アクセス解析 エゴイズムの問題
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【エゴイズムの問題。(「白く塗りたる墓」より)】

 エゴイズムは、「生の意欲の湧出」「生命力の昂揚(全集:P511)」「すな
ほな生物の欲望(P507)」「生命欲」
 


「近代自我の没落の廃墟に、僕たちはエゴイズムを見いだした」
・・・実証主義が証明した個人主義の実像といふ事。――→自己喪失

「トルストイはエゴイズムとたたかふことにかれの芸術の基調を見いだしてゐたが、その
あげくさういふ芸術こそ自我意識の毒を吹きいだすものとして否定した。かれのあと(チ
ェーホフ:吉野注)では、芸術はエゴイズムを肯定し、生の意欲の湧出として、それに愉
悦を与へるものでなければならなくなつた」
・・・とは、
実証主義でいかにエゴイズムを露出化しようが、そこからは個人主義の目的である「自
己完成」へは一歩も近づかぬといふ事。似非ヒューマニズムといふ自己欺瞞(自我意識
の毒)に陥るだけ。
「より以上の不正とは――自己完成の徳を説いてエゴイズムの悪を責めること。それが
他人のではなく自分のものであれば、不正はなほのこと増大する。一見して他人に誠実
と見られるからだ」(p503全2)
「個人は正しからざるものである。――永遠に完成はありえない」と。(p511全2「白く塗
りたる墓」)
「エゴイズムは絶対に否定できぬ。それは生そのものであつて、それを否定するとなれ
ば、生そのものすら否定しなくてはならぬ。エゴイズムがつひに否定し扼殺しきれぬもの
であるとすれば、たとへ自分を苦しめることによつてにしろ、これを否定せんとする身ぶ
りは、いたづらに相手を脅迫することにしかならない」(p503)

→エゴイズムの否定から肯定へ=個人主義の限界(自己完成の徳を説いてエゴイズム
の悪を責めること)からの脱出。(チェーホフ・ニーチェ・ロレンス)
 エゴイズムは、「生の意欲の湧出」「生命力の昂揚(p511)」「すなほな生物の欲望(p
507)」「生命欲」であると。「性は生命の源泉である」(ロレンス)如く。

それをニーチェやロレンスに可能にせしめたものは何か。
自己完成にではなく、自己を超へたるものの何かにエゴイズムを繋いだからに他ならな
いのでは。

「女を愛し、家庭を愛し、同胞を愛し、自分の階級を愛し、人類を愛すること――すべて
はエゴイズムである。だから否定しなければならぬのではなく、だからこそこれを肯定し
なければならぬのだ」(p511)

「女や家庭を愛して、同胞や階級にまでその愛がおよばぬとすれば、そのエゴイズムは
生命力の希薄のゆゑに死に通じてゐる。同時に現実的なもの、即物的なものしか愛す
ることができず、それが観念や夢想にたいする愛にまで昇華しえぬのは、あたかもそれ
と逆のばあひとおなじやうに、生命力の弱小を意味するものにほかならない」(同頁)・・・
晩年の文の「完成せる統一体としての人格」追及といふ事を、すでにこの時点で言つて
ゐるのである。
 観念や夢想すなはち「自己を超へたるもののなにか」にまで繋げることによつて、エゴ
イズムは「個人主義上での死」ではなく、生命力の豊穣を獲得できるのであると。「絶対・
全体」にまで「関係の真実を生かして行く」生命力の豊穣こそがエゴイズムの母体・本体
であると福田恆存は言つてゐるのでなからうか。


エゴイズムの問題

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