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平成二十二年六月六日

『福田恆存を讀む會』


發表者 吉野櫻雲

 

六月選擇評論:全集第五巻所收『日本共産黨禮讚』(「中央公論」昭和四十年二月號:五十四歳著)。

 

 今更氣附いた事ではないが、恆存評論はどれを讀んでもその深意を理解するには骨が折れる。

今評論も日本共産黨をアイロニカルに「禮讚」しながら、他評論(項目文參照)で單獨で取り上げてゐる重要論究文を、此處にさりげなく登場させてゐる。故に文章が短い爲、その深意を掘り下げるのに頭が混亂し疲労がともなふ。

 そしてなんとかレジュメを書き終へて思ふ事は、以下の四月選擇評論:まへがきと同樣である。そうそう、加ふるに「⇒實在感・充實感」があるのを忘れてゐた。

今般「レジュメ」を書いてゐて、恆存評論を讀みかつ「レジュメ」に取り組むとは、以下の作業に他ならいと氣が附いた。即ち是も「沈湎から適應正常への脱出」と。

*初讀(場への沈湎=D1の至小状態及びEの至小状態)⇒熟讀と言ふ意識の集中強烈化(己を空しうし、Eの至小に風穴を空けんとする行爲)⇒恆存評論(F:言葉・文章)のso called⇒Eの至大化⇒場(C”:恆存)との關係(D1)の至大化(恆存解釋と言ふ名の「適應正常化」)⇒實在感・充實感。

 

*今評論選擇理由・・・川上會員より。

*引き續き川上會員より、LEADING(READING)へ・・・。

*******************************************

〔以下は、吉野櫻雲發表文〕

 

と言ふ事で、今評論も中々の難解にしてかつ手ごはく、そしてどの文章も重要なのであるが、特に以下内容文を此處に取り上げる事とする。更にいつもの如く難解なる内容については、手助けを他評論に仰ぐこととする。(以下文中傍線及び括弧内は概ね吉野附記。「P9圖」云々は「讀む會テキスト」頁を表す。「A・B・D2」等も同テキスト三頁を參照の程)

 

一章

 

〔難解又は重要文〕:P334下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「共産黨を、或は共産主義やマルクス主義を一種の身分證明書(C2⇔C”)の樣な形で利用しながら、共産黨の前衛主義、及びその過失と頑迷とを批判する事によつて、今日の曖昧な政治的状況に適應してゐる知識人」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。この項目は〔難解又は重要文〕:P336下項目と同樣な事を言つてゐるので、其處で一括して取り上げる。

 

〔難解又は重要文〕:P334下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「道には右側と左側しか無いし、山には登りと降りしか無い。現實の問題には右とも左とも言ひ切れぬ中間地帶がある。(中略)現實論としては中間地帶(C”)があつても、原則論としてはそれは在り得ないといふことでせう。しかし、日本人は、特に戰後、この原則論に直面する事を避け、或はそれを成るべく曖昧な形にしておいて、現實論だけでごまかして行かうとする狡さを身に附けてしまつた樣です」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。「日本人は」とは、《日本的精神主義構圖》(PP圖左圖比較圖「日本と西歐近代」hikakuzu.nihontoseiou.pdf へのリンク)の事を指してゐる樣に小生には思へる。更に言へば、「この原則論に直面する事を避け」とは、その根本的原因は何かと言へば、別圖比較圖「日本と西歐近代」hikakuzu.nihontoseiou.pdf へのリンクの〔表象の概念(日本)と、客體化による概念(西歐近代)との違ひ〕(『民衆の心』より)と言ふ事になるのであらう。加へて以下内容もあるであらうか・・。

*「論理的潔癖(I SHINK SO)と「美的潔癖」(和・なあなあ)との對立」。(『日本および日本人』全三P188)( )内は吉野注。

 そして「原則論に直面する事を避け、或はそれを成るべく曖昧な形にしておいて、現實論だけでごまかして行かうとする狡さ」とは、後段でも書いてゐるが、原則論即ち「マルクス主義・米帝國主義反對・共産主義」等イデオロギーを盾の裏に隱して鬪ひの旗幟を鮮明にせず、大衆の感情に訴へ耳目に入りやすい(籠絡しやすい)側面の「基地の風紀や騒音の教育」で鬪はうしてゐる事を指す。その嘘つたらしさ(「ごまかし」=子役論法・置き引き論法)の事を、それは述べてゐるのである。本音の牙を隱し、甘い蜜で民心を唆さうとする意を「置き引き論法」と言ふ言葉で言つてゐるのであらう。甘い蜜に「隱れた絲で一歩一歩大原則(マルクス主義・米帝國主義反對・共産主義)の方へ引張つて行く」方法論なのだと・・。

