令和五年六月一日

吉野櫻雲 發表文

小林秀雄著『本居宣長』から

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〔宣長と、『理學の風』識者達(當時の歌人達)との、『人に聞かする所(事の世界)』の「同床異夢」〕

P339宣長の言語觀:『人(△枠)に聞かする(D1の至大化:事の世界)所、もつとも歌(物:場 C‘)の本義(D1の至大化)』

P339「『理學の風』のうちに在つた世の一般の識者達(△枠)」の言語觀〔とは:言葉は主格(物:場 C‘)ではなく、目的格(F:思ふ事)に随伴する目印し。目的格(F:理)の足跡(Eの至小化)

三十五章P336關係論「『いはではやみがたきは自然の事(D1の至大化)』(事の世界)といふ、言語(物:場 C‘)に本來内在(D1)してゐる純粋な表現力(D1の至大化)」。

 

三十五章P339關係論【どう歌ふか(D1の至大化)〔即ち:どう『いはではやみがたき』D1の至大化)を人(△枠)に聞かする(D1の至大化:事の世界)〕によつて決まる(D1の至大化)】から、宣長の『人(△枠)に聞かする(D1の至大化:事の世界)所、もつとも歌(物:場 C‘)の本義(D1の至大化)』といふ言葉は發してゐる」。

三十五章P339關係論だが、かういふ考へ方【どう詠むか(D1の至大化)〔即ち:どう『いはではやみがたき』D1の至大化)を人(△枠)に聞かする(D1の至大化)か〕が、もつとも歌(物:場 C‘)の本義(D1の至大化)】は、理學の風」〔理に還元:つまり自分流理附け(定義附け・原理附け)〕のうちに在つた世の一般の識者達(△枠)には、無縁なもの(Eの至小化)であつた。彼等(識者達(△枠))は、歌(物:場 C‘)といふ技藝の一流(一流儀)を演ずる(D1の至大化)〔即ち『事(こと)の世界』者(歌人(△枠))の、聞く者(△枠)を悦ばす爲の工夫〔言(こと:F)の世界〕の裡に、言語(物:場 C‘)のまともな問題(物:場 C‘)〔とは:徂徠『物あれば名(言葉)あり』?=宣長:言葉で作られた『物』(即ち言霊:神。物:場 C‘)の『ありやう』の感知(D1の至大化:事の世界)?〕が隱れてゐる(Eの至大化)などといふ事は、夢にも考へはしなかつた(Eの至小化)」」。

 

三十五章P339「『理學の風』のうちに在つた世の一般の識者達(△枠)」の言語觀〔とは:言葉は主格(物:場 C‘)ではなく、目的格(F:思ふ事)に随伴する目印し。目的格(F:理)の足跡(Eの至小化)

三十五章P339關係論①宣長(物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。従つて、③(前項出:『理學の風』)の考へるところ(D1)は、①と食違ふどころか、逆になり(D1の至小化)、④と言へども、まともに反省〔理に還元(Eの至小化):つまり自分流理附け(定義附け・原理附け)〕すれば、問題は、どう歌うか〔即ち:心(物:場 C‘)の『いはではやみがたき』D1の至大化)を、『人(△枠)に聞かする(D1の至大化事の世界)所が、もつとも歌(物:場 C‘)の本義(D1の至大化)』〕にはなく、「◎:何(即ち②F)を歌ふ(E)かにあるくらゐの事は、わかる(Eの至大化)筈だといふ事になる」⇒「②:思ふ事(理)」(◎的概念F)⇒E:歌はれる物が『わが②(理)』なら、これ〔②〕をはつきり認識する(Eの至大化)〔理に還元(Eの至小化):つまり自分流理附け(定義附け・原理附け)〕のが先決〔即ち:言葉で作られた『物』(言霊・神。物:場 C)の感知(D1の至大化事の世界)よりも、自分流(わが思ふ事の)理附け(Eの至小化)が先決〕であり、これ〔理に還元:つまり自分流理附け(定義附け・原理附け)〕に成功したら(Eの至大化)、後はもう〔『わが②(理F)』を〕有りの儘を言へば(Eの至小化)よい。上手に言はう〔聞く者(△枠)を悦ばす爲の工夫(Eの至大化:言の世界)〕などとは餘計な事(Eの至小化)だ。さういふ事〔聞く者(△枠)を悦ばす爲の工夫(Eの至大化:言の世界)などとは餘計な事(Eの至小化)〕になるのも、言葉(F)は認識過程〔とは:『思ふ事(F)をはつきり認識する』と言ふ、理に還元(Eの至小化):つまり自分流理附け(定義附け・原理附け:Eの至小化)〕に随伴する(Eの至小化)、その單なる目印し(F)の如きものと見られてゐる(Eの至小化)からだ〔とは:言葉は主格(物:場 C‘)ではなく、目的格(F:思ふ事)に随伴する目印し〕」(②への距離不獲得:Eの至小化)⇒③彼等④歌人といふ技藝の人⑤わが(△枠):①への適應異常。

