令和元年七月十八日
〔福田恆存を讀む會〕
吉野櫻雲
『日本民族國家の形成と天皇御存在の意義』(福田恆存對談・座談集第七巻:『昭和史の天皇・日本』昭和五十年)
*************************************************
〔難解又は重要文〕P401「 」内が恆存文。( )内は吉野注。
*P401恆存發言「私は戰後のデモクラシーをせめて戰前にまで戻すべきだと思ひます。戰前の中央集權、或いは絶對天皇制といふのにも弱點はあつたかもしれませんが、それは是正すれば直ることであつて、そこへ一應戻す必要がある、せめて」そこまで戻すといふことはまだ可能ではないかと思ふ」・・・文中「戰前にまで戻すべき」とは何を言はんとしてゐるのであらうか。推測するに以下の消息を物語つてゐるのではなからうか。
|
『自衞權・憲法・天皇制』:P381 《恆存主張要旨:戰後(左圖)の文化崩壊(衰退?)を復興させる手立て(右圖化)》⇒參照PP圖『自衞權・憲法・天皇制』jieiken.kenpou.tennousei.pdf へのリンク * (戰前の) 「リズム(E)によつて制定された祭日(Eの至大化)といふものを全部崩しちやつた(Eの至小化)のが戰後(左圖)」⇒「戰前の祝祭日・正かな正漢字(Eの至大化)を復活させる」⇒即ち「右記(右圖)の天皇(△枠)の日常生活と合致させる」⇒何故なら 「天皇がなさつてゐる公的な行爲(型儀式:Eの至大化)の中にこそ、日本の歴史(C)と文化(D1)が繼承(D1の至大化)されてゐる(右記右圖)ことは疑ひないんだから」。 |
普遍性(C)、超絶性(C)の問題
〔難解又は重要文〕P408「 」内が恆存文。( )内は吉野注。
① P408恆存發言簡略:「明治の神聖國家の、キリシタンのもつてゐる普遍性(C)、超絶性(C)といふ概念を導入しなければといふ結論には國内的背景もあつた」⇒「薩長の政府がそれまでの公方さんを倒したわけですからね。それに對して國内に自分達を權威づけるためには、天皇(C化)家よりほかにはないですよ」⇒「それで藩閥(薩長土)といふ概念が弱くなつてくるにしたがつて、天皇(C化)の概念は強くならざるを得ない」⇒「ところが戰後になると・・・天皇(C化)の概念が必要なくなつてくる」⇒「戰後アメリカの滅茶な要求をそのままのんでしまふ日本人のだらしなさ」⇒「あれをあんなに素直に受け入れたといふことは、(戰後のみならず)戰爭中から、あるゐはその少し前から始まつてゐる問題(近代化適應異常?)、といふものを考へなくちやならない」。
② P416恆存發言簡略:「今問題なのは、國民一人一人が自分(A)をおさへる、エゴイズム(A)をおさへるワクとして國家( C’)とか、あるいはその象徴としての天皇( C’)といふものが必要ことは議論の余地がないと思ひますが、しかし、それでは國家のエゴイズム(A)は何でおさへるか、この概念がないとダメだと思ふ」⇒「自分の押賣り(A)は日本の民族性(美意識)からいへばきたないことだと思ふ」⇒「それが國家( C’)となると、日本といふのは誇るべき國である。あるいは神州である(エゴイズムA)、といふことになる」⇒「それが素直に通ちやうといふところに、私はまだ日本人が近代國家(Aナショナリズム&B國際主義併存)の國民としてちよつとまだ足りないところがありやしないかと考へる」⇒「日本國が優れてゐるといふのはおかしい、自慢話(A)なんですから」⇒P417「さつきのキリシタンの話(P408『キリシタンのもつてゐる普遍性C、超絶性C』)じやないけど、人間の普遍性(B⇒C的)と結び附かない國家(A)主義といふのは危險だといふのです。いま、へたをするとそつちへ行く心配がある」。
③ 418恆存發言簡略:「自由主義社會と全體主義社會とは、どつちが人間の普遍性(C)といふのを生かすものか」⇒「長い目で見れば、こつちの方が普遍的なものを持つてゐると思ふ」。
・・・まず、③は何を言はんとしてゐるのであらうか。是は「歴史の一貫性・統一性・繼續性」(參照PP圖)2page.rekishinoikkansei.pdf へのリンクの事を述べてゐるのだと思へる。つまり「神に型どれる人間の概念の探究」と言ふ普遍探究が自由主義社會にはあると。で、①②は何を言はんとしてゐるのであらうか。明確化する爲に一應、小生的見解を上文中に括弧で入れてみた。尚②文中の「普遍性(C)、超絶性(C)といふ概念」については、以下の消息を物語つてゐるのではなからうかと思へる。
|