【どうであらうか、此の邊についての諸氏のご感想は・・・】

 

〔難解又は重要文〕:P335下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「平和論者の大部分が、現實論として平和の問題を考へてゐるのではなく、最初にマルクス主義や、それに基づく米帝國主義反對と言ふ原則論があつて、それを伏せて置いて、或は曖昧にして置いて、寧ろその曖昧さを利用し、基地の風紀や騒音の教育に對する影響(即ち現實論)を問題にする」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。前項目P334下「日本人は、特に戰後」云々と當項目は共に、「原則論」の隱蔽、及び「現實論」を曖昧にしての「ごまかし」「自己欺瞞」が論述されてゐるので、P334下及びP335下と行分けの表にしてみた。特にこの問題(本質)は今日にも繼續してゐるので、今日的現象としてそれも加筆してみた。

現象

原則論(伏せて置く) ⇒

現實論(中間地帶):「曖昧さを利用し」甘い蜜で民心を唆さうとする「置き引き論法」「子役論法」

P334下日本人は、特に戰後

原則論に直面する事を避け曖昧な形にして ⇒

現實論だけでごまかして行かうとする狡さ

P335下平和論者の大部分

マルクス主義・米帝國主義反對 ⇒

基地の風紀や騒音の教育に對する影響。

*「隱れた絲で一歩一歩大原則(マルクス主義・米帝國主義反對・共産主義)の方へ引張つて行く」

*社民黨

今日:沖縄「普天間基地」移設問題

 

社會主義・米帝國主義反對⇒

「沖縄縣民、基地負担削減」(普天間基地問題)。

*甘い言葉に「隱れた絲で一歩一歩大原則(社會主義・米帝國主義反對)の方へ引張つて行く」。

*小生流に換言すれば、ご本山(ソ聯)がズッコケタので、大手門を通つて大ぴらに「御旗(社會主義)」が振れなくなった。その爲、搦め手の小手門(基地問題・教科書等)から社會主義を忍び込ませようと言ふ算段。

*民主黨:鳩山首相

今日:沖縄「普天間基地」移設問題

自由民主主義・日米同盟(日米安保)だが一番大事なのは民主黨政權。それ故、もう一つの大原則「海兵隊抑止力(日米安保)」は曖昧にしてゐる。

*「友愛(理想主義)」と言ふ曖昧で厄介な大原則 ⇒

「沖縄縣民、基地負担削減」(普天間基地問題)。

 

*甘い言葉に「隱れた絲で一歩一歩大原則(一番大事なのは民主黨政權)の方へ引張つて行く」。

 

 

⇒*現實を離れた「理想論:友愛」の爲、現實論(中國・北朝鮮への抑止力としての沖縄基地)に適應できない。⇒一國の宰相として失格。

*民主黨:小沢一郎

今日:沖縄「普天間基地」移設問題

 

 

注:以下は小生の憶測

*「自由民主主義・日米安保」のお面を被つた「全體主義者?・強權主義者?中國との暗渠?・・・イデオロギーを盾の裏に隱して鬪ひの旗幟を鮮明にせず⇒

 

(上記を憶測させる例:外國人参政権賦與・皇室への不敬的態度・強壓的文言 他)

「生活が第一」・「沖縄の美しい海を汚すな」(小沢の言葉)・・・大衆の感情に訴へ耳目に入りやすい(籠絡しやすい)文言。そして甘い言葉に「隱れた絲で一歩一歩大原則(一番大事なのは民主黨政權、と言ふよりも小沢強權)の方へ引張つて行く」。

 

 

【どうであらうか、此の邊についての諸氏のご感想は・・・】

 

��  〔難解又は重要文〕:P334下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「共産黨を、或は共産主義やマルクス主義を一種の身分證明書(C2⇔C”)の樣な形で利用しながら、共産黨の前衛主義、及びその過失と頑迷とを批判する事によつて、今日の曖昧な政治的状況(中間地帶:C”)に適應してゐる知識人」。