三十五章P339關係論①『詞』(物:場 C‘)②『花』(物:場 C‘)③言語觀(物:場 C‘)④八雲の神(言靈。物:場 C‘)⇒からの關係:(承前)。「◎:①より『意(語釋・理F)』が、②より『實(み:理F)』が取上げられる(Eの至小化)」⇒「⑤:理(F)」(◎的概念F)⇒E:⑤が先きに歩く(Eの至小化)のである〔理に還元(Eの至小化):つまり自分流理附け(定義附け・原理附け)〕。言葉(F)はその(⑤の)足跡(Eの至小化)に過ぎない〔とは:言葉は主格(物:場 C‘)ではなく、目的格(F:理)の足跡(Eの至小化)〕。『意(語釋・理F)』は『實(み)F』を認識(Eの至小化)する『理』〔理に還元(Eの至小化):つまり自分流理附け(定義附け・原理附け)〕の方に在り、『詞』(F)の方は、言はば『理F』のまとふ寸法〔つまり自分流理附け(定義附け・原理附け)〕の合つた(Eの至大化)着物(F)のやうなものだ、さういふ考へがあるからである。⑥に言はせれば、まさに、⑦の『心ばへ』(Eの至小化)を現す③(F)なので、このやうな③(F)を持つ(Eの至小化)樣になるには、『④詠(D1の至大化)』などからは、遙かに遠く來て(Eの至小化)、知性の要求〔理に還元(Eの至小化):つまり自分流理附け(定義附け・原理附け)〕に應ずるやうに、大きく修正された(Eの至小化)言語組織(F:分析的な考へ:即ち理學の風・朱子學F)に慣れて了はねばならない(Eの至小化)(⑤への距離獲得:Eの至大化)⇒⑦『今の世のものしり人共』⑥宣長(△枠):①への適應正常。

 

三十六章P341關係論:その言ひ方(D1)には、當時(宣長當時。場 C‘)の歌人達(△枠)が、「◎:これ(事の世界は言の世界)を正しく受取る(D1の至大化)のに、非常にむつかしい含み(D1の至小化)があつた」⇒と言ふのは、宣長の言葉(F)は、當時(宣長當時。場 C‘)の歌人達(△枠)の思ひも及ばないところとは:どう歌ふか[どう,いはではやみがたき(D1の至大化)を④に聞かする(D1の至大化事の世界]更に深くは、P338出〔『八雲の神(言靈。物:場 C‘)詠(D1の至大化)』の〕想ひ】で發想されてゐた(Eの至大化)からである」

P341關係論【歌(物:場 C‘)をどう歌ふか[どう,いはではやみがたき(D1の至大化)を④に聞かする(D1の至大化:事の世界)]】に頓着するのではなく(D1の至小化)、」⇒

P341⇒「歌詠み(F)は俗事、世過ぎ事(Eの至小化)に堕してしまつた〔とは:理に還元(Eの至小化):つまり自分流理附け(定義附け・原理附け)の〕、今の世(場 C‘)の歌の道(物:場 C‘)の場所について、⑨は悲しき哉悲しき哉(D1の至小化)』(『あしわけ小舟』)と」。

P341關係論『詠歌は萬人に必須な基本的教養』(宣長思想)

(とは以下參照)

P341關係論:〔言葉は主格(物:場 C‘)ではなく、目的格(F:思ふ事)に随伴する目印し。目的格(F:理)の足跡(Eの至小化)〕。

(とは以下參照)

〔「感(あはれF)」の同床異夢〕

P341關係論:①歌(物:場 C‘)⇒からの關係:①は、③に聞かする(D1の至大化)所(事の世界)、もつとも①の本義(D1の至大化)。「◎:③のききて(D1の至大化)」⇒「②:感(あはれF)」(◎的概念F)⇒E:②とおもふ(Eの至大化)所〔言(こと)の世界〕が緊要(Eの至大化)也(『石上私淑言』)」(②への距離獲得:Eの至大化)⇒③人(△枠):①への適應正常。

P342關係論「⑨:物のあはれ(F)」(◎的概念F)⇒E:『⑨にたへぬ(Eの至大化)ところよりほころび出て(Eの至大化)、をのづから文(F:あや)ある(Eの至大化)辭〔言葉遣ひ:即ち『聞く者(△枠)を悦ばす爲の工夫(Eの至大化)』:言(こと:F)の世界〕』〕(石上私淑言)と、歌(物:場 C‘)を定義する(D1の至大化)宣長(△枠)」。

(とは以下參照)

〔「感(あはれF)」の同床異夢:『理(F)が先きに歩く(Eの至小化)』〕

P341關係論:「彼等(歌人等)にとつて、歌の道(物:場 C‘)とは、『人のききて(D1)「感(あはれF)」とおもふ(Eの至大化)』やう言語(F)上の工夫(Eの至小化)を凝す事に盡きよう【とは:P339『理(F)が先きに歩く(Eの至小化)のである〔理に還元(Eの至小化):つまり自分流理附け(定義附け・原理附け)〕。言葉は『(物:場 C‘)』ではなく、その(理Fの)足跡〔とは:自分流定義附け(Eの至小化)の足跡目印し(言葉F)〕に過ぎない』の意

