平成二十七年二月二十六日


『福田恆存を讀む會』

吉野櫻雲

 

『近代の宿命』(全二P463P466)文を通して「イスラム世界」を見ると》


 以下は、西歐近代の本質を見事に捉へて、洵にダイナミズムのある文章だと思へる。

*「萬人をその胸に救ひとる人格神が、その手をその脚を、さらにその胴體をもぎとられ、それらが制度化せられ機械化(A)せられる――で、神は人體を失つて、完全な精神としての抽象化を受ける。その精神が文學の領域(B)として殘されるといふわけだ」。

*「近代ヨーロッパは神を見失つた――が、それはただ神の解體と變形と抽象化とを意味するに過ぎぬ。まさにそのための手續きであり過程にすぎなかつたヨーロッパの近代精神とその政治制度・経済機構(A)」。(『近代の宿命』全二P463P466

そして、其處から、今日のイスラム世界へと眼を轉ずるに、その根柢には、上記本質の不理解から來る西歐近代への「適應異常」と、それが原因のルサンチマン(弱者の歪曲された優越意思)的現象があるのではなからうかと小生には思へるのである。

ルサンチマン(弱者の歪曲された優越意思)的現象とは即ち、「A領域(集團的自我:政治制度・経済機構)への不滿⇒B領域(個人的自我・神に從屬する自己)への逃げ込み⇒アッラーの神(C)絶對優位化(原理主義的過激化)」の圖である。

 近代化を經なかつた彼等の神(アッラー)は、當然の事「近代精神とその政治制度・経済機構」による「神の解體と變形と抽象化」(A的客體化)とを受ける事がなかつた。その結果として、「A・B」の分離が充分に利かず、「神に従属する自己(B:個人の純粋性)」にも不純物が殘留してしまつた。その爲に「ルサンチマン」(弱者の歪曲された優越意思)的自己欺瞞にも陥つてしまつたと言ふ譯である。參照⇒比較圖hikakuzu.pdf へのリンク

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參考文1クリスト教の「連續性、一貫性」と歴史〉:「和魂をもつて洋魂を捉へる」手引き

歴史の意識(西歐)・・・「絶對者のないところに歴史はありえない」。

クリスト教の絶對神による「統一性と一貫性との意識が人間の生活に歴史を賦與」した。⇒そしてその神(絶對者)そのものが「近代を過去のアンチテーゼとして成立せしめる歴史的一貫性」を形作つた。即ち西歐近代は「反逆すべき神」として中世を持つことが出來たのである。「神への叛逆も、じつは千年にわたるながいあいだの神への凝視と沒入とから習得し免許をあたへられた理想人間像にもとづいておこなはれたものである」(P599『小説の運命T』)⇒「なぜなら神と言ふ統一原理はその叛逆において効力を失ふものではなく、それどころか叛逆者の群れと型とを統一しさへする」⇒どのやうに統一していつたかと言へば、近代西歐精神を「神に型どれる人間の概念の探究」と言ふ形で統一していつたのである。(參照:『近代の宿命』P462、及び同小生發表文中「西歐歴史的統一性:圖解」及び『現代人の救ひといふこと』

 

參考文2

「科學技術と社會制度の民主化との過程が進むにしたがつて、それまでの精神の領域(B:個人の純粋性)に屬してゐた問題が、逐次物質の領域(A:支配被支配の自己)に移されて、物質の問題として解決されていつた。物慾に克といふ克己の倫理(Bの領域)も、充分に慾望する物質を生産(Aの領域)するといふことで解決されてしまふし、病苦に堪へるといふ美徳(Bの領域)も、醫學の進歩(Aの領域)が徐々にそのやうな精神の無益な負擔を輕減しつつある」(『近代の宿命』全二P453)

 

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〔産経新聞正論欄〕

*〔イスラムテロに絡む歴史の背景 作家・石原慎太郎〕(括弧内赤文字は小生の反論。更に一部は下欄枠内で考察)