��  〔難解又は重要文〕:P336下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「まるで自分だけがマルクスの親戚(C2⇔C”)であるかの樣な顔をして、共産黨を攻撃する分派主義は根本に間違つてをります。それは脱落者特有の自己正當化癖に過ぎませんが、私がここでわざわざその問題を持ち出したのは、やはり中間地帶(C”)で自他をごまかして生き延びよう(自己韜晦・自家撞着:C2⇔C”)とする知識人の性格とその事とが無關係ではないからです。彼等は手を汚さず居心地の良い中間地帶(C”)に住みながら、しかも進歩的で物分りが良いといふ知識人の看板だけは確保して置きたい、その爲にはマルクス主義との姻戚關係(C2⇔C”)を絶ちたくないといふ譯です。實はこの場合のマルクスこそ象徴(C2:後楯・護符)に過ぎぬものであつて、・・・(中略)中間地帶(C”)といふのが左程に住みにくいものであるといふ事、即ちさうまでして人は原則論に縋り附きたがると(C2⇔C”)いふ事、さういふ人間性一般には大層興味を持ちます」。

・・・上文�´△浪燭鮓世呂鵑箸靴討陲襪里任△蕕Δ�。此の邊も難解である。よつて、別けて解讀を試みてみたい。�,廊△隼�た内容なので�△鮗擇蠅堂鳰Δ鮖遒澆觧�とする。

*文中では先に「注:C2」等を附記してみたが、「マルクスの親戚」とは、別圖(「日本の知識階級」圖nihontekiseishinshugikouzu.pdf へのリンク)で記してある「C2:後楯・護符(西歐概念=上位概念) 」と彼等居場所(C”)との關係即ち「C2⇔C”」を言つてゐるのだと思ふ。

*「脱落者特有の自己正當化癖」も、別圖(「日本の知識階級」圖nihontekiseishinshugikouzu.pdf へのリンク)の以下プロセスを指してゐると思へる。

拙發表文:『近代日本知識人の典型(清水幾太郎を論ず):昭和五十五年著』より

 

「現實(A)的不滿⇒B:逃げ處としての個人的自我概念⇒C”自己主人公化(自己完成:

絶對的自己肯定)⇔「詩神・護符・後ろ楯の思想:C2」⇒自己滿足・自己正當化(似非生

き甲斐・似非實在感)」

*恆存は、「日本の知識階級は言はば絶對的自己肯定者(C”自己主人公化)として終始してきた」と看破し、「私小説家・近代日本知識人、その典型としての清水幾太郎」の三者を、いずれもパターンは「PP圖」の「日本精神主義構圖nihontekiseishinshugikouzu.pdf へのリンク」だと言つてゐる。

*「彼等は手を汚さず居心地の良い中間地帶(C”)に住みながら、しかも進歩的で物分りが良いといふ知識人の看板だけは確保して置きたい、その爲にはマルクス主義との姻戚關係(C2⇔C”)を絶ちたくないといふ譯です」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。

察するに、それは以下の消息を物語つてゐるのではなからうか。以下で言ふ「プラグマティズム」(C2:後楯・護符)が、清水幾太郎と同じ進歩的知識人(分派主義者等)においては、「マルクス主義」(C2:後楯・護符)と名を變へてゐるに過ぎないのだと・・。

拙發表文:『近代日本知識人の典型(清水幾太郎を論ず):昭和五十五年著』より

 

*清水幾太郎:「最も居心地のよい場所」・・・「護符・後ろ楯の思想:C2」に守られながら「安全地帶(C”)で颯爽たる抵抗」をする事。即ち「プラグマティズムを護符(後ろ楯:C2)にして、もつと氣輕な安全地帶(C”)で派手な抵抗が出來る」(P568)事を指す。

*「中間地帶(C”)といふのが左程に住みにくいものであるといふ事、即ちさうまでして人は原則論に縋り附きたがると(C2⇔C”)いふ事」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。前の方では「彼等は手を汚さず居心地の良い中間地帶(C”)」と言ひ、今度は「中間地帶(C”)といふのが左程に住みにくい」と、一見反對の事を言つてゐる樣なので、小生の單細胞アタマは此處でこんぐらがる。

要するに、「C2:後楯・護符(西歐概念=上位概念)」と彼等居場所(C”)との關係「C2⇔C”」を言つてゐるのであらう。「中間地帶(C”)」は、「C2:後楯・護符(西歐概念=上位概念) 」があれば、「手を汚さず居心地の良い」處だが、それ(C2:後楯・護符)が無ければ、獨立的立脚點が無く「左程に住みにくい」と言ふ事であらう。自己韜晦、自家撞着の「後楯」がなくては、孤獨で身が休まらないと言ふ事なのであらう。

