平成二十八年二月十八日

〔福田恆存を讀む會(第二次)〕

吉野櫻雲

 

 

全集第一巻所收素材について(「文學界」昭和十八年十二月號:三十二歳)

 

 當評論素材について』を探究テーマとして選んだのは、恆存の鷗外論(『澀江抽齋』)があつたからである。小生は過去、史傳『澀江抽齋』は何とか讀む事が出來たのだが、以降の史傳『伊澤蘭軒』にはとても齒が立たなかつた。

 それで今囘、恆存の鷗外論をなんとか理解し、今後『伊澤蘭軒』等に辿り着ければと考へた次第である。さて、難航の甲斐あつて、それが可能となるであらんや。

 

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〔以下は、吉野櫻雲發表文〕

 

〔難解又は重要文〕P509上下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「凡庸な作品にあつては、二つの作品のうしろにひとつの素材を前提しうることはままあるのだが、皮肉なことに、このときにも素材は作品の公約數ではなく、じつは公倍數になつてゐるのである。多くの作家は作品内容の空疎を糊塗するために、この公倍數のかげにかくれることの気安さを知つてゐる」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。冒頭に「公約數、公倍數」なる言葉が出て來たので面喰らつた。此處はあくまでも算術の弱い小生への自己説明なのであるが、「公倍數のかげにかくれることの気安さ」とは、つまりは後述にある「寄らば大樹のかげ」と言ふ事なのであらう。

 

〔難解又は重要文〕P510上下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「素材を輕視する態度はどこからきたのか、まづこの原因をたづねてみたまへ――そこにぼくたちは近代文學の發想をたやすく捉へうるであらう」・・・この邊の文章は何を言はんとしてゐるのであらうか。續文である以下を物語つてゐるのであらう。

*「二葉亭は執拗に自分の創作(B)の世界を行爲(A)の現實世界から隔離しようといふ不幸な戰ひを戰つたのである。この『藝術(B)と實行(A)』(創作Bと行爲A)といふ主題はかれからそのままのちの自然主義の作家たちにうけつがれていつたのだが、これを一歩ずらせば、そこにぼくたちは『作品(B)と素材(A)』を考へる地盤を見いだすであらう」。

つまりは、「(日本の)近代文學の發想」とは、「創作(B)の世界を行爲(A)の現實世界から隔離しようといふ」事なのである。其處に「素材(A)を輕視する態度」の淵源があると恆存は言はんとしてゐるのである。

 

〔難解又は重要文〕P510下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「文學の自立性といふ命題のうちにふくまれる功利主義・勸懲主義の排除は、藝術から行爲性を追放することとなつた。かうした本質論的亡霊に憑かれて、二葉亭は執拗に自分の創作の世界を行爲の現實世界から隔離しようといふ不幸な戰ひを戰つたのである。この『藝術と實行』(創作と行爲)といふ主題はかれからそのままのちの自然主義の作家たちにうけつがれていつたのだが、これを一歩ずらせば、そこにぼくたちは『作品と素材』を考へる地盤を見いだすであらう」・・・この邊の文章は何を言はんとしてゐるのであらうか。解りにくいので、いつもの如く二元論的「A(集團的自我)・B(個人的自我)」及び括弧注を附すると以下の樣になる。

*(「完成に近づいた西歐の近代文學と背くらべをする宿命」から「坪内逍遙をして西歐文學の權威のもとに自國の文藝を裁かしめ」る行爲は、結果として)、

「文學(B)の自立性といふ命題のうちにふくまれる功利主義(A)・勸懲主義(A)の排除(その理由は江戸末期的文藝への否定による)は、藝術(B)から行爲性(A)を追放することとなつた。かうした本質論的亡霊(藝術Bから行爲性Aを追放する事)に憑かれて、二葉亭は執拗に自分の創作の世界(B)を行爲の現實世界(A)から隔離しようといふ不幸な戰ひを戰つたのである。この『藝術Bと實行A』(創作Bと行爲A)といふ主題はかれからそのままのちの自然主義の作家たちにうけつがれていつたのだが、これを一歩ずらせば、そこにぼくたちは『作品(B)と素材(A)』を考へる地盤を見いだすであらう」。

*加へて「かうした本質論的亡霊(藝術Bから行爲性Aを追放を追放する事)に憑かれて、二葉亭は執拗に自分の創作の世界(B)を行爲の現實世界(A)から隔離しようといふ不幸な戰ひを戰つたのである」の「不幸な戰ひ」とは、以下二つの消息を指してゐると思へる。

向後三年:昭和二十一年著『近代日本文學の系譜』全一P14下より「 」内が恆存文。( )内は吉野注

 

*「不幸な戰ひ」とは・・・

①「彼がロシア自然主義文學から學びとつた藝術概念(リアリズム)は、現實(A)に對する作家の自我擴大(A’)とその意思的な鬪爭(A’⇒A客體化:「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンク)とを教へず、その外装であり方法であつたにすぎぬ自我(A’)の抑壓と喪失、社會的現實(A)に對する敵視と絶縁とを彼に強制したのである。二葉亭は當然、二元的な態度を採らざるをえなかつた。――内省による心理主義を藝術(B)に、そしてそのやうな藝術概念によつては始めから否定せられざるをえぬものとして、自己主張の役割は日常生活の實行(A)に、といふわけである。かくして現實社會(A)によつて拒絶せられ、逐ひつめられた自我を、ひるがへつてその作品(B)のうちにもちこむすべ(近代西歐のリアリズム:「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンク)は、つひに二葉亭の與り(あづかり)知らぬところであつた。二葉亭は藝術(B)の領域から生活(A)を放逐し、また生活の領域から藝術を遮閉し、かくして二つの世界は彼のうちにおいて互に對立し、相譲らざるものとなつたのである。まさに二重生活である」。

 

『獨斷的な餘りに獨斷的な』P546上より「 」内が恆存文。( )内は吉野注

「不幸な戰ひ」とは・・・

上記評論(P546)の、「二葉亭が身動き出來ずにゐた限界といふものが確かにあつた」が該當する樣に思へる。即ち、それは同頁下「半ばは自分自身が、半ばは時代が根強く要求してゐる藝術(B)優位説、藝術(B)信仰を何とか身に附けようとして果たせなかつた苦澀」の事を言つてゐるのであらう。

 

〔難解又は重要文〕P511上「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「明治以來、ぼくたちの文藝の發想と主流とは、ただに藝術の世界から行爲を追放するのみならず、行爲の世界をも藝術をもつて塗りつぶさうとしてきた。二葉亭も文學の空想性を罵倒しつつ、しかもこの發想の過誤(「藝術の世界から行爲を追放する」事)はただしえなかつた――といふより、その過誤に氣づきさへしなかつたのである」・・・この邊の文章は何を言はんとしてゐるのであらうか。以下①②③で細かく探究する。

①「文學の空想性」とは、この文も何となく解つた樣で解りづらい。多分以下の樣な氣がする。

*「藝術(B)の世界から行爲(A)を追放する」事。

*「(二葉亭)が同時代の作家たちについて、彼等からこの生活難(A)といふあまりにも單純な、あまりにも個人的な理由を除去してやつたなら、大抵の手合は創作(B)の筆を擲(なげう)つて安易な生活(A)に就いてしまふであらう、といふ意味の皮肉を(書簡で)書き記してゐる」(『近代日本文學の系譜』P15)。

②「行爲(A)の世界をも藝術(B)をもつて塗りつぶさうとしてきた」とは、「物書き」と言ふ行爲の世界を主題にした「藝術家小説(私小説)」の事、つまりは以下の邊りの消息を物語つてゐるのではなからうか。

拙發表文:『獨斷的な餘りに獨斷的な』P551上より

 

恆存の言ふ、明治日本の自然主義作家達のプロセス〕

「藝術家、知識人が他の職業に比して殆ど社會的に顧みられぬといふ不滿、劣等感」⇒「文學(B)すらも文明開化の出世主義(A)のネガティーブな吐け口になつてゐた」⇒故に「文學(B)が如何に《神聖》な仕事であるかを立證」せんとした⇒作家は聖職者(B)。

「過誤に氣づきさへしなかつた」とは、その理由は、先述もしてあるが、以下文(特に傍線部分)がそれを示してゐるのではなからうか。

『近代日本文學の系譜』P14下より「 」内が恆存文。( )内は吉野注

 

*「彼がロシア自然主義文學から學びとつた藝術概念(リアリズム)は、現實(A)に對する作家の自我擴大(A’)とその意思的な鬪爭(A’⇒A:客體化)とを教へず、その外装であり方法であつたにすぎぬ自我(A’)の抑壓と喪失、社會的現實(A)に對する敵視と絶縁とを彼に強制したのである。二葉亭は當然、二元的な態度を採らざるをえなかつた」。

