平成十八年六月二十五日

『福田恆存を讀む會』

吉野櫻雲 發表文 

六月:テーマ評論全集第四巻所載:【『個人主義からの逃避』
(「文學界」:昭和三十二年一月號)四十七歳著】


前囘テーマ評論『シェイクスピア』では以下の事を探求しました。

戯曲『マクベス』に先取される、近代自我(個人主義)が持つ「自由=孤獨(宿命・關係喪失)」のアイロニーについてを。即ち近代理知(自由・自我解放)の裏に忍び込む「解放されて仕へるべき何をも持たぬ自我の不安」と言ふ、近代が抱へる「負の側面」の問題を恆存評論から學んだ。恆存は、近代の「全體喪失=宿命(關係)喪失」を、衰退(「デクリネイション」)と見たのであります。

そして、今囘テーマ評論『個人主義からの逃避』はその續篇とも言へます。「負の側面」と同時に「正の兩面」を備へた、「個人主義(近代自我)」に日本人はどう對處したか。果たしてその確立が出來得たのか否か。出來得なかつたとしたら、どの樣に日本はそれに「適應異常」してしまつたのか、それらの點をも含めて探求して行きたいと思ひます。

で、「正の側面」とは何か。一應以下の内容等が上げられるのではと存じます。

1.個人主義も、西歐近代が持つ實證精神の精華(自由・平等・民主主義・資本主義・帝國主義等)の一つ。即ち「神に型どれる人間の概念の探求」としての結實。(P213下、及び以下『近代の宿命』文、「テキスト八圖」參照) 

2.個人主義は、神を喪つた「孤獨の寂しさに堪へる爲のいきかた」・「個人主義はその發想において、すでに孤獨のうちにあつた」(P203)・・・「個人の強靱性」(『醒めて踊れ』參照)が養はれる手立てが其處にあつたと言へます。

3.孤獨感と同時に併せ持つ「存在感」確立の側面・・・「個人主義」とは神の代はりに自己の手による宿命(D1)演出。即ち「自己主張(表現)・自由意思:D2」によつて「宿命=人間如何に生くべきか」を探求する事。「もし、個人がそれ(宿命)を選びとらねばならぬものなら、その最後の仕あげも、個人が自分の手でやつてのけねばならぬ」(『人間・この・・』)。とは、實證精神(A:カエサル)で解決出來るものは實證精神(A:カエサル)で解決すると言ふ旺盛なる意慾に繋がる。(以下參照:正負の二面性。傍線が負の側面)

近代=「神の死」即ち「神意(宿命)喪失」→「個人主義」即ち神の代はりに自己の手による宿命演出→野心(マクベス)・自己主張(表現)・自由意思(人間如何に生くべき)→自己完成(自己主人公化・自己全體化・自惚鏡)→エゴイズム(自己陶酔・自己満足・自己絶對視・似非實在感)→自己喪失

 

《當發表文では以下三つの問題を探求します》(文中括弧内は概ね吉野注)

� ァ屬覆嫉笋燭舛論象燭龍畭緤胡椶鬚泙佑覆韻譴个覆蕕覆い里�、なぜ個人主義を身につけねばならないのか」と言ふよりも、それを「まねようとしたのにまねられなかつた」(P202)事について。・・・個人主義をも含め洋才の奧に洋魂(クリスト教:以下枠文參照)があるのを理解できなかつた事に歸來する。恆存が言ふ以下の内容が日本人には理解出來なかつたのである。 

〈参考:クリスト教の「連續性、一貫性」と歴史について〉

歴史の意識(西歐)・・・「絶對者のないところに歴史はありえない」。

クリスト教の絶對神による「統一性と一貫性との意識が人間の生活に歴史を付与」した。⇒そしてその神(絶對者)そのものが「近代を過去のアンチテーゼとして成立せしめる歴史的一貫性」を形作つた。即ち西歐近代は「反逆すべき神」として中世を持つことが出來たのである。「神への叛逆も、じつは千年にわたるながいあいだの神への凝視と沒入とから習得し免許をあたへられた理想人間像にもとづいておこなはれたものである」(P599『小説の運命�機戞泡諭屬覆爾覆蘓世噺世嫖�一原理はその叛逆において効力を失ふものではなく、それどころか叛逆者の群れと型とを統一しさへする」⇒どのやうに統一していつたかと言へば、近代西歐精神を「神に型どれる人間の概念の探求」と言ふ形で統一していつたのである。(參照:『近代の宿命』P462、及び同小生發表文中「西歐歴史的統一性:圖解」及び『現代人の救ひといふこと』)

上文の内容をも含め、何故「まねようとしたのにまねられなかつた」のかを、端的に表してゐるのが以下の文である。其處に西歐近代と明治以降日本人の精神性の相違がコントラストに描き出されてゐると言へる。前文二つが西歐近代精神である。詳しくは「テキスト八圖」と「九圖」でその差異をご覽戴きたい。

 「科學技術と社會制度の民主化との過程が進むにしたがつて、それまでの精神の領域(B個人の純粋性:吉野注)に屬してゐた問題が、逐次物質の領域(A「支配被支配の自己」:同注)に移されて、物質の問題として解決されていつた。物慾に克といふ克己の倫理(Bの領域)も、充分に慾望する物質を生産(Aの領域)するといふことで解決されてしまふし、病苦に堪へるといふ美徳(Bの領域)も、醫學の進歩(Aの領域)が徐々にそのやうな精神の無益な負擔を輕減しつつある」(『近代の宿命』全二P453) 

