令和四年十二月二十三日
吉野櫻雲 發表文
〔小林秀雄著『本居宣長』から〕
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《『言靈』の各文學への變遷:即ち『古事記・萬葉・古今・新古今・源氏』等への「轉義」と、その主題への「合體」を見る》kotodama.hensen.pdf へのリンク *「『言靈』(物:場 C‘)の營みを、明瞭に辿る事は誰にも出來ないにせよ、それ(言靈)が、和歌史を一貫する流れ(即ち、轉義D1の至大化)を成してゐるといふのが、宣長の歌學の基本にある直觀である」(P249)。 *P248關係論:①言語(物:場 C‘)②言靈(物:場 C‘)③環境(物:場 C‘)⇒からの關係:①は②といふ自らの衝動を持ち(D1の至大化)、③に出會ひ(D1)、「④:自發的にこれに處してゐる〔『鋭敏に反應』(轉義:D1の至大化)〕」⇒「⑤:姿」(④的概念F)⇒E:事物に當つて、己(①)を驗し、事物に鍛へられて、己の⑤(F)を形成(合體:Eの至大化)してゐるものだ」(③への距離獲得:Eの至大化)⇒(△枠):①への適應正常。 《「祝詞・宣命」に強く發揮された『言靈』の變遷》 *P268關係論:①祝詞②『言靈』③助辭(てにをは)④『いともあやしき言靈のさだまり(格)』⑤『古事記』⇒からの關係:①に一番強く發揮された②は、③④に乘じて⑤に結ばれ(即ち、轉義D1の至大化)⇒⑥:阿禮(巫女・語部)⇒⑥の『誦習(よみならひ)の朴』に合體する⇒宣長(△枠)。 |
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章:頁 |
各『文學名:個人名』:*『言靈』は『助辭(てにをは)』『いともあやしき言靈のさだまり(格)』(心の本質的な連續性)に乘じて、各『文學名:個人名』に結ばれ(即ち、轉義D1の至大化)」⇒ |
⇒姿・景色等(合體對象:F)⇒ |
⇒各『文學名:個人名』の、以下①②等に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 |
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Ⅰ.『祝詞・宣命』に『言靈』は一番強く發揮された(即ち、轉義D1の至大化)。 |
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二十八章 P237 |
Ⅱ.『古事記』:*『言靈』は『助辭(てにをは)』『いともあやしき言靈のさだまり(格)』(心の本質的な連續性)に乘じて、Ⅱ.『古事記』に結ばれ(即ち、轉義D1の至大化)」⇒ |
⇒「阿禮(巫女・語部:F)」⇒ |
⇒Ⅱ.『古事記』:阿禮(巫女・語部:F)の『誦習(よみならひ)の朴(F)』に合體した(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 |
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二十三章 P221 |
Ⅲ.『萬葉集』: *『言靈』は『助辭(てにをは)』『いともあやしき言靈のさだまり(格)』(心の本質的な連續性)に乘じて、Ⅲ.『萬葉集』に結ばれ(即ち、轉義D1の至大化)」⇒ |
⇒『冠辭(枕詞)』『ますらをぶり』(調:F)(眞淵)⇒ |
⇒Ⅲ.『萬葉集』の、以下①②③に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ① P176:『冠辭(枕詞)F』・「『ますらをの高く直きこころ』さながらの姿」・P239『ますらをぶり:F』に合體(眞淵)。 ② P248「『言靈』といふ言葉は、萬葉歌人にとつて初めて使ひ出された(即ち、合體Eの至大化)。 ③ P248「母國の言葉」に合體・・・『言靈の佐くる國(F)』『言靈の幸ふ國(F)』といふ風に萬葉歌人に使はれた(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 |
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二十四章 P228 |
Ⅳ.『源氏』: *「『言靈』は『助辭(てにをは)』『いともあやしき言靈のさだまり(格)』(心の本質的な連續性)に乘じて、Ⅳ.『源氏』に結ばれ(即ち、轉義D1の至大化)」⇒ |
⇒「日常言語(F:今言・俗言と同)としての『物の哀:F』」⇒ |
⇒Ⅳ(『源氏』)の、以下①に合體(即ち、合體Eの至大化)。 ① 『物の哀F』に合體。即ち日常言語(F:今言俗言)が作り上げる姿(『物の哀F』)に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ~~~~~~~~~~~~~~~ 參照 P228『源氏』關係論:①人の實の情〔物の哀(物:場 C‘)〕⇒からの關係:①を知る(D1の至大化)⇒「②:日常言語(F:俗言と同)」⇒E:どう現れてゐるかと言へば、『つくづくとながむる』效果(即ち、合體Eの至大化)の表現力に據り、物の哀が『誰にも親しい②に現れてゐる』と」(②への距離獲得:Eの至大化)⇒宣長(△枠)。 |
