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(吉野寸評)
これは恆存の難解な類に入る評論だと思ふ。
「近代」に入つての、恆存が言ふ處の「デクリネーション(衰退)」の樣相、即ち「解放さ
れて仕へるべきもの(神・絶對・全體)を失つた」時代の、衰退としての一樣相が職業に も 顕れてゐると言ふ事が、この評論に描かれてゐる。
「作家」と言ふ職業も、より複雑な課題を抱えてこの様相に晒されてゐるのだと言ふ事
が。 封建制度時代(前近代):集團的秩序の確立してゐる時の職業(『職業としての作家』より)
先にも取り上げた上文(特に傍線部分)の内容は、エゴイズムの範疇である「権力慾」にも當然當てはまる。故に「権力慾」を例に取つて考へてみると、傍線部分のエゴイズム(A:「生命慾」「生の意欲の湧出」等々)と絶對・全體(C)との關聯が理解しやすいと思ふ。 そして「権力慾」については、恆存評論の『職業としての作家』における文章が參考となるので、以下拙發表文(『此處が解りにくい福田恆存』:P2)からその事に關聯する部分を抜粋し、かつ分かりにくい部分は一部修正加筆して此處に轉載する。
やはり「エゴイズム」の範疇である、「生の意慾の湧出」「生命力の昂揚」「すなほな生物の慾望」「生命慾」も職業における權力慾と同樣、それが現出される型即ち「戀愛・性愛・夫婦・家庭・交友等」で以下の有機的形態(特に傍線部分)がなされなければならないと言ふ事なのである。 1.「上から下への權力の流れに沿つて集團的自我を解放してゐた。この秩序に安心してもたれかかつてゐたため、個人的自我はその上に純粋な成長をなしえた」 2.「職業とは集團的自我の生きんとする通路であるが、より重要なことは、この通路が充分に開かれてゐることによつて個人的自我の平静と純粋とが保たれるといふ事実なのである」 「集團的自我を解放し」「この通路が充分に開かれてゐる」爲には、是が非にも「背後にある道徳:C(絶對・全體)」が必要とされ、更に日本人の「精神の近代化」も併せて、「完成せる統一體としての人格」論がエゴイズムの有機的效用の解決策として持ちいだされる譯なのである。 この問題の探究として、まだ言葉の足りない部分が殘るが、時間がない爲まずはこの邊で・・・。 をはり
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