 誤解を招かぬために前言しておくが、私はたまたまワシントンに滞在中、間近に目にした9・11の連続テロに始まる「イスラム国」を含めての中東やアフリカにおけるイスラム系の残酷で非人道的なテロに共感する者では全くない。

 しかし、今回のパリにおける新聞社襲撃などが続く無残なテロ勃発の度、極時的に起こる非難の中に根底的に欠落しているものが在るような気がしてならない。

 それはこれらの事件が人間が文化を保有し、さらに加えて、いくつかの宗教を派生させてきた長い歴史の流れの中のいかなる時点で勃発したかという視点である。

 ≪現在も続く文明の相克と悲劇≫

 ナイジェリアで多数の女子を誘拐し、奴隷化するなどと宣言したテロ団の指導者がカメラに向かってわめいていた「われわれはキリスト文明の全てを破壊するのだ」という宣言には、実はきわめて重い歴史的な意味合いが在る。

 かつてニーチェは「西欧における神は死んだ」と言ったが、その神をこそ彼らは今改めて殺すと称しているのだ。しかし大それたその宣言の背景には、実は重く長い歴史的蓋然性があることを忘れては、この問題への正しい対処はあり得ない。

と言ふよりか、この傍線部分こそ、以下のレジュメ文が當て嵌るのではなからうか。「歴史的蓋然性」と言ふより、ルサンチマン的自己欺瞞による狂信(イスラム教)と見た方が妥當なのではなからうか。

*「近代ヨーロッパは神を見失つた――が、それはただ神の解體と變形と抽象化とを意味するに過ぎぬ。まさにそのための手續きであり過程にすぎなかつたヨーロッパの近代精神とその政治制度・経済機構(A)」

そして、其處から、今日のイスラム世界へと眼を轉ずるに、その根柢には、上記本質の不理解から來る西歐近代への「適應異常」と、それが原因のルサンチマン(弱者の歪曲された優越意思)的現象があるのではなからうかと小生には思へるのである。

 

 ヘーゲルは「歴史は他の何にもましての現実だ」と説いたが、キリスト教文明とイスラム教文明の相克ははるかに古く、2世紀におけるサラセン帝国とキリスト教圏との衝突に始まり、中世の十字軍騒動以来、実は今日まで続いている。

暗黒(?)の中世期は主にはヨーロッパが獲得した3つの新しい火薬、印刷術、そしてアラブ人から伝授された大洋を渡る航海技術によって終焉(しゅうえん)し、新しい文明の所産である新しい技術が古い文明を駆逐してしまうという歴史の力学(近代化=必要惡=歴史の必然性)を世界中で展開した。

 その典型はスペイン人が持ち込んだわずか3丁の鉄砲が、インカ帝国をあっという間に滅ぼしてしまったという歴史の悲劇にうかがえる。そしてその悲劇は、イスラム教徒を含む他のほとんどの有色民族に及んだのだ。それこそが中世期以後の歴史の本流(近代化=歴史の必然性。それこそ「先進國に蹂躙される後進國の宿命なのでは?)の姿に他ならない。

 ≪隷属を強いられた有色人種≫ (換言すると、先進國に蹂躙される後進國の宿命なのでは?)

 中世期以後の歴史の本流はキリスト教圏の白人による、他のほとんど全ての有色人種の土地の一方的な植民地化と収奪による白人の繁栄だった。アフリカや中東、あるいは東南アジアの全ての地域は西欧諸国の進出によって区分され、植民地化されて、一方的な隷属を強いられてきた。

 今日、声高に人権と民主主義を説くアメリカもまた、あの厖大(ぼうだい)なアメリカ大陸を、原住民だったアメリカインディアンを殺戮(さつりく)駆逐することで領有し国家として成立したのだ。

 ちなみにこの世界の中でもっとも長く、最近まで黒人の奴隷制度を保持してきたのはアメリカに他ならない。その余韻は今でも頻発する黒人に対する白人警察官の発砲殺戮事件として続いている。(話の拡散・「概念の外延の増大化」:慎太郎の特長)

