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《全集第七巻所載:【『新漢語の問題』――近代化試論(昭和五十四年十 
 一月刊)】

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吉野櫻雲 發表文


【『新漢語の問題』――近代化試論(昭和五十四年十一月刊)】

『演劇的文化論』(昭和四十年三月著)では、演劇は誤魔化しが効かぬ性質であるが故
に、その反面「近代そのものの弱點(「全體」喪失)に對しては本質的な賦活力」も又演
劇にはその性質上内在してゐると。演劇の中にある「健康・秩序・有機性・全一性」がそ
れなのである、と恆存は希望的観測を掲げる。それが「日本近代化の爲」に必要な要素
になるのだと・・・。
しかし「日本近代化論の爲の覺書」としての提言、に『演劇的文化論』では留まつてゐ
る。そして『新漢語の問題』でも「近代化試論」と副題に謳われてゐる。恆存は、「精神の
近代化」について、『新漢語の問題』(昭和五十四年)以前の「昭和五十一年」に既に以
下の如く論述してゐるのである。
*『日本の近代化とその自立』(「三百人劇場」講演:昭和五十一年三月〜六月分)。『醒
めて踊れ』(同年七月著)。
小生には「精神の近代化」について、上記でかなり充分なる内容と思へるのだが、恆存
はそれではまだ充分に言ひ足りてはゐないらしく、『新漢語の問題』(昭和五十五年二月
刊)で「精神の近代化」を取り上げてゐる。しかもそれですらまだ、「近代化試論」なので
ある。
では「日本近代化」本論はどの評論となるのであらうか・・・。しかし、「五十六年五月、七
十歳「腦梗塞」にて一ヶ月入院」後は、病後の爲纏まつた論作は無しなのである。恆存は
言ひ足りない部分をもつとしつかりしたものに書きたかつたのでは、しかし「腦梗塞」後
遺症でそれが果たせなかつた。と小生は推察する。
察するにその果たせなかつたものを、恆存は以下の樣に纏めたのだと思ふのである。
*上記で言ひ足りない部分を、遺言的に「全集第六巻『覺書』(昭和六十三年二月刊
行)」上で、「一體、この私が何が言ひたいのか」(P698)⇒「完成せる統一體としての
人格論」として以下の樣に展開してゐる。
箇条書きに、� 福峺朕夕腟舛慮続Α廖泡有□有�⇒�ぁ福峇粟�せる統一體としての人格
論」)として。
� ァ憊忱凖�なあまりに獨斷的な』(昭和四十九〜五十年發表)
�◆悒侫�クションといふ事』(昭和四十五年十一月發表)
 ��.防衞論の進め方についての疑問(昭和五十五年五月刊行六十九歳)
   �ぁァ峩畭綟�本知識人の典型清水幾太郎を論ず」(同年九月發表)
 といふ流れの中で、小生は【『新漢語の問題』――近代化試論】を捉へてみた。

《当評論:解りにくい問題に對する他評論及び小生論考文での補足》
       『新漢語の問題』:shinkangohosoku,new.pdf へのリンク


【『新漢語の問題』――近代化試論】



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