平成二十一年五月十日
『福田恆存を讀む會』
五月選擇評論:全集第六巻所收。
「新聞における『甘えの構造』」(「文藝春秋」昭和四十七年六月號:六十一歳)。
「新聞の思上り」(「言論人」百七十二號、百七十四號。昭和四十七年八月十月刊:六十一歳)。
「新聞への最後通牒」(「諸君!」昭和四十九年十一月號:六十三歳)。
上記三評論を含め、當事恆存の新聞批判の舌鋒は鋭く、そして今日の新聞を顧みるに、その批判は今も正鵠を射續けて餘りある樣に思へる。
否、今日、新聞を含めマスメディアは、「第四の權力」として、ますます頭に逆上せてゐる情況を呈してゐる樣に小生には思へるのである。⇒一例:「世論調査」を隠れ蓑に、一國の首相をまるで「ピン藝人」の浮き沈みの樣に扱うマスメディア。そしてそれに引導される我が國民の政治意識の低位性。
*今評論選擇理由・・・川上會員より。
*引き續き川上會員より、LEADING(READING)へ・・・。
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〔以下は、吉野櫻雲發表文〕
と言ふ事で、今評論も中々の難解にしてかつ手ごはく、そしてどの文章も重要なのであるが、特に以下内容文を此處に取り上げる事とする。更にいつもの如く難解なる内容については、手助けを他評論に仰ぐこととする。(以下文中傍線及び括弧内は概ね吉野附記。「P9圖」云々は「讀む會テキスト」頁を表す。「A・B・D2」等も同テキスト三頁を參照の程)
《第一部:「新聞における『甘えの構造』」》
〔難解又は重要文〕:P328下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。
「野黨は沖縄返還を政爭の具に使つただけのことなのです。・・」云々・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。
此の邊の問題は、現在でも變はつてゐない。國の安危に關はる、本来超党派的に對處しなければならぬ、「ハイポリティック(外交・安全保障等)」なる問題を、「政爭の具」にする愚を日本の野黨は今日も冒し續けてゐる(米國では「超党派」的對處意識は強烈)。⇒參照:拙發表文「金以外はドウデモヨイ」日本國民の政治意識の低位性 ⇒スクリーン表示で説明。
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一部記載:拙發表文「金以外はドウデモヨイ」日本國民の政治意識の低位性(H19「參議院選」關聯) 「ハイポリティック(外交・安全保障・拉致問題・憲法改正・教育再生三法・防衛省等)」の分野における活動が皆目見えなくなつた。 我が國民は、その低位性(ロウポリティックにしか目がいかない)を、見事に政治巧者小沢一郎に衝かれ、「生活第一」に飜弄される結果となつた。⇒詳細はスクリーン表示。 |
【どうでせうか、此の邊についての諸氏のご感想は】
〔難解又は重要文〕:P330上下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。
この二頁全般で論じられてゐる「反体制、對外強硬論・・・」云々。及び「新聞、あるいは知識人の體質を『倒幕・攘夷』から引續いてあるもの。・・」云々・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。⇒《日本的精神主義構圖:即ち「日本の知識階級は言はば絶對的自己肯定者」》との關聯の有無⇒スクリーン表示(《日本的精神主義構圖》
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一部轉載(恆存著『日本の知識階級』全5P369)。 「絶對的自己肯定者(日本の知識階級)はあらゆるものを自己の手中に収めようとして(權力慾)、その結果、自己の不滿(A:現實的不滿)を處理する能力だけを失つた人間である。 (中略)不滿の原因は現實といふ客観的對象のうちにのみあるのではないのに、彼等は それをそこ(A的不滿)にのみ見出さうとする。いや、さうする以外に能力も無く、方法も
知らぬのであります」。 ⇒詳細:スクリーン表示(《日本的精神主義構圖》nihontekiseishinshugikouzu.pdf へのリンク |
【どうでせうか、此の邊についての諸氏のご感想は】
〔難解又は重要文〕:P334上「 」内が恆存文。( )内は吉野注。
「新聞にも一般知識人にも共産主義に對する幻想と引け目があるからだと思ふのです。・・」云々・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。⇒《『日米両国民に訴へる』の部分的まとめと小生の感想》(以下はその一部)⇒スクリーン表示で説明。重要点:P2へ。
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一部轉載:拙發表文《『日米両国民に訴へる』の部分的まとめと小生の感想》より。 重要点:P2 *ベトナム戦争時の米国知識人(殊にリベラル)の共産主義感》・・・それは、日本の進歩的知識人にも共通するもの。(P66〜P70)。 *〔共産主義が持つ国際主義(インターナショナリズム)に、先進性があると言ふ幻想。それが齎す形式と実体の混淆(P69)〕・・・ 「幻想」優先による、形式の放棄。即ち、形式=言葉・思想・哲学=アイデアリズム(理想主義):自由世界=全能のアメリカ(パックスアメリカーナ)。それが、実体=現実?=孤立主義(ニクソン・ドクトリン)を齎した。 当時(昭和四十七年頃:ベトナム戦争末期)、アメリカには形式と実体との混淆現象があつた。 共産主義に先進性があると言ふ「形式=言葉・思想・哲学」上における幻想が、現実(実体)に影響し、「自由世界」と言ふ言葉がタブー化し「非共産主義国」と呼ぶ方が一般的になつてゐた。即ち形式に対する幻想(「先進性」)が実体(現実:反戦気分と言ふ現象化として)を支配し始めてゐた。 さうした気分が、ニクソンをしてベトナム戦争終結に追ひ込んだと以下のやうに恆存は言つてゐる。(参照:P44
