて人・よみ人(物:場 C‘)②心(物:場 C‘)⇒からの關係:①の②を、「③:おしはかりえて(D1の至大化)」⇒「④:詞・語」(③的概念F)⇒E:④のいひざま(E:型)、いきほひ(E:型)にしたがひて(「Eの至大化」or「Eの至小化」)、深くも(Eの至大化)、淺くも(Eの至小化)、をかしくも(Eの至大化)、うれたくも(Eの至小化)聞ゆるわざ(E:型)にて、歌(かたち:E)は、ことに、②のあるやう(D1の至大化)を、ただに、うち出たる趣(Eの至大化)なる物也(即ち、D1の至大化=Eの至大化)。故に、その(③の)いきほひ(E:型)を譯(うつ)すべき(Eの至大化)也」(即ち、Eの至大化=D1の至大化、といふ事)(③への距離獲得:Eの至大化)⇒宣長『古今集遠鏡』(△枠):①への適應正常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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① すべて人・よみ人(物:場 C‘)の心(D1)を、「➋:おしはかりえて(D1の至大化)」。 *「ことに心のあるやう(『心をおしはかり』:D1の至大化)を、」。 |
*「詞・語のいひざま(E:型)、いきほひ(E:型)にしたがひて(「Eの至大化」or「Eの至小化」)、深くも(Eの至大化)、淺くも(Eの至小化)、をかしくも(Eの至大化)、うれたくも(Eの至小化)聞ゆるわざ(E:型)にて、歌(かたち:E)は、ことに、心のあるやう(『心をおしはかり』:D1の至大化)を、ただに、うち出たる趣(Eの至大化)なる物也(即ち、D1の至大化=Eの至大化)。故に、その(③の)いきほひ(E:型)を譯(うつ)すべき(Eの至大化)也」(即ち、Eの至大化=D1の至大化、といふ事)(③への距離獲得:Eの至大化)⇒宣長『古今集遠鏡』(△枠) |
〔二十三章『源氏』:P221〕
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P221關係論:①『萬葉』(物:場 C‘)②『言靈』(物:場 C‘)③古言(物:場 C‘)⇒からの關係:①に現れた(即ち、轉義D1の至大化)②といふ③に含まれた、②の「④:本義を問ふ〔知的理解、即ち:語(物:場 C‘)⇒釋(D1)する〕のが問題ではない」⇒「⑤:俗言(さとびごと)」(④的對立概念F)⇒E:⑤の働きといふ「具體的な物」(即ち:F⇒Eの至大化)としつかりと合體(Eの至大化)して、この同じ古語(『言靈』)が、どう轉義するか、その樣〔即ち、合體(Eの至大化)=轉義(D1の至大化)〕を眼のあたり見る(Eの至大化)のが肝腎なのである」(⑤への距離獲得:Eの至大化)⇒宣長『うひ山ぶみ』(△枠)。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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① 『萬葉』(物:場 C‘)③古言(物:場 C‘) *①に現れた(即ち、轉義D1の至大化)②といふ③に含まれた、②の「④:本義を問ふ〔知的理解、即ち:語(物:場 C‘)⇒釋(D1)する〕のが問題ではない」 |
「⑤:俗言(さとびごと)」(④的對立概念F)。 *⑤の働きといふ「具體的な物」(即ち:F⇒Eの至大化)としつかりと合體(Eの至大化)して、この同じ古語(『言靈』)が、どう轉義するか、その樣〔即ち、合體(Eの至大化)=轉義(D1の至大化)〕を眼のあたり見る(Eの至大化)のが肝腎」。 |
〔二十四章『源氏』:P223〕
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P223關係論:①古言(物:場 C‘)②對象(物:場 C‘)⇒からの關係:①は、どんな②を新たに見附けて(D1の至大化)、「③:どのやうに轉義(D1の至大化)し、立直るか(即ち、轉義D1の至大化)」⇒「④:言語の傳統(F)」(③的概念F)⇒E:「その(①の)現在(今言:F『俗言:さとびごと』)の生きた働き方(合體:Eの至大化)の中に、言葉の過去(即ち①)を映し出して見る(即ち、合體Eの至大化)⑤が、④〔つまり『死んで生れ變る物の味(F俗言:さとびごと)』〕を、みづから味はへる(合體Eの至大化)〔即ち『物の味(F)をみづからなめて知れる(合體Eの至大化)』〕④だ。