【どうであらうか、此の邊についての諸氏のご感想は・・・】

 

二章

 

〔難解又は重要文〕:P337上下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

二章は、上記進歩的知識人に引き比べ、日本共産黨は「原則論と現實論」に論理的一致があると恆存は以下の樣に書く。

「日共の行動だけは大層はつきりしてゐる。國民を惑はせたり、瞞着したりする處が少しも無いからです」。そしてそれを以下枠の樣に恆存は證左してゐる。

現象

原則論 ⇒

現實論(以下の手段を選擇)

��  平和主義の放棄=階級鬪

爭における二者の一致

唯物史觀 ⇒

暴力革命(平和主義の放棄)

��  日共の中ソ選擇

日本に共産革命 ⇒

ソ聯より中國の方が便りになる

��  追放事件

日本に共産革命 ⇒

文學より政治優位

��  中共の核實驗

日本に共産革命 ⇒

中共による對日的「核の壓力」への願望

��  原爆實驗

日本に共産革命 ⇒

公正主義(米ソ、原爆實驗反對)を採らない。⇒米にのみ反對。

【どうであらうか、此の邊についての諸氏のご感想は・・・】

 

三章

 

〔難解又は重要文〕:P340上下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

��   「私の眞に言ひたい事は、吾々日本人は道徳と政治とを混同する樣な曖昧と僞善と思上がりとを一日も早く

拂拭し、國家としての去就、進退をはつきりさせなければならないといふ事です・・・」。

��   「勿論、道徳の問題は大事です。いや、私としては寧ろ話をそこへ持つて行きたいのです。私が日本共産黨を禮讚しながら、同時に反共であるのは、共産主義には政治といふ軸だけで道徳といふ軸が全く缺けてゐるからに外なりません。また私が中間派的知識人を非難するのは、さういふ共産主義の難しさを知つてか知らでか、それの道徳といふ甘い味附けをして自他をごまかしてゐるからに外なりません。エゴイズムといふものは、國家のそれにせよ階級のそれにせよ、自他の目に一度はつきり剥き出しにした方が良いのです(その點は、日本共産黨は第二章で證左した通り、「階級的エゴイズム」なるものを誤魔化さず「はつきり剥き出し」にしてゐる、と言う意が此處にある)。それをやらないうちに(中間派的知識人がやつた樣に)道徳的大義名分を持出すと、個人の場合と同樣、どうしても修身的僞善(私小説家の事か?)になりやすい。戰前の日本はさういふ國家惡を自分の目に蔽ひ隱してきました」。

・・・上記二項目は何を言はんとしてゐるのであらうか。此の邊もなかなかに難解である。よつて、別けて解讀を試みてみたい。

��    の「道徳と政治とを混同する樣な曖昧と僞善」とは、別圖(「日本精神主義構圖」nihontekiseishinshugikouzu.pdf へのリンク)が構築する(C”=此處では「中間地帶」)と言ふ「場」の事を指してゐるのであらう。尚この内容は〔難解又は重要文〕:P341下項目と關聯する内容なので、其處で併せて解讀する事とする。

��   「私が中間派的知識人を非難するのは、さういふ共産主義の難しさを知つてかしらでか、それ

に道徳といふ甘い味附けをして自他をごまかしてゐるから」とは、〔難解又は重要文〕:P341下項目の、「戰後は似而非ヒューマニズムによつて、幼稚園道徳にまで後戻りさせられ、民主主義でも共産主義でも、自由、平等、平和は固より国際政治まで、すべてそれで料理出來る樣な風潮が一般的になつてしまつた」と關聯する。よつて其處で併せて解讀する事とする。但し、念のため「中間派的知識人(中間地帶人種C”)の特質を此處に喚起しておく。

「彼等は手を汚さず居心地の良い中間地帶(C”)に住みながら、しかも進歩的で物分りが良いといふ知識人の看板だけは確保して置きたい、その爲にはマルクス主義との姻戚關係(C2⇔C”)を絶ちたくないといふ譯です」(P336下)。