 尚、この内容については、重複するが、恆存は以下の樣にも記載してゐる(括弧内は吉野注)

*西歐自然主義が採つた行爲、即ち、リアリズム(實證精神)による自己否定の爲に、「現實社會(A)によつて拒絶せられ、逐ひつめられた自我(A’)を、ひるがへつてその作品(B)のうちにもちこむすべ(自己否定の文學としてのリアリズム=自然主義)は、つひに二葉亭の與り(あづかり)知らぬところであつた「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンク)。二葉亭は藝術(B)の領域から生活(A)を放逐し、また生活の領域(A)から藝術(B)を遮閉し、かくして二つの世界は彼のうちにおいて互に對立し、相譲らざるものとなつたのである。まさに二重生活である」『近代日本文學の系譜』P15)。

と、かうしてしつこく參照文を擧げたのだが、更に「難解の袋小路」に這入つて行く感がするのである。即ち、上記の傍線部分の意味が、誤讀の危險性があり、小生にはまたまた解りづらい。故に次枠文①②でそれについて詳細に補足を試みた。

『近代日本文學の系譜』全一P13.20より「 」内が恆存文。( )内は吉野注

 

*まず、「つひに二葉亭の與り知らぬところであつた」とは何を言はんとしてゐるのであらうか。それは、以下の消息を物語つてゐるのではなからうか。

*「明治十年代の日本の現實(二葉亭の時代)、乃至はそれに絡みあはされた心理の委曲は、十九世紀中葉のヨーロッパの現實から必然的に生みだされたリアリズム文學の方法を適用するにはあまりに素朴でありすぎたのである」(昭和二十一年著『近代日本文學の系譜』P13)。

*「ヨーロッパの近代社會の概念――そこに根差した藝術概念(自然主義)とその方法とを日本の當事の現實に適用せんとしたところに、近代日本文學の發想における錯誤があり、二十年後の自然主義運動においてそれがなほいつそう深化してゐる」(『近代日本文學の系譜』P22)。

つまり、PP圖「彼我の差」higanosa.sozai.pdf へのリンクの左圖と言ふ「明治十年代の日本の現實」に、右圖「リアリズム文學(西歐自然主義文學)」を接ぎ木する事の不可能性を言つてゐるのではなからうか。

 

*次に、注として付記した以下の文も、やはり説明を要する。

「自己否定の文學としてのリアリズム=西歐自然主義」P20「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンク

即ち「リアリズムによる自己否定」とはかう言ふ事であらう・・・

①「自然に對して人間の自主性を奪取せんとした科學の實證精神が、そのあくなき切先を人間性そのもの、自我そのものにさしむけたところに明瞭な姿を見せることとなつたエゴイズム」(同P20下)を指す。それは、西歐近代が實證主義によつて、エゴイズムを「自我の必然」として、近代自我(個人主義)の俎上に浮かび上がらせてきたことである。即ちかつては個人的自我(B)の範疇とみなされてゐたものが、「リアリズム=西歐自然主義」によつて、詰め腹を切らされて集團的自我上(A)に浮かび上がつてきたもので、畢竟、「(自我は)エゴイズムと虚榮と俗惡のかたまり以外のなにものでもなかつた」(P20)と言ふ事なのである。即ち「自我の必然」としてエゴイズムが認識されたのである。

②「(西歐)十九世紀後半の自然主義作家にとつて、資本主義社會は彼等の自我(A’)を實生活(A)において拒絶し扼殺するほどに堕落し硬化したのであり、しかもこの社會(A)的事實を彼等ははつきり凝視し、さらにこれを自己(A’)のものとして――いはば社會(A)の醜惡と痼疾とを自己(A’)のそれとして受け容れたのであつた。またそれゆゑの嚴しい自己否定でもあつた。彼等の自我(A’)はもはや作品(B)以外に主張と正當化との場所を見いだしえなかつたのである」(P19)。

吉野注:だからと言つて、日本自然主義作家達の「文學(B)すらも文明開化の出世主義(A)のネガティーブな吐け口になつてゐた」と言ふ「A⇒Bのすり替へ的逃げ込み」とは、全く違ふのである。

この「彼等の自我(A’)はもはや作品(B)以外に主張と正當化との場所を見いだしえなかつた」とは、フローベールを例に取り、それを恆存文により記すと以下の樣になる。

「現實(即ち、自己A’の代理としてのボヴァリー)の醜惡を素材(A)として、美(B夢想家⇒C理想人間像)を志向する創作方法」を、フローベールは選んだと言ふ事がそれに當たる。

ただそれら(BC探求)は「作品の裏がはからあのリアリスティックな無表情の記述の保證に立つてゐるにほかならない」と恆存は言ふ。「一片の虚妄にすぎぬと承知してゐればこそ、かれは自己の理想人間像(C)を語りはしなかつたのであるが同時に、その理想人間像(C)があつたればこそ實證精神(A’⇒A:創作方法)をしてあれほどまでに嚴しい自己否定の刃で)自我(代理A’としてのボヴァリー夫人)を斬りさいなむことを許したのである」と(全一P475『理想人間像について』)。 繰り返すが、フローベールは「現實の醜惡を素材(A)として、美(B夢想家⇒C理想人間像)を志向する創作方法」と言ふ、その「主張と正當化との場所」を見いだす事で、「リアリズムによる自己(A’)否定」を完遂する事が出來たのである。

何處にも神を語つてゐないあの小説スタイルこそが「神に型どれる人間の概念(理想人間像C)の探究」なのだと、恆存は言つてゐるのである。この邊を恆存は以下の樣にも表現している。

「 」内が恆存文。( )内は吉野注

*「フローベールはもつと冷静に復讎の手段を考へだした。――個人(A’)の敗北を身をもつて敗北してみせること、可能性の天窓は一分のすきもなく完全にとざされ、現實世界(A)で獲得できた自由のいかにつまらなく、それがあまりにつまらぬために自由でもなんでもないといふことを、克明に描寫し證明してやること(それが小説「マダム ボヴァリー」)」(『現代日本文學の諸問題』全一P59)であつたと。

 

追記となるが、「ヨーロッパの作家たちが自己(A’)をあへて作品(B)のうちに扼殺したのは、(「社會の醜惡と痼疾とを自己のそれとして受け容れた」爲に)、それ(自己A’)がすでに實生活(A)においても生きる道をもたなかつたからであり、彼等はさういふ自己(A’)を作品(B)のうちに甘やかすことを徹底的に嫌つたからであつた。いや、彼等は自己(A’)のうちに甘やかしうる餘地を見いだしえなかつた――(リアリズム=西歐自然主義によつて)それ(A’)はエゴイズムと虚榮と俗惡とのかたまり以外のなにものでもなかつた」『近代日本文學の系譜』P20)のを徹底的に思ひ知らされてゐた(自我の必然としてエゴイズム)からである。

 

〔難解又は重要文〕P511上「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「自我(A’)は行爲者として外界(A)と渉りあはずして、いつたいいかなる特殊性を保有しうるだらうか。行爲となつて現實に働きかける(A’⇒A)ことのない心理的實感(D”3:虚妄の實感・似非實在感)が受信機としていかに描寫の深刻と精緻(「言葉は寫實」と言ふ自然主義文學への逃避による)とをきはめようとも、いや、それが完璧に近づけば近づくほど、かへつて作家から個性が脱落し、その結果、僕たちは實驗心理學的な單位の無機的集合をもつとも新しい藝術的概念として受けとるやうに教へられたのである。作家の性格のかうした劃一化、機械化、平均化(以下枠文ABC的プロセス)は、當然その受容する對象をも一定の規格内に限定することとなつた。かやうにして作品はその内容たる素材とともに劃一化(「作者の心理的實感に作品の眞實を賭ける」同頁)への傾向をとつたのである」・・・この邊は何を言はんとしてゐるのであらうか。一應上記文中に括弧内附記で説明を試みた。つまりは、PP圖左右「彼我の差」higanosa.sozai.pdf へのリンクの事を言つてゐるのであらう。そして、それは更に以下①②枠文の消息を物語つてゐるのではなからうか。