さういふ考へ(即ち、轉義D1の至大化=合體Eの至大化)が土臺となつて、『詞(F)の玉(F)緒(Eの至大化)』(宣長五十歳作)といふ『てにをは』(Eの至大化)の研究が書かれた」(④への距離獲得:Eの至大化)⇒⑤人(△枠):①への適應正常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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①古言(物:場 C‘)②對象(物:場 C‘) *「①は、どんな②を新たに見附けて(D1の至大化)、どのやうに轉義(D1の至大化)し、立直るか(即ち、轉義D1の至大化)」。 *言葉の過去(即ち①)。 |
「④:言語の傳統(F)」 *「その(①の)現在(今言:F『俗言:さとびごと』)の生きた働き方(合體:Eの至大化)の中に、言葉の過去(即ち①)を映し出して見る(即ち、合體Eの至大化)⑤が、④〔つまり『死んで生れ變る物の味(F俗言:さとびごと)』〕を、みづから味はへる(合體Eの至大化)〔即ち『物の味(F)をみづからなめて知れる(合體Eの至大化)』〕④だ。さういふ考へ(即ち、轉義D1の至大化=合體Eの至大化)が土臺となつて、『詞(F)の玉(F)緒(Eの至大化)』(宣長五十歳作)といふ『てにをは』(Eの至大化)の研究が書かれた」(④への距離獲得:Eの至大化)。 |
〔二十四章『源氏』:P224〕
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P224關係論:①『てにをは(Eの至大化)』(物:場 C‘)②事物も觀念(物:場 C‘)③對象(物:場 C‘)④思想感情(物:場 C‘)⑤内的なもの(物:場 C‘)⑧外物(物:場 C‘)⇒からの關係:①は②も現すものではない(D1の至小化)。「⑥:一應は③化して、しかじかの④と考へられる⑤も指す(D1)事は出來ない(D1の至小化)」⇒「⑦:語」(⑥的概念F)⇒E:とすれば、これを⑦とは呼びにくい。それでも⑦には違ひないのなら、それは、⑦の『用ひ方(Eの至大化)』『いひざま(Eの至大化)』『いきほひ(Eの至大化)』などと呼んでいいもの、どうしても⑧化出來ぬ⑨の心の働き(D1の至大化)を、直に現してゐる(即ち、D1の至大化=Eの至大化)ものだ」(⑦への距離獲得:Eの至大化)⇒⑨私達(△枠):①⑤への適應正常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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② 事物も觀念(物:場 C‘)③對象(物:場 C‘)④思想感情(物:場 C‘)⑧外物(物:場 C‘) *[一應は③化して、しかじかの④と考へられる⑤も指す(D1)事は出來ない(D1の至小化)」 |
⑤内的なもの(物:場 C‘)・「⑦:語」 *「それでも⑦には違ひないのなら、それは、⑦の『用ひ方(Eの至大化)』『いひざま(Eの至大化)』『いきほひ(Eの至大化)』などと呼んでいいもの、どうしても⑧化出來ぬ⑨の心の働き(D1の至大化)を、直に現してゐる(即ち、D1の至大化=Eの至大化)ものだ」(⑦への距離獲得:Eの至大化)⇒⑨私達(△枠)。 |
〔二十四章『源氏』:P228〕
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P228關係論:①人の實の情(物:場 C‘)⇒からの關係:①を知る(D1の至大化)⇒「②:日常言語(F:俗言と同)」⇒E:どう現れてゐるかと言へば、『つくづくとながむる』效果(即ち、合體Eの至大化)の表現力に據り、物の哀が『誰にも親しい②に現れてゐる』と」(②への距離獲得:Eの至大化)⇒宣長(△枠)。 P228關係論:①『源氏』(物:場 C‘)②人生といふ主題(物:場 C‘)⇒からの關係:⑤は、①を②と、⑤は「➌:端的に受取つた(D1の至大化)」⇒「④:日常言語(『物のあはれ』F)」(➌的概念F)⇒E:即ち、誰にも親しい④の表現力(Eの至大化)に扱はれた、『在るがままの人生として語られる(Eの至大化)、物語』、と」(④への距離獲得:Eの至大化)⇒⑤宣長(△枠):①への適應正常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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① 人の實の情(物:場 C‘) ① 『源氏』(物:場 C‘)②人生といふ主題(物:場 C‘) 「➌:端的に受取つた(D1の至大化) |