(とは以下參照)

P341關係論①歌(物:場 C‘)②悲しむべき状態(場 C‘)③詠歌(物:場 C‘)④宣長の思想(物:場 C‘)⑤歌の道(物:場 C‘)⇒からの關係:ここに⑦の決定的な誤解(D1の至小化)が生じた、と想像していい。彼等(⑦)がどう誤解(D1の至小化)したか。彼等(⑦)は、宣長に言はせれば、①といふ技藝(D1)の一流(一流儀:D1の至小化)に携る〔即ち、『詠歌は萬人に必須な基本的教養』(宣長思想)とは異なる〕といふ、②にあつたわけだが、さういふ〔技藝(D1)の一流(一流儀:D1の至小化)に携る〕自分達(⑦)の身丈【とは:P339『言葉(F)は認識過程〔理に還元(Eの至小化):つまり自分流理附け(定義附け・原理附け)〕に随伴する(Eの至小化)、その單なる目印し(F)の如きもの』と言ふ考へ〔とは:言葉は主格(物:場 C‘)ではなく、目的格(F:思ふ事)に随伴する(Eの至小化:自分流理附けの)目印し(F)。目的格(F:理)の足跡〔とは:自分流定義附け(Eの至小化)の足跡目印し(言葉F)〕】しつくり合せて、『⑧に聞する所、もつとも歌の本義』と合點(同床異夢)して了へば、彼等(⑦)としての正解〔誤解(D1の至小化):自分流理附け〕は成立つたわけで、「◎:③を、⑨に必須な、基本的な教養(D1の至大化)とする④など、まるで無縁(D1の至小化)のものなら」⇒「⑥:感(あはれF)」(◎的對立概念F)⇒E:彼等(⑦)にとつて、⑤とは、『⑧のききて(D1)⑥とおもふ(Eの至大化)』やう、言語(F)上の工夫(Eの至小化)を凝す事に盡きよう【とは:P339『理(F)が先きに歩く(Eの至小化)のである〔理に還元(Eの至小化):つまり自分流理附け(定義附け・原理附け)〕。言葉は『(物:場 C‘)』ではなく、その(理Fの)足跡〔(Eの至小化)目印し:定義附け?〕に過ぎない』の意】⑩に感動を齎らす(Eの至大化)爲の、⑪には、容易に窺へぬ(Eの至小化)、専門的(仲間内的)な言語(F)の技術(自分流理附け:Eの至小化)といふ事にならう」(⑥への距離不獲得:Eの至大化)⇒⑦歌人等⑧人⑨萬人⑩聞く者の心⑪『常の人』(一般人△枠):①への適應異常。

 

〔『文(あや)F』(言の世界)の意味合〕:精神(物:場 C‘)の自發性(事の世界)から發言が『文(あや)F』(言の世界)〔即ち:『事の世界』は『言の世界』

 

P341關係論:①歌(物:場 C‘)⇒からの關係:①は、③に聞かする(D1の至大化)所(事の世界)、もつとも①の本義(D1の至大化)。「◎:③のききて(D1の至大化)」⇒「②:感(あはれF)」(◎的概念F)⇒E:②とおもふ(Eの至大化)所〔言(こと)の世界〕が緊要(Eの至大化)也(『石上私淑言』)」(②への距離獲得:Eの至大化)⇒③人(△枠):①への適應正常。

P342關係論「『物のあはれ(F)にたへぬ(Eの至大化)ところよりほころび出て(Eの至大化)、をのづから文(F:あや)ある(Eの至大化)辭〔言葉遣ひ:即ち『聞く者(△枠)を悦ばす爲の工夫(Eの至大化)』:言(こと:F)の世界〕』〕(石上私淑言)と、歌(物:場 C‘)を定義する(D1の至大化)宣長(△枠)」。

P342關係論宣長(△枠)の『文(F:あや)』といふ言葉〔言(こと)の世界〕も、其處〔精神(物:場 C‘)の自發性:即ち『いはではやみがたき(D1の至大化)は自然の事(事の世界)』〕から發言されて(D1の至大化)ゐたと考へていい〔即ち:『事の世界』は『言の世界』と

〔『文(あや)F』の意味合の同床異夢:『理(F)が先きに歩く(Eの至小化)』〕

 

P342關係論

*文(F:あや)の意味合の〔聞く者(△枠)を悦ばす爲の工夫(Eの至大化)〕などとは、(歌人等:△枠)には餘計な事(Eの至小化)でしかない。

文(F:あや)とは、思ふ事(F)をはつきり認識する(Eの至大化)のが先決となる〔とは:P339『理(F)が先きに歩く(Eの至小化)』。理に還元(Eの至小化):つまり自分流理附け(定義附け・原理附け)〕。【即ち:言葉で作られた『物』(言霊・神。物:場 C)の感知(D1の至大化)⇒文(F:あや)〔聞く者(△枠)を悦ばす爲の工夫(Eの至大化)〕。即ち「事の世界=言の世界」よりも、自分流(わが思ふ事Fの)理附け(Eの至小化)が先決となる】。