更に�△�「勿論、道徳の問題は大事です。いや、私としては寧ろ話をそこへ持つて行きたいのです。私が日本共産黨を禮讚しながら、同時に反共であるのは、共産主義には政治といふ軸だけで道徳といふ軸が全く缺けてゐるからに外なりません」とは何を言はんとしてゐるのであらうか。此の文は〔難解又は重要文〕:P342下〜4項目と關聯する。よつて其處で併せて解讀する事とする。

【どうであらうか、此の邊についての諸氏のご感想は・・・】

 

〔難解又は重要文〕:P340上下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「吾々はこの邊で政治と道徳との二元論的對立といふ近代感覺を身に著ける事を學ばなければならぬのではないでせうか。先に言つた現實論と原則論との別といふのもそれです。それが俗權と宗權との對立抗爭に揉まれて發生してきた近代國家の宿命であります」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。

*「先に言つた現實論と原則論との別」とは、原則論に政治的概念を奉じながら、現實論に道徳(ヒューマニズム)を持ち込むな、と言ふ事。現實論も「カエサルの事はカエサルに聞け」と言ふ事なのであらう。中間地帶人種(進歩的知識人: C”)が操つた樣な自己欺瞞、即ち「原則論(マルクス主義等イデオロギー):C2」に寄り掛かり、それを隠蓑、後楯、護符(C2⇔C”)にしながらも、その牙を隱し、表向きは「基地の風紀や騒音の教育に對する影響」・「沖縄縣民、基地負担削減⇒平等主義」などと言ふ道徳(ヒューマニズム)的言質「甘い味附け」で民心を籠絡するな、と言ふ事なのであらう。

そして、その根本的原因となるものは以下枠文に記載されてゐる「彼我の差」と言ふ事なのであらう。

拙發表文:『個人主義からの逃避』より「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

 

何故日本は西歐近代を「まねようとしたのにまねられなかつた」のかを、端的に表してゐるのが以下の文である。其處に西歐近代と明治以降日本人の精神性の相違がコントラストに描き出されてゐると言へる。前文二つが西歐近代精神である。詳しくは比較圖「日本と西歐近代」hikakuzu.nihontoseiou.pdf へのリンクでその差異をご覽戴きたい。


*「科學技術と社會制度の民主化との過程が進むにしたがつて、それまでの精神の領域(B個人の純粋性:吉野注)に屬してゐた問題が、逐次物質の領域(A「支配被支配の自己」:同注)に移されて、物質の問題として解決されていつた。物慾に克といふ克己の倫理(Bの領域)も、充分に慾望する物質を生産(Aの領域)するといふことで解決されてしまふし、病苦に堪へるといふ美徳(Bの領域)も、醫學の進歩(Aの領域)が徐々にそのやうな精神の無益な負擔を輕減しつつある」(『近代の宿命』全二P453) 

「近代ヨーロッパは神を見失つた――が、それはただ神の解體と變形と抽象化とを意味するに過ぎぬ。まさにその爲の手續きであり過程にすぎなかつたヨーロッパの近代精神とその政治制度・経済機構」なのである。(參照『近代の宿命』全二P466・「テキスト八圖」)

 

*それに引き換へ日本は、以下の状況。

肉體の自律性:「肉體の自律性は當然その反面に精神の自律性を前提とする。肉體、あるいは物質で解決すべき事を、精神の重荷とするなかれ――精神には精神のみの解決しうる問題をあてがひ、その領域と大權とを縮小せしめるにしくはない。そのときはじめて精神は自律し、その権威は輝くであらう。

が、ぼくたちは今日までなんと精神を神聖化し、さうすることによつて精神の負荷を重からしめ、結果として精神を侮辱してきたことか。肉體の自律性が確立してゐなかつたからである。明治以降の日本人はあらゆる物質的(A)なこと、肉體的(A)なことに、すべて精神(B)のべールをかぶせ、それをことごとく精神の發動として自己満足してきた。かれらは肉慾(A)を肉慾として是認することをおそれ、それに精神的な衣をかぶせた。物慾(A)を物慾として是認することをおそれ、それに藝術愛(B:私小説家が然り)や愛國心(B:絶對主義的愛國心)や愛他心(B)や、その他の主種雑多な大義名分をかぶせた。・・・」(P479全二「肉體の自律性」:續く文も重要であるが、長いので省略)

*そして、「俗權と宗權との對立抗爭に揉まれて發生してきた近代國家の宿命」とは、西歐近代は「神に型どれる人間の概念の探究」即ち、「近代ヨーロッパは神を見失つた――が、それはただ神の解體と變形と抽象化とを意味するに過ぎぬ。まさにその爲の手續きであり過程にすぎなかつたヨーロッパの近代精神とその政治制度・経済機構」なのである、を示している。(參照『近代の宿命』全二P466)