*物の哀(F)が『誰にも親しい日常言語(物の哀F)に現れてゐる』。 *「④:日常言語(『物のあはれ』F)」 *誰にも親しい④の表現力(Eの至大化)に扱はれた、『在るがままの人生として語られる(Eの至大化)、物語』、と。 |
〔二十四章『源氏』:P228〕
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P228關係論:①實情(喜怒哀楽の情)世界(物:場 C‘)②尋常な姿(物:場 C‘)⇒からの關係:①を直接經驗〔悲しい・樂しい(D1の至大化)〕するは、生きた經驗(D1の至大化)、「➌:凡そ經驗といふものの一番基本的な『ありやう』(D1の至大化)で②。つまり、主觀的な生活經驗(即ち①)。」⇒「④:『物のあはれ』(F)」(➌的概念F)⇒E:さうすると、④は、この世に生きる經驗の、本來の『ありやう』〔①の直接經驗と言ふ、一番基本的な『ありやう』(D1の至大化)〕のうちに現れる(即ち、Eの至大化=D1の至大化)と言ふ事になる。⑤は、このあるがままの世界(即ち、Eの至大化:言の世界=D1の至大化:事の世界)を深く信じた。即ち、事の世界は、言(こと)の世界でもあつたのである」(④への距離獲得:Eの至大化)⇒⑤宣長(△枠):①への適應正常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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① 實情(喜怒哀楽の情)世界(物:場 C‘)②尋常な姿(物:場 C‘)。 ① を直接經驗〔悲しい・樂しい(D1の至大化)〕するは、生きた經驗(D1の至大化)、「➌:凡そ經驗といふものの一番基本的な『ありやう』(D1の至大化)で②。主觀的な生活經驗(即ち①)。 *この世に生きる經驗の、本來の『ありやう』〔①の直接經驗と言ふ、一番基本的な『ありやう』(D1の至大化)〕。 |
「④:『物のあはれ』(F)」は、本來の『ありやう』〔①の直接經驗と言ふ、一番基本的な『ありやう』(D1の至大化)〕のうちに現れる(即ち、Eの至大化=D1の至大化)。 *⑤は、このあるがままの世界(即ち、Eの至大化:言の世界=D1の至大化:事の世界)を深く信じた。即ち、事の世界は、言(こと)の世界でもあつたのである」(④への距離獲得:Eの至大化)⇒⑤宣長(△枠):①への適應正常。 |
〔二十四章『源氏』:P229〕
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P229關係論:①『よろづの事』(物:場 C‘)②心(物:場 C‘)③事の心(物:場 C‘)④物の心(物:場 C‘)⑤其のしな〔喜怒哀楽の情(こころ。物:場 C‘)〕⇒からの關係:⑨は經驗(D1の至大化)といふ言葉は使はなかつた。『①を、②にあぢはへて(經驗:D1の至大化)、その①の②を、わが心にわきまへしる(經驗:D1の至大化)。是③をしる(D1の至大化)也、④をしる(D1の至大化)也。』(中略)「❻:『わきまへしりて(D1の至大化)〔即ち、P219『すべて人・よみ人(物:場 C‘)の心(意:D1)を、おしはかりえて(D1の至大化)』〕、⑤にしたがひて(D1の至大化)』」⇒「⑦:物のあはれ」(❻的概念F)⇒E:感ずる所が⑦【換言すると『云々(しかじか)の言(F)は、云々〔しかじか:古人(物:場 C‘)〕の意(D1の至大化)に用ひたり(Eの至大化)といふことを、よく明らめ知る(即ち、Eの至大化=D1の至大化)』と言ふ事】。⑧は、このあるがままの世界〔即ち、⑤〔喜怒哀楽の情(こころ。物:場 C‘)にしたがひて(D1の至大化)、感ずる所〔物のあはれ(F)を感ずる(Eの至大化)。即ち(D1の至大化=Eの至大化)〕を深く信じた」(⑦への距離獲得:Eの至大化)⇒⑧宣長(△枠):①③⑦(事の世界)への適應正常。 |