參照:拙發表文「恆存のフィクション論」(天皇論)及びPP圖「完成せる統一體としての人格」論で考察する恆存の天皇觀tennou1.pdf へのリンク ① 「ぼくにとつて問題なのはエゴイズム(A:相對)の處理なのですよ。個人のエゴイズム(A: 相對)といふのは、ときには國家( C’:上位的相對)の名において押さへなければならない。それなら國家( C’:上位的相對)のエゴイズム(A)といふのは何によつて押さへるかといふと、この原理は、天皇制(非絶對C=A相對)によつては出てこないだらう。日本の國家( C’ :上位的相對)のエゴイズム(A)を押さへるといふことは、天皇制(C’=非絶對C=A相對)からは出てこない。ぼくは天皇制を否定するんじやなくて、天皇制(C’=非絶對C=A相對)ともう一つ併存する何か(相對Aを超えたるものの何か=C)がなくちやいけない。絶對天皇制(相對Aの絶對C化)といふのは、どうもまづい(中略)西洋の旧約聖書の場合、もちろんセム族といふ一民族の所産で、その限界はあるけれども、とにかく世界創造、人間創造といふ普遍性(C)を持たせてゐる。ところが、日本の神話といふのは、日本列島(A:相對)、日本人の創造(A:相對)しか説明できない(普遍性Cがない)。だからクリスト教につけといふ意味じゃないけれど、やつぱりわれわれは、もう少し二重に生きる道(即ち、「完成せる統一體としての人格」論)を考へなくちやいけない。 天皇制( C’ =非絶對C=A相對)の必要と、それを超える――優位といふ意味ぢやなくて――他の原理(C)を立てなければならないんだけど、自由主義とか民主主義(近代化概念=相對界A)といふのではだめなんだ」。(中略)。 |
〔難解又は重要文〕P409「 」内が恆存文。( )内は吉野注。
*P409恆存發言簡略「憲法前文といふのは、全體の精神」⇒「それが『他國は全部日本に好意を持つてゐる』といふ『事實』認識で書かれた。そこから出た第九条だから氣にくはない」⇒「憲法全體を問題にしなきや、あの九条は直せない」。・・・今般「憲法改正」に際する重要文として此處に轉載した。
〔難解又は重要文〕P420「 」内が恆存文。( )内は吉野注。
*P420「日本國、といふと絶對化しやすいのです。(民族的美意識によつて)自己は絶對化しないくせに」⇒「日本國といふと絶對化しやすい。それは一體どこから出てきたか、もう少し究明する必要がある」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。明確化する爲に一應、小生的見解を上文中に括弧で入れてみた。そして更には以下枠文の消息を是は物語つてゐるのではなからうか。つまり是も「西歐近代(近代化)とクリスト教との關係」を見ずに冒した近代化適應異常の一つ、「國家主義(F)に馴れない(not so called=Eの至小化の)國家が國家主義をまなんで超國家主義(似而非近代性=近代化適應異常)になつた」(『日本および日本人』全三P192)に關聯するのだと。
|
拙發表文:『日本よ、汝自身を知れ』の「資料他」から 西歐近代(近代化)とクリスト教との關係 「 」内が恆存文。( )内は吉野注。 *「近代ヨーロッパは神を見失つた――が、それはただ神の解體と變形と抽象化とを意味するに過ぎぬ。まさにそのための手續きであり過程にすぎなかつたヨーロッパの近代精神とその政治制度・経済機構(A領域:民主主義・國際法・資本主義等々)なのである」(『近代の宿命』全二P466)。 *「萬人をその胸に救ひとる人格神が、その手をその脚を、さらにその胴體をもぎとられ、それらが制度化(A:民主主義・國際法・三権分立等)せられ機械化(産業革命等)せられる――で、神は人體を失つて、完全な精神としての抽象化を受ける。その精神が文學の領域(B領域:個人主義文學等)として殘されるといふわけだ」 (『近代の宿命』全二P463) 。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ *恆存は『醒めて踊れ』で、實證精神の範疇である、「so called=所謂何々」「フレイジング」「精神の政治學」をソフトウェア的手段と捉へてをり、「精神の近代化」(個人主義の確立)は、そのソフトウェアの効果的發揮によつて、その結果として齎されるものと捉へてゐる。 即ち、西歐(場)との關係(宿命)として齎された「近代化」への適應を、新漢語・外來語の用法(so called=所謂何々)で正常な關係(D1の至大化)に「形ある『物』として見せる(Eの至大化)」。それがハードウェアとしての近代化(資本主義化・民主主義化・個人主義化・機械化・組織化・合理化等々)に對するソフトウェア(精神の政治學)としての對處方法なのである。何故日本は「資本主義化・民主主義化・個人主義化」を選擇するのか。西歐が近代でそれら概念に客體化して見せた「神に型どれる人間の概念の探究」を、日本も「形ある『物』として(それら新漢語の裏に)見せる」と言ふ事が「So called」なのである。 |
をはり