近世において近代国家として再生した日本はその中での希有(けう)なる例外だったが、日本もまた、敗戦後の日本を統治解体したマッカーサーが退任後、アメリカ議会で証言したように、あくまで自衛のための手段として西欧の列強を真似(まね)して軍国化し植民地支配に乗り出さざるを得なかった(恆存曰く「近代化の爲の戰爭」。「私はこの戰争(大東亞戰爭)を明治開國以來、近代日本が辿らねばならなかつた一つの運命とみてゐた」

 そうした歴史の流れのもたらした必然を無視して、植民地支配と等質の論拠で戦後に行われた東京裁判での歴史観を踏襲した「村山談話」なるものを、日本の政府が今さらに踏襲するというのは、歴史の流れという大きな現実を無視した無知の露呈といわざるを得ない。まして「河野談話」をやである(話の拡散)

 起こした戦争を含めて有色人種の中で唯一の近代国家としての日本の誕生と存在は、世界史の流れに逆らって大きな引き金を引いたのだ(恆存の論との差異:「西歐近代適應異常」「科學製品は輸入できても科學精神は移植できなかつた」)

 ≪新しい宗教戦争の到来≫  (此處(歴史的な蓋然性)が疑問!參照⇒以下枠文及び別枠文)

 視点を現実に起こっているイスラム系のテロに向け直せば、中世以後のアラブやアフリカが強いられ被った歴史を見直せば、彼らが今改めて、西欧の神を殺すと宣言して憚(はばか)らぬ所以(ゆえん)の歴史的な蓋然性(ルサンチマンによる自己欺瞞なのでは?)に気付くべきにちがいない。

パリの新聞社に向けられたテロについての強い非難の論拠に、フランスがかつての革命で手にして国是として掲げている「自由、博愛、平等」を踏まえるのは妥当としても、かつて植民地として支配したアルジェリアや他のアフリカや中東のイスラム圏で、それらの国是がはたして同じ人間のイスラム教徒に保証されていたかどうかは、あのドゴールさえが手を焼いたアルジェリアを巡る紛争を振り返れば自明のことだろう。

 世界中を大きな不安におとしめているイスラム系のテロに冷静に対処するためには、あれらの暴力行為の歴史的蓋然性について自覚することこそが何よりも肝要に違いない。

 要約すれば、数世紀続いてきた白人の世界支配がようやく終わろうとしている今、新しい宗教戦争が始まろうとしているのだ

宗教戰爭の概念は當て嵌らない。概念的に言つて、宗教戰爭にはならないと小生は思ふ。即ち「脱宗教=近代化(神の解體と變形と抽象化)」に對抗する「教条主義(原理主義)=中世化」と言ふ概念が妥當なのでは。ただ過激派テロが無理矢理「宗教戰爭」に持ち込みたいだけの話。

*重複する部分もあるが、以下の比較もご參考に・・。

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〔「イスラムテロに絡む歴史の背景:石原慎太郎」について〕

石原慎太郎:文

上記レジュメ恆存文から考察すると。

「われわれはキリスト文明の全てを破壊するのだ」という宣言

今日のイスラム世界へと眼を轉ずるに、その根柢には、上記本質の不理解から來る西歐近代への「適應異常」と、それが原因のルサンチマン(弱者の歪曲された優越意思)的現象があるのではなからうかと小生には思へるのである。

≪新しい宗教戦争の到来≫

「イスラム系のテロに向け直せば、中世以後のアラブやアフリカが強いられ被った歴史を見直せば、彼らが今改めて、西欧の神を殺すと宣言して憚(はばか)らぬ所以(ゆえん)の歴史的な蓋然性に気付くべきにちがいない」。

此處(歴史的な蓋然性)が疑問!