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『事(事實)の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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*『よろづの事(事實)』を、心(物:場 C‘)にあぢはへて(經驗:D1の至大化)。 *『よろづの事(事實)』の心(物:場 C‘)を、わが心にわきまへしる(D1の至大化)。是(これ)事(事實)の心(物:場 C‘)をしる(D1の至大化)也。 |
「⑦:物のあはれ」(❻的概念F) *「感ずる所が⑦【換言すると『云々(しかじか)の言(F)は、云々〔しかじか:古人(物:場 C‘)〕の意(D1の至大化)に用ひたり(Eの至大化)といふことを、よく明らめ知る(即ち、Eの至大化=D1の至大化)』と言ふ事】。 |
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*『其のしな(實情:喜怒哀楽の情。物:場 C‘)にしたがひて(D1の至大化)』。 *『云々〔しかじか:古人(事實。物:場 C‘)〕の意(D1の至大化)』。 *〔即ち、⑤〔喜怒哀楽の情(こころ。物:場 C‘)にしたがひて(D1の至大化)、 |
*感ずる所が物のあはれ(F)【換言すると『云々(しかじか)の言(F)は、云々〔しかじか:古人(物:場 C‘)〕の意(D1の至大化)に用ひたり(Eの至大化)といふことを、よく明らめ知る(即ち、Eの至大化=D1の至大化)』と言ふ事】。 *⑧は、このあるがままの世界〔即ち、『其のしな〔實情:喜怒哀楽の情(こころ。物:場 C‘)〕にしたがひて(D1の至大化)、感ずる所〔物のあはれ(F)を感ずる(Eの至大化)。即ち(D1の至大化=Eの至大化)〕を深く信じた」(⑦への距離獲得:Eの至大化)⇒⑧宣長(△枠) |
〔二十四章『源氏』:P229〕
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P229關係論:①『實(まこと:事實)』の『自然の』『おのづからなる』(物:場 C‘)②事の世界(事實。物:場 C‘)⇒からの關係:この①などといろいろに呼ばれてゐる(D1の至大化)、②〔とは即ち『よろづの事(事實)』(物:場 C‘)を、心(物:場 C‘)にあぢはへて(D1の至大化)、その『よろづの事(事實)』(物:場 C‘)の心(物:場 C‘)を、わが心にわきまへしる(D1の至大化)。「❸:是(これ)事(事實)の心(物:場 C‘)をしる(D1の至大化)也、物の心(物:場 C‘)をしる(D1の至大化)也、わきまへしりて(D1の至大化)、其のしな(實情。物:場 C‘)にしたがひて(D1の至大化)感ずる所。換言すれば『云々(しかじか)の言(F)は、云々(しかじか:古人=事實)の意(D1の至大化)に用ひたり(Eの至大化)といふことを、よく明らめ知る(即ち、Eの至大化=D1の至大化)』〕は」⇒「④:言(こと)の世界」(❸的概念F)⇒E:「又④〔換言すれば『物のあはれ(F:日常言語)」の表現力(F⇒Eの至大化)』を言ふ〕でもあつたのである」(④への距離獲得:Eの至大化)⇒宣長(△枠):②への適應正常。 |
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『事の世界』 |
『言(こと)の世界』 |
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*「この①などといろいろに呼ばれてゐる(D1の至大化)、②〔とは即ち『よろづの事(事實)』(物:場 C‘)を、心(物:場 C‘)にあぢはへて(D1の至大化)、その『よろづの事(事實)』(物:場 C‘)の心(物:場 C‘)を、わが心にわきまへしる(D1の至大化)。「❸:是(これ)事(事實)の心(物:場 C‘)をしる(D1の至大化)也、物の心(物:場 C‘)をしる(D1の至大化)也、わきまへしりて(D1の至大化)、其のしな(實情。物:場 C‘)にしたがひて(D1の至大化)感ずる所」。 *「云々(しかじか:古人=事實)の意(D1の至大化)」。 |
*「『云々(しかじか)の言(F)は、云々(しかじか:古人=事實)の意(D1の至大化)に用ひたり(Eの至大化)といふことを、よく明らめ知る(即ち、Eの至大化=D1の至大化)』〕は」⇒「④:言(こと)の世界」。 *「『物のあはれ(F:日常言語)」の表現力(F⇒Eの至大化)』を言ふ」。 |
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