「ニクソンをしてベトナム戦争終結に追ひ込んだのは、外よりは内部の反戦気分、それによつて醸成された国内不安、又その原因となつたアメリカ人の生命の犠牲と戦費増大に伴うドル危機であつた」)。 とは・・・リベラル(民主党系)の幻想→リベラル系新聞(ニューヨークタイムス・ワシントンポスト)→世論(反戦気分)と言ふ流れなのであらうか。 共産主義に、先進性があると言ふ幻想とは当時、米国知識人の「最も重要な関心事は共産主義の現実を公正に観測、批判するといふ事ではなく、自分が共産主義に対して無理解な人間ではない事を自他共に示す事によつて、自分の進歩性、即ち知識人の資格の保持者であるといふセルフ・アイデンティフィケイション(自己証明)を行ふ事」になつてゐた。 その原因は「ロシア革命が成功し、社会主義、共産主義のモデル国家が出現して後、そしてそれがアメリカに対抗し得る軍事的超大国になつて以来、共産主義国の方が資本主義国より先に進んでゐるといふ観念が彼等の心を暗々裏に支配し始めた」からである。 更に、共産主義の国際主義性に「匹敵し得るものが今日の自由世界には何処にも無い」といふ当時の状況故に、米国知識人は共産主義の国際主義に先進性を見、効し難い魅力を感じそこに幻想を抱き、それに自己を合せる事によつて自分の進歩性、即ち知識人の資格のアイデンティフィケイション(自己証明)を得ようとしてゐたのであると。このやうに恆存は言ふ。 米国リベラルや日本の進歩的知識人には、共産主義のインターナショナリズムに対抗する「自由世界といふ国際主義的連帯感」(P71)即ちニューインターナショナリズム(『アメリカを孤立させるな』より)の自信が無かつたのであると。 その為に「退嬰的孤立主義」に陥り、もろくもアメリカの二面性の一つ「パックスアメリカーナ」の側面が、そこでは崩れ落ちたといふことであらう。 以下は当評論より遡る事八年前の評論『アメリカを孤立させるな』における恆存の論評である。そこではかう述べてゐる。 「共産主義のイデオロギーに対して欧米の伝統であるアイデアリズムが挑戦してゐる、それがヴィエトナム戦争の現実だ」と。そして「共産圏のインタナショナリズムが一つのイデオロギーを以て人為的に世界を統一しようとしてゐるのに反して、アメリカのニューインタナショナリズム(「平天下」:発表者注)は、たとへ前者に対抗して出来たものにもせよ、本質的にはヨーロッパ共同体から自然発生的に生じ、一筋の歴史の先端に芽を出して来たものであります。アメリカ人はそれに自分達の過去の歴史を賭けてゐると同時に、その延長線上に広義の近代化と言ふ実験を賭けてゐるのです」と。 この事はどう言ふ意味を持つてゐるのだらうか。恆存の論考は、二つの評論で何を指し示してゐるのであらうか。 結局アメリカはベトナム戦争において、「共産圏のインタナショナリズム」の先進性と言ふ幻想に、「欧米の伝統であるアイデアリズム」即ち「ニューインタナショナリズム」が遅れを取つた。或は負けたと言ふ事を言つてゐるのでは。 そこから導き出された教訓が「全能のアメリカと退嬰的孤立主義と、二つの相反する傾向を内に含んだニクソン・ドクトリン固有の逆説」と言ふ事か。(『日米両国民・・』P138) |
【どうでせうか、此の邊についての諸氏のご感想は】
《第二部:「新聞の思上り」》
《第三部:「新聞への最後通牒」》
〔難解又は重要文〕:P357下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。
「・・『防衛の肩代りをするべきである』。(中略)自慢する譯ではないが、これは私が『日米兩國民に訴へる』の中でアメリカの眞意として縷々述べ立てた事と完全一致してゐる。・・」云々・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。⇒以下及びPDF(スクリーン表示)參照。
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恆存著『日米兩國民に訴へる』(P138)より 「アメリカは同盟國を必要としないのではない。共産圏と對決するアメリカの脚を引張る樣な同盟關係はお斷りしたい。さういつまでも『肩代り』を續けてはゐられないと言つてゐるだけであり、それは至極當然な申出に過ぎない。『自國の防衛は出来る限り自國で當る』と言ふのは人類普遍のとまで言へなくとも國家存立の爲の普遍の原理であつて、この樣な常識を改めて確認する爲にニクソン・ドクトリンを必要したといふ事のうちにニクソン・ドクトリンの、いや、更に根本的には、戰後政治の、そしてその中で演じて来たアメリカの役割の逆説があると言へよう」。 |
【どうでせうか、此の邊についての諸氏のご感想は】
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