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*「あらゆる個人は、そしてあらゆる時代は、それぞれの理想人間像を所有している。それを所有することによつて、一個人も、一時代もみづからを目的そのものとなしうるのであるし、したがつて社會と歴史とのそとに自己完成といふものを期待しうるのである。さもなければ個人は永遠に社會的全體(A領域)の一手段であり、時代は歴史的展開の一過程にすぎず、ひるがへつて、理想人間像をもつことによつて個人も時代も鎖されたものとして完結する」(全一P475『理想人間像について』)。 *「つねにジャンルは――そしてすべての文化價値は――自己のうちから夾雜物を棄てさつてそれ自身において純粋なものとならうと意思し、そこにはじめて完成がもたされ、價値が價値として存在しうるのである」(『小説の運命Ⅰ』全一P600) |
〔時代・文人別「理想人間像」の形態と内容〕
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時代・文人 |
理想人間像 |
形態・内容 |
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ルネサンス人 |
プロメテ (半神半牛) |
*二つの特長ある性癖(積極的な生命慾A+合理を基調とする人間理性B) ①「肯定的=積極的な生命慾」・・・「クリスト教の人間概念によつてわりきれぬあらゆる人間要素に貪婪」かつ「不合理・反逆的・醜怪・情慾的なるもの、これら一切の可能性にたいしてはげしい好奇心」。 ②「合理を基調とする人間の理性のたくましい力・・・その「かれらの基準となつたものは、教門政治や中世的社會秩序といふ外部条件をすつかり脱落せしめた文化遺産としてのクリスト教精神であり、その理想人間像にほかならなかつた」(『小説の運命Ⅰ』全一P598) |
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セルバンテス |
ドン・キホーテ |
*「セルバンテスの意慾はそこ(上記)につながつてゐた」(『小説の運命Ⅰ』全一P598)。 |
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フローベール |
小説には書かなかつた夢想(C)(イエス) |
*理想人間像(C:夢想)は作品には登場しない。ただそれら(B⇒C探求)は「作品の裏がはからあのリアリスティックな無表情の記述の保證に立つてゐるにほかならない」と。「一片の虚妄にすぎぬと承知してゐればこそ、かれは自己の理想人間像(C:夢想)を語りはしなかつたのであるが、同時に、その理想人間像があつたればこそ實證精神をしてあれほどまでに自我(「集團的自我A」:代理としてのボヴァリー夫人)を斬りさいなむことを許したのである」(全一P475『理想人間像について』)と。何處にも神を語つてゐないあの小説スタイルこそが「神に型どれる人間の概念(理想人間像)の探究」なのだと、恆存は言つてゐるのである。(全二P475『理想人間像について』)(全一P637『現代人の救ひといふこと』) 〔理想人間像の「否定因」は社會のみならず、自己にも適應される〕 *「(西歐)十九世紀後半の自然主義作家にとつて、資本主義社會は彼等の自我を實生活において拒絶し扼殺するほどに墮落し硬化したのであり、しかもこの社會的事實を彼等ははつきり凝視し、さらにこれを自己のものとして――いはば社會の醜惡と痼疾とを自己のそれとして受け入れたのであつた(「マダムボヴァリーは私だ」と言ふ事)。またそれゆえの嚴しい自己否定であつた。彼等の自我はもはや作品(「苦しまぎれの方法」=リアリズム)以外に主張と正當化との場所を見出しえなかつたのである」(全1P19:『近代日本文學の系譜』)。 |
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時代・文人 |
理想人間像 |
形態・内容 |
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福田恆存 |
絶對・全體(C)を背景としての「完成せる統一體としての人格」論 |
「國民の一人、公務員の一人、家族の一人といふ何役かを操る自分の中の集團的自己をひとつの堅固なフィクションとしての統一體たらしめる原動力は何かといふ事である。そ れは純粋な個人的自己であり、それがもし過去の歴史と大自然の生命力(時間的全體・ 空間的全體:小生注)に繋つてゐなければ、人格は崩壊する」(『覺書六』全六P698~705)。 |
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鷗外 |
「背後の道徳」(C)を持つ主人公 |
大主題(C)の發見「背後の道徳」 ⇒ 天命・宿命・新限定⇒中主題(C”文學:歴史小説・史傳の創作)⇒小主題:客體化(義=仇討ち=『護持院原の敵討』・忠=切腹=『堺事件』・孝=『高瀬舟』・全般=『渋江抽斎』等々)の |
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漱石 |
「背後の道徳」と「自己本位」(彼我の差に踏み留まる?) |
大主題(C):「背後の道徳」⇒ 天命・宿命・新限定⇒中主題C”「自己本位」(彼我の差に踏み留まる?)⇒小主題( 『私の個人主義』・各小説他)。 |
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参考:歴史の意識(西歐の統一性と一貫性)・・・「絶對者のないところに歴史はありえない」のである。 クリスト教の絶對神による「統一性と一貫性との意識が人間の生活に歴史を賦與」した。⇒そしてその神(絶對者)そのものが「近代を過去のアンチテーゼとして成立せしめる歴史的一貫性」を形作つた。即ち西歐は「叛逆すべき神」として中世を持つことが出来たのである。「神への叛逆も、じつは千年にわたるながいあいだの神への凝視と沒入とから習得し免許をあたへられた理想人間像にもとづいておこなはれたものである」(P599『小説の運命Ⅰ』)⇒「なぜなら神と言ふ統一原理はその叛逆において効力を失うものではなく、それどころか叛逆者の群れと型とを統一しさへする」⇒近代西歐精神を「神に型どれる人間の概念の探究」と言ふ形で統一していつたのである。(參照:『近代の宿命』P462、及び同發表文中「西歐歴史的統一性:圖解」及び『現代人の救ひといふこと』) |