拙發表文:『獨斷的な餘りに獨斷的な』より「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

①〔恆存の言ふ、明治日本の自然主義作家達の末路〕

「藝術家、知識人が他の職業に比して殆ど社會的(A)に顧みられぬといふ不滿、劣等感」⇒「文學(B)すらも文明開化の出世主義(A)のネガティーブな吐け口になつてゐた」⇒「言葉は寫實」と言ふ自然主義文學への逃避⇒逃避(後ろめたさ)故に「文學が如何に《神聖》な仕事であるかを立證」せんとした⇒作家は聖職者(B)⇒自己に忠實(D2:自己表現)⇒C”:自己完成といふ名の自己絶對視(その自己が作る「新しき小説」)・自己正當化(その「新しき小説」の後楯となる西歐自然主義小説)⇒自己確認(D3)即ちセルフ・アイデンティフィケイション(虚妄の實感)・似非實在感。自己陶酔・自己滿足・エゴイズム⇒自己喪失。(劣等感即ち後ろめたい利己心は、「本來的には日本の民族性の内に、第二の習性として封建道徳の名殘り」だと恆存は言ふ。それが福沢諭吉等下級武士にもあつたと)

 

『近代の宿命』(全二P463)『私小説的現實について』(全一P571~3)より「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

 

②〔恆存が書く「自然主義作家・私小説家」に至る流れ。及びその似非實在感

*江戸幕府瓦解(文化政策的な儒教倫理C”の崩壊)⇒規範(D1)喪失⇒無限定性の自己(D1・關係・宿命喪失)⇒明治日本は、宗教改革の神に先導された西歐の資本主義と異なり、「近代日本(明治)は資本主義をはじめから利己的な惡徳として發展せしめる以外に道はなかつた(經濟的適應異常)。天皇と國家とのためにといふ名目を除外しては。(中略)近代日本の帝國主義は自己を限界づけるなにもの(國際主義)ももたなかつた(政治的適應異常)。のみならず、天皇や國家の権威は強者の惡徳を正當化した」⇒したがつて「明治の知識階級は政治活動(A)や社會活動(A)のうちに自己を生かすことを惡と見なさざるを得なかつた」のである⇒加へるに利己心に對する後ろめたさ(日本人の習俗性と封建道徳の残滓)⇒爲に、「完全に私を放棄して政治に身を挺するか(「下級武士の和魂洋才」)、さもなければ頑強に私を固執(自己絶對視)して一點に立ちすくむか(自然主義作家)」の二者擇一⇒それが故の、自然主義作家が冒した、實生活(A)から文學(B)への逃避。即ち「文學すらも文明開化の出世主義のネガティーブな吐け口になつてゐた」。(と同時に和魂Bは、福沢諭吉等下級武士の、アクティーブな吐け口と言ふ事なのでは)⇒自己に忠實(D2:自己表現)⇒C”:自己完成といふ名の自己絶對視・自己正當化⇒D3:自分でする自己確認即ちセルフ・アイデンティフィケイション(虚妄の實感)・似非實在感。

 

〔難解又は重要文〕P511下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「かやうにして作品はその内容たる素材とともに劃一化への傾向をとつたのである。いや、それは嚴密にいつて、もはや素材とは稱しがたいものである。現實のいかなる面に借りてこようとも、それらはすべて劃一化された作家の心理單位をその構成分子とするものにすぎない。心理小説にせよ、心理主義作品にせよ、ぼくたちはそこに素材と呼ぶほど確乎たる存在を見つけるかはりに、どの作家にも見いだしうるやうな非常に凝つた心理單位の結晶をいくつか發見したにすぎなかつた。(中略)ぼくたちはどうやらかうしてたんなる趣向や虚構を素材と稱する習慣に慣れ親しんできたらしい。だが、それは劃一化された心理單位のいくつかを結びあはせて必然と見せかける欺瞞の技術にほかならない。ふしぎなめぐりあはせといはうか、實感に發想を置いた日本の近代文學はその平均化を經て一種のそらぞらしさに歸したのである」・・・この邊の文章は何を言はんとしてゐるのであらうか。

*「嚴密にいつて、もはや素材とは稱しがたいものである。現實(A)のいかなる面に借りてこようとも、それらはすべて劃一化された作家の心理單位(B)をその構成分子とするものにすぎない」とは、「行爲となつて現實に働きかけること(A’⇒A)のない心理的實感」を指し、その「心理的實感」へのプロセスは前項枠文①の通りで、畢竟辿り着いた先の「セルフ・アイデンティフィケイション(虚妄の實感=似非實在感:D”3)」の事なのである。それは他評論『人間・この劇的なるもの』等で言ふ、「C(絶對・全體)⇒D1(宿命・關係)⇒D2(自己劇化)⇒C(絶對・全體)⇒D3(實在感)」のプロセスから得られる眞の「實在感」とは異質(似非)なるものである。

現實(A)を逃避した「藝術(B)至上主義態度は、作者の心理的實感(D”3:虚妄の實感・似非實在感)に作品の眞實を賭けるほかに生きる道を知らぬ」(同頁上)が故に、素材は、渉りあふべき外界(現實A)から離れ、作家の心理單位(B)的「趣向や虚構」が對象となつてしまふ(=私小説)、と言ふ事なのであらう。であるが故に現實から乖離した素材は、「嚴密にいつて、もはや素材とは稱しがたいもの」と言ふ事なのであらう。

*「實感に發想を置いた日本の近代文學はその平均化を經て一種のそらぞらしさに歸したのである」とは、やはり前項①②枠文の「プロセス」を謂ひ、かつPP圖「彼我の差」左圖を指してゐるのであらう。

 

〔難解又は重要文〕P512上「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「素材に對する不信と、その結果としての無節操――これこそ自然主義的私小説=白樺派=新感覺派をとほして現代に至る近代日本文學の推移を跡づける、いはば忌はしい一主題にほかならない」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。つまりは「自然主義的私小説=白樺派(富裕による行爲性の不必要)=新感覺派」に共通する、「行爲性を遮絶(A’)したたんなる心理構造としての自己(B)」が對象、と言ふ事を言つてゐるのであらう。その結果は前項と同樣、素材は、渉りあふべき外界(現實A)から離れ、作家の心理單位(B)的「趣向や虚構」が對象となつてしまふ(=私小説)、と言ふ事なのであらう。そして、その傾向は過去形ではなく現在にも忌はしく繼續されてゐるのであると。

 

〔難解又は重要文〕P512上「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「自己、それもあらゆる行爲性を遮絶(A’)したたんなる心理構造としての自己(B)以外になにものにも頼る事をいさぎよしとせず、素材にむかつてあくまで不信を表明した私小説が、目前に特殊性をことごとく剥奪されつくした自我の慘めなその姿を眺めて、なほ解體を防がうとするためには、一轉してふてぶてしく自己の無性格に安住し、心理主義の多彩な繪巻物をくりひろげ、大がかりな趣向によつて自己の平板化をごまかす以外に方法はないのであるが、ここまでくれば、再轉して自己とはなんの必然的關聯もない(素材A⇔自我A’)素材に對し無節操な追蹤(追從と同)をあへてすることはまことにたやすい裏切りといはねばならぬ」・・・

この邊の文章は何を言はんとしてゐるのであらうか。その探究の前に、恆存は「素材」なるものを以下の項目文で「A」として扱つてゐるやうに見受けられる。

〔難解又は重要文〕P511上下

「『藝術Bと實行A』(創作Bと行爲A)といふ主題はかれからそのままのちの自然主義の作家たちにうけつがれていつたのだが、これを一歩ずらせば、そこにぼくたちは『作品(B)と素材(A)』を考へる地盤を見いだすであらう」と。

 この定義を基に「素材:A」としてこの項目を含め今後は當評論の探究を續ける。

 尚、當項目文は一文一文が難解なので一つ一つ探究していく事とする。

①「たんなる心理構造としての自己(B)以外になにものにも頼る事をいさぎよしとせず」とは、先述參照文として擧げた内の以下プロセス「自己羅列」を指すのであらう。

作家は聖職者(B)⇒自己に忠實(D2:自己表現)⇒C”:自己完成といふ名の自己絶對視(その自己が作る「新しき小説」)・自己正當化(その「新しき小説」の後楯となる西歐自然主義小説)⇒自己確認(D”3)即ちセルフ・アイデンティフィケイション(虚妄の實感)・似非實在感。自己陶酔・自己滿足・エゴイズム⇒自己喪失。

②「素材にむかつてあくまで不信を表明した私小説」とは、やはり先述參照文として擧げた内の以下「プロセス」を指すのであらう。

*「素材A⇔自我A’(即ち不信)」⇒「文學(B)すらも文明開化の出世主義(A)のネガティーブな吐け口になつてゐた」⇒「言葉は寫實」と言ふ自然主義文學への逃避⇒逃避(後ろめたさ)故に「文學が如何に《神聖》な仕事であるかを立證」せんとした⇒作家は聖職者(B私小説)