蓋然性」などではなく、「ルサンチマン」的自己欺瞞から來るイスラム教狂信なのでは。以下レジュメ文參照。

近代化を經なかつた彼等の神(アッラー)は、當然の事「近代精神とその政治制度・経済機構」による「神の解體と變形と抽象化」(A的客體化)とを受ける事がなかつた。その結果として、「A・B」の分離が充分に利かず、「神に従属する自己(B:個人の純粋性)」にも不純物が殘留してしまつた。その爲に「ルサンチマン」(弱者の歪曲された優越意思)的自己欺瞞にも陥つてしまつたと言ふ譯である。

「フランスがかつての革命で手にして国是として掲げている「自由、博愛、平等」を踏まえるのは妥当としても、かつて植民地として支配したアルジェリアや他のアフリカや中東のイスラム圏で、それらの国是がはたして同じ人間のイスラム教徒に保証されていたかどうかは、あのドゴールさえが手を焼いたアルジェリアを巡る紛争を振り返れば自明のことだろう」。

此處が疑問!

それならば、フランス國内に約一割のイスラム系移民が在住し、まがりなりにも、近代化の恩恵である「自由、博愛、平等」を得て居るのは如何?

彼等の故國「アルジェリアや他のアフリカや中東のイスラム圏」には、フランスが持つ「近代化」の賜物(「制度化せられ機械化せられる」が缺如してゐるから、故國を捨て渡佛して來たのではなかつたか。

此處には、「ルサンチマン」から來る「イ(イスラム)魂洋才」の巾着的自己欺瞞が、フランス政府の「同化政策」を拒む要因の一つになつてゐる節が見られる。

「イスラム系のテロに冷静に対処するためには、あれらの暴力行為の歴史的蓋然性について自覚することこそが何よりも肝要に違いない。

 要約すれば、数世紀続いてきた白人の世界支配がようやく終わろうとしている今、新しい宗教戦争が始まろうとしているのだ」。

此處が疑問!

*「白人の世界支配がようやく終わろうとしている今」・・・「白人の世界支配」と言ふよりは「近代化の席捲」であり、「近代化」は必要惡であり、かつ歴史の必然なのである。故に「白人の世界支配」と言ふよりか、「近代ヨーロッパ精神」は終わろうとはしてゐないのである。參照⇒以下枠文

どうも、慎太郎の概念規定に「甘さ」があるのでは?彼にも「和魂洋才」の病弊が垣間見える。

以下恆存文と比較すると「彼我の差」が明確である。

「歴史を持つ社會は、自ら囘復しえぬやうな病ひをけつして背負ひこまない。歴史の意識をヨーロッパにはじめて植ゑつけたものが中世であり、そのクリスト教にほかならなかつた。ギリシャに歴史はない。――絶對者のないところに歴史はありえないのである。統一性と一貫性との意識が人間の生活に歴史を賦與する。とすれば、ぼくたち日本人がヨーロッパに羨望するものこそ、ほかならぬ近代日本における歴史性の缺如以外のなにものであらうか」(【近代の宿命】全二P460

 イスラム教も「絶對神」であるのに、上記の轍を踏むことが出來なかつたのは何故か?

*「新しい宗教戰爭が始まろうとしているのだ」について・・・宗教戰爭の概念は當て嵌らない。概念的に言つて、宗教戰爭にはならないと小生は思ふ。即ち「脱宗教=近代化(神の解體と變形と抽象化)」に對抗する「教条主義(原理主義)=中世化」と言ふ概念が妥當なのでは。ただ過激派テロが無理矢理「宗教戰爭」に持ち込みたいだけの話。

*日本の「和魂洋才」が巾着的自己欺瞞なら、「イ(イスラム)」魂洋才も然り!

