平成二十七年七月九日

〔福田恆存を讀む會〕

吉野櫻雲

 

〔「集團的自衛權」審議に於ける近代化適應異常〕


論考に當たつて、以下評論文を參考とする。

『醒めて踊れ』(全七P393上)

*「近代化の必要條件は技術や社會制度など、所謂『ハードウェア』のメカナイゼーション(機械化)、システマライゼーション(組織化)、コンフォーマライゼーション(劃一化)、ラショナライゼーション(合理化)等々の所謂近代化に對處する精神の政治學の確立、即ち所謂『ソフトウェア』の適應能力にある。マルクスの言ふ疎外は何も資本主義社會特有のものではなく、共産主義社會、全体主義社會にも生ずるものであり、また有史以來その度を増して來たものである。それに對應する方法は言葉や概念に囚れず、逆にこれを利用すること、即ち言葉の用法にすべてが懸つてゐる。自分と言葉との距離が測定出來ぬ人間は近代人ではない。いや人間ではない」。

上文を論考の都合上、簡略し、かつ「『ハードウェア』のメカナイゼーション(機械化)」等々の部分に「軍備的國際主義」を當て嵌めると、以下の樣になる。

*近代化の必要條件は、所謂『ハードウェア:F』の軍備的國際主義に對處する、精神の政治學の確立、即ち所謂『ソフトウェア:E』の適應能力にある。

 是をまう少し分り易く書くと、

*近代化の別名の一つ「軍備的國際主義:F」と言ふ言葉を、「(軍備・戰爭の)言葉や概念に囚れず、逆にこれを利用すること、即ち言葉の用法にすべてが懸つてゐる」。つまり「F」をどの樣に「So called」(ソフトウェア:E)するかが、「軍備的國際主義:F」への適應能力となる。

と言ふ事に。

そして、今般「安保關聯法案」の國會審議に適用するならば、「集團的自衛權」が軍備的國際主義(F)に對する適應能力(So calledE)に相當するのである。「F」に對する適應能力を「集團的自衛權」とSo calledする事が、詰まる處、近代化への適應正常と言ふ事にもなる。

と、この樣に「安保關聯法案」では想定すればよいのではなからうか。

それを別な表現にすると以下の樣にもなる。

*場( 西歐C”)から生ずる、「關係(D1)と稱する實在物(近代化=ハードウェア)は、近代化の別名の一つ(F:軍備的國際主義=ハードウェア)によつて表し得る」。故にその言葉(F)との附合ひ方、此處では「集團的自衛権:ESo calledと言ふ適應能力即ち「言葉の用法」「自分と言葉との距離測定」によつて、人間は場との關係の適應正常化(D1の非沈湎)が叶へられる、と言ふ事になる。即ち「Eの至大化(適正化)=D1の至大化(適應正常化・非沈湎)」と言ふ事になる。(參照PP圖kindaika.tekiouseijyou.pdf へのリンク 及び以下枠文)。

 

全七P300『せりふと動き』より 「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

 

*場( C”)から生ずる、「關係(D1)と稱する實在物は、潜在的には一つのせりふ(F:言葉)によつて表し得る」。故にその言葉との附合ひ方(フレイジング・So called:E)によつて、人間は場との關係の適應正常化が叶へられる(傍線部分、小生による恆存評論の敷衍的加筆)。

 

 と言ふ風に論考していくと、今囘の國會審議にも、一部野黨を含めた反對論者に「近代化適應異常」と言ふ日本の宿痾が指摘できるのである。彼等は「(軍備・戰爭の)言葉や概念に囚れ」てゐる爲、「逆にこれ(軍備的國際主義)を利用すること、即ち言葉の用法(So called=Eの至大化)」が利かない。故に、近代化適應異常者つまり「自分と言葉との距離が測定出來ぬ人間は近代人ではない」と言ふ結末になつてしまふのである。

 是を略記すると以下の樣になる。

進歩は歴史の必然近代化も然り軍備的國際主義(國際法)集團的自衛權の選擇。

 

前近代化・叛近代化歴史の逆行・溯行ナショナリズム(國家的エゴイズムに沈湎)霸權主義・帝國主義・植民主義個別的自衞權(一國平和主義)。

 

をはり


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