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平成十八年一月
《「私小説家」「近代日本知識人」「清水幾太郎」の相似形》
吉野櫻雲 發表
《「私小説家」「近代日本知識人」「清水幾太郎」の相似形》
恆存は、「日本の知識階級は言はば絶對的自己肯定者(C"自己主人公化)として終始
してきた」と看破し、「私小説家・近代日本知識人、その典型としての清水幾太郎」の三 者を、いずれもパターンは「テキストP9」の「日本精神主義構圖」だと言つてゐる。即ち
「現實(A)的不滿⇒B:逃げ處としての個人的自我概念⇒C"自己主人公化(自己完成:
絶對的自己肯定)⇔「詩神・護符・後ろ楯の思想:C2」⇒自己滿足・自己正當化(似非生 き甲斐・似非實在感)」
だと。
そして彼等「絶對的自己肯定者はあらゆるものを自己の手中に収めようとして、その
結果、自己の不滿(A:現實的不滿)を處理する能力だけを失つた人間である。(中略) 不滿の原因は現實といふ客観的對象のうちにのみあるのではないのに、彼等はそれを そこ(A的不滿)にのみ見出さうとする。いや、さうする以外に能力も無く、方法も知らぬ のであります」と上記三者を当該評論で鋭く指摘してゐるのである。((『日本の知識階 級』全5P369)
そして「絶對的自己肯定」の爲に、その肯定因として「C2:護符・後ろ楯)」を上位概念
「世界・社會・階級、大思想」に求めようとするのだと。(西歐近代が否定因としての神を 背景に持つのとは反對に非近代日本はそれを持たないが故に)
上記の事を解り易くする爲に、以下三者の「テキストP9」圖を元にした「A・B・C"・C2
等」の相似表なるものを掲載する。と同時にその比較に參考となる以下の重要な文章を 添へておく。恆存は言ふ。「共産主義の方が資本主義よりも先に進んでゐるといふ日本 の知識人の考へ方も、その意味では同じ国家主義の枠から抜け出られぬ宿命的なもの と言へよう」(『日米両國民に訴へる』)
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