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(下欄文、読みづらい方は以下の「PDF」ファイルでご覧下さい)
司馬遼太郎『殉死』・福岡徹『軍神』の「乃木愚将論」に対する反論
*二十八糎砲使用問題についての氏の見解
・・・別紙参照
(*印「今更言ふまでもないが・・・」〜〜頁終はりまで)
【吉野の読後感】:平成十六年七月十一日
《乃木将軍と旅順攻略戦》
司馬遼太郎『殉死』・福岡徹『軍神』の「乃木愚将論」に対する反論
「私はこの戦争(太平洋戦争)を明治開国以来、近代日本が辿らねばならなかつた一つ
の運命とみてゐたのである。運命といふ言葉が厭なら、歴史の力と言つてもよい。当
然、
私の関心は日露戦争に向つた。殊にそのうちで最も運命的な旅順攻略戦に想ひ到つ
た」P89
上記の事を別の言葉で福田恆存はかうも言つてゐる。
「日露戦争を戦つた私達の父祖と現在の私達、大東亜戦争中の私達と現在の私達、そ
れぞれを別人と見做すなといふ事であります」『軍の独走について』P386
即ちそれらは「近代日本が辿らねばならなかつた一つの運命」の糸で繋がつてゐるのだ
と。
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付記
福田恆存評論 『国運』(全集第一巻)昭和十九年五月(三十四歳)
『軍の独走について』(全集第5 巻)昭和三十九年五月(五十四歳)
『乃木将軍と旅順攻略戦』(全集第六巻)昭和四十五年十二月(六十歳)
『覚書』(全集第六巻巻末)昭和六十三年発行(七十八歳)
語意
ぺトン?・・・(ベトンbeton :仏)=コンクリートの事。
堡塁・・・敵の攻撃を防ぐために、石・土砂・コンクリートなどで構築された陣地。ほる
い。
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乃木将軍(明治日本)と旅順要塞(西欧列強)攻略戦と言ふ福田恆存の見方。
・・・
*「乃木将軍は悲運の人であり、悲運の国の象徴」P92
*「乃木将軍は一番貧乏籤を引かされた明治日本の『愚かな犠牲者』であつた。た
とへ乃木稀典はゐなくとも、誰かは第三軍の司令官になり、敗けても勝つても生
きて帰らねばならなかつたのだ」(『覚書』)
*明治近代化(先進国化)象徴としての乃木将軍と、近代(先進国)の象徴として
の旅順。その為に苦しい戦ひが強いられた。『軍の独走について』
(証例:開戦前そして第一回総攻撃における迄の「攻城法研究」の欠如)
*旅順攻略戦は「最後まで皆(大本営・満州総司令官・第三軍)が迷つてゐたと言ふほ
かは考えられない」P109
「児玉大将は智将だつたかもしれないが、名将とは称し難い」(P1 10 )
・・・「攻撃は見方撃ちを恐れず」といつた児玉大将と、「第一回総攻撃の肉弾戦以来、部
下から数万の死傷者を出して来た乃木将軍との心境の差がみられはしないか」と福田
恆存は言ふ。
表:在中:《乃木将軍と旅順攻略戦》 の二〜三頁参照。
『乃木将軍と旅順攻略戦』重要文。
「歴史、殊に戦史に対して断定は禁物と信じてゐる。(中略)司馬、福岡両氏に対する
疑問は、両氏共に恰も旅順攻略戦に加つた者の如く、しかも乃木将軍の戦略を責め、
福岡氏の如きは『愚将』とまで決め附けてゐる点である。が、歴史に対しては私達は飽く
まで謙虚でなくてはならぬ。結果から是非を論ずるのは易しい」P114
当評論主題:「歴史家が最も自戒せねばならぬ事は過去に対する現在の優位である。
吾々は二本の道を同時に辿る事は出来ない。とすれば、現在に集中する一本の道を現 在から見透かし、ああすれば良かつた、かうすれば良かつたと論じる位、愚かな事はな い。(中略)当事者はすべて博打をうつてゐたのである。丁と出るか半と出るか一寸先は 闇であつた。それを現在の『見える目で』で裁いてはならぬ。歴史家は当事者と同じ『見 えぬ眼』を先ず持たねばならない」P115
(これは「イラク戦争」にも、ある面において適応する事でもあらう)
*「歴史に附合へば附合ふ程、首尾一貫した因果の直線は曖昧薄弱になり、遂には
崩壊し去る。そして吾々の目の前に残されたのは点の連続であり、その間を結び附ける 線を設定する事が困難になる。(中略)が、歴史家はこの殆ど無意味な点の羅列にまで 迫らなければならぬ。その時、時間はずしりと音を立てて流れ、運命の重みが吾々に感 じられるであらう」P116 ・・・(下欄文参照)
「合鍵を以て矛盾を解決した歴史(即ち司馬、福岡の余りにも筋道だつた旅順攻略戦