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二十五章 P233 |
Ⅴ:『源氏』 *「『言靈』は『助辭(てにをは)』『いともあやしき言靈のさだまり(格)』(心の本質的な連續性)に乘じて、『源氏』に結ばれ(即ち、轉義D1の至大化)」⇒ |
⇒『誰にも親しい日常言語(F)』:俗言今言〕としての、『やまと魂(心かしこし)F』⇒ |
⇒Ⅴ(『源氏』)の、以下①②に合體(即ち、合體Eの至大化)。 ① 當時の日常語としての『やまと魂(F:『心かしこし』の意)』に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。とは即ち、當時の日常語『誰にも親しい日常言語』(俗言今言と同)としての『やまと魂=心かしこし(F:智慧・人柄)』に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)といふ事。 ② P237「言葉は世の常の生活の間で、交はされてゐる談話(俗言F⇒合體Eの至大化)にも、その(言葉の)「姿」(F)といふものはある(即ち、F⇒合體Eの至大化)」。 |
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二十七章 P256 |
Ⅵ.『古今』の集成(貫之:古今集假名序) *「『言靈』は『助辭(てにをは)』『いともあやしき言靈のさだまり(格)』(心の本質的な連續性)に乘じて、『古今』(物:場 C‘)の集成(貫之:古今集假名序)に結ばれ(即ち、轉義D1の至大化)」⇒ |
⇒「自覺とか反省とか批評(F:『心餘りて』姿)」⇒ 參照『心餘りて』の作例・・・ 業平代表作『ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日けふとは 思はざりしを』。 |
⇒Ⅵ.貫之:古今集假名序の、以下①②③に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ① P256「自覺とか反省とか批評(F:『心餘りて』姿)」とか呼んでいい精神傾向の開始に合體(F⇒合體Eの至大化)。 ② とは即ち、『觀念(F)といふ身輕な己の正體に還つて(F⇒合體Eの至大化)』と言ふ合體であり、 ③ 『和歌から和文(F)への移り行き(F⇒合體Eの至大化)』と言ふ合體を現す。 參照P256:關係論 #小林秀雄 著 #本居宣長 二十七章 ① 源氏②古今③わが國の文學史:言靈⇒からの關係:①が成つたのも,②の[觀念といふ身輕な己の正體に還つて]の應用なり。が⑥を驚かせた。⑥は、②の集成を③に於ける⇒④:自覺/反省/批評⇒④と呼べる精神傾向の開始と受取つた。その正しさの保證として⑥は①を選擇⇒⑥宣長。 |
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二十七章 續: P251 |
Ⅶ.『古今』の肉體(物:場 C‘)に自力で己(『言靈』)を摑み直す *「『言靈』は『助辭(てにをは)』『いともあやしき言靈のさだまり(格)』(心の本質的な連續性)に乘じて、Ⅶ.『古今』の肉體(物:場 C‘)に自力で己(『言靈』)を摑み直すに結ばれ(即ち、轉義D1の至大化)」⇒ |
⇒自らを省みての(F『心餘りて・反省・批評』の)『やまと心・やまと魂:姿F』⇒ |
⇒Ⅶ.『古今』の肉體(物:場 C‘)に自力で己(『言靈』)を摑み直すの、以下①②③に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ①P256「人の心(『言靈』と同)を種として(貫之)」のやまと歌(F)に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ②P256「やまと歌の種になる心(『言靈』と同)が、自らを省み(F『心餘りて・反省・批評』で)、『やまと心』『やまと魂』といふ言葉(姿F)を思ひつく(即ち、F⇒合體Eの至大化)のは、『古今』時代からの事だ」。 ② 自らを省みて〔心餘りて・反省・批評(F姿)〕から、歌(F)が生まれてゐる(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 業平代表作 『ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日けふとは 思はざりしを』。 『月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして』(『伊勢物語』)。 參照 P251:骨組み(關係論):①言靈(物:場 C‘)②『古今』の肉體(物:場 C‘)⇒①が②に自力で己(①)を摑み直す(即ち、轉義D1の至大化)⇒反省と批評(F姿)⇒から、歌が生まれてゐる(即ち、合體Eの至大化)⇒貫之・業平・古今歌人(△枠)。 |
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二十七章 續: P256 |