③「目前に特殊性をことごとく剥奪されつくした自我の慘めなその姿を眺めて」とは、〔難解又は重要文〕P511上で擧げた、以下文の消息を物語つてゐるのではなからうか。

*「自我(A’)は行爲者として外界(A)と渉りあはずして、いつたいいかなる特殊性を保有しうるだらうか。行爲となつて現實に働きかける(A’⇒A)ことのない心理的實感(D”3:虚妄の實感・似非實在感)が受信機としていかに描寫の深刻と精緻(「言葉は寫實」と言ふ自然主義文學への逃避による)とをきはめようとも、いや、それが完璧に近づけば近づくほど、かへつて作家から個性が脱落し、その結果、僕たちは實驗心理學的な單位の無機的集合をもつとも新しい藝術的概念として受けとるやうに教へられたのである」(〔難解又は重要文〕P511上)。

④「なほ解體を防がうとするためには、一轉してふてぶてしく自己の無性格に安住し、心理主義の多彩な繪巻物をくりひろげ、大がかりな趣向によつて自己の平板化をごまかす以外に方法はない」とは、括弧注を附した以下を表してゐるのではなからうか。

*「なほ解體(自我の解體)を防がうとするためには、一轉してふてぶてしく自己の無性格(行爲となつて現實に働きかけない事に據る個性脱落)に安住し、心理主義(B:藝術至上主義=私小説)の多彩な繪巻物をくりひろげ、大がかりな趣向によつて自己の平板化(A喪失の一元化)をごまかす以外に方法はない」。

⑤「ここまでくれば、再轉して自己とはなんの必然的關聯もない素材(素材A⇔自我A’)に對し無節操な追蹤(追從と同意)をあへてすることはまことにたやすい裏切りといはねばならぬ」とは、〔難解又は重要文〕P509上下の以下文の事なのであらう。つまりは、かつて素材不信をしたものの、自己欺瞞がここまでくれば、自己の平板化(藝術至上主義=A喪失の一元化)をごまかす爲には、「寄らば大樹(大きな素材)のかげ」なる裏切りさへ厭はない、と言ふ事であらう(參照以下枠文)。

*「多くの作家は作品内容の空疎を糊塗するために、この公倍數のかげにかくれること(寄らば大樹のかげ)の気安さを知つてゐる」(當評論冒頭文)。

 

〔難解又は重要文〕P512上「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「藝術至上主義の放縱に身をゆだね、そのむなしさのはてになほ強靭な自我を保有しえたものは――いや、それほど強靭な存在をひとはもはや自我とは呼びえまい、放縦と荒廢とのあとに生き殘るものは歴史であり傳統であるから――このひとにしてはじめて素材のもつなみなみならぬ重要性を自覺しうるのである。かれは素材以外に文學はないと考へる。なんの苦勞をしておろかしくも手を加へる必要があらう、ただ根氣よく素材を探しあるき、それに隨へばいい、さう考へるのである」・・・この邊の文章は何を言はんとしてゐるのであらうか。此處もなかなか解りにくいので、いつもの如く、二元論的「A(集團的自我)・B(個人的自我)」及び括弧注を附すると以下の樣になる。ただ的を射てゐるかどうかは定かではない。

「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

 

*「藝術(B)至上主義の放縱(B的自己平板化=A喪失の一元化)に身をゆだね、そのむなしさのはてになほ強靭な自我」

(とは「行爲となつて現實に働きかける:A’⇒A的」自我、即ち「實生活Aの場で解決すべき問題は實生活Aにおいて處理し、それを作品Bのうちに持ち込むやうな錯覺を犯さずにすんだ」自我の事では

「を保有しえたものは――いや、それほど強靭な存在をひとはもはや自我(A’)とは呼びえまい、放縦と荒廢(藝術至上主義=私小説と言ふ、B的自己の平板化=A喪失の一元化の事か)とのあとに生き殘るものは」

〔Bの本來的對象である「自己を超えたるものの何か」としてのC(歴史・神・天等)であり、其處に赴かざるを得ない。それが故の〕

*「歴史(C:時間的全體)であり傳統(D1:歴史との關係)であるから――このひとにしてはじめて素材(A)のもつなみなみならぬ重要性(歴史C⇒傳統D1⇒素材A/文學B、と言ふ事か?)を自覺しうるのである。かれは素材(A)以外に文學(B)はないと考へる。なんの苦勞をしておろかしくも手を加へる必要があらう、ただ根氣よく素材(A)を探しあるき、それに隨へばいい、さう考へるのである」。
*〔もう一つの捉へ方:素材F・文學E〕
「歴史(C:時間的全體)であり傳統(D1:歴史との關係)であるから――このひとにしてはじめて素材(A)のもつなみなみならぬ重要性(歴史C⇒傳統D1⇒素材F文學E、と言ふ事か?)を自覺しうるのである。かれは素材(F)以外に文學(E)はないと考へる。なんの苦勞をしておろかしくも手を加へる必要があらう、ただ根氣よく素材(F)を探しあるき、それに隨へばいい、さう考へるのである」。⇒參照圖「關係論:③項目」 new.kankeiron.pdf へのリンク

 で上記の解釈と假定した場合、何故に鷗外は、實生活(A)の場で解決すべき問題は實生活(A)において處理し、それを作品Bのうちに持ち込むやうな錯覺を犯さずに」(『近代日本文學の系譜』P20)濟み得たのであらうか。その邊の消息については以下の内容が物語つてゐるのではなからうか。此處で遅まきながらお斷りしておくと、當評論『素材について』(昭和十八年著)だけでは、難解で鷗外について理解が進まない。故に向後評論にその助けを求めざるを得ない。もしかしたら邪道かも知れないが仕方がない。

向後評論『近代日本文學の系譜』(三年後:昭和二十一年)及び『自己劇化と告白』(九年後:二十七年)より「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

 

*「鷗外の自我(A’?)は敵對物(A:社會・現實)を豫想してゐない」。さうする事が出來たのは以下の理由に據ると恆存は言ふ。

「彼は社會(A)へは無關心であつた。この無關心こそは、彼が職業を通じて社會(A)とのあいだに、緩衝地帶(「精神の政治學」ライン?)をこしらへてゐた」からであると。そして、その「敵對物(A:社會・現實)を豫想」しないで濟む「緩衝地帶をこしらへ」る事が出來たのは、「(軍醫の職業:A’⇒Aによつて)、實生活(A)の場で解決すべき問題は實生活(A)において處理し、それを作品(B)のうちに持ち込むやうな錯覺を犯さずにすんだ」からであると。「その結果、彼の作品(B)はあらゆる夾雑物(A的なもの:惡の汚水)を濾過し去り、最後に文學(B)をもつてしか解決しえぬ問題(個人の純粋性B)――文學(B)のみがこれを扱ふ問題が純粋な形(個人の純粋性の静謐)で殘りえたのである」(『近代日本文學の系譜』P20下)と。

尚、「職業:A’⇒A」による「緩衝地帶をこしらへる」とは以下の方法論の事を言つてゐるのであらう。⇒ (參照圖「鷗外論一頁」ougairon.pdf へのリンク

*旧規範・旧限定と戈を交へる事なく(即ち「建設と生産」と言ふA的客體化を行ふ事)、「處世術(A)の事は處世術で對處」すべく、公人(軍醫A’)としてするべき事(A’⇒A)をしながら、「たえず自己を限定し捕捉しようとして迫つてくる規範の監視の眼(旧規範・社會A)から逃れる」やうに鷗外はたへた。即ち、公人として「(建設と生産の)惡に手をそめ(A’⇒A)、みずからそれを隠蔽する(實生活の事は實生活で行ふ)ことによつて無視し、それにたへてゐた」のである。惡にたへると言ふ事は、「旧規範」に自己を晒しながらしかもそれに膝を屈せず判斷保留し、「選ばれてあるものの責任であり、渦中にあつて生きるものの意志的行爲(A’⇒A)」として義務を果たす事。それによりかへつて「戈をまじへる事なく」、旧規範・旧限定から自己が隠蔽されるのである。公人の生活(A’)を旧規範に晒しながら、しかも「自己(藝術的側面、個人的自我:B)を秘めなければならない。可能性を大切にするからだ」。「なぜなら表現しようとする自己(B)は、つねに世間(A)道徳(C的)や、宗教(C)や觀念によつて限定され、それに膝を屈しようと用意してゐるから」であると恆存は言ふ。(參照『自己劇化と告白』全二P405~413)

同評論上で「告白Bの眞實性は生活(A的客體化:A’⇒A)を通じて(惡を)隠しとほすことによつて保たれる。藝術(B)は惡から汚水を吸いあげて美しい花を咲かす」(P407)、とも恆存は言つてゐる。是は前出「彼等の作品(B)はあらゆる夾雑物を濾過し去り(A的なもの・惡の汚水をBから吸ひ上げ)、最後に文學(B)をもつてしか解決しえぬ問題(個人の純粋性B)――文學(B)のみがこれを扱ふ問題が純粋な形(個人の純粋性の静謐)で殘りえた(つまり「美しい花を咲かす」)」と言ふ事を言つてゐるのであらう。(參照圖「鷗外論一頁」ougairon.pdf へのリンク

