平成二十七年七月九日
〔福田恆存を讀む會〕
吉野櫻雲
恆存の「文化について」:參照PDF⇒頁1〜4:bunkanitsuite.pdf へのリンク
*恆存評論から、それを纏めて端的に言ふと、
文化とは禮儀作法等の有機的樣式(Eの至大化)が、生活の中に存在してゐる事を言ふ(「文化財Fは文化の一部 」:P210『文化とはなにか』)。
*「文化(D1)とは私たちの生き方(E)であります。生活の樣式(E)であります」(全五P185『傳統にたいする心構』の 「エリオットの弁」より)。
*「文化(D1)があり、傳統があるところでは、社會が、家庭(即ち仕來り)が、それ(生き方E)を教へてくれる」。⇒( 現代はそれ(生き方・樣式:E)が無くなつて來てゐて、文化も希薄・喪失化)。
即ち文化(D1)のある處(換言すれば自國の歴史との「適應正常化=非沈湎」が圖れてゐる國)では、「E」を至大 化させる「型・仕來り・禮儀作法・様式・儀式」が形成されてゐて、その「型・仕來り」が歴史との關係(文化)を、形 ある「物」として生き方に反映(Eを至大化)させてくれるのである。文化(D1)のある國は「仕來り(Eの至大化) 」を 持つが故に、「對象・言葉との距離測定不能(言葉に呪縛)」が原因の、適應異常や狂氣の囘避が可能となるので ある。
*「生き方」とは、「物(F:言葉
)を生き物として附合ふ事(即ちEの至大化)である」(『「人間國寶」序』より)。そして 、現代は是(生き物として附合ふ事=物を愛し作る職人=自分の生き方が日本の文化だと愛し自信を持つてゐる 人=型=Eの至大化)が喪失或いは希薄化されてゐるのである。
*「文化(D1)の根柢は言葉(Fそして言葉の型である「E=正統表記=正假名正漢字」)にある事に氣附いてゐる人 が餘りにも少ない。なぜにさうなつたかと言へば、戰後の國語國字改惡が徹底した結果、言葉(F)が文化(D1)を 支へ、思考力や道徳や人格(いずれもEの至大化)を支へ、その崩壊を食ひ止め得る唯一の財産だといふ自覺の 切掛けすら持たぬ人達が多くなつたからである。」(『新漢語の問題』全七P461)
*今日「有機體としての統一を保つた文化」が希薄(『文化とはなにか』全三P210)⇒參照圖(有機體、統一體とし ての圖「日本の文化形態」)nihon.bunka.pdf へのリンク。
恆存の「文化について」參照PDF⇒頁1〜4:bunkanitsuite.pdf へのリンク