 

近代化適應異常に陥らない 愛國心の持ち方〕

*「近代化適應異常に陥らない」=西歐近代に非沈湎(參照⇒參考文2)。非沈湎であれば、適應正常な愛國心は自然に發露されるのでは。

*愛國(關係ハードウェア)と稱する實在物は、潜在的には他の言葉(國防・ナショナリズム:ハードウェア)で表し得る」。故にその言葉との附合ひ方(ソフトウェアSo called:別紙「完成せる統一體としての人格論」の父親的發想」及び、国際愛としての集団的自衛権)によつて、人間は場との關係の適應正常化が叶へられる。(參照⇒參考文1)

〔參考文1〕

全七P300『せりふと動き』より 「 」内が恆存文。( )内は吉野注。

 

*場( C”)から生ずる、「關係(D1)と稱する實在物は、潜在的には一つのせりふ(F:言葉)によつて表し得る」。故にその言葉との附合ひ方(フレイジング・So calledE)によつて、人間は場との關係の適應正常化が叶へられる(傍線部分小生の説明的加筆)。

〔參考文2〕

何故日本は、近代化の技術や社會制度としての「資本主義化・民主主義化・個人主義化」「機械化・組織化・劃一化・合理化」等々を選擇するのか。西歐が近代でそれら概念に客體化して見せた「神に型どれる人間の概念の探究」を、日本も「形ある『物』として(それら新漢語の裏に)見せる」と言ふ事が「So called」なのである。(拙發表文『シェイクスピア劇のせりふ』より)

 

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〔參考文〕

 

平成二十七年一月二十一日 産経新聞オピニオン「曽野綾子の透明な歳月の光626 宗教戦争の気配」

注:以下ブログより転載

 http://blog.goo.ne.jp/kanpou-shouei/e/fe65d6997aec6cbc3a883038d010d8aa

 

これほど突然に、宗教戦争の気配が起るとは思わなかった。「シャルリー・エブド」紙攻撃後の、同社のやり方と、イスラム社会の反応が、かなり長引きそうな危険な空気を暗示している。

 素人の私が、鼠(ねずみ)の本能のようにここ数年感じていたことは、もはや近代国家間の戦争というものは、(絶対とは言えないが)めったに起きず、今後の戦いはすべてテロの形を取るだろう、ということだった。

だから日本でも、もっとテロに関する研究のために、それに向いた特殊な感覚を持った人材を養成する必要がある。

 西側で正規軍同士の戦争などというものは、1982年のフォークランド紛争以来起きていないし、今後もなかなか起きないだろう。

しかしテロはますます増えると思われる。民主主義も袋小路にぶつかっているからだ。

 テロリストというものは、破壊活動を起こす1秒前までは、平凡な市民の生活をしている。

普通の服装をし、果物の屋台の主だったり、農民だったりする。

そして破壊的な殺戮(さつりく)を行った1秒後には、うまくいけば、普通の市民の姿に戻る。

 テロリストは、実にさまざまな形を取る。

事件を起こす前の彼らの行動や背後組織の情報を取り、その理由を分析し総合して事態を見抜くには、あらゆる些細(ささい)なことから、その可能性を見抜く目も機械的な準備も要る。

これは学校秀才などにできることではなく、めったに採れない「万が一」以上の特異才能を終結してやることが必要だ。

 戦争を知っている私のような世代は、もうあの追いやられる死や、家族の別離や、食べ物の不足や、不潔な暮らしは真っ平という形で、完全な平和希求者だ。

しかし現在の平和主義者たちのように「戦争を放棄すればそれが達成できる」とも思っていない。

 強盗はこちらが平和主義者でも向こうから襲う。個人的レベル、国家的規模の不法侵入者は後を絶たない。

そのような集団に対する防備もまた、戦いなしにはできないことが、体験的にわかっているからだ。

 安倍総理は、今回のアラブ諸国訪問で、各国に多額の経済援助を約束した。破壊されたインフラの復興や、流入する難民を受け入れた国を助けるのは大切だ。

 しかししばしばそういうお金は、相手側からは、人道的援助とは思われない。

金を出すという行為は、内心やましいと思う心情の表れだから、感謝をするどころか、もっと取ってやればいい、という解釈は決して珍しくない。

 各分野から才能を集めて、対テロリズムの研究を進めなければ、今後の非正規戦争を、「平和裏に」防ぐことはできない。

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日本人の持っている道徳性、品性は他国の人間には分からない、他国の人は自分たちを主体に考えるから、日本人も同様な人間だと思っている。

日本人は他国の人間と違うということを忘れてはいけない。

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