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現象は時局によつて変化するが本質は変はらない。故に約半世紀も前の福田評論の本
質論は時代を超越して未だに新しく、現在の混迷日本をリードするものがある。此処に 一読、再読を勧める所以があります。
将に以下の福田評論が、今日の国際情勢(イラク人質問題)に
通ずるものがあります。
* 「生命第一主義」の間違ひについて ( 『生命尊重』pdf )参照
『福田恆存語録:日本への遺言』より(文庫本有り)。
《参考》・・・『アメリカを孤立させるな』昭和40(1965年)年7月 より
内容:ヴィエトナム戦争についての見解(『福田恆存全集六:P139〜140』)
*ヴィエトナム戦争は「ヴィエトナムをテストケースとして二つの筋が争つてゐるのです。
(中略)さう名附けたければイデオロギー戦と言つても宜しいが、これは左翼用語であつ て、伝統的な用語法に従へばアイデアリズム(理想主義)の戦と言ふべきでせうが、い や、もつと正確に言へば、共産主義のイデオロギーに対して欧米の伝統であるアイデア リズムが挑戦してゐる、それがヴィエトナム戦争の現実だと言ふ事です。
(中略)それと関連して第二に、アジアは一つではないがヨーロッパとアメリカは一つだ
と言ふ事です。それらの国々は過去に同一の文化共同体に属し、一つの歴史を共有し てゐると言ふことです。共産圏のインタナショナリズムが一つのイデオロギーを以て人為 的に世界を統一しようとしてゐるのに反して、アメリカのニューインタナショナリズム(「平 天下」:発表者注)は、たとへ前者に対抗して出来たものにもせよ、本質的にはヨーロッ パ共同体から自然発生的に生じ、一筋の歴史の先端に芽を出して来たものであります。 アメリカ人はそれに自分達の過去の歴史を賭けてゐると同時に、その延長線上に広義 の近代化と言ふ実験を賭けてゐるのです。もし世界連邦と言ふものが考へられるなら、 この線に沿つてしか求められますまい。(中略)私は私の、といふより過去百年西洋文化 を摂取して来た私達の文化感覚によつてそれを採るといふだけの事です」
・・・・福田恆存は既に約40年も前に、現在に通ずる「パックスアメリカーナ(平天下)」の
意義を、広義的な世界連邦と言ふ意を用ゐてその必要性を認めてゐるのである。当然 米国の行為をただの自己犠牲だけとは見てなく、その事を「一体どこの国が国家利益を 犠牲にしてまで他国に奉仕するでせうか」と、アメリカの行為を「他者愛と自己愛(国益)」 の西欧の伝統的二元論の延長として見事に論じてゐる。
そして日本の採るべき道を「過去百年西洋文化を摂取して来た私達(日本)の文化感覚
によつてそれを採る」事の良しとして、それを薦めてゐるのである。続けてこのやうにも 言つてゐる。是非以下文章の「英仏」に「独仏」と置き換へ、今回「イラク戦争」での独・ 仏の採つた選択肢を考へてみるといい。反米の行為のやうで本質は違ふのが解かる。
「英仏はアメリカの先進国であつた面子や、そのインタナショナリズムと自己のナショナ
ル・エゴイズムとの相克の為。今後もそれぞれの立場から色々な形で離反集合を続ける でせうが、この自由世界の分極化も単に現象的なものに過ぎず、結局はアメリカのイン タナショナリズムの掌から出られぬものと思ひます」
福田恆存は将に見事に、欧米文化圏の伝統的本質を見抜いてゐる。40年を境にした
異なる戦争は、ただの現象的相異にしか過ぎず、故に40年も前の福田評論の本質論 は時代を超越して未だに新しく、現在の混迷日本をリードするものがある。是非一読、再 読を勧める所以があります。
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