即ち、日本の自然主義作家の取つた態度、「文明開化の出世主義(A)のネガティーブな吐け口」として文學(B)へ逃げた自己欺瞞からは、「告白Bの眞實性」は保たれないと言ふのである。「藝術(B)は惡から汚水を吸いあげて美しい花を咲かす」とは、「處世術(A)の事は處世術で對處」「カエサルのことはカエサルに」で、集團的自我(A)上で客體化できる事は全て(公人として)其處で處理し、さうする事で個人の純粋性(B:個人的自我)から夾雑物を剔抉し、その静謐を守る事を意味してゐるのではなからうか。さうする事で、個人の純粋性は以下の事が可能となる。

即ち、「惡(A:必然惡・必要惡)を明確に自覺すること、そしてそれにたへることにおいても明確な自覺を把持してゐること――このほとんど自動的ともみえる無償の倫理的意思(とは、「神なくして個人の権利を主張しえない。それをあへてなすことは惡徳である」と同意?)を通じて、ひとははじめて文學的表現(B)に道を通じうる」(P411下『自己劇化と告白』)。それが可能になるのだと恆存は言ふのである。

この邊の表現は、フローベールについて謂ふ表現、「彼等は甘んじて、『十九世紀の個人主義的リアリズム』による自我の否定にさらされながらも、『つひに否定し扼殺しきれない個人の純粋性(B)を發見することを念じて』ゐた」(全二P269『作品のリアリティーについて』)に近似して來る。

更に、同じくそこで表現してゐる以下の樣な内容、即ち「フローベールの文學行動は、『一分の隙もない天窓(Bの凝縮)』に追ひつめられたアイロニー的情況に閉じ籠もりながら、しかも『つひに否定し扼殺しきれない個人の純粋性(B)を發見することをひたすらに念じるが爲なのである』」(恆存文:要約)云々の内容に繋がつて來る。是等の謂ひは上記傍線部分の換言であり、将に東西、彼我の差を超えた「藝術」の真骨頂なるものを、恆存は此處で我々に傳へて呉れてゐる樣に思へる。⇒參照:(參照圖「鷗外論一頁」ougairon.pdf へのリンク「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンク

 

此處から察するに、鷗外(漱石も)は西歐體驗で確實に「個人主義文學」(「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンクなるものを身につけて來たのだと、想像を巡らす事が可能となる。

それについて恆存はかく言ふ。

①「彼等(鷗外・漱石)がともに西歐文學の傳統「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンクを深く理解してゐたこと、この傳統のそとには自己の作家活動はもとより個性の完成すらもちえなかつたことが考へられる」『近代日本文學の系譜』P20下)。

②「鷗外の目標はつねに一貫してをり、そこには陰に陽にヨーロッパ流の近代的な文學概念「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンクを日本に移植することがめざされてゐたのである」 『文學史觀の是正』全二P358)。

③「鷗外・漱石の意圖してゐたものは、彼等の言説のいかんにかかはらず、要するにヨーロッパ人になることであり、ヨーロッパ精神を身につけることであり、さらにヨーロッパ流の文學概念「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンクを確立しようとすることにほかならなかつた」( 『文學史觀の是正』全二P358)と。つまりはフローベールに同じく、以下の傍線部分に關聯してゐるのを思はせるのである。

*「萬人をその胸に救ひとる人格神が、その手をその脚を、さらにその胴體をもぎとられ、それらが制度化せられ機械化せられる――で、神は人體を失つて、完全な精神としての抽象化を受ける。その精神が文學の領域(B領域)として殘されるといふわけだ (『近代の宿命』全二P463 。⇒「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンク(參照圖「鷗外論一頁」ougairon.pdf へのリンク

 

つまり恆存は、當評論において鷗外を、西歐近代「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンクに似せて、「自己⇒素材」を西歐近代の「主體A⇒客體A」と同じく想定し、構圖的には、フローベールと同樣に捉へてゐるのであらうか。西歐近代(「彼我の差」右圖參照)と(參照圖「鷗外論一頁」ougairon.pdf へのリンクとの比較がそれに當たる。しかし、兩者の相違點については、當評論後半における論究で明らかになる。

 

〔難解又は重要文〕P513上下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

鷗外は、作品の眞實を決定するものは生の素材を濾過する小説家の個性であるといふ思ひ上がつた近代的文學觀をよそに、默々として足で素材を探究してゐる――あたかも素材(A)の全貌を發掘しをへれば、それで創造(B)の本質的な段階は完了するとでも考へてゐるかのやうに。いや、じじつ鷗外はさう信じてゐたのにちがいない」・・・この邊の文章は何を言はんとしてゐるのであらうか。

①「作品の眞實を決定するものは生の素材を濾過する小説家の個性であるといふ思ひ上がつた近代的文學觀」とは、當評論冒頭項目で説明した、以下の「公倍數」の事と言ふよりは、むしろ「公約數」の事を是は表してゐるのではなからうか。つまり文例的にそれを表するなら、「この作品の眞實性(或いは藝術性)を決定する最大公約數は、素材としての歴史的人物0000である。その主人公である0000を、小説家誰々は、見事に作品へと昇華させた」と言ふ風なもの謂ひを、それは述べてゐるのではなからうか。後述の「自家藥籠中のものにする」への難詰も同意なのでは。

*「公倍數のかげにかくれることの気安さ」とは、つまりは後述にある「寄らば大樹のかげ」と言ふ事なのであらう。(〔難解又は重要文〕P509上下)

 

〔難解又は重要文〕P513上下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「ぼくは傳統につらなるものの頑固な自己主張を鷗外に見るのである」・・・この「傳統につらなる」とは何を言はんとしてゐるのであらうか。是は「歴史⇒傳統(C⇒D1)」の事を言つてゐるのだと想定しうる。この文は前出項目の以下文を髣髴させるのである。

〔難解又は重要文〕P512上「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

*「・・・、それほど強靭な存在をひとはもはや自我(A’)とは呼びえまい、放縦と荒廢(藝術至上主義=私小説と言ふ、B的自己の平板化=A喪失の一元化の事か)とのあとに生き殘るものは歴史(C:時間的全體)であり傳統(D1:歴史との關係)であるから――このひとにしてはじめて素材(A)のもつなみなみならぬ重要性(歴史C⇒傳統D1⇒素材A/文學B、と言ふ事か?)を自覺しうるのである。かれは素材(A)以外に文學(B)はないと考へる。なんの苦勞をしておろかしくも手を加へる必要があらう、ただ根氣よく素材を探しあるき(A’⇒A、それに隨へばいい、さう考へるのである」。

 

〔難解又は重要文〕P513下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「發見は天才の冒險と情熱とが神と契約してはじめておこなはれるのである」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。是は前出の「歴史C⇒傳統D1⇒素材A/文學B」と同樣、「神C⇒神意D1⇒素材A/文學B」言ふ事なのではなからうか。

 

〔難解又は重要文〕P513下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「ひとは素材以外にはたして一歩でもでることができようか。ひたすら素材に忠實にたらんとするものをのみ、素材は導いてゆく。素材の必然に隨つて一歩一歩着實に歩む以外に偶然の溝を越す方法はない。そして、この必然の尖端がすなほに偶然と相接するとき、詩が、いささかも虚構の跡をとどめない眞實の詩が光を放つ」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。此處もなかなか解りにくいので、やはり二元論的「A・B」及び括弧注を附してみると、以下の樣になる。

「ひと(A’)は素材(A)以外にはたして一歩でもでることができようか。ひたすら素材に忠實にたらんとするものをのみ、素材(A)は導いてゆく。素材の必然に隨つて一歩一歩着實に歩む以外に偶然(A’)の溝を越す方法はない。そして、この必然(A)の尖端がすなほに偶然(A’)と相接(A’⇒A:客體化)するとき、詩が、いささかも虚構の跡をとどめない眞實の詩が光を放つ」。

 更に探究するならば、「この必然の尖端がすなほに偶然(A’)と相接(A’⇒A:客體化)するとき、詩が、いささかも虚構の跡をとどめない眞實の詩が光を放つ」と言ふ文は、以下を髣髴させるのである。間違つてゐるかもしれないが。

拙發表文:『口邊に苦笑をうかべる』P15より「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

 