Ⅷ.『土佐日記』(貫之) *「『言靈』は『助辭(てにをは)』『いともあやしき言靈のさだまり(格)』(心の本質的な連續性)に乘じて、『土佐日記』(貫之)に結ばれ(即ち、轉義D1の至大化)」⇒ |
⇒「表現の自在(F:自覺・反省・批評)」⇒ |
⇒Ⅷ.『土佐日記』(貫之)の、以下①②③に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ① 「表現の自在(F:自覺・反省・批評)」即ち『觀念(F)といふ身輕な己の正體に還つて(F⇒合體Eの至大化)』への合體。 ② 『女もしてみむとてするなり』(女性自身に語らせる手法:F)への合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ③ 『和歌から和文(F)への移り行き(即ち、F⇒合體Eの至大化)』に合體。 |
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二十一章P200 |
Ⅸ.『新古今』 *「『言靈』は『助辭(てにをは)』『いともあやしき言靈のさだまり(格)』(心の本質的な連續性)に乘じて、『新古今』に結ばれ(即ち、轉義D1の至大化)」⇒ |
⇒「歌の自律的な表現性」(F)⇒ ~~~~~~ ⇒「歌の傳統の構造とか組織」(F)⇒ ⇒「歌の傳統と言ふ像」⇒ ⇒(F)「發展の法則性」(F) ⇒『此道の至極せる處』(F)⇒ |
⇒Ⅸ.『新古今』の、以下①②③④に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ① P200「『新古今』の姿〔「歌の自律的な表現性(F)」〕に、歌人等の意識が異常に濃密(即ち、F⇒合體Eの至大化)になつた一時期(『歌に化せられる』P207)があつた」。 ② 「歌の傳統の構造とか組織(F)」に合體。 ③ 「發展の法則性(目標・意味)」「歌の變易といふ『自然の理(P206)』(F)」に合體。 ④ 『此道の至極せる處(F)』に合體。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ *「それ(言靈)が和歌史(場 C‘)を一貫する流れ〔「歌の傳統の構造とか組織」(F)〕を成してゐる(即ち、F⇒合體Eの至大化)といふのが、宣長の歌學の基本にある直觀(D1の至大化)」。 |
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七章 P61~ 二十六章 P244 |
Ⅹ.契沖 *「『言靈』は『助辭(てにをは)』『いともあやしき言靈のさだまり(格)』(心の本質的な連續性)に乘じて、Ⅹ.契沖 に結ばれ(即ち、轉義D1の至大化)」⇒ |
⇒『大明眼』の『本意』に於ける、『歌學』は『俗中の眞』(F)⇒ |
⇒Ⅹ.契沖の、以下①②③に合體(即ち、合體Eの至大化)。 ① 「契沖によつて開かれた、歌(F)に直に接し、これを直に味はひ、その意を得ようとする道(即ち、F⇒合體Eの至大化)」に合體。 ② 契沖『大明眼』『本意』に於ける基本的な思想・・・「『歌學』は『俗中の眞である』(F)」に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ③ 著『勢語臆斷』の、「まことの姿(F:古文の姿・『文辭の麗しさ』)」に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ~~~~~~~~~~~ P244:關係論 ① 契沖(物:場 C‘)②『やまとだましいなる人』(物:場 C‘)③『丈夫(ますらを)の心なる人』(物:場 C‘)⇒からの關係:宣長は①を②と呼んだが、これは③といふ意味ではない。「❹:その理由は、契沖の「業平朝臣」評價にある」。即ち①の⑤(著『勢語臆斷』)に「まことの姿(『文辭の麗しさ』F)」がある事が②なのである」⇒「⑤:古文の姿(即ち『文辭の麗しさ』)」(❹的概念F)⇒E:⑥は⑤については、驚くほどの眼(Eの至大化)を持つてゐた⇒⑥宣長(△枠)。 |
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二十六章 P245 |
Ⅺ.眞淵・宣長の『低き所(物:場 C‘)を固める』 *「『言靈』は『助辭(てにをは)』『いともあやしき言靈のさだまり(格)』(心の本質的な連續性)に乘じて、眞淵・宣長の『低き所(物:場 C‘)を固める』に結ばれ(即ち、轉義D1の至大化)」⇒ ~~~~~~~~ 注:P245『低き所(物:場 C‘)を固める』(轉義)、即ち「眞淵の『文事』の要諦とは、古意(物:場 C‘)を得んが爲に、先づ古言(低き所)を得る(即ち、轉義D1の至大化)といふところにあつた」。 |
⇒『やまと魂(姿:F)』⇒ |