「近代ヨーロッパは神を見失つた――が、それはただ神の解體と變形と抽象化とを意味するに過ぎぬ。まさにその爲の手續きであり過程にすぎなかつたヨーロッパの近代精神とその政治制度・経済機構」なのである。(參照『近代の宿命』全二P466・「テキスト八圖」)

「肉體(A)の自律性は當然その反面に精神(B)の自律性を前提とする。肉體、あるいは物質で解決すべき事を、精神の重荷とするなかれ――精神には精神のみの解決しうる問題をあてがひ、その領域と大權とを縮小せしめるにしくはない。そのときはじめて精神は自律し、その権威は輝くであらう。が、ぼくたちは今日までなんと精神を神聖化し、さうすることによつて精神の負荷を重からしめ、結果として精神を侮辱してきたことか。肉體の自律性が確立してゐなかつたからである。明治以降の日本人はあらゆる物質的(A)なこと、肉體的(A)なことに、すべて精神(B)のべールをかぶせ、それをことごとく精神の發動として自己満足してきた。かれらは肉慾を肉慾として是認することをおそれ、それに精神的な衣をかぶせた。物慾を物慾として是認することをおそれ、それに藝術愛(B)や愛國心(B)や愛他心(B)や、その他の主種雑多な大義名分をかぶせた」。(P479全二『肉體の自律性』:續く文も重要であるが、長いので省略)

�◆ァ嶮藉彊遥,箸い佞里蓮慷J�的』、『即物的』といふこと」(P206)について。・・・「實感依據」「唯物的、即物的」とは、「何にでもべたべた引つ付く自他未分の神道的生活態度」(『日本および日本人』)の事を言つてゐるのではなからうか。   

上述の問題に絡めてそれを追求してみる。「まねようとしたのにまねられなかつた」、それは何故か。「何にでもべたべた引つ付く自他未分の神道的生活態度」と言ふ日本的土壌が、「言葉との距離測定」の能力を日本人から奪つてゐるからである、と恆存は言ふ。上記枠内で言ふ、本來はクリスト教の「連續性、一貫性」の歴史から發生する概念である「個人主義」「自然主義」に、日本人は唯物的、即物的に「べたべた」と引つ付き、それらの「言葉との距離測定」が出來なかつたのである。それが爲に、西歐リアリズム文學の方法論即ち「人間個體の輪郭により、その存在と孤獨感とをあかしするといふ方法」(P208)をも曲解して、私小説的寫實に變形させてしまつた。

恆存は、言葉に對しては意識度を高くし、言葉の用法に細心の注意をしなければならない、と以下の樣に言ふ。「言葉を自分から遠く離す事によつて、逆にその言葉を精神化し、支配、操作する事が出来る様になる」。さうする事によつて「自分に近付け、言葉を物そのものから離して自分の所有にする事が可能になる」のだと。そしてその「言葉の用法」が日本人には出來なかつたのである。

「それ(「言葉との距離測定」)が身につく土壌が日本に欠けてゐる」が故に、「物質面で行はれた近代化に対する、適應能力としての『精神の政治學』としての近代化」が出來なかつたのだと恆存は言ふのである。即ち即物的唯物的に「何にでもべたべた引つ付く自他未分の神道的生活態度」(『日本および日本人』)と言ふ日本的土壌が、「言葉との距離測定」の能力を日本人から奪つてゐるのであり、爲に「精神の近代化(個人主義)」自體を妨げてしまつたのである。

圖的解説を施すなら、日本人は「テキスト九圖」の状況で事足れりとして、「精神の政治學」ラインを「テキスト八圖」に迄下げようとせず、その構圖のまま「何にでもべたべた引つ付き」、ただの物質的(A)模倣が出来た事を、それが和魂洋才で「近代化」そのものが成就したと早飲み込みしたと言ふ事になる。「日本的土壌」=「距離測定能力欠如」の致命的欠陥が其處に露出してゐるのにも關はらず、その事に気がつかなかつたのである。気がついてゐたのは鴎外・漱石と言ふことである。

「さう言ふ土壌(九圖)に生じた文學や藝術や學問が、或は政治や制度が、もし近代的に見えるとすれば、それは何處かにごまかしがあるに違ひ無い」(全七P393『醒めて踊れ』)と恆存は言ふのである。

當にごもつともである。この特質をもつと解り易く圖説すれば、明治になつて「八圖:

西歐近代」に「九圖」のまま日本は引つ付いたのである。「八圖」に開いた物質面の近代化の花だけを「九圖」に接ぎ木して、同じ花(近代化)と称して日本は自己滿足した。しかし全體像を見ればどう見ても彼我の差があるのに、それが見えなかつたのである。「近代化のごまかし(適應異常)」と言ふ自分の姿が、その「九圖」の中に居るが爲に見えなかつたのではなからうか。かうして圖で視覺化すればそれが「近代的に見える」筈がないのだが。

��.「實感」が持つ二つの意味。(P206)・・・恆存は二つの使ひ方をしてゐる。真の實在感(D3)としての實感と、上文�△埜世孅櫃諒�まね的自己満足感でしかない「實感依據」との。そして「二葉亭のうちに、さういふ個人主義文學(日本のいびつな自然主義文學の意)の呼びかけにたいする否定の意思表示が見られる」(P206上)云々とは、日本の自然主義文學にある似非實感としての「實感依據」に、彼の真性の實感が反撥した事をそれは示すのである。その爲に政治に身を投ぜんとしたのである。(參照:二葉亭の言、「私は元來實感(D3)の人で、始終實感で心を苛めてゐないと空疎になる男だ」:全五P551『独断的な餘りに・・』)

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