*「歴史に附合へば附合ふ程、首尾一貫した因果の直線は曖昧薄弱になり、遂には崩壊し去る。そして吾々の目の前に残されたのは點の連續であり、その間を結び附ける線を設定する事が困難になる。(中略)が、歴史家はこの殆ど無意味な點の羅列にまで迫らなければならぬ。その時、時間はずしりと音を立てて流れ、運命の重みが吾々に感じられるであらう」。(『乃木将軍と旅順攻略戦』P116

 

小生は思ふに、

即ち、點(部分)に迫る事によつて、鷗外の精神に全體感が象徴的に甦つたのである。其處に鷗外は藝術的實在感を感得する事が出來たのである。文學が持つ「時間藝術」の實在感獲得の方法論(「部分徹底=前後暗黒化」全體感・實在感獲得)を、歴史を書く事(史傳)によつて鷗外は得たのである。「鷗外は歴史を文學にしたと言へよう」(全六P561『獨斷的な、餘りに獨斷的な』)とは、將にその事を指すのであらう

 

〔難解又は重要文〕P514上「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「ぼくはこれを自己閉遮的な近代日本の文藝「彼我の差」左圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンクに對する頑強な不信と見るのである。よりすぐれたものに隨つて、自己のなしうる以上の行爲をなし、自己の限界をはるかに超えようとする(D2演戯・自己劇化=「なんとかして絶對なるものに迫らうとする行爲」)――それは心理的實感の文學「彼我の差」左圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンクとはまつたくべつの發想に立つ文學概念(西歐近代文學:「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンクと相似形とも解釋出來うる)である」・・・とは何を言はんとしてゐるのであらうか。一應、小生的見解を上文中に括弧で入れてみた。

 

〔難解又は重要文〕P514上「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

「ぼくは創作(B)そのものよりも、素材の探求(A’⇒A)に興味をおぼえる。傍觀と觀察と受容とではなく、傳統(D1:歴史Cとの關係)をになふもののひとりとして、また同時代の社會の一員として、それは多我と相渉らうとする行爲(A’⇒A:客體化)であり、常住さうした切實な日常生活(A)の完成をこころがけつつ(「公人としてするべき事」參照圖「鷗外論一頁」ougairon.pdf へのリンク、しかもこの日常性(A)のうちに人間性と社會性とを生かしきること(A’⇒A:客體化)に自己の生活の主題を見いださうとする態度(「公人としてするべき事」參照)――これはたしかに新しい、いや、もつとも古い藝術家概念(とは?)であるといはねばならない」・・・この邊の文章は何を言はんとしてゐるのであらうか。一應、小生的見解を上文中に括弧で入れてみた。そして、説明を加へると以下の通りである。

①恆存は此處で、「素材の探求(A’⇒A)」は、「多我と相渉らうとする行爲(A’⇒A:客體化)」「日常性(A)のうちに人間性と社會性とを生かしきること(A’⇒A:客體化)」と同質だと捉へてゐる。「素材の探求(A’⇒A)」自體で、「日常生活(A)の完成をこころがけ」、「自己の生活の主題を見いだす」事が可能なのであると言ふのである。つまり、「(背後の道徳=C儒教道徳・武士道)」の「傳統(D1:關係)」をになひ、以下プロセスの行爲(實在感獲得)をなし得たと、恆存は謂はんとしているのあらうか。この邊は、しかと判斷しにくいが、一應、參照圖「鷗外論二頁」ougairon1.1-4.pdf へのリンクに圖解してみた。

*「C(儒教道徳・武士道)⇒D1傳統)⇒A’⇒A(素材探求)B(創作)⇒D2自己劇化⇒C(全體・絶對)⇒D3(全體感・實在感獲得)」。

 

この流れに「安定の場所」と「自己の保證」を鷗外は得たのであると。その事を恆存は別評論(『獨斷的な、餘りに獨斷的な』全六P561)でかう評してゐる。「鷗外は歴史を文學にしたと言へよう」と。そして更に、さうした文學となつた史傳に「歴史の、或は人生の重みを感じる」(同上)事が出來る、と恆存は言ふのである。

②「傍觀と觀察と受容」については、恆存は以下の樣に書いてゐる。

『獨斷的な、餘りに獨斷的な』P560~1上「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

 

*「歴史的事實は固より現實がフィクションであるといふ『フィクション』の哲學は當事としては鷗外の『新知識』であり、それを廉(かど)に彼を傍觀者と未だに決め著けてゐる日本の文壇事情が海外に知られたら、いい物笑ひの種になるであらう(中略)彼の歴史に對する情熱は(評論『かのやうに』)五年後に史傳といふ新しいジャンルを開發した。彼は『妥協』した(傍觀者になつた)のではない。新思想(『フィクション』の哲學)の尖端を歩みながら、封建時代の傳統の重み(背後の道徳=C儒教道徳・武士道)に堪へてゐたのである」。何故なら、明治に殘存する「いはゆる封建制度」の「背後に道徳そのもの」を鷗外は見る爲に、と恆存は言ふ。(全二P417『自己劇化と告白』)

自己の夢想(C:儒教道徳・武士道)が激しいと同時に、かつ明治に未だ殘る「いはゆる封建制度の背後に道徳そのものを鷗外は(漱石も)見てゐた。生きてゐる人生の眞實を見てゐた」。それが爲に耐へてゐたのだと。別な言ひ方をすれば、「個人を否定してくる社會機構(A)」と言ふ「自我の對立者の極限概念に眞や無(C)を探りあてる」(同P417)が故に、自己の激しい夢想(C)と對峙する、當時の社會機構(A)が強ひるアイロニカルな能動に、鷗外は敵對することもなく「從順(A’⇒A:客體化)であつた」のだと。その樣な概要を恆存は記してゐる。(⇒參照:全二P417『自己劇化と告白』。同P407『告白といふこと』及び拙發表文『口邊に苦笑をうかべる』P17より)。

 

、この「封建時代の傳統の重み(背後の道徳=C儒教道徳・武士道)に堪へてゐたのである」については、恆存はかうも語つてゐる。この「語り」はさりげないが、實に重要な内容だと小生には思へる。

『福田恆存 對談・座談集(對:ドナルド・キーン)』第四P13(昭和五十一年)「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

 

*恆存曰く:「森鷗外の偉さといふのは何かといふと、森鷗外は一番先に西洋文化(B)を身につけた人(西洋文明Aではない。文明は大久保・岩倉等政府要人が先に身につけた)で、それでこれからの日本は西洋文化でいかなければいけないといふ考へと、それから自分の中にある封建時代の――封建時代といつてもいまおつしやつた武士ですね、武士の気持ち(背後の道徳=C儒教道徳・武士道)とこの二つの生き方をどうしたらいいのか。これを捨てるのか、あるいは保持していつたらいいのかといふ、鷗外の西洋化した新しい目から見たら否定しなければならないやうなもの、しかしそれにも魅力を感じて時代に叛逆しながらそれを何とか維持しようとしてゐる、一所懸命それに耐へてゐるといふ感じ、それが『澀江抽齋』なんかにはあらはれゐる。そこに私は魅力を感じるのです。新しがり屋のやうに、古い封建的な武士道(C)といふものを捨ててしまふといふことをしないで、自分をそれで締めつけて、それに耐へてゐるといふ(「何を敵としたかで自己は表現せられる」と言ふことか)、その感じですね。それが鷗外の魅力だと思ふのですが、それはいまの西洋には全然通じないだらうと思ひますね」。

ドナルド・キーン曰く:「通じないのです」。

 

 この事について、前年の著作『獨斷的な餘りに獨斷的な(全六P561)』ではかく書いてゐる。

*「『かのやうに』を裏返しにしたやうなフィクションが一般の西洋人には勿論、キーンやサイデンステッカーの如き優れた日本文學者にも理解されず、鷗外は解らないと突放されるのも當然であらう。が、私は鷗外の史傳に歴史の、或は人生の重みを感じる。鷗外は歴史を文學にしたと言へよう」と。

 

〔難解又は重要文〕P514下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

①「あれほどに素材(A)の微細畫を描かうとする考證的態度は、あくまで他我(A)の必然に隨つてしかも自己(A’)の偶然を發見しようとするこころでなくてなんであらうか。たれがまつたく他人と等しい自己を考へよう――ただ鷗外はひとしからざるを虞(おそ)れなかつたのみである。このひとしからざるを自覺しつつ、なほ親近を求める行脚のうちに、素材を語るすべてがある(とは「素材の必然に隨つて一歩一歩着實に歩む以外に偶然の溝を越す方法はない」と同意)。藝術(B)と生活(A)と、相對立した概念のやうに考へられてきた二つの世界に共通し、それをひとつにひきしめようとする意思(とは、⇒ougairon1.1-4.pdf へのリンク)のみがこれをよく理解するに違ひない」。(中略)