史:吉野挿入)といふものにほとほと愛想を尽かしてゐる」P116
以上、『乃木将軍と旅順攻略戦』
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《他重要点》:『国運』『軍の独走について』から。
*乃木将軍に「自分が歴史のどこを歩かされてゐるのか何も識らずにゐる一人の人
間を見出す」P384 『軍の独走について』
*「将軍は己の不幸をそれと知らず、頑なにじつと堪へてゐたのである。自己の苦しみ
を方法論で解決することを知らぬ愚かさであり、馬鹿正直さである。(中略)かれは逃げ 道を見いだせぬまま、ひたすら時間の経過をまつよりほかに方法をしらない。その男の 運命が顔を覗かせるのはこの瞬間である。前方をみつめ背伸びして浮きあがつた前の めりの姿勢を、運命が肩越しにそつと乗り越してゆく。(中略)将軍の運命とともに明治 日本の国運が、遼東半島の先端を一過したのである」P525 『国運』
*「明治の精神のあらゆるいとなみは、つねにそのひたむきな姿勢にわが国運を背負
つてゐた。(中略)およそ運命とは、事の成否を問はず、方法の適否を考へぬぎりぎりの 精神に、そのすがたを現すものである。(中略)運命といふものは、そのやうな究極にま で身を沈めたときにこそ、はじめて現出するものである」。
*「方法論の外で不可能と頑強に対決(即ち旅順攻略戦:吉野注)し、国運の波が自
分の身体を流し運んでくれるのを待つてゐたかれらの心事のいさぎよさを想ふ」P525 『国運』
上の四点をもう少し解かり易く纏めると、「逃げ道を見いだせぬまま、ひたすら時間の
経過をまつよりほかに方法をしらない」或は、「事の成否を問はず、方法の適否を考へ ぬぎりぎりの精神。即ち「方法論の与り知らぬ無意識の仕事」と言ふものが、「個人の生 涯にせよ、民族の歴史にせよ、その必然の線(運命・歴史の力:吉野注)を描き出す」の だと、福田恆存は言ふのである。旅順攻略戦にその精神があつた。その時、「将軍の運 命とともに明治日本の国運が、遼東半島の先端を一過したのである」と。
「歴史家はこの殆ど無意味な点の羅列にまで迫らなければならぬ」との関連。
先の大戦中文部省の仕事で出向き、恆存は二〇三高地と言ふ「点」に立つた時、上記
のやうな、乃木将軍の苦しい立場即ち『乃木将軍(明治日本=非近代・先進国化)と旅 順要塞(西欧列強=近代・先進国)攻略戦』と言ふことが素直に納得でき、目頭が熱くな つた、と書いてゐる。二〇三高地の「点」に迫り、乃木将軍の心事に想ひ到つたその時、 「時間はずしりと音を立てて流れ、運命の重みを」(P116 )、氏は感じ取つたのである。
それはどう言ふ事を意味してゐるのであらうか。
二〇三高地の乃木将軍と言ふ「点=現在」に恆存自身が立つた、将にその時に氏の
意識は現実の日常性の束縛から脱却して、そこで時間が停止したのではなからうか。
氏の演劇論を借りれば、時間が停止し、さうして意識が現在に直立的に交叉した時、過
去・未来と言ふ時間的前後は「暗黒化」されて、意識は上に伸びあがり時間の外に抜け 出す。そのやうに上に脱け出た意識によつて、恆存は「足下の現実が時々刻々に動いて ゐることを実感」したのではなからうか。「時間はずしりと音を立てて流れ、運命の重み が感じられた」と言ふ実在感は、その事を指してゐるのでは。
その時その場では、「過去と未来とから切り放たれた現在(二〇三高地の乃木将軍と
言ふ「点」)だけが、過去・現在・未来といふ全体(「明治以後の日本の歴史」:吉野注)の 象徴として存在してゐる」のである。氏は点(現在)に迫り、過去・未来と言ふ時間的前後 の「暗黒化」によつて、その間の時間を光として感じ」たのである。さうした演劇論(『人 間・この劇的なるもの』)で言ふ「実在感・必然感・全体感」を福田恆存はそこで捉へたの では。
以下のやうな表現において、氏はその感慨を述べてゐる。
「その時私は感じたのです。あたかも明治以後の日本の歴史が眼前を、といふよりは
自分の身内を、一瞬のうちに通り過ぎるのを。そして、私はつくづく思い知りました、あれ
以来、吾々は同じ事をやつてゐるのではないか、ここに血を流した父祖の絶望的な惨め
さは、そのまま今(太平洋戦争中)の吾々のものではないかと」P385 『軍の独走につい て』
即ち「近代日本が辿らねばならなかつた一つの運命」を、其処に見たのである。
以上
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