⇒Ⅺ.眞淵・宣長の『低き所(物:場 C‘)を固める』の、以下①②③に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ①『己が腹の中』(今言・俗言)としての『やまと魂(姿:F)』に合體。 ②『文辭の麗しさ』の、姿(景色F)・調(F)に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)し、以下二人に捕へられた。 *眞淵の調(F):歌の姿(F:自身の調べ)・『萬葉』の『みやびの調べ(F)』に合體(眞淵の一途な道)・・・即ち、『冠辭(F:枕詞)』・「『ますらをの高く直きこころ』さながらの姿(F)」『ますらをぶり(F)』に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 *宣長の「姿(F)」・・・つまり以下①②等に合體。 ① 『やまと魂(姿:F)』の換言、「『皇國の道』『人の道』を體した心(F)」に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ② 『やまと魂F』、即ち言葉が作り上げる姿(F:景色『朝日ににほふ山ざくら花』)に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 *P245:文事の經驗の深部〔即ち、『萬葉』冠辭・古今集(低き所に轉義)⇒合體(『やまと魂(F姿)』〕⇒眞淵・宣長(△枠)。 |
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十九章主題 (眞淵『冠辭考』) |
Ⅻ.眞淵 *「『言靈』は『助辭(てにをは)』『いともあやしき言靈のさだまり(格)』(心の本質的な連續性)に乘じて、眞淵に結ばれ(即ち、轉義D1の至大化)」⇒ |
⇒『冠辭考』(F)⇒ |
⇒Ⅻ.眞淵の、以下①②③に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ① 『冠辭考』(F)・・・「(萬葉歌人が言たらずに)『ひたぶるに眞ごころなるを、雅言〔みやびごと(「あしびきの」等)〕もて飾れ』る姿(F:『冠辭』)に、眞淵は感得(即ち、F⇒合體Eの至大化)」。 ② 『萬葉』から、眞淵がひたすら想ひ描かう(合體Eの至大化)としたのは、『言靈の佐(たす)くる國:F』と「長い言語傳統:F」(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 |
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二十一章 P196『古今集遠鏡』 二十四章 P225著『詞の玉緒』 二十七章 P249「宣長の歌學」(F) 二十五章 P236『姿(文辭の麗しさ:F)は似せがたく、意〔詞の巧み(物:場 C‘)〕は似せ易し』 |
ⅩⅢ.宣長 *「『言靈』は『助辭(てにをは)』『いともあやしき言靈のさだまり(格)』(心の本質的な連續性)に乘じて、宣長に結ばれ(即ち、轉義D1の至大化)」⇒ ~~~~~ 參照:二十六章Ⅺ.眞淵・宣長の『低き所(物:場 C‘)を固める』 |
⇒P196『古今集遠鏡』の俗言(さとびごと)⇒ ⇒P225「著『詞の玉緒(F)』 (言語觀:言靈論)」⇒ ⇒P249「宣長の歌學」(F)⇒ ⇒P236『姿(文辭の麗しさ:F)は似せがたく、意〔詞の巧み(物:場 C‘)〕は似せ易し』⇒ |
⇒ⅩⅢ.宣長の、⇒以下①②③④⑤に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ① 『古今集遠鏡』の俗言(さとびごと)に合體・・・『古今集』の雅言(みやびごと)を、そつくり今行はれてゐる俗言(F:さとびごと:合體)」に譯(うつ)す(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 『遠鏡(とほめがね:現代譯)』とは『歌をよく見る道』。『歌を説かず、歌(F)を譯(うつ)す(即ち、F⇒合體Eの至大化)』。譯(うつ)されたのが目に見えれば、『詞(F)のいきほひ、てにをは(F)のはたらきなど(即ち、F⇒合體Eの至大化)、こまかなる趣』が、『物の味(F)を、みづからなめて、しれる(即ち、F⇒合體Eの至大化)がごとく』に成る。 ② P225著『詞の玉緒』(言語觀:言靈論)に合體。・・・著『詞の玉緒』では、『てにをは(F)』の『ととのへ』が發見(即ち、F⇒合體Eの至大化)され、『萬葉』から『新古今』に至る詠歌の、『いともあやしき言靈のさだまり(即ち、轉義D1の至大化=合體Eの至大化)』が言はれてゐる。 ③ P219宣長の言語觀『云々(しかじか)の言(『萬葉集』の言)は、云々(しかじか:歌人古人)の意に用ひたり(即ち、轉義D1の至大化)といふことを、よく明らめ知る(即ち、合體Eの至大化)を、要とすべし』・・・とは、P220『語(F)』といふ『わざ』を行ふ(F⇒合體Eの至大化)、『語(F)』の『いひざま、いきほひ』(F⇒合體Eの至大化)による、と宣長は言ふ。 ④ P249『宣長の歌學(F)』に合體・・・『言靈』が、和歌史(場 C‘)を一貫する流れを成してゐるといふのが、宣長の歌學(F)の基本にある直觀(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 ⑤ P236『姿(文辭の麗しさ)は似せがたく、意(詞の巧み)は似せ易し』に合體・・・『やまと魂・やまと心(F)』といふ、言葉が作り上げる姿〔(F)景色:文辭の麗しさの『しき嶋のやまとごころを人とはば朝日ににほふ山ざくら花』(F)〕に合體(即ち、F⇒合體Eの至大化)。 |