②「ぼくたちは素材も、また作者すらも關知しえなかつた眞實にうたれるであらう。人間の知恵が、同時代の意思(抽齋・鷗外の同時代的夢想「B⇒C:背後の道徳・儒教道徳・武士道」)がこの作品のもつとも美しい領域を描いてゐるのである(とは、⇒參照圖「鷗外論二頁」ougairon1.1-4.pdf へのリンク」・・・①②は何を言はんとしてゐるのであらうか。一應、小生的見解を上文中に括弧で入れてみた。更には以下を個別的に考察してみる。

*「あくまで他我(A)の必然に隨つてしかも自己(A’)の偶然を發見しようとするこころ」とは、以下内容を言つてゐるのであらう。

前出〔難解又は重要文〕P513下「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

 

*「この(Aの)必然の尖端がすなほに偶然(A’)と相接(A’⇒A:客體化)するとき、詩が、いささかも虚構の跡をとどめない眞實の詩が光を放つ」。

 

*「歴史家はこの殆ど無意味な點の羅列にまで迫らなければならぬ。その時、時間はずしりと音を立てて流れ、運命の重みが吾々に感じられるであらう」。(『乃木将軍と旅順攻略戦』P116

 

即ち、點(部分)に迫る事によつて、鷗外の精神に全體感が象徴的に甦つたのである。其處に鷗外は藝術的實在感を感得する事が出來たのである。文學が持つ「時間藝術」の實在感獲得の方法論(部分徹底=前後暗黒化全體感・實在感獲得)を、歴史を書く事(史傳)によつて鷗外は得たのである。「鷗外は歴史を文學にしたと言へよう」とは、將にその事を指すのではなからうか。(拙發表文『口邊に苦笑をうかべる』より)

 

 この評論(三十三歳著)は、他の初期作品と比べても、小生には更なる「難解」があつた。それでも當評論上での探究は、なんとか「をはり」にと差し掛かつた。

しかしながら、恆存の「鷗外論」は當評論だけに留まつてはをらず、他の作品にも重要な文章が散見される。その爲、向後の評論『近代日本文學の系譜』(三年後:昭和二十一年)『自己劇化と告白』(九年後:二十七年)等へと、小生を更なる探究に誘ひ込むのである。かつて他の「拙發表文」でも探究をしてみてはゐたが、探究不足や不明の部分がある。よつて、以下に補足的に考察してみる。

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【恆存の「鷗外論」】參照圖「鷗外論二頁」ougairon1.1-4.pdf へのリンク

下欄枠文《「鷗外・漱石關聯」文章群》を渉獵するに、小生はやはり難解で苦勞をしたが、それでも、理解となる以下のプロセス「C⇒D1⇒D2⇒C⇒D3」を、其處に見出す事が可能となつた。

 

鷗外の場合〕「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

鷗外は「封建道徳の背後に道徳(:天=儒教道徳・武士道)そのものを見てゐた」⇒D1「鷗外は封建時代の傳統(C⇒D1即ち運命=天命)の重みに堪へてゐた」。參照圖「鷗外論二頁」ougairon1.1-4.pdf へのリンク

その傳統である運命とは、「人間の背後(:背後の儒教道徳・天」)から人間の行爲を支配しよう(C⇒D1)とする暗黒の世界運命D1」を意味する」。「かれの意識は、暗黒の世界運命:D1にまで光を届かせようとして、漱石同樣、やはり明暗(B意識・A無意識)の交錯する領域A/Bを現出してゐる」。「そこに彼は人間、自我の運命(D1)のはかなさを蔽ひ庇ふ(おほひかばふ)堅固な盾(C:天=儒教道徳・武士道を見いだす」。堅固な盾(C)を背後に持して(C⇒D1)生きる人間の、「ささやかな事實のうちに鷗外の自我(B)はかへつて安定の場所を得る(實在感D3)」のである。故に史傳で「自我の運命(D1)のはかなさを」書く事にも、「鷗外の自我(B)は安定の場所を得る」。つまり別な表現をすれば、「自己の保證を求めて平凡な實生活上の事實に縋」る事が、其處では可能となるのである。簡略すると、

C堅固な盾(天=儒教道徳・武士道)⇒D1(運命)⇒D2(自己劇化)⇒C天・儒教道徳・武士道⇒D3實在感、なるプロセスの生き方を持つ人間の安定感を、其處に鷗外は見いだしてゐた。と同時に、史傳『澀江抽齋』等を書く事で、自らも「安定感(實在感D3)を獲得してゐたのだ。と言ふ事なのであらう。

この「はかなさ」「人間、自我の運命のはかなさ」について、小生は今ひとつ、確とした探究の手が届かないもどかしさを感じてゐたのであるが、下欄の文章群から察するに以下の樣な手懸かりを得た。・・・

西歐近代が持つ「精神(B)の偉大さ・自我の擴張(個人主義B⇒C’)を願ふヒューマニズム」さへ、鷗外は「自然(C:天・空間的全體)のまへに――自然の一部(天Cに支配D1されるものと言ふ事)としてはかないもの(C⇒運命D1)と觀ずる」のである。「鷗外の自我(A’)は敵對物(A:社會・現實)を豫想してゐない。(中略)自然(C)も人間(C天⇒D1運命)も、他我(A)も自我(A’)もあるがままに見つめ、あるがままに受け取らう(つまり、C天⇒D1運命)とする」。それが故に、それらは「はかないもの(C⇒運命D1)と觀ずる」事が出來るのである。

何ら歴史上に名を留めるでもなく、ただ淡々と上記プロセスを經て消えて行く、『澀江抽齋』等に、「自我の運命(D1)のはかなさを」を見ると同時に、それを「蔽ひ庇ふ(おほひかばふ)堅固な盾(C:天=儒教道徳・武士道)」を持つ人生に安定感を、鷗外は見いだすのである。

それらは「敵對物」(A⇔A’)ではないので、あるがままに「はかないもの(C⇒運命D1)と觀ずる」諦念的見方が可能だ。と言ふ事なのであらう。

 

補記:〔漱石の場合〕「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

C漱石は「道徳(天=儒教道徳・武士道)そのものを見てゐた」⇒D1天命⇒無意識(エゴイズム)/意識A/B⇒「自己本位」(彼我の差に踏み留まる?)⇒その客體化としての 『明暗』『道草』

・・・*「漱石に向つて拒絶をもつて對するものは、(中略)鷗外におけるやうな人間の運命(D1)でもなく、彼の正義感であり倫理觀(C)であり、その思想であった。この鏡(C:羅針盤)に照して、彼は自己のうちのエゴイズム(A)が許せなかつたのだ。(中略)自我はあくまで社會の一部(A’⇒A)として把握されてゐなければならない。エゴイズム(A’)は社会惡(A)とつながつてゐなければならない。しかし、漱石の作品の主人公は社會惡(A)とは無縁の――といつて惡ければ、より純粋な形における人間惡に惱んでゐる」。

 

《「鷗外・漱石關聯」文章群》「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

 

參考「鷗外關聯評論」:年譜

*『素材について昭和十八年著:三十二歳)『近代日本文學の系譜』(昭和二十一年著:三十五歳)⇒『小説の運命Ⅱ』(昭和二十二~三著:三十六~七歳)⇒『文學史觀の是正』(二十四年著:三十八歳)⇒『告白といふこと』『自己劇化と告白』(二十七年著:四十一歳)⇒『獨斷的な、餘りに獨斷的な』(昭和四十九~五十年著:六十三~四歳)

 

*「漱石の『明暗』や『道草』は、強烈な意識(B「乾かうとする意思」)が遠く暗黒の無意識の領域(A「自己の生理」・エゴイズム)にまでその光をとどかさうとするとき、兩者の境界線(A/B)においてのみ感じられるほの暗さ、すなはちささいな心理的錯覺によつて完全な暗さともみえ、また完全な明るさともみえかねぬ地帶(「自己本位」の事か?)を描いてゐる(この邊は晦澀で探究限界!)。鷗外においてはこの暗さ(暗黒の世界=無意識A)が時間(C歴史⇒D1運命・宿命)においてとらへられてゐるのにすぎず、したがつて無意識(A)のかはりに運命(D1即ち、背後道徳からの無意識的「支配」)が登場する――かれの意識は、人間の背後(C:背後の道徳・儒教道徳・武士道・天)から人間の行爲を支配しよう(C⇒D1)とする暗黒の世界(運命D1)にまで光を届かせようとして、やはり明暗(B意識・A無意識)の交錯する領域(A/B)を現出してゐる。すでにあきらかであらうが、鷗外・漱石の意圖してゐたものは、彼等の言説のいかんにかかはらず、要するにヨーロッパ人になることであり、ヨーロッパ精神を身につけることであり、さらにヨーロッパ流の文學概念(ABの峻別:「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンクを確立しようとすることにほかならなかつた」 『文學史觀の是正』全二P357)。