【どうであらうか、此の邊についての諸氏のご感想は・・・】

 

��  〔難解又は重要文〕:P340上下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「私の眞に言ひたい事は、吾々日本人は道徳と政治とを混同する樣な曖昧と僞善と思上がりと

を一日も早く拂拭し、國家としての去就、進退をはつきりさせなければならないといふ事です」。

��  〔難解又は重要文〕:P341下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「戰後は似而非ヒューマニズムによつて、幼稚園道徳にまで後戻りさせられ、民主主義でも共産主義でも、自由、平等、平和は固より国際政治まで、すべてそれで料理出來る樣な風潮が一般的になつてしまつた」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。

「民主主義でも共産主義でも、自由、平等、平和は固より国際政治まで、すべてそれで料理出來る樣な風潮」とは、つまりかう言ふ事である。「原則論:民主主義・共産主義・自由・平等、平和・国際政治」、即ちそれら「C2後ろ楯・護符(西歐概念=上位概念)」を隠れ蓑に、進歩的文化人(中間地帶人種C”)が、道徳用語(ヒューマニズム=現地民心を籠絡する「甘い味附け」言葉)を繰り出す爲に、「ヒューマニズム」概念は外延が擴がつてしまひ、その結果全てがその中に包み込まれてしまふ、と言ふ事をそれは示してゐる。「すべてそれで料理出來る」とは、擴がりきつた概念には何でも入り込んでしまふ、と言ふ事を指す。其處に「道徳(ヒューマニズム)と政治とを混同」の因があるのだと恆存は謂はんとしてるのだと思ふ。尚その「中間地帶人種」の欺瞞的自己瞞着的プロセスを書くと以下(傍線部分)の樣になる。(參照圖「日本精神主義構圖」nihontekiseishinshugikouzu.pdf へのリンク)

拙發表文:『近代日本知識人の典型(清水幾太郎を論ず):昭和五十五年著』より

 

「現實(A)的不滿⇒B:逃げ處としての個人的自我概念⇒C”進歩的文化人(中間地帶人種)

絶對的自己肯定者⇔「C2護符・後ろ楯:民主主義・共産主義・自由・平等、平和・国際政治」⇒D3自己滿足・自己正當化(似非生 き甲斐・似非實在感)」

*恆存は、「日本の知識階級は言はば絶對的自己肯定者(C”自己主人公化)として終始してきた」と看破し、「私小説家・近代日本知識人、その典型としての清水幾太郎」の三者を、いずれもパターンは「PP圖」の「日本精神主義構圖nihontekiseishinshugikouzu.pdf へのリンク」だと言つてゐる。

蛇足であるが、もう一度繰り返すと、「似而非ヒューマニズム」とは、中間地帶人種(進歩的知識人: C”)が操る自己欺瞞的心情の事を指す。即ち、「原則論(マルクス主義等イデオロギー):C2」に寄り掛かり、それを隠蓑、後楯、護符(C2⇔C”)にしながらも、その牙を隱し、表向きは「基地の風紀や騒音の教育に對する影響」・「沖縄縣民、基地負担削減⇒平等主義」などと言ふ道徳(ヒューマニズム)的言質「甘い味附け」で民心を籠絡しようとする事。その結果として、中間地帶人種(進歩的知識人: C”)は、甘い言質に「隱れた絲で一歩一歩大原則(マルクス主義・米帝國主義反對・共産主義)の方へ引張つて行く」(P335下)のだと・・。

敢へて極言するならば、〔難解又は重要文〕:P335下項目の圖表の「現象」欄に出てくる政黨及び人士は、かかる「似而非ヒューマニズム」に該當するのでは無からうかと小生には思へるのである。

【どうであらうか、此の邊についての諸氏のご感想は・・・】

 