 

*「かれら(漱石・鷗外)は(明治に未だ殘るいはゆる)封建道徳の背後に道徳そのものを見てゐた。生きてゐる人生の眞實を見てゐた」(全二P417『自己劇化と告白』)。

 

*鷗外は「妥協した(傍觀者になつた)のではない。新思想の先端を歩みながら、封建時代の傳統(D1)の重みに堪へてゐたのである」(全六P560『獨斷的な、餘りに獨斷的な』)。

 

*「自分の中にある封建時代の、武士の気持ち(背後の道徳=C天・儒教道徳・武士道)とこの二つの生き方(もう一つは「西洋化した新しい目」)をどうしたらいいのか。これを捨てるのか、あるいは保持していつたらいいのかといふ、鷗外の西洋化した新しい目から見たら否定しなければならないやうなもの、しかしそれ(武士の気持ち)にも魅力を感じて時代に叛逆しながらそれを何とか維持しようとしてゐる一所懸命それに耐へてゐるといふ感じ、それが『澀江抽齋』なんかにはあらはれゐる」(『福田恆存 對談・座談集』第四P13)。

 

「鷗外の眼には人間もまた自然(C天?)の一部(C天⇒D1運命?)であり、(西歐の如き)相互に主張と否定とをもつて向ひあふ對立物「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンクではなかつた。まことに東洋的な自然觀、人間觀である」(全一P21『近代日本文學の系譜』)。

 

*「鷗外の自我(A’)は敵對物(A:社會・現實)を豫想してゐない。(中略)自然(C)も人間(C天⇒D1運命)も、他我(A)も自我(A’)もあるがままに見つめ、あるがままに受け取らう(つまり、C天⇒D1運命)とする彼は、ただ彼自身のために自己のゆゑんを確かめる(即ち「ささやかな事實のうちに鷗外の自我Bはかへつて安定の場所を得る」と言ふ事か)だけで充分だつたのである。鷗外の自我を拒絶するものは、いまや社會(A)ではない現實(A)ではない」。(⇒下文に續く)

是について補足すると、さうする事が出來たのは以下の理由に據ると恆存は言ふ。

*「彼は社會(A)へは無關心であつた。この無關心こそは、彼が職業を通じて社會(A)とのあいだに、緩衝地帶(「精神の政治學」ライン?)をこしらへてゐた」からであると。そして、その「敵對物(A:社會・現實)を豫想」しないで濟む「緩衝地帶をこしらへ」る事が出來たのは、「(軍醫の職業:A’⇒Aによつて)、實生活(A)の場で解決すべき問題は實生活(A)において處理し、それを作品(B)のうちに持ち込むやうな錯覺を犯さずにすんだ」からであると。「その結果、彼の作品(B)はあらゆる夾雑物(A的なもの:惡の汚水)を濾過し去り、最後に文學(B)をもつてしか解決しえぬ問題(個人の純粋性B)――文學(B)のみがこれを扱ふ問題が純粋な形(個人の純粋性の静謐)で殘りえたのである」(『近代日本文學の系譜』P20下)と。(參照圖「鷗外論一頁」ougairon1.1-4.pdf へのリンク 

*(上文に續く)「彼を不安に陥れ、彼をして自我の確立を祈求せしめたものはなんであつたか。それは人間の運命のはかなさであり、偉大と稱へる精神(B)、強大とたのむ自我の不安定な姿(とは、鷗外の内持する西歐的近代自我=個人主義の不安定な姿)であつた」。

小生注: 故に、もう一つの生き方、即ち、C堅固な盾(天=儒教道徳・武士道)⇒D1(運命)D2(自己劇化)⇒C天・儒教道徳・武士道⇒D3實在感、の生き方を持つ人間に、鷗外は「運命のはかなさ」と同時に安定感(C堅固な盾)を見出したのである。「自我の確立」をせしめる對象を其處に見出したのである。はかなさを「あるがままに見る」事が可能となつたので、不安からの脱出も出來たのである、と言ふ事であらう參照圖「鷗外論二頁」ougairon1.1-4.pdf へのリンク

「くりかへしていふが、これは近代ヨーロッパの絶望とは別のものである。(西歐近代がなせる)自我の卑小と醜惡とを鞭打する心には、精神(B)の偉大さを信じ、自我の擴張(個人主義B⇒C’)を願ふヒューマニズムがかくされてゐる。が、この東洋の賢人はそれをすら自然(C:天?)のまへに――自然の一部(天Cに支配D1されるものと言ふ事か?)としてはかないもの(C⇒運命D1)と觀ずるのである。くどく語る必要はあるまい。鷗外の史傳こそは、かうした心情から生まれたものにほかならぬ彼はもはや現實の調整も構成も意に介しない。あるがままに見、あるがままに語らうとするならば、なんで造型の要があらうか。自我の強大(B⇒C’・B⇒C?)、精神の偉大(B⇒C’・B⇒C?)といふがごとき架空を主張せんと欲すればこそ、フィクションとしての構成や造型も必要であらう「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンク――が、鷗外は偉大を創造するかはりに、平凡を渉獵する(自己A’⇒素材A)。心理の委曲を臆測する(心理主義文學=自然主義文學)よりは、一蘭學者が某月某日、某職の辞令を拝した事實のはうが、はるかに大切なのである。このささやかな事實のうちに鷗外の自我はかへつて安定の場所を得る。そこに彼は人間、自我の運命(D1)のはかなさを蔽ひ庇ふ(おほひかばふ)堅固な盾(C)を見いだす。これは自己主張(如何に生くべし:個人主義B⇒C’)といふがごときものではない(叉、フローベールの夢想神Cとも違ふ)。鷗外は自己の保證を求めて平凡な實生活上の事實に縋つたのである」(『近代日本文學の系譜』全一P22~3)。

 

*歴史は文學であると言ふ事について、又、恆存は以下の樣にも言つてゐる。「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

歴史を書くには「如何に學者であらうと、歴史上の人物と共に生き、共に迷ひながら描かなかつたなら、吾々の前に歴史はその姿を現しはしないでせう。しかし、史上の人物と共に生き、共に迷ひながら描くとすれば、それは當然、フィクション、即ち嘘になる。(中略)歴史家が時代や人物と共に生き、共に迷ふ心の持主でなければならぬのは、言ふまでもなく歴史上の人物が、歴史そのものが、迷ひながら生きてゐるからです」。故に「歴史は社會科學を利用はしても、社會科學そのものではなく、それは依然として文學なのです」と恆存は言ふ。

その意味からしても、「歴史を文學にした」鷗外の史傳は、「吾々の前に歴史はその姿を現す」ものとして、「歴史の、或は人生の重みを感じる」事が出來ると、「歴史は文學」との謂ひを籠めて、同じやうに恆存は述べてゐるのである(參照:全五P380『人間不在の歴史觀』)。

 

*「鷗外にも社會、人間、自己に對する諦念はあつた」。鷗外の初期から中期の作品にある「自己主張も(中略)それをいふ作者の口邊には苦笑が漂つてゐる。(中略)自己を作品から閉め出すことを徐々に覺えていつたからだ」(全一P21『近代日本文學の系譜』)。

 

*「漱石に向つて拒絶をもつて對するものは、(中略)鷗外におけるやうな人間の運命(D1)でもなく、彼の正義感であり倫理觀(C)であり、その思想であった。この鏡(C:羅針盤)に照して、彼は自己のうちのエゴイズム(A)が許せなかつたのだ。(中略)自我はあくまで社會の一部として把握されてゐなければならない。エゴイズム(A)は社会惡(A)とつながつてゐなければならない。しかし、漱石の作品の主人公は社會惡(A)とは無縁の――といつて惡ければ、より純粋な形における人間惡に惱んでゐる。漱石は避難所として禪を想ふ。が、禪の目的とするエゴイズムの克服は――僕たちがそれによつて自我を超えた人間を想像しうるとしても、彼がエゴイズムのかなたに横たはる社會惡に對していかなる積極的な意思をもつであらうか、それを期待できぬのである。ヒューマニズムとはかくのごときものではない。政治(A集團的自我)における自己の権利の主張(A’⇒A)と純粋な人間性の自主確立(B:個人の純粋性の静謐?)とが固く手を握つてゐるところにヒューマニズムの本來の姿(「彼我の差」右圖參照higanosa.sozai.pdf へのリンクがある。そしてすべてを純粋に本質的な内部の問題に(肉體の問題Aを精神の問題Bにと言ふ事か?)還元したところに、日本の近代文化の弱點がある(⇒『肉體の自律性』參照)」(全一P25『近代日本文学の系譜』)。

 

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