〔難解又は重要文〕:P340下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

*「勿論、道徳の問題は大事です。いや、私としては寧ろ話をそこへ持つて行きたいのです。私

が日本共産黨を禮讚しながら、同時に反共であるのは、共産主義には政治といふ軸だけで道徳といふ軸が全く缺けてゐるからに外なりません」。

〔難解又は重要文〕:P342下〜4「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

*「結局は自由陣營そのもの像や紐帶が大部分の日本人には理解出來てゐないといふことではないでしょうか。それは一重に過去の保守黨政治家の怠慢といふ外はありません」。

*「日本もまた米國を『盟主』とする自由陣營の一員として生きる事を明らかにした方が良いと思ひます。(中略)米國を『盟主』にするといふのは政治的現實主義からの結論で、第一に米國は經濟的、軍事的にそれだけの實力があります。第二に、その聯邦國家の成立ちから言つて世界國家的訓練に一番早く足を踏み出してをります」。

*「私が自由陣營を選び取るのは、その自由主義の故にではなく、この二元的生き方の故にであり、それは更に西洋と日本との二元論的生き方といふ問題にも通じてゐるからであります」。

・・・上記四項目は何を言はんとしてゐるのであらうか。それについては以下の文が參考になるのでは。

*拙發表文:寸觀:《拉致被害者肉親、横田早紀江さんとブッシュ大統領の對談から》「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

 

*「アメリカを筆頭とする自由主義諸國は、たとへ現状では國際間にまで倫理が通用しなくても、本質的には個人倫理の延長に社會や政治を考へてゐる國です。兩者は永遠に一致しないかもしれない。しかし、いや、それゆゑに、個人倫理の次元を、根源的には宗權を國權の上位に置く、すくなくとも同位に置く、人間觀にもとづいてをります。間違ひは犯しませうが、本質な生きかたについては、昔から何の變更もありません。が、ソ聯は國家目的、社會目的、階級目的を個人倫理の上に置きます。後者は前者によつて規定されます。私は躊躇なく、自由主義諸國に共感をおぼえる」(全三P79『個人と社會』)

 此處に恆存の言葉を借りれば、近代を近代國家を「神に型どれる人間の概念の探究」として客體化してきた西歐自由主義國家と、ただそれを真似た國家との違ひを讀み取る事が出來るのではなからうか。更に言へば現状イラク諸部族の、「國家よりも宗派・民族を優先」に、似た概念でありながらも根本的な相違が其處(傍線部分)に介在する、の感を小生は禁じ得ないのであります。

 

*拙發表文:『アメリカを孤立させるな』より

「アジアは一つではないがヨーロッパとアメリカは一つだと言ふ事です。それらの国々は過去に同一の文化共同体に属し、一つの歴史を共有してゐると言ふことです。共産圏のインタナショナリズムが一つのイデオロギーを以て人為的に世界を統一しようとしてゐるのに反して、アメリカのニューインタナショナリズム(「平天下」)は、たとへ前者に対抗して出来たものにもせよ、本質的にはヨーロッパ共同体から自然発生的に生じ、一筋の歴史の先端に芽を出して来たものであります。アメリカ人はそれに自分達の過去の歴史を賭けてゐると同時に、その延長線上に広義の近代化と言ふ実験を賭けてゐるのです。もし世界連邦と言ふものが考へられるなら、この線に沿つてしか求められますまい。(中略)私は私の、といふより過去百年西洋文化を摂取して来た私達の文化感覚によつてそれを採るといふだけの事です」。

・・・福田恆存は既に約40 年も前に、現在に通ずる「パックスアメリカーナ(平天下)」の意義を、広義的な世界連邦と言ふ意を用ゐてその必要性を認めてゐるのである。当然米国の行為をただの自己犠牲だけとは見てなく、その事を「一体どこの国が国家利益を犠牲にしてまで他国に奉仕するでせうか」と、アメリカの行為を「他者愛と自己愛(国益)」の西欧の伝統的二元論の延長として見事に論じてゐる。

そして日本の採るべき道を「過去百年西洋文化を摂取して来た私達(日本)の文化感覚によつてそれを採る」事の良しとして、それを薦めてゐるのである。続けてこのやうにも言つてゐる。是非以下文章の「英仏」に「独仏」と置き換へ、今回「イラク戦争」での独・仏の採つた選択肢を考へてみるといい。反米の行為のやうで本質は違ふのが解かる。

「英仏はアメリカの先進国であつた面子や、そのインタナショナリズムと自己のナショナル・エゴイズムとの相克の為。今後もそれぞれの立場から色々な形で離反集合を続けるでせうが、この自由世界の分極化も単に現象的なものに過ぎず、結局はアメリカのインタナショナリズムの掌から出られぬものと思ひます」。

【どうであらうか、此の邊についての諸氏のご感想は・・・】

 

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